研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 思想 研究 ――
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Category: < つれづれ > | 2007.05.13 Sun 11:00

20代 30代 の諸氏へ

36歳の春、ヤマギシズムに出会って、20年目に一体の理に触れた感じがした。
それから後、2年程して、真実と研鑽が自分の中で繋がった。

1年や2年、研鑽会に参加し続けたところで、研鑽を会得できるものでないと思う。
今から、その方向で進んだとして、10年かかると思う。
10年かかっても、20年かかってもいいけど、今やってるくらいの研鑽会は、自分で実現できるようにならないと、将来この社会は決して実現しない。
外からの借り物や頭で覚えたものでは、その場に研鑽を実現することは、到底無理。
何があっても、意識しなくても、研鑽で頭が働くようになること。

研鑽を会得するまでは、まだ自分の頭は、宗教・信仰的だと思っておいたらよいと思う。
成果が上がると、「良いなぁ」と思うもの。これ全部宗教。
宗教アタマでは、研鑽がみえない。
真我も野島も研鑽も同じように見える。

長年、ヤマギシやってても、自分のものでやってない人は、自分の中に研鑽が培われていない。当然、研鑽と研鑽でないものとの区別がつかない。

研鑽を会得して、研鑽を実現できる人になろうとする人が欲しい。
事業経営なんて、上手にやる人、世界中にゴマンと居る。
研鑽を実現できる人、いまだ数人しか居ない。

考え方・あり方・思い方・納得の仕方の勉強ではなくてね。
先ず、現状の自分を知る、自分に着いているものを知る、目をそらさないでね。自分に着いてるもの見えたら、その先、真なるもの・・・。
自分で自分の中に見出すしかないよね。
周りに振り回されて、周りが気になって、自分のこと見てないもんな。

真実研鑽も自分の中にしかないと思うけど、いきなり、それ追いかけても、おぼれて、助けを求めて、やさしい宗教に心奪われていくのが、オチだからね。
10年かけて、自分の中に研鑽が宿るようにね。

Category: < 具現方式 > | 2007.04.25 Wed 06:00

沿革 (実証と方法と理念を)

 ヤマギシズムに出会い、「本来の人間性や真の幸福社会」への志向が芽生える人は多くいる。
 それが、その人の中で生き続けていて、強い意志で活動していても、個々の心情や願望や理想の段階のものにとどまり易く、漠然とした曖昧なものを追い求めていることが多い。

   2001年 鈴鹿にて2週間研鑽会を毎月開催
   2001年 鈴鹿にて有志による一体社会を目指しての暮らし
   2001年 理念究明所準備会



 普遍性ある万人に迎えられる人間・社会の実現を希うなら、まず、真理に即応した「本来の人間・本当の社会」とは、どういうものかの解明が必要。

 人間性とは、つきつめると、欲求や感情や観念的なものに流されない知性を培い発揮することであり、それは人や物や凡ゆる事柄を客観的に科学する頭脳、即ち「研鑽」を実現し、実用化することにある。
 人間は研鑽によって人間性を復帰し、人間性を培い発揮することができる。

 研鑽を身につけ実用していくステップとして、まず、自分を知る、そして人生を知る、そして、全ての人が幸福に快適に暮らせる社会を実現するために社会を知る

   2002年 生涯学究制として合宿研鑽会 始まる
   2002年 振り出し寮 始まる
   2002年 一体経営を目指して会社(法人)始まる
   2003年 一体生活調整機関 始まる
   2004年 人間社会科学研究所 始まる



 社会は人が作るもの。人は社会によって作られるもの。
 人間性の復帰と人間性の発揮に主眼をおく人の結束によって、そういう環境(社会)ができる。
 人間性に主眼をおく環境に於いてこそ、そういう人が育ち、そういう人が育つことによって、そういう社会が実現していく。

 ○ 研鑽を身につけ実用できる人になる社会(環境)
 ○ 人間性を培い発揮する社会(環境)

