研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 人 間 理 > ――
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Category: < 人 間 理 > | 2009.11.11 Wed 07:00

悪感情とか 嫌悪感とか

悪感情や嫌悪感というものは、特定の人に対して湧くものだろう。
悪感情や嫌悪感の理由として、相手の人の欠点や間違い等をあげる。
しかし、同じような欠点や間違いがあっても、相手によって悪感情や嫌悪感が湧かない場合もある。(吾が子なら憎んだり嫌ったりしない)
悪感情や嫌悪感の理由を、その人の欠点や間違い等としているが、
実はそうではないと思う。
自分の中から湧いた悪感情や嫌悪感に対して、その人の欠点や間違い等をあげるのは、湧いたあとの理由付けのような気がする。
では、人に対する悪感情や嫌悪感の原因・理由は何か。
・・・

Category: < 人 間 理 > | 2009.06.01 Mon 09:00

研鑽心理学センター

自発的な「心のケア」を・・・(4.29) で、その一端に触れてありますが、
研鑽心理学センターがスタートしました。
まだ、趣意書パンフレットの掲載だけですが、ホームページをご覧下さい。
  ↓
http://www.kensan-psychology.org/

Category: < 人 間 理 > | 2009.04.29 Wed 22:00

自発的な「心のケア」を・・・

研鑽心理学センター設立に向けて

「人間の考え」「自分の考え」であることを理解しつつ、自分の頭の中にあるものについての自覚が進んでくると、「自分」というものについても、頭の中で捉えている「自分」よりも、自分の実際、自分の成り立ち、自分の中に形成されているものに関心が向き、焦点があたってくる。

人には、生まれ育つ間に形成された「考え方・観念」などがあると云えるが、
もっと広い意味でいうと、その人の「心理面・精神面」とも云えると思う。
一般的には、人の内面(心理面・精神面)というと、「欲求・意志・感情」などや「思い・考え・気持ち」のことと捉えがち。
しかし、これらは、心理面・精神面からのその時々の「現われ」、つまり、「一時的現象」だと思う。
このような日常の内面からの「現われ」の元には、その人の中に形成された「心」があり、それが、その時々の状況に反応して出ているのだと思う。

「人は自己を守り利得のために競争し合うもの」という人間観で営まれている資本主義社会に育ち、その人間観に染まった「心」が形成されていることによって、違和感なく利己的競争心で暮らしている。
決めたことを守ろうとする意志、人の意見に反応する自分の考え、お金が欲しいとする欲求、幅っている自分を恥ずかしく思う感情、厚かましい態度を見ての嫌な感情、・・・・・、凡ゆる「現われ」の元には、その人ならではの「心の状態」があり、そこから来る当然の「現われ」とも云えるだろう。

なぜ、そうするんだろう?、そう言うんだろう?、そう思うんだろう?、と問う前に、自分の(その人の)中に形成されている「心の状態」はどうなんだろう?、と焦点が当たると、自然、その「現われ」の由来が解明できると思う。

自分の(その人の)中に実際に存在する「心」を知ろうとすることだと思う。
巷でも「心の時代」とか「心を育てる」と唱えているが、実在する「心」を見届け掴もうとしていないなら、うわ言、空論にすぎないと思う。
「心」の問題は、その人の根幹に関わるもので、安易に触れることはできない。如何に周囲の人々の関心や協力があっても、先ず自分から心の状態を解明していこうとする意志がなければ、「心」を知ることはできないと思う。
果たして、自分の中に形成されている実在する「心」を知ろうとしているだろうか?
そこが無ければ、人の「心」を知ろうとしても、空想的な思いやりの域を出ないだろう。

普段は意識できない自分の「心」を知るために、「研鑚心理学センター」を大いに活用して、「心」のケアに役立てていきたいものだ。

Category: < 人 間 理 > | 2009.03.24 Tue 09:00

自分を知り、人生を知り、社会を知る

毎回、各地からの参加者が増え続け、年齢層も幅広く、にぎやかに開催されています。(土曜の午後と月曜の午前と2回ずつ開催しています。)
 ↓↓↓
第15回 研鑽科学サロン 発表スライド

 佐貝貞夫さん85歳が豊里から参加されて、「今までは、山岸さんの昔の資料を使うばかりだが、“人間理”というのか、このような研究をもっとやって欲しい、研鑽科学サロンに毎月参加したい。」とのこと。
 奥村通哉さん86歳が京都から参加されて、一泊して、研鑽ライフセンター等、ここでの活動の数々に触れていかれました。初対面の人が多かったようですが、「なんだか、竜宮城にでも来たような・・・初めて会ったとは思えないなあ。ヤマギシも福里も鈴鹿も、垣根なく繋がっているようだ。」とのこと。

   自分を知り、人生を知り、社会を知る
人間には、自己を観察する能力がある
 自分の現状を観察し、自分の存在、成り立ちを調べ、
 人としての自覚を育てる   (自分を知るための研鑽会)

