研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 思想 研究 ――
<< 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 >> total 33p

Category: < つれづれ > | 2006.07.27 Thu 00:00

本当(真実)について

今の世で、本当(真実)ということに関心がないのは当然のような気もするが、
ヤマギシズムに触れた人の多くは、本当の社会、本当の生き方、本当の仕事、本当の食べ物、などなどを志向しているのでは、ないのだろうか?
しかし、本当(真実)ということに関心のある人が、実に少ない気がする。
勿論、本当(真実)という言葉を発しているか否かではない。

日常、接するあの人、この人、・・・
いったい何に関心があるのだろう? 何に向かって生きているのだろう?
・・・と、???の人が多い。
明るく朗らかにしてれば、何か良いことしてるような気でいるんだろうか? と思う人もいる。
本当(真実)に関心がないということは、本当(真実)を願い目指して生きていない、そういう暮らしではないということだと思う。
本当(真実)に関心のある人が増えれば、もっともっと、本当(真実)の方へ進むと思う。

私は、私なりに、本当(真実)であろうと思うものを見出し、それを実現しようと思うからこそ、日常の事々が、本当(真実)かどうかが、とても気になる。
でも、本当(真実)かどうかに関心のある人は、実に少ない気がする。
関心のある事が違うからか、話をする相手も少ない。

本当(真実)に関心のある人がもっと欲しいなあ。話し相手がもっと欲しいなあ。

Category: < 世界革命 > | 2006.07.26 Wed 23:00

近頃 実証されてきたこと・・・

幸福社会、本当(真実)の社会の実現を願っているつもりでも、
幸福社会、本当(真実)の社会の何たるか分からないでは、実現しないのが当然の理。

その原因は、幸福・真実を知ろうとしていない。
幸福・真実を知るすべがないからか、その代替的に、
観念的欲求や幸福感情を追い満たし、それで済まそうとしているのではないか。
或いは、観念的欲求や幸福感情を満たすことが、幸福・真実であるかの如く勘違いしているのではないか。
日常生活にしても、仕事に打ち込むにしても、人生設計するにしても、その指針は、観念的欲求や幸福感情を満たすことに終始しているのではないか。


幸福社会の実現、本当(真実)の社会実現の真髄は、幸福・真実を知り見極め、それを実現しようとする研鑽実践にある。
原理・真髄は、すこぶる簡単シンプルなものだと思う。

しかし、観念的欲求や幸福感情を満たすことから抜け出せないのが、今の殆どの人の実情だと思う。
観念的欲求や幸福感情を追い求めるのは、人間の観念の肥大化(頑固・常識・道徳・盲信・妄想・自信・思い込み・感覚優先・自分の考え優先・etc)そのものだと思う。
朝早くから仕事に打ち込んでいる姿は、良いように思われているが、その実は、人生無知故の暇つぶしや金稼ぎで、それに意義づけ・正当化・やりがい等を上乗せした自慰行為(マスターベーション)が、殆どではないだろうか?
そこには、幸福・真実を知り見極めようとする研鑚のかけらもないと思う。


幸福・真実に焦点が定まり、研鑚の光が当たれば、当然その方向へ実現が進む。

それには、先ず、観念的欲求や幸福感情から抜け出す。
それには、自分の思いや気持ちや感情や考え優先で、やろうとしている自分、暮らしている自分を自覚する。
そして、自分の頭の中のものではなく、真理・真実・事実・実際の方に重きをおき、何が幸福か、何が真実かを、知り、見極め、実現しようとする。

「研鑚セミナー」や「自分を知るための研鑽会」は、そのためのものであるが、
それで、幸福・真実を知り見極められるものでもない。
現状の自分を自覚し ~ 自分やこの世の成り立ち・事実実際を調べ ~ 人間(自分)や社会の本来の姿を調べ ~ 幸福・真実を知り見極めようとする。

自分を知り自覚することから ~ 真正世界実現までの道筋・軌道を、理解し会得された人が現前しつつある近頃。
真目的の実現は、唯々、これにかかっている。

Category: < 世界革命 > | 2006.07.25 Tue 19:00

Next Society

従来の社会では、必要とされていることの多くが、
次に来る社会では、要らなくなる。

 権利・義務の社会から、権利・義務のない社会へ
 誰々のもの、誰々は使ってはならない、という社会から、
       誰のものでもない、誰が用いてもよい社会へ


権利・義務のない社会
 言葉では、権利・義務がないというと簡単そうだけど、実際的に考えてみると、
 当然であると主張できる何ものもない。生きる権利、食べる権利、人権という言葉も要らない。
 法律を守る義務、納税義務、扶養義務、など、しなければならないこと、強制されるもの、何もない。契約や責任を果たす義務もない。

