Category: < 研鑽の理 > | 2008.12.21 Sun 08:26
「あらわれたもの」 と 「そのもの」
例えば、ホコリやゴミが付いたカップを見ると、「汚いカップだな」と見える。
このことを調べてみると、「汚い」というのは、ホコリやゴミを見てのことで、ホコリやゴミがなければ、「汚いカップ」とは見えない。
「汚いカップ」というのは、主体が「カップ」にあって、「カップ」のことを指して、そう言っているようだが、その実は、ホコリやゴミのことを指しているのではないだろうか。つまり、「カップ」が「汚い」のではなく、ホコリやゴミを「汚い」と見ているのだろう。「汚いカップ」と見えるのが、間違いだとか、おかしいということではなく、実際は、ゴミやホコリを「汚い」と見ているのに、意識の上では「カップ」を見ているつもりではないだろうか。
ここでいう「あらわれたもの」とは、この「汚いカップ」の例ように、日常見たり聞いたり触れたりして、「認識して捉えているもの」とも云えるだろう。
「そのもの」とは、この例でいうと「カップそのもの」とも云える。いくら、ホコリやゴミが付いていても「カップそのもの」は汚いものではないだろう。
この章では、「あらわれたもの」と「そのもの」ということについて、
1.言葉 と そのもの
2.物象・事象 と そのもの
3.あらわれたもの と その人
以上の3部に分けて述べてみようと思う。
「あらわれたもの」と「そのもの」 序文より抜粋
このことを調べてみると、「汚い」というのは、ホコリやゴミを見てのことで、ホコリやゴミがなければ、「汚いカップ」とは見えない。
「汚いカップ」というのは、主体が「カップ」にあって、「カップ」のことを指して、そう言っているようだが、その実は、ホコリやゴミのことを指しているのではないだろうか。つまり、「カップ」が「汚い」のではなく、ホコリやゴミを「汚い」と見ているのだろう。「汚いカップ」と見えるのが、間違いだとか、おかしいということではなく、実際は、ゴミやホコリを「汚い」と見ているのに、意識の上では「カップ」を見ているつもりではないだろうか。
ここでいう「あらわれたもの」とは、この「汚いカップ」の例ように、日常見たり聞いたり触れたりして、「認識して捉えているもの」とも云えるだろう。
「そのもの」とは、この例でいうと「カップそのもの」とも云える。いくら、ホコリやゴミが付いていても「カップそのもの」は汚いものではないだろう。
この章では、「あらわれたもの」と「そのもの」ということについて、
1.言葉 と そのもの
2.物象・事象 と そのもの
3.あらわれたもの と その人
以上の3部に分けて述べてみようと思う。
「あらわれたもの」と「そのもの」 序文より抜粋