人間には、理解し把握する能力がある
 人とはどういうものかを理解し、人の一生を把握し、
 心の世界を養う        (人生を知るための研鑽会)

人間には、思索し創造する能力がある
 人間本来の姿を調べ、幸福とは何かを見つけ出し、
 人を幸福にする社会に生きる (社会を知るための研鑽会)

Category: < 人 間 理 > | 2009.03.03 Tue 09:00

第14回 研鑽科学サロン

第14回 研鑽科学サロン 発表の骨子 を掲載しました。

「社会観の元となる人間観」
このテーマは、昨年1月2月の第1回2回 研鑽科学サロンのテーマでもありました。
どうしても、もう一度やっておきたかった。やってみて、まだまだ尽きない課題だけど、ここを明らかにしておかないと、やはり肝心のところが通じないと思っています。
山岸さんの思想 に触れて、一番強く想うのは、この「人間観の違い」です。
人と人が隔てなく仲良く暮らそうと、ヤマギシなども社会活動をしようとしているが、この人間観から行かないと、根本的には何も進んで行かないと思う。

Category: < 人 間 理 > | 2009.02.10 Tue 12:00

迂闊な人間

 人間は案外、迂闊な生き物で、たまたま自分が置かれた状況や、たまたま自分が巡り合ったものによって、「こうしたい」とか「これをやりたい」という欲求が生じて、それに人生を費やして生きて行く。

 釈迦の教えに出会って、それをやりたいと思い、生きて行く。
 ヤマギシズムに出会って、それをやりたいと思い、生きて行く。
 そういうものに巡り合わなければ、それをやりたいとは思わなかった筈。
 そういうものに惹かれるものが自分の中に有ったからだと言うが、それなら、そういう自分の中のものに沿って生きて行こうとするのではないか。自分の中のものではなく、巡り合ったそれに、はまり込んで生きて行くのは何故だろう。

スポーツをやりたい、芸術をやりたい、学問をやりたい、
医者になりたい、政治家になりたい、技術者になりたい、
会社をやりたい、農業をやりたい、趣味をやりたい、教育や福祉をやりたい、
家庭を持ちたい、家族を養いたい、子どもを育てたい、親を世話したい、
仕事が欲しい、お金が欲しい、社会を良くしたい、争いを無くしたい、
 どれも、これも、状況や出会いによって生じた欲求
 状況が変われば、出会いが無ければ、生じない欲求
 そういう思いが自分の中から湧いてきたと言うが、それなら思いの前にある、思いが湧いてくる元が自分の中にある筈。それによって生きて行こうとしないのは何故だろう。

「やりたい」という思いが、嘘だとか間違いだと言うのではない。
思いの対象は、たまたまの状況や出会いによって生じたもので、自分の中にあるものは「思いの対象」ではないだろう。

 ヤマギシズムをやりたい、研鑽生活をやりたい、無所有をやりたい、一体をやりたい、金の要らない村をやりたい、実顕地をやりたい、特講をやりたい、研鑽学校をやりたい、ヤマギシ会運動をやりたい、研鑽コミュニティをやりたい、研鑽会をやりたい、等々・・・・こういうのは、どうなんだろうね?、何から来てるんだろうね?、何か観念づいたものを追ってるんだろうね。
元々こんなのをやりたいと思う人間は、いない筈。
 「運命的な出会い」とか「出会いが人生を変えた」とか「自分が心からやりたいんだ」とか言うけど、たまたま遭遇したものに、はまり込んでいるだけで、本当に自分の中のものを観ようとしていないことが多いと思う。
 やりたくもないことを意義づけてやっているのもバカだけど、
 自分はこれがやりたいんだと思い込んでやっているのもバカだよね。
 たまたま目の前に現われたものを、やりたい、やろう、としてやっているが、本当に自分は何をやろうとして生きているのかな。

Category: < 人 間 理 > | 2009.02.04 Wed 17:41

「社会観」の元となる「人間観」

 社会観は、「社会とはこういうもの」という社会に対する見方であり、人間観は、「人間とはこういうもの」という人間に対する見方であると云えるだろう。
 個々には、そんなにハッキリとした社会観や人間観を持っているという意識は少ないかもしれないが、人は社会の中で生まれ、社会から一歩も出ることなく、生涯をすごしているとも云えるだろう。そして、生まれた時から人に触れ、人に囲まれ、人の中での一生を送るとも云えるだろう。
 社会観や人間観という確たる意識はなくても、個々の見方・考え方や心理面の相当深いところに、生まれ育った社会から受けたものによって社会観が形成され、周囲の人間から受けたものによって人間観が形成されていると思う。
 社会は、そこに住む人々に共通する社会観の現われとも言えるし、 「人間とはこういうもの」という人間観をベースにした社会が営まれているとも云えるだろう。
 自分は、どんな人間観か、どんな社会観か、無意識に形成されているものだからから、自分をよく観察し、調べて見ようとしないと意識化できないだろう。
 現在の人間観から見た人間しか知らない、社会観から見た社会しか知らないという実情では、人間や社会を考えようとしても、その域を出ないだろう。先ず、現状の人間観、社会観を自覚して、それに捉われない人間や社会を考察してみたい。
「社会観」の元となる「人間観」序文より抜粋

