研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 思想 研究 ――
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Category: < 精神革命 > | 2005.10.09 Sun 09:40

今日から予科課程

今日からの予科課程 今までになく参加者が多いみたい。
どうしたことだろう。今年の始めころは参加者が居なくて、開催休止したことも何回かある。
生涯学究 予科課程・・・・研鑽体得 予科課程 としてやろうとしている。

研鑽体得 やはり、研鑽そのもの、ヤマギシを知って、20年、30年、研鑽と呼んでやってきても、研鑽そのものが、さっぱり!という実情もあると思う。
特講・研学すら体験してない世間の人より、ましか? いや、そう云えるかな?
研鑚には、あまり関心がなくて、「自分がいいと思うこと」をやっている。それが実情かなー・・・・。
「自分がいいと思うこと」をやらなくて、いったい何やるの? それのどこが間違っているの? という実情かなー?
研鑚生活とか、研鑚社会とか、今からホントゼロからのことのように思う。

Category: < 社 会 理 > | 2005.10.07 Fri 23:48

私の社会像 5

人は生まれながらにして、自分以外の人によって育てられ、人の中で暮らし、人から得たもので成長する。
空気・日光・水・衣食住用物資・自然動植物・温度湿度などが完全であっても、自分以外の人の要素を欠いては、安心も満足も幸福も語れない。
幼い子どもだと分かり易いが、周囲の人次第で、安心要素にも不安要素にもなる。人に対する不審や猜疑は、天変地異・自然災害よりも深刻で、生涯の不安・心配要素とも云える。
 ・人を受け容れ、人から受け容れられること。
 ・人を退け、人から退けられること。
このことが人の心に及ぼす影響は甚だしく、正反対の心の状態を齎す。
人を退けたり、人から退けられることが一切ない社会はどうだろうか。
人には本来、人を受け容れよう、人に受け容れられたい、とする欲求があるのではないだろうか。しかし、社会通念というものがそれを妨げているのだと思う。規則・道徳・倫理観・常識観が障壁となって、それから外れる人を受け容れない。
また、人はその社会に受け容れられようと努力するが、順応しきれない人は無理が生じ、脱落したり反社会的行動をとる。
これは大人社会のみでなく、幼児の小社会から始まっている。
誰のどんな発言や行為も受け容れる社会はどうだろうか。
悪事や迷惑行為を退けようとするが、元を辿れば、人に退けられ受け容れられないことから来る心の歪みが、そうした行為を誘発しているのだから、それを退けていては、ますます心の歪み不安定は増すばかりで、幼な子の時のように誰からも愛され受け容れられることが、心を満たし、悪行為をなくす近道だと思う。
生まれてから死ぬまで生涯、人を受け容れ、人に受け容れられて、人を愛し、人から愛されて、安心満足してすごす人生はどうだろうか。そういう社会の実現を図りたい。

Category: < 社 会 理 > | 2005.10.04 Tue 23:46

私の社会像 4

優勝劣敗とか、金銭財物とか、地位・名誉とか、道徳・信心などに重きをおく価値観から来る満足感や安心感は本当のものではない。
物を豊富にしたり、福祉や教育に力を入れるのも、人々がより良く生きられる社会たらんとする施策だろうが、本当の意味での物心両面の安定・満足を目指すのなら、「人間は何によって本当の満足・安心が得られるか」を見極め知ることが何よりも優先される。
人間にとっての本当の幸福は、心の安定・安心・満足がベースで、これは心の持ち方だけでは如何ともし難く、物や環境の要素も大きい。物が不足しては心にも影響するから物も必要だが、物がいくら有ってもそれで満足できるとは限らない。
いかに物や力を持っても、それだけでは満たされないことを人は本能的に知っているからか、どんな世でも人は心の満悦を求めてはいるが、そのものの見極めが曖昧なために、縛り合い押し付け合ってでも、物や力を持てば満足できると思い、そういう満足感を得ようとしている。或いは、信仰等によって心の安定を図ろうとする。
やはり、人の心は何によって満たされるかを知ることが先決。物を軽視するのでなく物も大事だが物では解決できない心の満悦を知る。人間が一生通して幸福であるというのは、どういう人生かを見極め、それを実現する社会を目指すことが肝要だと思う。 つづく