 真の人間性発揮、即ち「真の幸福」の実現を第一義とする社会環境(制度・機構)が実現されていく。
     :
     :
   2006年
   2007年

研鑽科学研究所
 人と社会を科学する 人間社会科学研究所

研鑽ライフセンター
 自分を知り、人生を知り、社会を知り、真に自己を生かし、発揮する
 生涯研鑽生活制度

研鑽社会化活動
 研鑽を身につけ実用化する社会生活
 人間性の涵養を第一義とする制度・機構・運営・産業・教育・文化
 物心豊満 親愛の情 溢れる 研鑽コミュニティ



 それのやれる方法さえ生まれているという事。こんな人さえ、なれたという実証と、方法と、理念を、打ち出せば、今まで分からないと云われていた事が早いと思う。
 問題は S さんの云いつくされているのに、喰い違った観方の出るのは何か、経済的に行き詰まった中にも、気にしない中に脱却された事実は何かと、余り難かしく考えない方がよいと思う。近いので忌憚なく云うと、まるで「出来ないやないか」「あんな事でどうや」と出来ないのを望んでいるように見える。
 もっと見る立場を変えて、目のつけ所を変えると、そこにはないと思う。
 理想社会は、二人三人、村中を考える、その前があると思うの、一体社会は、持っている人から見たら、いつ迄も理解出来ないものと思うの。全部放すことからと思うの。一体社会はどこにあるか。
 考えたらうんと近い、簡単に考えたら早いのに。
 自分の考えを持っているのを放すこと。経済的に行き詰まるだろう、何時の日に出来るやら、二人三人それ以上それを持っていたら、いつ迄も判らないと思うの。

イズム理念徹底研記録 第一回その一   1960.7.21

Category: < 世界革命 > | 2007.04.15 Sun 09:00

知恵と理解 即ち 研鑽

 ① 革命  ② 生長  ③ 結実
本来の自分を知るために
現状の自分を知る
真実の自分を知るために
本来の自分を知る
真実の生き方をするために
真実の自分を知る
その人の心を知るために
その人の言動を知る
本当のその人を知るために
その人の心を知る
本当の人生を知るために
本当のその人を知る
幸福を知るために
人間を知る
社会を知るために
幸福を知る
真の幸福を実現するために
真実の社会を知る
   現状を知る  →    本来を知る  →    真実を知る

② ③ を目指して、やろうとするが、① を経ないと、できない。
① は、当り前すぎて簡単に見え、軽視しているから容易でない。
何ものにも優先する最重要課題との認識が生まれれば、実は容易。

産業・経済、経営に於いても、あまりに ① を軽視している。
その自覚がない。自覚がないから軽視していられるのだろう。

革命・・・根本的に覆す変革。「革」はあらためる「命」は天命の意

それには出発に先きだって、真の幸福や、人生の正態を確かめ、本当の養鶏とはどんなものかを知っておく必要があります。
            :
人類生活に花を贈るもの
本書は研究するためのものではなく、知るためのものでありまして、・・・
(山岸会養鶏法)

本当に人生を知らず、本当に自分を知らず、本当の生き方をしない程愚かなことはなく、実に惜しい一生である。(二つの幸福)

知恵と理解の 研鑚(愛和の誓)

研鑽を捉え違えた40年間の混線を紐解いていこう。
正しく知る、正しく理解する、即ち研鑚する 軌道に自分を乗せる革命を。

Category: < 社 会 理 > | 2007.04.09 Mon 09:00

社会システムのモデルとして



研鑽ライフセンター
人間が決めた規範や子供の頃から身に着いた観念によって、自分を縛ったり、互いに縛り合ったりすることなく、各自の無限の可能性や固有の持ち味を、自由活発に発揮し合うために、先ず自分自身を人間寄りの観念から解放し、本当の自分を見出し、自分ならではの生き方を見つけ出す生涯研鑽生活制度です。

研鑽コミュニティ
ひとりひとりの人間性の涵養に重点をおき、それに応じた暮らしや社会的持ち場が実現するよう、産業構成や職場組織、生活環境や文化活動など、既存の法規や個々の力量による制約を補完し、人の安心・満足を最優先にする社会体制です。
結婚・出産・育児・学育・就職・趣味・職業・家庭・家族・学問・芸術・技能・衣食住・経済など、生活の凡ての事柄について、相談し合い、協力し合い、誰もが本当に豊かで安定した幸福生活が営めるよう、育ち合い、高め合う暮らしです。

