Category: < 精神革命 > | 2008.05.23 Fri 17:00
自分を育てる
本当に「自分を育てよう」としているか、と問うてみると・・・、
もっと進みたい、もっと良くなりたい、或いは、なんとかしたい、・・・などは、自分、自分と、自分にこだわっているにすぎないのではないだろうか。
自分を知りたいという思いだけでは、客観視できないし、自分をよく見ることもできない。
学問・芸術・技術・スポーツ・その他、その道で「自分を育てよう」とするなら、どうするか。
やはり、自分より進んでいる人、先を行く人、目指す人をよく見ることだと思う。
外観や言動ではなく、その人の中身を見る。凄いとか憧れるとか崇拝的信仰的態度ではなく、自分とは何が違うのか、どこが違うのか、よく観察して、自分の課題を明らかにしていくことだと思う。
「自分を育てる」とは、先ず、人をよく見ること。
先を行く人・進んでいる人をよく見るということ自体、自分の栄養・肥やしになるだろう。劣等感や引け目・卑下があると、先をいく人をよく見ようとしない。正視できない。
自ら近寄ってよく見て、空気を吸って、感得することだと思う。
職場や研鑽会など、自分がその場を創る・進めるというところに立っている人は、とても恵まれていると思う。自分を育てて行ける場があるということ。その場を創る・進めるには自分が育つしかないということ。
身を以って知ることになる。
「自分を育てる」とは、自分一人のことではないと思う。
「自分を育てよう」としている人は、自ずと「人を育てよう」とする。
そういう人に、人は寄る。
将来に理想の人を置いている人は、仕事も出来るし、人間も完成される。(1961 理念研より)
もっと進みたい、もっと良くなりたい、或いは、なんとかしたい、・・・などは、自分、自分と、自分にこだわっているにすぎないのではないだろうか。
自分を知りたいという思いだけでは、客観視できないし、自分をよく見ることもできない。
学問・芸術・技術・スポーツ・その他、その道で「自分を育てよう」とするなら、どうするか。
やはり、自分より進んでいる人、先を行く人、目指す人をよく見ることだと思う。
外観や言動ではなく、その人の中身を見る。凄いとか憧れるとか崇拝的信仰的態度ではなく、自分とは何が違うのか、どこが違うのか、よく観察して、自分の課題を明らかにしていくことだと思う。
「自分を育てる」とは、先ず、人をよく見ること。
先を行く人・進んでいる人をよく見るということ自体、自分の栄養・肥やしになるだろう。劣等感や引け目・卑下があると、先をいく人をよく見ようとしない。正視できない。
自ら近寄ってよく見て、空気を吸って、感得することだと思う。
職場や研鑽会など、自分がその場を創る・進めるというところに立っている人は、とても恵まれていると思う。自分を育てて行ける場があるということ。その場を創る・進めるには自分が育つしかないということ。
身を以って知ることになる。
「自分を育てる」とは、自分一人のことではないと思う。
「自分を育てよう」としている人は、自ずと「人を育てよう」とする。
そういう人に、人は寄る。
将来に理想の人を置いている人は、仕事も出来るし、人間も完成される。(1961 理念研より)