研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 世界革命 > ――
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Category: < 世界革命 > | 2008.10.03 Fri 23:00

社会実現の兆し

山岸さんは「(我執をなくすの)そういう社会ができたら早いのやけどなぁと言ってたとのこと。

誰もが研鑽機会に触れて、我執がなくなり自分を知り人生を知る研鑽を志向するのは望ましいと云えるが、その元となる、頑固が急激になくなり真実を知っていける機構・制度や社会気風・環境というものがあるのではないだろうか。

禁欲 努力 修行などして無我の境地に達しようする方法と比べれば、研鑽会は実に容易で万人向けの画期的な方法と云えるが、研鑽会を会得してその道に乗った人たちから滲み出る活動行為は、寄れば寄るほど社会気風を醸成して周囲の人に齎していくだろう。
自分を知り人生を知ることの重大さを知る人たちの活動行為は、金銭物資を貯えたり事柄を進めることに捉われないで、本質的なものに重点をおく活動行為となって現われる。当然、権利も義務もない、人の上下も命令もない、契約や責任も要らない、人と人との成り立ち。
その地に暮らし、その職場に就くことによって、自ずとそこの空気を吸い、価値観や重点をおくところが変わってくる。
各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会
ここに書かれてある 真実の世界 とは、
      各々真実の自分を知ることのできる「社会」
      それぞれが真実の生き方のできる「社会」

      ・・・と云えるのではないだろうか。
まだまだ、機構や制度まで確立されているとは云えないが、
自分を知り人生を知ることに重点をおく人たちによって、
自分を知り人生を知ることに重点をおく社会が実現しつつあると思う。


一人でも多くの人々に、ここ鈴鹿の地に住み、研鑽コミュニティで共に暮らすことを推奨する所以である。
吾が子等や次代を担う青年たちに、as one companyの職場で共に働くことを推奨する所以である。

Category: < 世界革命 > | 2008.05.18 Sun 08:00

本質的なものに重点をおく 6

生まれ育った、周囲・環境・気風などによって、知らず知らずの内に培われ身に着いた価値観。
生まれた時にはなかっただろうが、現状を観察してみると、確かに身に着いてある価値観。

大人になって、ずーっとあとになってから、理論的に「何に重点をおくべきか」を理解し、強く思ったとしても、身に着いた価値観は、すぐに変わらない。
個人の意志や意識では、価値観や着眼点の転換は容易ではない。


本質的なものに重点をおいている人の存在、そういう人たちによって醸し出される気風。
そういう人は、どこを観ているか なにを聴いているか

それを真似て、ここを見よう これを聞こう として出来るものではない。

じゃあ、どうすれば、できるのか・・・と、一足飛びに進もうとしないで、
まず、自分は、どこを見ているのか、何を聞いているのか、自分が重点をおいていること、眼をつけているところを知る・・・自覚
それをしないで、見よう見よう、聞こう聞こう、重点をおこう、としても絶対できないと思う。

怒りや争いなく、意欲をもって楽しく働く人を良いなあ、と見る観方・価値観。でも、こういうロボットを作るのは、そんなに難事ではないと思う。
人を観ていると云えるか、どうか・・・。
赤ん坊をかたどった人形にもカワイイと思う感情・・・、何が違うか。


自分にとっての関心・重点・価値観・着眼点を先ず知ることから、
そして、本質的なものに重点をおくとはどういうことか、知識理解ではなく、
そういう人に触れて感得する、空気を吸うように。

自分のことでさえ、思いとか気持ちとか感情とか考えとか・・・表面的なものを中身だと思っていること多々あると思う。それでは、とても人の中身へなんて行けないと思う。

日常の言動は、人と人とのやりとりの中で生じる相対的現象。
やってること、言ってること、現象を捉えて、評価したり批判したりできない。もちろん、その人を知ることはできない。
社会の一員、組織の一員、職場の一員、役割の人、あれをやってる人、こういう人・・・人間は服を着てものを言うロボットではない。