Category: < 具現方式 > | 2007.04.04 Wed 18:00

ここの社会では・・・

住宅を探す人 引越しをする人 営繕・修繕する人 建てたり作ったりする人
食材を仕入れる人 おかずを作る人 弁当を作る人 パンを焼く人 お菓子やデザートを作る人 食事に招く人
野菜を作る人 米をつくる人 山菜など採る人 農家から農産物を調達する人
寝具や衣類の調達をする人 繕いやリフォームする人
家具や家電製品に詳しい人 エアコンなど設置する人 電気工事する人
パソコンを調達する人 修理やアドバイスする人 使い方講習をする人
自動車を調達する人 車検や手続きをする人 修理・整備する人 保険の世話をする人
絵を描く人、音楽やる人、つくる人、歌や踊りをやる人
子どもの世話をしたり預かったりする人 子育てについて一緒に考える人
事業をする人 仕事の世話をする人 職業を斡旋する人 仕事をさがす人
(もっともっとあると思うので教えて下さい)
            :
            :
            :

どの人を見ても、みな研鑽ライフをしようとしている人ばかり。
自分の専門、得意なことだからといって、是なりと信じて勧めることがない。
誰に、何を相談しても、みな研鑽ライフの一環の中のことして、相談し検討される。
いつから、こうなったのか知らないけれど、少なくとも、6年前は、こうじゃなかった。
「これが良い」 と言う人がいると、そちらへなびいて、研鑽も飛んでしまって、「いったいどこへ行くんだろう?」 と思うことが多かった。
頭の中が研鑽状態じゃないのに、思いや考えを出し合って、「○○について研鑽しているつもり」 でいたのかな・・・。


研鑽ライフをしていこうとする人たちで、織り成す暮らし、醸し出す気風は、研鑽を知らない 子ども や おとな達も、包み込んでしまう。
どこまでも、どこまでも、自分はどう思うか、他の人はどう考えるのか、事実・実際はどうか、本当はどうか・・・
どんな行為や考えも、良いとか悪いとか、正しいとか間違いとか、断定できない
日常生活のどんな事柄を持ちかけても、すべてが研鑽に載っていく。
誰と誰が・・・という限られた人ではなく、この地区一帯の暮らしが、研鑽に包まれ、研鑽で営まれていく。

鈴鹿って、いったい何をやってんの? ヤマギシみたいに一緒に暮らしてるの? 仕組みや係役を作って、仕事やお金の調整みたいなことやってるの?・・・などなど、肉眼では見えにくい実態や疑問等にも、だんだんと明快にお答えできるようになりつつあります。

研鑽の地域社会。  研鑽の協力生活体。  研鑽コミュニティ。
研鑽社会化活動の現われ・・・、
         Kensan Community と呼ぼうかな。

Category: マイプロフィール | 2007.03.29 Thu 18:00

無為乱筆 満六歳

いやぁー、鈴鹿に来たのは、ホントに ラッキーだね。
幸運の女神様のお導きかな。

息子と娘は6歳ちがい。2001年春、中学校と小学校の入学に合わせて二人とも鈴鹿に来た。そして、今年、晴れて高校と小学校を卒業した。
私(父)は、といえば、鈴鹿に来て、就職でもすれば家計・収入は安定しただろうに、そうしてしまっては拘束が多く、限り有る時間も不如意となるから、定職にも就かず、やりたい放題をやってこれました。



ここでの6年余りは、研究と実験に明け暮れる毎日です。
人間の方面の研究が進んで、研鑽ライフセンター という活動となって現象化してきました。
社会や経済の方面でも、試行錯誤・失敗・やり損ない等々の連続で、いくつかの会社(法人)ができて、やめたものやたら、続いているものやら、お店や事業活動が始まったり終わったり、積んでは崩す積み木遊びのように、なにをやっても面白く弄び的で、みなで楽しく戯れています。