物・金・人・自分 誰のものでもない誰が用いてもよい社会
 云いかえると、承諾や許可が要らない社会・責任や罪や罰のない社会
 「誰の仕事でもない・誰の家でもない・誰の金でもない・誰の名義でもない・・・・誰が用いてもよい」
 私とか、あなたとか、なんの承諾も、誰の許可も要らない。
 いくら働いても報償も給料もない。保険も保障も要らない。
 誰が何をしても責める何ものもない。不平・不満・文句など出ない。
 責任という言葉も要らない。罪も罰もない。


as one society
 権利・義務・責任・承諾・許可などなど要らない人による社会
 次に来る社会の礎として、as one社会を実践する。

こういう社会では、なんでもスースー行く。
いちいち了承を得たり、みんなに諮る必要もない。
承諾不要、相談もなし、「研鑚あるのみ」でいける人が、この社会やれる人。
自分の思いや感情や気持ちを出さないとやれない人は不可。
不平・不満・権利主張のある人は、旧来社会で・・・。


次に来る社会は、無所有共用社会
 これを願っても望んでも、無所有共用で行ける人にならないと・・・。
 無所有共用とは「物」のことではない。
 自分の考え「自分そのもの」を無所有共用でいける人にならないと・・・。
 生涯学究制は、自分を知り、人生を知り、人間社会を知り、本当の社会人たり得る人格と資格を養成する機関。

 竜巻や狼に子供をさらわれても、誰にも文句は云えないだろう。
 人間の行為にのみ、責任・罪・罰が発生するのは何故だろう?
 自然災害でも、誰かの責任にしないと気が済まないらしい。
 この世の出来事 凡て、誰のせいでもない、誰が悪いのでもない。
 自然の中で生きた昔の時代は、人間が作ったものが自然現象で崩壊・全滅しても、さほど、悲しんだり、悔やんだり、苦悩・苦心なかっただろう。
 理屈を知らなくても、人間の考えよりも、自然の力の方が圧倒的に大きいことを体で知っているだろう。
 現代でも、どんな人でも、幼少の頃は、自分の意志では、どうにもならないことばかりだと、理屈ではなく、体で知っている。
 子供は、文句言わないで、産まれた家で、付けられた名前で、与えられた物を食べて生きていく。
 人間の考え(自分の考え)膨張、人間の考え(自分の考え)独走でなく、
 自然真理・事実・実際に即応してより良く生きようとするところに人間の知恵が働く、自然真理・事実・実際を軽んじていては、人間は決してより良く生きられないと思う。
 そういう、元来の人間、人間らしい人間に立ち還るために生涯学究制はある。

Category: < つれづれ > | 2006.07.01 Sat 09:30

やろうとする人によって・・・

ヤマギシズムに出会い、親愛社会を志向し、
「人と人との繋がりを大切にして、仲良し社会を作ろう」というようなことを思ったり、言ったりする人は多い。そこをもう少し突っ込んで・・・、

「真の人間向きの理想社会、本当の人間社会、無所有一体生活、ヤマギシズム社会を実現しよう」
・・・という話になると、退く人も多い。その理由として思うのは・・・、

 ・「ヤマギシズム」とか「真の・・・」というのが分からない
 ・「ヤマギシズム」とか「真の・・・」という言葉に変なイメージがある、窮屈な感じを抱く。

 ・・・で、自分なりに描ける親愛社会・仲良し社会をやりたい。自分なりの考えでやりたい、との人も多い。

揺るぎない本当の社会を実現するには、そこを通るしかない道があるのではないか。
本当(真実)のものを見極めながら行くしかないのではないか。
自分の考えで良いと思うものをやるというのでは、本当に願っているものは実現しないのではないか。

 ・・・と、自分の意見や考えは大いに出すが、それを優先・重視しないで、「本当はどうか」の「研鑚」で同調の人と共に実践しようとする人。

生きている間に実現したい目標のある人は、今の自分の毎日・毎日が、それを願っての暮らしなのか、実際にやろうとしてやっているのか、だと思う。

生涯学究制の会員だとか、研鑚会に参加しているとか、as oneに関わっているとか、ではなく、所属や名目などに関係なく、各自の目標を実現しようとする人たちの日々の結束・実践が、生きている間の足跡となると思う。

