研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 思想 研究 ――
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Category: < 世界革命 > | 2005.07.05 Tue 08:21

つづく もくてきけんさん

『・・・、そういうことも気づかれて、なるほど、鶏でない、目的は鶏でない、と。』
『・・・やはり飼う人自体が、みんなの幸せ、自分の幸せでなしにみんなの幸せを願って、というそういう、あの気持になって、頭で分かったでなしに、それが実行出来る人になって、それからその次に、・・・』
『世界中の永遠の幸せのために、本当の幸せというのはそういうものだと思うんですが、そのために鶏を飼うんだ、或いは鶏は飼わなくても、そういう社会をつくることが先だ、まず自分がそういう人になって、そういう人がだんだんと、同じ気持の人が寄っていって社会をつくる。まあそこで、・・・』


いやぁー!ホントに迂闊だったね。
何々の為にと思って、何々を良くしようと一生懸命、心を込めてやっている。
それは大切なことで、有意義なことで、間違いではないけれど、
いつのまにか、それが目的の如く勘違いしている。
良い何々にすることは結構だが、・・・なるほど、それではない、目的はそれでない、と。・・・気付いた人、自分の目的を知る人で、何々をやる、そういう人でないと本当は何もやれない。

Category: < 世界革命 > | 2005.06.26 Sun 08:20

キメツケのない社会

人間は観念肥満のためか、どんどんドンカン(鈍感)になっているらしい。
他の動物は、地震を予知して避難するらしい。
台風の進路の変え方とか、勢力の調整とか、そんなに難しくないらしい。
人間の犯罪・暴漢なども、矛先を変えるとか、勢力を調整するとか、できると思う。そしたら、ゆっくりと根本的解決を考えられる。
キメツケが外れると、感性が蘇えり、頭脳も明晰になるだろう。
日々の暮らし、仕事や子育て、組織の仕組みや運営など、頭を使って知恵を巡らせているつもりかもしれないが、もしかすると90%以上キメツケの中で、ほんの10%くらいの枠の中だけで右往左往しているのかもしれない。
キメツケがなくなると、とにかく、どんなことでも考案できる、「そんな無茶な!」というものがない。
山岸さんは、死んだ人を生き返らせられるとか、川の流れを逆にするとか、会の財源は人的に物的に無限大であるとか、言ってたねぇ。台風をなくすことや、クローン人間のことも言ってたらしい。

まあ、とにかく、キメツケのない社会になったら、争いというか、問題というのは無くなるだろうし、そしたら、あとは楽しく面白く人間冥利・幸福生活追究三昧しか、他にすることなくなると思うけど・・・。

Category: < 世界革命 > | 2005.06.26 Sun 08:19

キメツケのない社会

動物が人を襲い、自然現象が人に被害を齎すことに対応して、動物を捕獲したり退治したり、台風や地震の予知や、予防策を講じる。
人が人に及ぼす被害に対しては、人を縛り処罰したりする。動物や自然現象には、罰則を設けて処罰するということがない、効かない。
動物でも、自然災害でも、人でも、害を及ぼすものに対抗して、それを食い止め、できることならたたきつぶそうとする発想・方向で臨んでいる。

被害の元となる原因をつき止め、それを取り除くという方向はどうだろうか?
動物や自然との間で争いになることはないと思う。(中には動物や自然に腹を立てて争っている人もいるかもしれない。)
人が急に休んだり働きを止めたりすると、害や迷惑を及ぼしたといって罪悪とされることがあり、処罰されることもある。無断で勝手に急死するのも罪悪か、処罰の対象か?

地震や台風のように猛威を振るい、甚大な被害を齎すものに対しても、対抗措置がなく諦めているのか、人間は被害を最小限にすることに努力する。
それと比べたら、極々小さな被害でも人が齎したとなると大変だ。
地震の原因を取り除くよりも、人災・犯罪の原因を取り除く方が容易だと思うが、縛ったり処罰していても、人災・犯罪はなくならない。
人が齎す被害でも、自然災害のように捉えれば、今よりは平和になる。
人は何を考え何をするのか分からない、外部からの制御は不能だ、と諦めた方が、今よりは平和になる。
地震や台風や人間のメカニズムをよく知って、幸福に生きる方法を考案しよう。
どうしたら、人が人に害を齎すことが無くせるだろうか、と誰のせいにすることもなく、検討・研究する。誰かのせいだとか、誰かの責任にしようとしていること自体、キメツケそのもの。
強風や高潮を防ぐ壁や、地震に強い建物や、犯罪者を牢獄に入れたり処罰したりするというのは、あまりに知恵が無さ過ぎる。

Category: < 世界革命 > | 2005.06.26 Sun 08:15

キメツケのない社会

 みんなの暮らしに関わること、社会的なことで何か決めると、「こうして下さい」「こうしないで下さい」と、みんなで決めたことだから、みんなで守っていこうと、守らない人がいると、決めたことが崩れるから、守らない人が現れないようにしていく。
 これは従来の社会では当然のことで、これなくして安心して社会生活は営めないとされているだろうし、そのことが個人の自由を奪い束縛している等とは考えないだろう。