金銭的な儲けが増えるのは結構なことで、それは、レジャーや贅沢品が欲しい訳ではなく、一人でも一時間でも金のために働かなくてよくなるからです。あり余る程ではありませんが、ここでの経済的余得は研究や実験や研鑽会の整備等に使われています。金回りが良くなれば、なるほど、多くの人や時間を研究に注いでも暮らしていけます。


檻の中で餌を与えられて育った獣は、野に放たれても狩ができないとか・・・
金を糧にして育った人間が、金なしには生きていけないと思っている・・・
なんとなく似てるな・・・
資本主義は、人身売買・奴隷制の延長か?人間の考え先行のバーチャルな世界。
そこを少し抜け出して、人は人以下でも人以上でもない、人は材料・道具・商品でもない、リアルなリアルな物質経済の世界を垣間見ています。

金より手足の四本(資本)は大したものや。(1960年 六川での談話)

金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧ぢない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾子ありです。(1955年 山岸会養鶏法)

会の財源は人的に物的に無限大である、(1960年 山岸会事件雑観)

第二章 構成 一 幸福研鑽会 の締めくくりは、
なるべく働かないための研鑽をしましょう。 で結んでありますが、なるほど働く手を一旦止めないと幸福を見つける暇もないでしょう。
巷では、働くことで幸福になるかの如く思って、一生懸命働いている人もいるようです。


 ヤマギシズムに出会った会員諸氏も、それぞれの地で、自己変革やグループ活動等にヤマギシズムを取り入れて活かしていることでしょうが、・・・

ヤマギシズムの真骨頂は「社会実現」にあり。
社会実現とは、既成社会での世直し運動や社会浄化活動に非ず。
社会実現とは、かつてない新しい社会が現前すること。
2006年8月30日「よく ここまで きたな」の記事参照

ここで培ってきた「ヤマギシズム=社会実現」のノウハウの蓄積は、どの地域へも輸出できるでしょう。
さてさて、いよいよ、これから、次は、何が飛び出しますことやら・・・。


Category: < つれづれ > | 2007.03.24 Sat 12:32

山岸会養鶏法に 遊び 嗜む

八 農 業 養 鷄 に は
技術よりも經営を、技術・經営よりも根本原理を先に
1 食卵養鷄が最適
2 飼鷄の適合羽数
3 鷄種は卵主交配種が有利
4 鶏舎は大体平面屋内式とします
5 育雛適期は春1回限りとする
6 育雛設備について
7 早期に乾燥屑米の無制限不断給餌とする
8 緑餌
9 水
  :
  :
  :
七 農 業 養 鷄 と は
農業養鷄の使命
農業経営の一環としての農業養鷄
副業養鷄は永続しない
農法と養鷄の関連性
鷄糞と農業経営
肥料問題の解決
農業養鷄の強靭性
経営上の弱点
その対策
技術面の弱点
その対策
余剰労力と人間生活
山岸会養鷄法の一貫性
物心共に滿ち足りた協力社会へ
農業養鷄の真髄
私はよく誤解されますが、共産主義を最上と考えるものではありませんし、又現在の資本主義経済は否定して居ます。他にこれ等と別に、全世界の人々の求める最上の社会組織なりと確信する、山岸イズムがあります。


産業をやる人は、それぞれの立場(例えば、派遣部門とか、飲食部門とか、流通簿部門とか)を、農業養鶏のところと置き換えて、拾い読みや走り読みでなく、繰り返しよく読んで研鑽すると、分かりすぎる程よく判り、現実味を帯びてくると思う。
  コンピュータをやる前は、実践の書や養鶏書を書写していました。
  コンピュータをやるようになってからは、資料を入力しました。
幼稚で迂遠に見える方法も、素読100回するより比較にならない埋蔵量を宿すかもしれません。
   てあしにも きかいやかねにも たよらない
      あるものみえる あるものいかすが けいえいかな