Category: < 社 会 理 > | 2005.09.30 Fri 23:45

私の社会像 3

 社会にとって、制度・機構は最も大切なもので、真の幸福に根ざした機構・制度、つまり、物的欲求は勿論のこと、各々の心理的欲求・要求・安心・満足が得られる社会機構が必要だと思う。
 個々に具わる個性・持ち味・能力・欲求・要求は、個人差があり、時には極端に異なる場合もあるから、ある人には満足な境遇でも、別の人には耐えられない場合もあり、そのいずれかの是非を問うものでもなく、個性に適合した環境と皆が個々に満足できる社会こそ、真の平等だと思う。
 自由競争という名のもとに、貧富の差を肯定し、力のある人は欲求を満たせて、そうでない人は我慢を強いられるのでは、不平等は広がるばかりでしょう。
 また、同じ規範や環境を一様に当て嵌めて、不平・不満・外れる人をとがめるのは、個性を無視した悪平等でしょう。
 人間性にそぐわない社会機構では、こうした不平等・悪平等・不平・不満が生じ易く、その社会を治めるには、してはいけないことや、しなければならないことが必要となる。
 社会は本来、人のためのものの筈だが、そこを外したがために、社会のための人になってしまい、社会を守り営むために義務や責任を背負わし合って、不本意に生きる破目になる。社会とは、そういうものなんだ。そうやって皆で社会を背負って行くんだという通念が常識になっている。
 一人一人の個性を尊重し、全ての人の欲求・要求を真に満たしていこうとすると、感情や欲求の抑制を当然のこととして治めようとする従来の社会観・組織論には、どうしても無理がある。
 社会というものを根本的に見直して、人間性を曲げたり抑えなくてよい社会、一人一人の安心・満足を実現して行こうとする社会、人間愛を基調にした機構・制度を研究・実験しよう。

Category: < 社 会 理 > | 2005.09.27 Tue 23:41

私の社会像 2

 生きとし生けるもの皆、より良く生きようとするエネルギー(欲求)によって、進んでいるのだろう。
 人間の場合、生存の根幹をなす「肉体的欲求」というものは意外にわずかなもので、栄養を補う食料と、肉体を保護する衣類と住居くらいのものかと思う。美味しいものを食べたいとか、おなかいっぱい食べたいとか、身に合う衣服を着たいというのは「心理的欲求」であり、人間の「本能的欲求」だと思われるものを調べてみると、その大部分は「心理的欲求」であるということが分かると思う。
 この、人間の欲求の大部分を占めているであろう「心理的欲求」こそ、人間がより良く生きること、つまり幸福と大きな関係がある。
 前述した「人を縛る社会」は、人間本来の欲求に逆行するものであること勿論だが、「心理的欲求」は相対的なものだから、束縛が無くなったり、物の不足が解消すると、それで一時的な満足状態になる。しかし、社会からの束縛がなくなり、物が不足なく行き渡り、不満感・不足感がなくなったとしても、それだけでは、人間向きの社会とは言えないだろう。
 各自の目標・彼岸の達成、地位や名誉、金銭財物などを追い求めるのも「心理的欲求」だが、人は何によって、真に心充たされ、幸福になるのかを検討し調べ、それに主眼をおいた社会を構成することだと思う。
 それには、各自の欲求・要求・安心・満足を思うがままに出し合い、人と共に調べ合う場、仲良く実現し合う機会。それは権利・義務・責任など発生しない、誰がやってもよい、やらなくてもよい、各自の自由意志のみによる、かつてない新しい社会機構。子ども子どもして遊び戯れるような世界。
 それの実践の中にこそ、人の心の根源的欲求を充たすものがあると思う。

Category: < 社 会 理 > | 2005.09.25 Sun 15:07

私の社会像 1

人間における心理面・精神面の異常・不健康からくる邪心・悪意・悪行などの多くが、当人のせいにされているが、人は生まれながらにして心理面・精神面は正常であって、凡ては生まれ育った周囲社会・環境のせいと言える。

ウジやボウフラがわくのも、腫瘍や潰瘍ができるのも、妄想や怒り憎しみが起きるのも、そうなるような状況がそうさせるのであって、必然の現象とも言える。

人の心に異常を引き起こす原因を社会から取り除くことが、第一に必要となる。
社会は、人がより良く生きるために生まれたのだろうが、これを外したために社会が人の心を傷つけ苦しめる状況を生んでいる。

健康正常な人間本来の社会(真実の世界)の一番の元となるものは、社会が人を縛らないことだと思う。人を縛ることによって人を狂わせている。
最も単純明解な理だが、「かつてない新しい社会」の第一は「法で縛らぬ社会」ということになると思う。

今までの社会は、これを外していることに根本的欠陥があり、「人は縛る必要があるもの」という観念から、当然「社会は人を縛るもの」になっている。
規則や法律で人を縛らなければ、社会は成り立たないとされている。