 それとは反対に、社会的に決めたことを、「このように決まりましたが、どうでしょうか」と個々に尋ねて聴いていく社会。「キメツケのない社会運営」

 キメツケの社会運営の中では、個々は自ずとそれに適合して、キメツケを覚え習い守り、その中で暮らしを成り立たそうとする。
 キメツケのない社会運営の中では、個々は自ずとそれに適合して、自由に好きなように考え、思いを出し、検討して暮らしていける。

 住まいも、仕事も、育児も、お金や恋愛・結婚も、「キメツケのない社会運営」の中で暮らしている実態、そういう人が随分いる。
 また、近くに住んでいても、「キメツケのない社会運営」の恩恵が薄く、沢山のキメ事や前提を持って、自分の狭い考えで行動し暮らしてる人もいる。

 凡ゆることを、いつでも根本から見直せる軽い明るい社会機構や運営の充実と、その社会機構や運営が広く多くの人に齎されるように・・・。

 個人の考えで暮らし行動することは、規制社会の制約をモロに受けるだけでなく、気付かない自分のキメツケ観念からの制約をモロに受けるものである。
 自分の考えで行動する方が楽だ自由だと思う人がいるということは、まだ「キメツケのない社会機構や運営」が未熟で、恩恵が薄いということの証とも言える。

Category: < 研鑽の理 > | 2005.06.25 Sat 08:18

研鑚について

研鑚は、研究・検討とは異なるもの、あえて「けんさん」という言葉を用いる所以。

④研鑚は、真の科学ともいえるし、真の哲学ともいえる。真の科学的・哲学的要素を欠いては、研鑚とはいえない。

③それから、研鑚する研鑚態度に不可欠な要素は、
自分の思い・考え・感情を混ぜず、そのものをありまま見る・聞く。知識・経験・学説・実績なども全部棚上げする。つまり、真の客観・零位。

②その前に、話し合える自分になること。

①話し合うには、先ず、どんなことでも素直にありのままを聞ける、ということが必要。聞くことが研鑚の出発点だが、あくまで出発点であって、聞けるだけでは研鑚になるものではない。

以上は一つの見方だが、研鑚に至るまでの段階等を自覚する必要がある。
自分は、どの段階か、何を目標にして、何を意識して、どのように暮らしていくか。

Category: < 研鑽の理 > | 2005.06.24 Fri 08:17

Re: 東京でも研鑽会したい

研鑚会には、研鑚会にしていける人が必要だから、研鑚会をやるには、自分が研鑚会にしていける人になるか、研鑚会にしていける人を連れてくる必要がある。
その要素を欠いて、研鑚会と呼んで開催しても、研鑚会にはならない。
多くの人が、この認識が非常に低くて、研鑚会にならないに決まっているような体勢で、研鑚会と称して、やっていることが多々ある。

毎週やっている夜の研鑚会で、今夜は、その課題について検討した。
研鑚会にしていこうとする意欲と適性のある人を対象に、研鑚体得のための2~3ヶ月間のコースは設けては、どうか、という案です。

研鑚のない営みは一切無効、といえるくらい研鑚の必要性が徹底的に腹に落ちている人で、検討して実現したい。

Category: < 世界革命 > | 2005.06.20 Mon 08:12

もくてきけんさん 「心の手」

今日は、午後1時~10時半まで、「目的研鑽」をした。白紙研鑽の次の次の・・・・・・もの?
中盤までは、なんだか漠然とした感じ、夕飯の弁当を食べた後・・・、
「目的を具体的にもう少し・・・」と聞いてみた。そしたら、トツトツと語ってくれた・・・、
実に平易な言葉で、そして明快だった。彼は自分の中にある目的を知っている、という感じ。
仕事の目的、会社の目的、家族の目的、今やっていることの目的・・・、そう考えること自体が本末転倒。
それ以前にあるもの「自分の目的」。「心底の目的」は考えるものではなく、知るもの。「考えた目的」は頭の段階。
「仲良く楽しい世界」は、僕の「一体研鑽世界」と同義語。
目的は知るもの、目覚めるもの、気付くもの、そして誰にでもある、その人、その人の目的を呼び覚ます。
私たちの活動は「自分の目的を知る人による、凡ての人の目的を呼び覚ます活動」。

『心の手を差し延べれば、必ず心の手で固く握り返して来ます。
目に見えるこの手は、一歩の差で相離れますが、心の手は、この身が幾千里離れても死んで幾百年経っても、決して相離れるものではありません。
私共は同じ考え方を持つ人々を続々と探し得て、堅く固く心の手を握り合って、今日の活動を楽しみ、明日の楽しみに生き貫こうと、周囲の目に見える物は減っても別れても苦にならず、近い日身体から必ず離れる生命を打ち込み、この仕事を自分の本当の生きがいとしているのです。私共にはこんな楽しい仕事は他にありません。
物に乏しい人々を訪ね、心の豊かな人を探す旅の途上にて。』