自分を調べ知ることや、自分で働き稼ぐこともあるが、それに終始する人生で済ませたくない、「生きている間に何を実現して後代へ何を遺すか・・・」
ここに焦点を定めて生きる人や、「どうしたら実現するか」「どうやって実現していくか」を、語り合う場が、もっともっと現前して動き出すのを期待しています。

Category: < 具現方式 > | 2006.06.27 Tue 23:00

職場 解放区・・・

本当に仲良く、物心共に豊かな明るい社会を願う
 それの実現に向けて、最も効果的に、最も着実に、都市型の解放区を職場に於いて実践する。

 豊かな明るい人による職場 ←―→ 豊かな明るい人になる職場
 自由で軽い人による職場  ←―→ 自由で軽い人になる職場
 解放された人による職場  ←―→ 解放された人になる職場

職場の解放・・・社会通念・常識観念・義務・責任・命令・服従・信用・評判・法律・規則・約束・金・(凡て人間の考え)などなど、一切の縛り執われから解放された職場。

仕事を課して自分を縛り、仕事を盾に人を縛る。
元々やらなければならない仕事など、どこにもない筈。自分がそう思い込んでいるだけのこと。
収入なくても、支払いできなくても、倒産しても、何もかまわない。
as one companyといえども、自分の思い・感覚で仕事する人によって、職場が 束縛区 と化する。
最も幼稚な原点だけど、絶えず、ここを確認して、ここから出発する。

Category: < 世界革命 > | 2006.06.26 Mon 19:00

50年後、100年後、次代に贈る礎

怒り、争い、貧困のない
全人幸福一色の真正世界を実現する法

  抑圧・束縛の一切ない「完全なる自由」・・・不可能とされている
  命令・服従・上下の一切ない「完全なる平等」・・・不可能とされている
  可能にするには革命が必要
人間革命
共存共生の人
誰のものでもない人
誰が用いてもよい人
無所有 一体主義の人
最も相合う
お互いを生かし合う世界

←――→
←――→
←――→
←――→


社会革命
共存共生の社会
誰のものでもない社会
誰が用いてもよい社会
無所有 一体主義の社会
最も相合う
お互いを生かし合う世界

ヤマギシズムに触れてきた人には、聞き慣れた言葉かもしれないが、
この革命実践による実現以外に道はないと思う。
自由と平等という言葉も言い尽くされ、新鮮味がないかもしれないが、
誰にも分かり易いという意味では、本当の自由、本当の平等、と表現したい。

自由平等の人
縛らない人
押し付けない人
差別待遇のない人
上下のない人

←――→
←――→
←――→
←――→
自由平等の社会
縛らない社会
押し付けない社会
差別待遇のない社会
上下のない社会

現代社会では、自由平等を尊重しているかの如く言っているが、そのいずれもが中途半端で、多くの矛盾をはらみ、不自由・束縛・抑圧・命令・服従・悪平等・貧富差などなど、真の自由平等に反逆するものを、公然と肯定している。

私たちの研究・実験の目的は、妥協のない本当の自由平等を実現し、後代へ贈ることである。

   真の自由平等主義 = 無所有一体主義
所有や上下の肯定は、自由平等の否定とも言えるのではないだろうか。
共存共生無所有一体主義世界実現のための as one活動である。
自由平等の人間への革命をするのが生涯学究制である。
自由平等の社会への革命をするのが as one companyである。

Category: < 精神革命 > | 2006.06.20 Tue 18:47

人間の営み・・・

世界革命実践

全世界の頭脳・技術を集合する研究機会を設け、それを実践する。

凡ての事柄について、衆知を集めて、よく検討し、最高・最善・最終的なものを見極めて、それを実践し、

真理と方法を探究し合って行動する、真理実践の社会活動体です。

「実践する」という言葉を聞くと、手足を動かして行動することを思う人が多いようだ。食を得て、住まいを得て、子孫を遺す等々(つまり働くこと)が人の営みだとしているからだろうか? 手足を動かして働いていると、人としての営みをしているという気になる。

