研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 思想 研究 ――
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Category: < 精神革命 > | 2007.08.07 Tue 16:00

研鑚を実用化する研究活動

肉体的にも精神的にも、痛みや苦しみがある場合は、先ずはそれを取り除きたいと欲するのは当然のことだと思う。その為に、医者や医術の力を借りる場合もあるだろう。
痛み・苦しみ・悩み・迷い等にさいなまれている状態で、自分を客観視しようとか、知性を働かせようとするのは、かなり難しいのではないだろうか。
研鑚でやろう、研鑚でやろう、としたけれど仲々・・・という原因は、そういうところにもあると思う。
研鑚会に参加すれば、研鑚できるように思ってきたが、そうではないようだ、研鑚し難い状態の場合は、先ず研鑚のための前準備が要るのではないか、ということで、いろいろと研究を重ねている。

幼少期からなら、素直にまっすぐに研鑚科学する知性を培いつつ、成長することができるだろう。
また、途中からでも、おおよその人は「研鑚セミナー」を経ることによって、研鑚へのキッカケが出来ると思う。
それ以外の人も「内観コース」を経ることによって、自己研鑽へのキッカケができるようだ。
あるいは、別の観点から、瞑想的な手法を取り入れて、自分を重く見ないトレーニングも研究課題としてある。
その他、その他、人の状態・症状というのは、無数にあるだろうから、これが決定版というのではなく、その人、その人に応じた方法の研究が必要な場合もあるだろう。

飛行機の理論はあっても、実用化技術が伴わない時代には、「やはり、飛行機なんて無理だ、駄目だ」とされていた。
金の要らない社会も、実用化の研究が進まないと、「やはり、そんな社会は無理だ、駄目だ」となる。

「人間性や知性の研究」と「研鑚の実用化研究」は、研究所と研鑚ライフセンターという機関があるからこそ、結果や成果をあせらずに一歩一歩、進めていけるのだと思う。


1959年10月「愛和」より
・・・それを転機として、山の研鑽がスムースに活動し始め、一体の理が現象化して来たわけで、本当の研鑽の産みの苦しみには生命が賭けられ、本当の研鑽には生命が吹き込まれていると思う。
 研鑽の理提案は私達だったとしても、本当の研鑽の理を明確に実現化し実用化し、活用出来るようにこの世に産み出したのは生命がけの業績だったと私は思っています。山の人々の中にもこの事実を確認している人が相当あります。


1960年4月「考え方の革命」より
 こうして、けんさん方式に考え方を革命した場合に、現在までに正しいかの如く思いこまれていたものが、続々とその間違を発見される。キメつけの考え方から、キメつけのない考え方への頭脳革命ともいうべきものであろう。
           :
 けんさん方式によると、その頑固さもその弊害も次々と発見され、頑固は急速に減退し、人と人との対立抗争がなくなり正しい社会が構成される。
           :
 このけんさん方式によれば、我執抜きは容易であり、怒り位はわけなく解決し、絶対に腹の立たない人の続々できることも当然のことである。



2006.6.17 研鑚を知らずに・・・

Category: < 世界革命 > | 2007.08.04 Sat 12:00

人の中身について話そう

・・・というと、なんだか、うわさ話をするようで、あまりイメージが良くないかもしれないが、これは、類推・憶測・疑い・勘ぐり等ではなく、「その人の中身の実際」を見ようとするもの。

<人の中身 主体の文化へ>
例えば、私は○○は苦手だ、○○が得意だ、○○がやりたい、と思って言ったとしても、そう思っているから、そう言ってたから、「実際にそうだ」とは限らないもので、その人の実際はどうだろうか。
「ウソ」か「本心」かという問題ではなく、心底そう思っているとしても、「その人の実際はどうだろうか」というもの。

私は気づいた、目覚めた、悟った、神の声を聞いた・・・等も、それを否定するものでなく、その人の体験や思いを言っているのだろうから、それはそれとして、・・・で、その人の中身の実際はどうか。
その人の体験や行為行動や言ったこと書いたもの等、現象面はどうあろうとも、その人の中身の実際はどうか。
(結果や効果、現象面の話だけでコロリといく、現象面に弱い人が多い)

「その人の中身の実際」を見るということは、見ようとしたからといって、すぐに見れるものでもないだろう。
そのような文化というか価値観というか、そういう環境の中で、人の中身に興味・関心が湧き、感覚が養われ、見る目が育つのだと思う。