「ようやくスタートに立てた。今まで何してたんやろぅ?」

Category: < 具現方式 > | 2005.05.27 Fri 08:07

Human Ground ヒューマングランド(案)2

生涯学究の場 Human Ground

 人間らしさを探究し、実現する場
 研鑽会・研修会の中だけでなく、住まいや家事・育児、生産流通、経営運営など、そこでの生活すべてが、生涯学究の一環としての場。
 研鑽生活・研鑽社会の基となる場。
 世俗に対しての聖地というのも変だが、純粋な場。
 ヤマギシズム社会式養鶏法を顕現するのも、先ずこの場から。

鈴鹿が、HumanGround とあったけど、いま住んでいる地から見たら、鈴鹿は純粋な場。
更に、本質的なものを求めるなら、鈴鹿に住む人も、世界中の誰にとっても、純粋研鑽のみの場が欲しい。
それが、Human Ground。
生涯学究に参加するというのも、話し合いで知的に考えることは勿論重要だが、それが何の為のものか、それをやってどうなろうとするのか、というのが、その人まかせではない。
その人、その人なりの目標や目的で、生涯学究にのぞめばいい、というものではない。それでは、単なる観念まかせになる。
真なるもの、つまり、人間の方向性、社会の方向性、真実をその場で体感するもの。そういう場。

Category: < 具現方式 > | 2005.05.27 Fri 08:06

Human Ground ヒューマングランド(案)

Human Ground 人間性の場  つまり、 Human Farm (人間性を肥やす農場)

敷地内に、住宅・生活施設、事業・生産施設、生涯学究研修施設、合宿施設などを設ける。
生涯学究は勿論のこと、住宅も事業も、そこにあるもの全ては、人間性を培い養うために活用される。
そこでの研修会も、日常生活も、畑や鶏舎も、仕組みや施設、運営や経営も、人間性を培い養うという方向のもとに使われ営まれる。
人間性を培い発揮する、幸福人生・幸福社会の試験・実験の場ともいえる。

そこには、定住者も居るし、短期の研修者も居る、学究研修参加の学生もいる。
そこに住んでいる人は、そこで人間らしい自分になり、人間らしい暮らしを実現させていく。
外部から来た人も、そこで人間らしさを見出し培い、各々の持ち場で人間らしい暮らしを実現させていく。

定住してもいいし、短期で研修してもいいし、合宿研修だけに参加してもいいし、いずれにしても、人間が人間らしく幸福に生きられるようになることを目的にして、その方向で全てを考え行なう場。

こちらの受け入れ態勢さえ揃えば、誰が来てもいい、どんな人でも受け入れられる、家のない人、身寄りのない人、淋しい人、物や能力もてあましている人、・・・軍人も娼婦もルンペンも、・・・

Category: < 一体の理 > | 2005.05.19 Thu 08:05

あ・い・す・る

 多くの会や団体が破綻するのは、寄る時の理屈・勘定はよいが、この団体を愛し、会員を愛し、真に自己を愛する相愛の精神が足りないためです。
 自分のみのためにと、取り合っていて、よくなる道理はありません。

・・・、後に続く人々に、自分の持てる凡てを”かつて自分が受けたように”与えて、与えて、与え尽くす愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。

・・・、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです。

 こんなに複雑精細な養鶏法が、素人の誰にでもやれる方法があるのです。
 その方法と云うのは、毎月半日を割いて支部研鑽会に出る丈のことです。
 共に研鑽して時の最先端を行なうのみです。

人間の普通で自然な状態には、損得勘定とか、公私の区別とか、が無いのが本当だと思う。家族の間柄など見ると当然のことなので分かり易い。
人類同属、同じ人と人でありばがら、利害が反する人が存在するということ自体、どこかに間違いがあると思う。(一方が儲かって、片方が損する等々・・・)
「店と客」の関係は「売る人と買う人」という関係だが、客が店を愛するということもある。店を愛する客が多いということは、店の繁盛に繋がる。
会社などでも、「雇う人と雇われる人」という関係ではなく、会社を愛する人が、どれだけ多くいるかが、会社の繁栄に繋がる。日給・時給・歩合給という仕組みでは、愛する心が育ちにくい。
どんな組織でも、支部活動でも、調整機関でも、研鑽会でも、・・・人が多く寄っていたとしても、その会を愛する人がどれだけ多くいるかで、その会の繁栄・繁盛は決まるような気がする。
でも、愛国心とか愛社精神とかの場合は、殻のある小愛もあるし・・・、
好きとか、親しいとか、放っておけない、というのも愛するとはチョット違うし、・・・
「一つ」という感じかな。
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