Category: < 社 会 理 > | 2007.03.20 Tue 17:00

産業理を実践する経営

研鑽によって、人間観・社会観が明らかになるにつれて、それが生活行動や社会運営に現われ、社会気風ができてくる。
この順序でいけば、当然、経済や産業面についても、研鑽による解明や具現化が進んでもよい筈だが、これが仲々そうならない。
日常生活の言動や思考や感情については観察できても、仕事や経済のことになると、どういう考えで何をやっているのか見えないらしい。
これは、一人一人の中に深く入り込んだ資本主義観念に依るところが大きいと思う。資本主義に基づいた経済感覚を自覚しない限り、研鑽による産業観を培うのは無理だと思う。
経営の合理化、能率の追求を徹底することは、人間性を疎外するものとの観念がある。それは資本主義だから。
なんと呼ぼうか、「人間主義経済」とでも云おうか。どこまでも、合理化・能率を追求する前進無固定・永遠繁栄経済。

健全な産業、正しい産業のあり方は、未だ手付かずだと思う。
産業の原理から紐解いて、人間と社会と産業経済の成り立ちを知る必要があると思う。
ボクなりの産業観からの見方だけど、今の世の中は殆ど商売・商業が主導になっていると思う。
買い手が主役で、買い手が欲しがるもの、買い手が喜ぶように、買い手の言いなり産業のように見える。
たくさん売って、たくさん儲けるのが産業の目的になっているから、こうなるのも当然のことかもしれない。

買い手次第の手無し経営とは云わないまでも、おもねり・へつらい経営がすっかり板に付いてしまっているようだ。
たくさん売ることが目的だから、必要とあらば、「お手」でも「おすわり」でもなんでもする。売れると尾を振って喜ぶ。
いずれにしても、人が人に頭を下げる姿は見ちゃいられない。
でも、これに慣れると、美しい姿や謙虚な姿にも見えるらしい。

多くの買い手に誉められて、大事業家になったとしても、自他共に人間的自尊心忘却症を蔓延させていては、物が溢れるだけで、優美な人間社会は訪れないと思う。
産業理研究。これを手がけないでは、研鑽社会化も画餅・口頭禅に終わるだろう。
人が人に頭を下げなくていい、人を豊かにする本来の産業の実現に向けて、研究活動の端緒を開きたい。

Category: < 研鑽の理 > | 2007.03.19 Mon 20:00

学問と実験 ・・・ 「研鑽」

ヤマギシズムが世に出て、半世紀あまりになる。
ヤマギシズムは、イズムであり、考え方である、というが、
初期の山岸会の活動を「ヤマギシズム活動」と形骸化し、それを踏襲している。
ヤマギシズムとは何か? 研鑽とは何か? 実顕地とは何か? 無所有とは何か? 一体とは何か? ・・・と、個人的に問いかけを持つ人は少なくないと思う。
しかし、その問いかけは個人的な域を出ず、重要視もされず、研究や解明がなされないまま、呼称や名称は広く使われ、今日に至っている。

他の思想や宗教界でも、原典や教典を解明・解釈するための研究機関を設けている。

ヤマギシズムと呼んでいる組織や活動の「どこがヤマギシズムなのか?」
組織や活動の目的は、なんなのか? 果たして、その方向に進んでいるのか?
等々の問いを発してみると、ヤマギシズムと呼んでいる組織や活動を調べる以前に、もっともっと調べなければならない部分が浮き彫りになってくると思う。
そういう作業(研究)は、個々の思いつきや片手間では難事であって、確たる趣旨と方法を以って取り組まなければ出来ないと思う。


例えば、特講でやられている
なぜ腹が立つのですか。 ・・・をやれますか。 それは誰の物ですか。
等々が、人間革命にどう繋がるのか? どういう位置を占めるのか?
何々だから腹が立つ。  何々だからやれない。  これは誰々の物。
等々と、これらが解けたように見えても、それは一時的な開放感や、目新しい見方や捉え方に出会ったことによる感動であることが多い。
当然、繰り返せば、効きめは無くなる。
このように、一度しか通用しないものを万人の特効薬の如く重宝がって踏襲し、それ以降の本題である、「ヤマギシズム」や「研鑽」の解明がなされないまま、特講を受講した人によって「ヤマギシズム」や「研鑽」の言葉が広まり使われている。