職場にも家庭にも社会そのものに、そういう文化を育てたい。



<真の幸福観へつながる道>
現象面はどうでもいいということではない。
現象面の変化や経過・結果をよく見て、そこから、中身はどんなだろうかと、中身(核心・本質)を見ようとするもの。

間違いを指摘したりして、いくら正しきを目指しても、現象面をとやかく言っている間はね・・・。

子育て(人育て)に関わる人は、中身を見る目を養わないと、現象面で一喜一憂する人を作るばかりになると思う。
幸福感を追う感人種にはなって欲しくないと思いながらも、人が喜んでいたら「良かったね」、がっかりしていたら「残念だったね」、では、「人の中身を見る目」も「中身主体の文化」も育たないだろう。

これは、センジ詰めると、その人の「幸福観」のことでもある。
私が本当に幸福だと思えたら、実際に幸福なのか、どうか。
その人が幸福だと思えたら、それで幸福なのか、どうか。

自分を観察し、自分の中身を見ようとすると、
自然と、人の中身に、社会の中身に、関心が向いてくる。
中身に関心が出てくると、やはり、本当の現象、現象面を正しくするには、中身を正しく・・・という、やりどころが見えてくると思う。


<現状の価値観の自覚から>
現象面主体の価値観で長年やってきていると、そう簡単に切り替わるものではないが、先ずは、自分の現状の価値観、現象面主体の価値観をハッキリと自覚することだと思う。

自分や人の言動、いろいろの出来事に対して、即座に反応している自分の実状が見えてくると、徐々に、現象面ではなく、「その中身はどうなんだろう」と中身の方へ関心が向いていくと思う。

そして、「中身はどうなんだろう」「中身はどうなんだろう」と主体や重点が中身へ向かえば向かうほど、観念や感情で現象面に対して即座に反応することが少なくなり、冷静に受け止めて、じっくりと見たり聞いたりできるようになってくる。
あえて意識しなくても、自分に言い聞かせたりしなくても、「良いとも悪いとも云えない自分」、「人の言動や出来事に一喜一憂しない自分」ができてくる。

先ずは、そういう自分たちに成り合って、職場や家庭や日常会話でも、人の中身について語り合おう。


1961年3月 理念研より一部抜粋
内部機構をつくる上にも、元の心の面、仲良しになるための三人制にしても、一人で偉い人になる専制者は嫌われる。
よろこんでくれるとしても、物欲の人が喜ぶのやったら、ええかげんなもの。
蒔いた通りの種が生える、簡単なこと。
気持のない行為は一切無効の行為。
真底にあるものを見ての配役、非常にプラスに見える人は、又マイナスがある。
差引残高を見る、スプーンの例。
着実ないき方ができる人が、実顕地の実権を握るようにする。
最後のどたん場になったら、どうなる人やろかと着眼する。
熱心にやっている人でも(理論、行為共に)自分の考えに合っているうちはやる。一度自分の考えに合わんとなったときのことを見たらよい。
喜ばしたいは(内容によるが)全部(金銭報酬を求めないは初歩)報酬を求める。
山を良くしたいも、私から出たものは(気に入っている為だけ)
どんなことでも、研鑽生活に始まって、研鑽生活に終わる。

Category: < 社 会 理 > | 2007.08.02 Thu 23:00

人の中身に焦点をあてる社会

束縛や押し付けや待遇上の差別のない、極々自然な自由で平等な社会に立ち還りさえすれば、自ずと、それぞれの個性を磨き、持ち味を発揮し、お互いを生かし合う、幸福社会へと生長していくだろう。

立ち還るべくベースとなる人間社会は、もっともシンプルで素朴なものだが、人間そのものが複雑化し混迷した状態では、素朴な社会にすら立ち還ることができない。

人間そのものが問題となる。人間の正常・健康が焦点となる。

明るく楽しく元気に生き生きとやっている、喜びや感謝に満ちて、充実感・満足感を持ってやっている、他の人を思い、気配りを忘れず、礼儀正しく真面目で誠実な人、・・・等々の条件が揃うと、正しい人のように思われがちだが、これらは全て現象面のことだろう。

その人が、正常・健康か、どうかは、その人の中身のこと。
その人の中身に焦点をあてることになる。

仕事をキチンとこなす、よく働いて業績を上げている、人あたりが良くて清清しい、等々も現象面のこと。

現象面に関心ある人たちによって、現象面を重んじる社会気風ができる。
逆に、現象面のみに捉われないで、その人の中身に関心ある人たちによって、中身に焦点を当てる社会気風ができると、楽しそうに生き生きとやっているとか、業績が上がった等で、良かったとならないばかりか、そのようなことにあまり関心が向かない。
喜びに満ちて感動していても、或いは、その逆であっても、だからどうのこうのでなく、その人の中身はどうか。
そこの人たちも、そこの気風そのものも、現象的に何があっても、嬉しいもガッカリもない、とても淡々とした営み。