「研鑚」が生命線だとか、「研鑚会」で社会を構成すると表現していても、やはり、「何かをする」ための「研鑚」であり「研鑚会」という捉え方、位置付けになる。ずっとそれでやってきているからか、それしか知らない。思い付かない。
言葉の云い替えをして覚えても何も変わらないけど、「何を(主眼に)やろうとしている人(自分)」かということ。

  仕事で研鑚を実践する <---> 研鑚で仕事をする
  暮らしで研鑚を実践する<---> 研鑚で暮らしをする
  研鑚するための仕事  <---> 仕事するための研鑽
  研鑚するための暮らし <---> 暮らしのための研鑽

「みんなの考えでやる」という表現もあるけど、「みんなの考えで○○をやる」というより、
「みんなの考えを実践する」「みんなの考えを○○でやる」ということと思う。
自分に言い聞かせても無駄だけど、「自分は何をやろうとしているのか」問うてみるとよく分かる。

10年くらい前のことだけど、「理念で・・・」とか「法で・・・」というのが妙に耳ざわり。ある日オールメンバー研の中で、
「・・・で理念を実践する」「・・・で法を実践する」んじゃないの? って云ったら、
「えぇっー、じゃぁ、今やってることって全然違うじゃん!!」と反応する人もあった。
「おっ、このひと鋭いな」って思った。

真実の世界、理想社会を想って働いていたって、決してできるものでない。
人間の本分を知らないと、本当の人間用の社会できない。

Category: < つれづれ > | 2006.06.17 Sat 15:59

研鑚を知らずに・・・

 ヤマギシズムに出会い、それに惹かれ、何年も活動してきた人が、他のものに出会い、それに惹かれ、力を注いでいる・・・・という例がある。
 ヤマギシズムを否定している訳ではないだろうが、他の方に惹かれ、そちらへ傾倒する。
 「研鑚では」「研鑚会では」解決しなかった、スッキリしなかったことが、○○へ行ったら、解決した、スッキリした、・・・・と。
 中には、ヤマギシズムより、研鑚より、もっと優れているものがあった、・・・と云う人も。


 これらは、ヤマギシズムが、研鑚が、本当らしいと感じてやってみたけど、「分からない」「分からなかった」「会得できない」「自分のものにできない」「使いこなせない」等々、ということかと思う。
 そして、他のものに行ってみたら、「分かりやすかった」「スッキリした」「解決した」ということかと思う。


 自分が、「分かった」か、「分からない」か、ということになると、「分かった」と思うものを良いと思うことはあるにしても、「分からない」ものに対しては、良いとも悪いとも、優れているとも劣っているとも、云えないだろう。
 何年も、何年も、研鑚、研鑚と云ってやってきたけど、「研鑚のなんたるか」が分からず仕舞いで(どうにもこうにも分からないから)他へ行くんだろうなぁと思う。

 (・・・こういう人のことかな? ヤマギシ難民 という言葉聞いたことあるなー)


「研鑚」・・・そう簡単に分かってたまるか!という気もある。
でも、すなお(零位哲学的)に、ありのまま見聞きすること(真理の究明)ができる人には、分かりすぎるくらい? 分かり易いものと思う。
 頭悪い・頭硬い か 頭良い・頭柔らかい か 研鑚が分かるかどうか は 知能テスト みたいなものだね。

Category: < 世界革命 > | 2006.06.14 Wed 21:39

金の要る人 要らない人

 金の要る人(生きて行くには金が要ると思っている人)は、自分だけでなく、少なくとも今の社会で暮らすには、金の要らない人、なんて居ないと思っているようだ。
 ・ その人に金はなくても誰かの金の世話になっている筈だと・・・。
 ・ 乳幼児も、意識のない病人も、痴呆老人も、金の要る人だと・・・。
 ・ 野生動物や野良猫でなく、ペットなら金の要る犬・猫だと・・・。
 ・ たとえ、タダだよと言われても、誰かの金の世話になってるんだと・・・。
 何をしても、どこまでいっても、「金は要るものだ」という思いがつきまとう。
 つまり、その人の住んでる世界そのものが、「金の要る世界」になっている・・・。

 鈴鹿では、生活調整機関を解消して、個々の経済単位にしてみて、金の要る人、要らない人、が分かり易くなった。
 もうこれからは、生涯、個別家計でやっていくのかな?
 「財布一つ」とか面倒くさくなくて、個々でやる方が自由で楽なのかな?
 ヤマギシで長年、持たない暮らし・無所有生活・財布一つ等と、自分の意志でやっていても、「無所有一体が本当だ」と言っていても、「金の要る人」にとっては、ヤマギシでは要らなかったけど、ヤマギシを出たら金は要る・・・と。(ホントに、ヤマギシでは要らなかったのかな・・・?)
 ヤマギシ会は、革命・無所有・一体を棄て、仲良し会に堕ちつきそう。

 金の要る人は、自分に要る金は自分で持たないと不安。
 他はどうであれ、先ず自分の金だけは確保、それで一安心。
 多くの人が、そう思って家族の金、老後の金をと、個々に囲っている。
 持っていないと不安? 持っていると安心?