人間にとって最も大切なのは、なんなのか?
人間らしい、とはどういうことなのか?
それを実現し、発揮するには?
   <内面的要素 と 環境的要素>
それを妨げているものがあるのではないか?
   <社会的要因、心理的要因、物質的要因>
妨げているものを取り除くには?
   <そこに主眼を置いた社会制度・機構・運営>
          :
本来の人間性、その人らしさが発露した人生の姿
          :
人みな快適に暮らせる、真の人生を営み得る社会組織


ヤマギシズムは、「真の科学」とも「総合哲学」とも云えると思う。
私たちが云う「研鑽科学」とは、そういう意味で、「ヤマギシズム」と同義語であるが、その実態が明らかになるにつれて、「ヤマギシズム」という呼称や固有名称は不要になり、研究・究明・哲学・科学の総称として「研鑽」の語を用いていきたいと思う。

解説 ヤマギシズム社会の実態(一) 山岸 巳
 ・・・の最初の項に以下の一節がある。
状勢の展開につれて、機を見て断続的に、具体的に、解説しましょう。理解ある協賛により、実践し乍ら完結出来れば幸いとします。
これは、「解説が完結出来れば・・・」とも読める。
私たちの活動は、
学問し、研究し、解明し、実験し、実践し、実証して解説する活動かと思う。
多くの有志・同志と共に、イズムを一貫して研鑽し、次代・後代へ引き継ぐ、それのみに生きられる歓びの中を生きています。

Category: <無所有一体へ> | 2007.03.03 Sat 18:00

7.単一組織としての拡張と変遷 1961~2000年

    2005年2月 記述の続編です。

 1961年から各地で実顕地が産ぶ声をあげた(山岸氏は、この年の5月に亡くなった)。しかし、その実顕地の多くが、考え方や方法の行き詰まり等から、破綻していった。
 その後、実顕地として確固たるものを軌道にのせようと、組織化が進められた。あり方や指針を明確に打ち出して、運動面も産業面も生活面も、それに沿って全体行動する組織となっていった。
 1970年代後半~1990年頃まで、参画会員の飛躍的な増大、産業面での急激な成長、潤沢な経済力による用地取得、施設増築、等々。実顕地は全国各地に作られ、「ヤマギシの村」と名乗り、日本中で知られるようになり、海外の国々にも、広がっていった。

 実顕地とは、ヤマギシズムを実際に顕わす地という意味で、それを純粋に実践しようとした為か、また、無所有一体社会と従来社会との違いを明確にしようとした為か、実顕地という場所を特定し、参画者という人を特定することで、「この場所が無所有一体社会」「実顕地の参画者が無所有一体を実践している人」という示し方をしていった。
 場所や人を特定することにより、周囲との差別化は進んだが、また反面、囲いや隔てや溝ができ、無所有一体の本質である「無辺境」とは逆コースを辿ったのではないだろうか。
 財産を処分したり住まいを移さなくとも、どこででも現状そのままで「無所有一体」を実現する方法として打ち出されたのが実顕地だが、その困難さに耐えられなかったのだろうか、ヤマギシズム実顕地と名乗りながらも、目的も方法も形態も、すっかり変わってしまった。
 囲いのある単一組織としては拡張したが、それも20世紀の終盤にはピークの時を迎えた。

 多年に渡って、多大な人や労力・資材を注ぎ込んだ40年間ではあるが、無所有一体化の実質的な稔りは、あまりに少なかったと云えるだろう。しかし、未来・後代への資料として、多くの貴重な歴史・教訓を遺したとも云えると思う。
 私自身、1974~2000年まで、その渦中で率先して活動してきた。その中で、ヤマギシズム・山岸氏の思想・理念を研究する機会を得て、社会構成の核心、人間問題の焦点が観え始めた。
 2001年、21世紀の幕開けと共に、ヤマギシズム社会・無所有一体社会・研鑚社会の門戸を開くべく有志によって、新たな研究と実験の旅が始まった。
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