喜びや満足感・充実感などを欲するのは、その人自身の中に何か枯渇していてその反動の現われではないだろうか。
現象化した心境面というものは、その人の中身と裏腹であることが多い。
(寂しいから楽しもうとする、ひけ目があるから対等であろうとする等)
喜びや満足感・充実感があるというのは、あまり正常な状態ではないのかもしれない。


その人の中身とは、その人の方向性とか、内在する可能性などでは、ないだろうか。
そんなことは、分からない・難しい、としないで、そこがその人の中身だとしたら、そこに焦点をあてて見ようとしないでは、いつまでたっても、現象面の砂上の楼閣を追うばかりだろう。

自分も含めて、この人はどんな方向性にあるだろうか、状況が変化したらどう出てくるだろうか。(今はわれ、ひとと共にと思っていても豹変しそうな人など)
今のその人は一時的な過渡的・段階的な、その人の一側面・一断面で、その人の中身ではない。
その人の中身はどんなか。

シンプルで素朴な人間に立ち還るところから、人間本来の社会組織が始まる。

いつも、いつも、その人の中身を重んじ、中身を見ていこうとする人たちによって、中身に焦点をあてる社会が実現していく。

Category: < 具現方式 > | 2007.07.14 Sat 02:00

試験研究機関の充実

研鑽科学研究所は、新たに専用事務所を設置して、そこを本拠地にして研究試験活動の充実をはかろうとしている。
必要経費の財源や、研究所専任者を置けない実情などなど、課題は多いが、これまでの経過からの必然として、試験研究機関の比重が高まってきた。


○ 実践の書研 → 合宿研鑽会 → 研鑚ライフセンター へと
   進んできた 実績と実証。
○ 「論理的究明 と 方法の試験研究 と 実施機関」 という
   システム連繋の有形化。
○ 即ち、「研鑚科学研究所 ←―→ 研鑚ライフセンター」

初めは、特講や研鑚学校の内容を参考にしたが、「怒り研・割り切り・無所有・一体」などなど、「結論先き出し」の感が強く、目に見える変化・効果は大きいが、「これがヤマギシズムだ」との観念着き易く、且つ促成メッキは剥げ易く、却って研鑚の体得とはかけ離れていた実情。

もっと、さかのぼって、元の元に立ち還って、正しいと思う理念も見直して、「人間とは?」「人間の考えとは?」「人間の現状は?」「どこに焦点を当てるか?」などなど、「人間理」という方向で研究が進むにつれて、研鑚ライフセンターで現在実施している線が出てきた。

現状は、実用研究・実用試験の段階であり、まだまだ根本的に見直し、改良発展し、大きく変わっていく面も多々あるだろう。




○ 「研鑚科学研究所 ←―→ 研鑚生活・研鑚社会」 の分野の開拓。

無自覚な旧来観念生活や人間観・社会観が根強い。
そこをそのままにして、正常な社会を作ろうとしても、人間観、社会観から始めなければ、新たな社会は実現しない。
生活観、仕事観、経済観、産業観、組織観、人生観、幸福観・・・を調べながら、本来の姿を見極めながら、社会活動を行なっていく。
仕事や暮らしの実動面を優先する環境下のままでは、目に見えて実益のない研究・試験活動は後回しになる。

「本当の社会を実現したい」といくら強い希いがあったとしても、従来の知識で、「持たない・放す・一つ・みんなの考え・調正・全員一致・話し合い・同列・平等」などなどを “正しい” としていては、いつまでたっても「本当」を調べられないから、それらを持ち込まないで、捉われないで、白紙の状態から、各自の目的を知り、それに適った暮らしや社会を調べながら試しながら、一歩一歩実施していく。


進みつつある社会理や産業理の研究と共に、心ある有志の集合・結束によって、生活面、社会面、産業面に於いても、実用研究・実用試験の段階に入っていけると思う。
各自の暮らしや仕事が、実用研究・実用試験の場になると思う。
研究し、試験し、実施し、また、研究し、試験し、実施し、・・・・
一歩一歩、踏みしめながら、研鑚社会システムが進んでいく。