 時間あいてますか? ○○頼みたいんだけど・・・・。「オーケーいいよ!」
 車あいてますか? ○○に使いたいんだけど・・・。「オーケーいいよ!」
 お金ありますか? ○○に使いたいんだけど・・・。「オーケーいいよ!」
 基本的には、物も金も同質だけど、金のことになると、キュッと身がまえる人、硬くなる人があるみたいです。

 「一体が本当だ」とか「一体社会を目指している」と言っても、やはり自分の金がある人、自分の考えで囲う人はね・・・。
 金の要る人、自分の金のある人は、とことん一緒にやれないよね。とられる不安、減る心配あるしね・・・。
 「放してこそ豊か」「持たない豊かさ」ヤマギシ観念スローガンでなく、これ味わってる人ね。そういう人でこそ、一体社会やれるというもの。
 近頃、そういう人たくさん見かけるようになった。そうでない人も分かるようになった。
 金の要らない人の寄り場、話し合いの場、増えてきた。金の要らない人増えてきた。金の話も、し易くなった。なんでも言える。どこにでもある。いくらでもある。
 自分の金の要らない人、自分達の金というのもない人、分配・見返り・分け前などなど、とにかく自分(達)で囲うもの所有するものない人たちで、一体社会が始まる。


下記は、Z革命新聞(1958年)からの抜粋です。

経 済 革 命
 お金や券・符(チケット類)の一切要らない、「無所有」「共用」経済機構に革命する。
 資本主義体制にある日本国内各地に、なんでもタヾ(無代)でお金の一切要らない生活体がどんどん出来ている。
 ・・・・・・・・
 最も大切な空気よりお金などを大切に思うとは、事の矛盾に気がつかないだろうか?
 金なしで最も豊満にやって楽しく暮している村が現在各地に続出し、やがて世界中そうなることに何の不思議があろうか?
 一回の特講受講で、一切の金銭財物を持っている必要のないことに気付いた人々によって財布一つの村作りがあっちにもこっちにも拡がっていく。

社 会 革 命
 ・・・・・・・・
 金銭財物は勿論、何物も所有しない社会にするから、金持ちも貧乏人もない。宇宙にある物は、必要な者が必要なだけ、空気や水の如く用いることが出来るのである。
 ・・・・・・・・
 いかに各自に或はグループで持たないことが豊満であるかは、実行して初めてこれが本当だと分る。人と人との取り合いも無く、国と国の侵畧も起らない。守る囲いも武力も要らない、国境も無くなる日も近い。

 一人の反対者も無い世界政治のあり方を応用して、個々に財産を持つ必要の無い真に自由・平等の機構・制度を作って、やがて近く、村から、町から、日本中へと、いやが応でもあなたの身辺へと近づいているこの事態を前に、あなたの今やっていられることは、果して行き詰りの無い方向だろうか? 果して安全だろうか? 一日も早く、正か逆がを検べることが必要ではないか?
 ・・・・・・・・
 金の要らない社会の味はそこに生活した者でなければ分らない。個々に貯え守ることにキュウキュウとしている間に、金の要らない財布一つの村作りがどんどん進んでいる。
 Z革命はあなたの身辺に迫っている!

Category: < 精神革命 > | 2006.06.09 Fri 09:33

Re:「実際はどうか」に関心がない人へ

自分が見たり聞いたりして、それに対して思ったり考えたりする。
その人の中で、見たり聞いたりしたことは「実際だ」となっていると、「実際」に対して思ったり考えたりしているつもりになる。
頭の中にあるのは、見たり聞いたりしたことで、頭の中には「実際」はない筈。
頭の中に「実際がある」となっていて、それに関心がある。
それで「実際に関心がある」つもり。
実は、「自分の頭の中のことに関心がある」ということにすぎない。
<< 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 >> total 33p
▲ page top