悪行・乱行を犯す人がいるから縛る要があるのか・・・、
否、縛るから人心は乱れ過ちを繰り返すのだろう。

Category: < 一体の理 > | 2005.09.22 Thu 15:56

愛の世界は絶対一つ

この世は一つ 宇宙自然万物一体  人類も一つ
 生物も無生物も物象面では、それぞれに存在し動いているように見えるが、
単独で存在しているものは何一つ無く、凡ゆるものが他と関連して存在している。
 例えば物象面においては、一瞬の停滞もなく悉く変化しているが、その中の物質をとらえて見ても、この世の物質そのものは、組成も性質も総量もなんら変わることがない。つまり、この世の物質は、増えたり、減ったり、新しく生まれたり、この世から消滅したりすることがない。物質は一つ。
 また、生命という形の無いものについても、現象面で生物が生まれたり死んだりしても、生命は増えたり減ったりしない。一人の人間が死んでも、その人体は細胞や微生物など無数の生命体で構成されている。生命は綿々と連なっていて動物も植物も個別の生命というものは捉えられない。生命は一つ。
 動物の肉体は食物の集積で、人間の思考や感情は周囲からの集積で、いずれも単独で存在しているものはない。
 この世にあるものを、人間が個々別々に捉えるようになり、その捉え方が普及して今に至っているが、この世は一つであり、分けられないものだとなれば、怒り・憎しみ・嫌悪・対立・抗争・優劣感・勝負感・損得感などが、自ずと人間界から消滅する。消滅するだけでなく、母子愛・夫婦愛の如く、自他を分かたぬ一体の愛情が発露する人間界となる。
 無辺の愛情は「一つ」の顕われ。愛は一つ。絶対愛は絶対一つ。

 物質とか生命とか人類とか、或いは、光とか重力とか、愛とか真理とか、人間よりの認識からくる捉え方。この世は分ける必要もなく、分けられるものでもなく、一つのもの。
 この世はそういうものではなかろうかという、これも人間がする捉え方。

Category: < 人 間 理 > | 2005.09.20 Tue 09:43

心の世界

肉体の生命活動をつかさどるエネルギー(生命力)は無現象で、傷ついたり冒されるものでなく、絶えず健康に生きようとするもの。
肉体そのもの、つまり現象面は、傷ついたり冒されることがあるが、健康に生きようとする力は絶えずあり続ける。

心の世界は無現象で、脳の働きや周囲からの刺激によって、いろんな反応(現象)が起きる。思考・感情・欲求・言動・・・等々。
心は汚れたり歪んだり崩れたり間違ったりしないもの。
心は正しいもので、常に正しくあり続け、正しく反応するものが心。

どんなに肉体が病んでも、健康に生きようとする力が、生きている限りあり続けるのと同じように、
思考・感情・欲求・言動が如何に乱れようとも、心の世界はいつも正しい心であり続けている。現象面の問題を重視するあまり、人間の本質・心の世界から焦点がずれることが多い。

無現象の生きる力を引き合いに出すと分かり易いと思うが、
無現象の心の世界は、捉えられないが実在するもの。誰にも存在する普遍のもの。
人間の本体は何か、人間の本来性は何か、と調べる・・・、生きる力とか、心の世界から入っていく。

Category: < つれづれ > | 2005.09.20 Tue 09:00

多数同時相互カウンセリング

これは、精神科・心療科・心理学会の学説・常識を根底から覆すものかもしれない。
心を開くことの重要性・・・。そこから、それを援助する専門カウンセラー。
それは主に、1対1で・・・。1対1だからこそ、心を開き易いとされている。

「多くの人の中で心を開く」なんてことは通常不可能事で・・・。が、しかし、これができれば、1対1よりも何十倍の効果があるか測り知れない。

「相互カウンセリング」なんてことは、あり得ないことで・・・。が、しかし、これができるということは、誰もがカウンセラーになり得るということ。

多数の人による、相互のカウンセリングが、同時に行われるという現実。
その場に来て、すぐに始まる訳ではないが、何度となく訪れるうちに、違和感・緊張感がほぐれて、徐々に多数の人の中で心を開くことができるようになる。

否定も肯定もない、励ましも慰めもない、無重力空間に身を置くと・・・、
人の心は・・・。

Category: < 一体の理 > | 2005.09.04 Sun 09:11

「仲が良い」とは

人は、仲悪くなりたくないのに、争いたくないのに、仲悪くなったり、争ったりする。なぜか?
人は、病気になりたくないのに、殆どの人が、病気を体験する。人間というのは、そういうものだから仕方ない?

でも、ずっと病気にならない人になるより、ずっと仲悪くならない人になり合うことの方が易しいと思う。
謝るとか、許すとか、仲直りするとかでなく、ずっと仲悪くなる要因がないもの。
「仲良く」とか「通じ合う」に力を入れてると見失いがちだけど、ヒョイと視点を「仲悪くなる要因」に向けると、そう難事でないことも判る。この視点が大事と思う。
何年も前に「これなら世界から戦争なくせる筈」という体験してる人多いと思う。
「仲悪くなる要因」取り除けば、けんか争い、戦争なくなる当然の理。
病気なくすよりは、ずっと容易で、もう殆ど実現してる例(人)たくさんあると思う。
ここを煎じ詰めるだけで、おおかた解ける(溶ける)と思う。

人と人とが心離れたり相反目しない本当に仲良い世界
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