Category: < 具現方式 > | 2007.07.12 Thu 22:00

試験部門に向けて

研鑽科学研究所 試験部門の設立に向けて

人間本来の姿、それに適った人間社会を解明し、万人に通ずる幸福な人生・快適な社会を実現するために、人や社会の過去・現在を分析し、具体的な方法を考案しながら、くり返し繰り返し実験や改良を重ね、実現をはかる試験部門の設立を計画しています。

<試験部メンバーは>
○ 目的・目標を確かめながら、方向を外さないよう心がけ、自分の仕事や暮らしを含む自分自身を丸ごと試験資料として生活し得る人。

○ 見損ない・やり損ない・失敗と見える場合も、凡て試験活動の一環であるから、試験部メンバーとして試み試みの連続生活をする。

○ 勝手気ままな試み生活ではなく、研究所試験部の一員として、常に研鑽の機会を持ち、研鑽生活する。



今日の「研鑽ライフセンター会員」の多くは、自らの研鑚ライフへの取り組みにとどまらず、そのことが誰もが真の人間らしく成長し得る理論や方法の研究に生かされ、社会機構としての研鑽ライフセンターの充実に大きく貢献していると思う。
自分自身の取り組みや体験を、客観的な試みとして捉え、自分を含む周囲や後代へ生かしていこうとする人は、「研鑽科学研究所 試験部」の一員として、「研究部」と共に活動されることを望みます。

Category: < つれづれ > | 2007.07.11 Wed 22:00

旧知の方々へのお便り

研鑽社会化活動の近況

お元気ですか。たいへんご無沙汰しております。
この度、公的機関の認証を受け、研鑽ライフセンターNPO法人が設立されましたので、ご案内申し上げます。
2002年より生涯学究制として、合宿研鑽会を設け、毎月開催し、昨年、生涯研鑽生活制度「研鑽ライフセンター」がスタートしました。

この背景には、ヤマギシ在籍時からの「理念研」→「試験場」→鈴鹿に来てからの「理念究明所準備会」→「人間社会科学研究所」という活動があり、現在は、人と社会を科学する研究機関「研鑚科学研究所」を設けています。

私達の目的は、「研鑚ライフセンター」でも「研鑚科学研究所」でもなく、
真の幸福社会の実現にあることは言うまでもありません。
真目的を実現しようと研鑽を重ねれば重ねるほど、
「人間性養成機関 と 試験研究機関 は 必須」との感は、ますます深まるばかりです。

山岸さんが究明・考案されたものを、いくらかでも理解し受け継ぎ、更に練り固め、次代・後代へ贈りたいと念うものです。
ヤマギシズムに基づく「研鑽社会システム」を構築しつつ途上にあります。

ここへ来てからの6年余りの活動の奇跡は、世界中どこからでも閲覧できるよう、ホームページに公開しています。
研鑽社会化活動「研鑽コミュニティ」 と呼んでいます。

唐突でしたが、今後とも私達の活動をずっと見守って頂きたく、お便りさせて頂きました。

Category: < つれづれ > | 2007.07.09 Mon 22:00

研鑽社会生活・研鑽経営運営

・・・を実現するために、「研鑽生活養成ゼミ」「研鑽運営養成ゼミ」の開催を計画しています。(研鑽科学研究所)

6ヶ月間くらいの集注ゼミ方式で、「研鑽による生活」「研鑽による運営」を、検べ、試し、体得するための研究機会です。

「社会生活」や「経営運営」について、研究→試験・実験→実現→実証 に至る活動を、自ら行なおうとする人を募って開催します。



人間を含む動物には記憶能力があり、記憶の蓄積によって考え行動する。
例えば、鐘を鳴らしてから餌を食べることを繰り返すと、鐘と餌が条件反射のように結びつく。
例1 A 鐘を鳴らした B 餌を食べた
人間の場合、記憶による条件反射だけでなく、脳の働きによって、その記憶を処理する。
 ① 処理のない記憶に残るだけの場合。
 ② 記憶そのものを分析したり、いろいろな原因や可能性を考案する。
 ③ こうだと決めて信じる。

例2 A 薬を飲んだ  B 痛みが消えた。 ①と②と③の場合がある。
例3 A 冷房を入れた B 涼しくなった
例4 A 客が増えた  B 売上げがあがった
例5 A 時間に遅れた B 相手が苦情を言った


A 何々をした B こうなった C 良かった、悪かった、成功だった、失敗だった、効果があった、効果がなかった、等々。

ABCがくっついて一つの体験として記憶されると、日常の暮らしや仕事について、より良くとか、より本当を目指してとか、いくら想い願っても、研鑽は実現しない。
特に、経験を多く積んだ人が集まると、豊富な経験を駆使して検討しようとはするが、研鑽による職場運営・会社経営の方向へは進みにくい。


