なぜ、そんなにまでして研鑽会を・・・ の巻
私たちは「鈴鹿」に住まいを移すより以前に、一番最初に先ず「鈴鹿」に研鑚会場を設けました。
14坪、家賃7万円の貸事務所で。2000年11月「鈴鹿」での初めての研鑽会「実践の書研」が実現した。
2週間の参加費は5000円。持ち寄りの食器や食材、事務所の隅の流し台で煮炊きしながら食事した。
ヤマギシの村から「鈴鹿」の研鑚会場に通いながら・・・。
< 2000年3月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会課程研鑽会が豊里にて始まる。従来のように個人を調べる研鑚だけでなく、「社会を調べる」研鑽会。
実顕地、職場、学園、本庁機構、ヤマギシ会組織、生活調整機関・・・等々が、果たしてヤマギシズムに叶った社会と云えるか、どうか、調べる社会課程研鑽会。
< 2000年8月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎月開催の社会課程研鑽会は、豊里でやって欲しくないということで、研鑚学校会場に移る。
< 2000年9月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会課程研鑽会 研鑚学校会場もこの月までとなり、場所探しが始まる。
< 2000年10月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時、加賀実顕地にいたYTさんの協力で、片野農場で研鑽会が開催できた。名称は「世界革命実践の書研鑽会」
翌月は阿山実顕地で開催予定だったが、この期間中に「以後ヤマギシの村の中では開催しないように」となったようで、
急遽、研鑚会場探しが始まり、「鈴鹿」に研鑚会場を設けることになった。
< 2000年11月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
貸事務所を借りるには敷金・礼金など、まとまった資金が要るが、当時、参画者の面々では月々1万円の小遣いがあるだけで、とても足りない。
そこで、既に村から街へ出ているメンバーの協力を得て、瞬く間に100万近い資金が集まった。
こうして、冒頭にあげた「鈴鹿」での「実践の書研鑽会」が幕をあけた。
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今、思えば、ヤマギシの中で研鑽会が続けていられたら、今日の「鈴鹿」はなかったかもしれない。
豊里 → 研鑚学校 → 加賀 → 鈴鹿 ・・・・場所を変えるように仕向けてくれたからこそ、今がある。
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新世紀も幕を開けようとする頃・・・、毎月の「実践の書研」に参加した人たちが、本質的なものを見極め、そこに立ち還ろうと、続々 鈴鹿に住まいを移すようになった。
< 2001年 > 「鈴鹿」一体社会の幕開け・・・・・・・・・・・・・・
以後、概略はホームページ
http://www.kensan-community.org/ にて