    1.社会と人間 (現状の社会観・人間観に留まって停滞している実情)
    2.人間の考えについて(人間の脳の作用について)
    3.欲求 意志 感情 などについて
    4.教育やしつけ と 意志
    5.やらせる やめさせる
    6.自由欲求 自由意志の領域へ

Category: < 人 間 理 > | 2008.12.09 Tue 09:00

人生を研鑽する

研鑽人間学シリーズ
人生を研鑽する
どこまでも冷静客観して人間を分析把握して、人間本来の人生を見究めようとするもので、自己啓発や自分を高めるためではないので、自己の生き方や生き甲斐を求めすぎると、観察が曇る。
1.人生とは
    人の一生の範囲
    生きているとはどういうことか
    生きている肉体
    生きている精神
2.自分を知る
    自分には何があるか
    自分は何でできているか
    自分はどのようにしてできたか
    自分の中のものと、周囲のものとの反応
    ・・・思考、感情、言動などについて
3.その人 受けたもの 現象化
    人を構成している要素
    受けたものによって形成された肉体(健康状態)
    受けたものによって形成された精神面(心の状態)
    周囲の刺激との反応、そこから現象化
    ・・・現象化したものは、その人そのものではない
    受けたものによって形成されたものは、その人そのものではない
    ・・・刻々と変化しつづけている
4.人は何を糧にして生きているのだろう
    物質的な糧・・・空気・水・日光・食糧・・・
    精神的な糧・・・個々に異なる心の糧・・・・・・・・・・
    人とは何か、何によって生きているか、何を見てその人としているか
5.正常健康に生き続けようとする本来性
    生涯一瞬も休まず作用している生きる力
    肉体が病むのは後天的なもの
    精神が病むのは後天的なもの
    種々の観念で目隠しされ、正常健康(真実)を諦めている。
6.生来の安心 豊かさ 明るさ
    人生の始まり(ゼロの状態)から具わっている
    無いものはない 足らないものはない
    知る知能がある、知能は育つ
    自分を知る人生 (自分の成り立ちを知る、自分のいる世界を知る)
    受けているもの・受けてきたものを知る豊かさ、知る明るさ
    ・・・歳を経るにつれて、ますます安心、明るく、豊かに・・・
7.人として生きる 即ち 人生
    人に育てられて人になる(他の動物や機械では人にならない)
    人から受けるもの、周囲社会から受けるものによって人になる
    親から受けたように子へ注ぐ
    社会前代から受けたように周囲後代へ注ぐ
    受けた知能を育み、自分を知る
    ・・・自分を生み育てた世界(社会)・人を愛する
    ・・・自己の持てるものを注ぎ発揮する喜び  生涯かけての仕事



     ↓↓人生の扉(YouTube)

Category: < 人 間 理 > | 2008.11.29 Sat 12:00

人生を知るための研鑽会

 この研鑽会は「自分を知るための研鑽会」の次のステップという位置付けですが、「社会」という課題へ行く前のステップでもあり、「人生とは」(人間の一生とは)がテーマ。
 つまり、「人間とは」ということを、イチから、じっくり、じっくり、やってます。
人間を知らない、知ろうとしない、が故の今の人間界かなー、というところから。
 「ホント人間を知らないでようここまで生きてきたなー」というところから、もっと人間を知りたい、人の中身を知りたい、人ってどうなってるんか、人の心ってどういうものなのか、行為(言動)や思考・感情の出どころ、その人のベースになっている心の状態に焦点を当てる。
 当てたい、当てようでは、当たらない。「そこに焦点が当たるような自分」という「自分の心の状態」が問題になってくる。
 今までやってなかった分野だとしたら、一朝一夕にはいかないけど、その重要さを知ることから、そういう自分になっていこうとする研鑽の入り口のような感じです。

Category: < 人 間 理 > | 2008.06.03 Tue 11:00

人間について

山岸さんは若い頃に、頭を痛めるほど徹夜の連続で究明に没頭していたとか。
もっとも純粋に「人間そのものを把握」していたのではないかなと思う。
それから、生涯をかけて、過去から現在に至る
無数の「人生を観察・体験」していなのではないかなと思う。

「人間そのものの把握」「人生の観察・体験」から具体的方法の必要性が浮かび上がってくると思うけど、
先ずは、人間そのもの、人間とはどういうものか、をやっておかないと、現状の人間の見え方も違ってくるだろうね。

山岸さんは人間を究めていたと思う。人間に対して疑念や不審や諦めがない。
人間の核心を掴んでいるような気がする。
どこまでいけるか分からないけど、
人間の本質・核心・真実に重点をおいて、現状を生きる行き方(社会)は、とっても明るい。
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