ABCというように物事は単純ではないかもしれないが、分けて捉える、分けて検べることが出来なければ、研鑽は実現しない。

頭の回路が科学的・分析的にならない限り、暮らしや仕事に「研鑽の実現」はなく、それには、今まで通りの事をやりながら、というような取り組みでは、決して体得できないと思う。

研鑽ライフセンターでは、「研鑽の実現」という課題に2年以上取り組み、研究と実践を重ねてきているが、暮らしや仕事の場で「研鑽の実現」の研究と実践は、未だ始まっていない。
そのために、これから本気で「研鑚の体得・実現」に架ける人たちで、集注研究・集注体得の機会を始動させたい。

Category: < つれづれ > | 2007.07.01 Sun 23:40

研鑽生活への誤解

みんなで相談して決めるのは研鑽ではない
みんなで相談して決めるのは仲良しではない
相談して決めることを研鑽と思っている人がいる。

研鑽するとは、どうするかを決めることではない。
みんなでやることと研鑽とは、何の関係もない。
研鑽は、みんなでやるものではない。一人一人の中に実現するもの。
研鑽生活、研鑽運営、研鑽経営は、みんなでやることではない。
研鑽態度で、生活・運営・経営する人がやること。

みんなで話し合って決める職場や組織を理想と思ったり、目指している限り、研鑽とは逆方向。

みんなで決めたことをやるのは、既に研鑽ではない。
みんなで決めたことをやるのは、自覚のない人を増産するだけ。

仲良し教、話し合い教、和気あいあい教、相談してやる教、みんなで決める教、そうするのが良いと思ってやる宗教。


自分を観察し、調べ、知るための研鑽を積んで、研鑽態度を養っていても、日常生活の中から、「みんなで決めたことをやるという回路」を断たない限り、自分にも、職場にも研鑽は実現しない。

今ある各職場の実状を見れば、「各自研鑽でやる」のではなく、「みんなでやる」ことに固執していることが、よく判る。

Category: < つれづれ > | 2007.06.28 Thu 00:00

真我 などなどなど について

知らないので、予想や勘 だけど、

やはり、劣等感からだろうね。

劣等感が大きく関係していると思う。

劣等感ない人には効果ないと思う。

劣等感の人には、一時的安住の地になり得る。

人間に持つ一面を全面の如く捉え扱い、無知(衆愚)を誘導するもの。

これだと決めたものを実用に持ち込む巧みさに秀でたものは、他にも多くある。
 ・自動車などの生産方式
 ・核兵器などの開発
 ・購買意欲を高め消費を促進する
 ・感情の高揚、感動や共感を呼び起こす
 ・精神的盲点を突いて、啓発を促す
 ・その他、多々
みんな、みんな、こういうものをエサにして、こういうもののエサになって、暮らしている。

Category: < つれづれ > | 2007.06.23 Sat 12:00

金の要らない・・・・

人間、いずれ金は一銭も要らんようになる。そうならないのは本当でない。そうなるまでは紛争つづく。

今の社会、金が要る社会だから仕方ない、と社会のせいにする。

だがね、社会では要るかもしれんが、あんたと私の間で金が要るか、要らんか・・・。
金は要らんのが本当で、金なしでやりたい、でも、やりたいだけでは、やれない。やれるようにならないとできない。なりたくない人はならんでいい。なりたいだけではなれない。
私とあんたの間で金要らんようになること。それは即できる難しくない。


金要らん同士だから金どうにでもなる。
「金の要らない社会」既に出来てるが、有っても見えない人には見えない。出来てないし無い。自分の金を持ってるからかな? 金の要らない社会が見えない。有るのに見えない。
※ これは「放しなさい」の勧誘ではないので誤解のないように。
※ 全財産出したくらいでは放したことにならない。
将来の不安・心配、自分の安定生活、自分の金でしようと思っている。そんな人が殆どかな。


まあ、金は持たんでも暮らせる。持たん方が楽や。持たん方が豊かや。
まあ、こんなに無尽蔵的に豊かな社会できてるのに、持って暮らしてたら宝の持ち腐れみたいなもんや。
はだはだ で、一つになれん人は金を持たんならんのよ。
一つになれたら持たんでも豊かなんよ。
これ実感してる人、だいぶん増えてきた。これぞ社会実態と思うよ。
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