「忍ぶれど色に出にけり吾が恋は、ものや思うと人の問うまで」
こんなところに言い表しようのない本当が現われるもの、人間をエモン竿やマネキン人形にするのはおかしい。表わすものでなく表われるもの、言葉に出して好きだと言っても、それは言葉であって、本当はあてにならない。
(1959 正解ヤマギシズム より)

Category: < 世界革命 > | 2008.05.10 Sat 10:00

本質的なものに重点をおく 5

今はわれ、ひとと共にと思っていても豹変しそうな人 という一節がある。

思っている、強く願っている、そういう意識でいる、ということと・・・、それで「どういう人か」ということ。
思っている人、願っている人、そういう意識でいる人、こういう事をやっている人、と見てしまいがちだが・・・、それで「どういう人か」ということ。

豹変とは獣性むき出しというのではなく、態度がガラリと変わること。
にこやか→陰湿・陰険、なごやか→批判・批難、おおらか→正義感・不信感


意識 と 実際
どんなに立派な思想を具え、ハッキリした主義・主張で行動していても、それはそれ。
意識段階のもの。それで、その人の実際はどうか。
犯罪者、不良、乞食、政治家、慈善活動家・・・、それぞれ考え行為の違い。それで、その人の実際はどうか。

子や孫に人間として何を希っているのかな? 立派な意識で立派な行動する人かな?
どんな社会を希っているのかな? 造って贈りたいのかな?
一体で無所有で仲良くやろうとしてやっていていも、それはそれ。
その人の実際が、一体か、無所有か、仲良いか、という観点。
研鑽会へ行くのも意識、みんなでやろうとするのも意識、
それで「どういう人」になろうとしているのかな?

言っていることよりも、行いが重要で、行いよりも、その人の中身が重要。
豹変しそうな人ではないか、どうか、常に顧み省み、自分も人も本もの本当のものを目指す態度。
すると・・・、人間らしい人間のあり様が、自分の中に出来てくる。
安定・安心の人の像が浮かび上がってくる。
自分は、またあの人は、この人は、どれくらい安定・安心の人かな・・・?
そういう人に成り合おうとする社会気風。
人の中身に焦点をあてる社会 2007.8.2
人の中身について話そう 2007.8.4

口先でのみ、われ、ひとと共にを叫んでいる人や、今はわれ、ひとと共にと思っていても豹変しそうな人には、先取りされ度くないのです。
(技術出し惜しみの批難に対して)
熱心にやっている人でも(理論、行為共に)自分の考えに合っているうちはやる。一度自分の考えに合わんとなった時のことを見たらよい。
(1961.3 理念研)

Category: < 世界革命 > | 2008.04.28 Mon 12:00

本質的なものに重点をおく 4

放したら、豊かになれるんですか?
一つでやれば、仲良くなれるんですか?
自分の考え持たなければ、自由になれるんですか?
    ・・・いいえ、なれないでしょう。
真実に生きると、何かいいことあるんですか?
    ・・・いいえ、何もないでしょう。

豊かだなぁ、自由だなぁ、仲良しだなぁ、幸福だなぁ、と感じたいという欲求からくる結果的・報酬的な「豊かさ・自由・仲良し・幸福」願望。


不自由だなと思ってその組織の仕組みや環境を指摘したら、「私は全然不自由と感じない」と言う人がいた。
「不自由を感じない=自由」なのだろうか? 「住めば都」とも云うが、人間はどこまで不自由を感じなく(不感症に)なれるのだろうか、と不思議にも思う。
金が要るとか、パスポートが要るとか、義務や責任も「そういうものだ」と思えば、不自由と感じない。束縛を強くしておいて少し緩めれば随分自由と感じるだろう。
感覚頼りの幸福では、惨めな、みみっちい、狭い、低い、張り合い、取り締まり合い、我慢し合い、自分だけの幸福感で甘んずる人間に成ろうとするしかないだろう。
感覚頼りの豊かさ感・自由感・幸福感を追っているから、結果や効果が気になるのだろう。
実質ある本当の豊かさ・自由・幸福を指向するなら、まずその実態・正態をハッキリ知ることから。


放す即ち真の豊か 持たない即ち真の自由
研鑽してたら正常になるというより、研鑽するそのものが正常な人のあり様。
抜本塞源 急転直下 即身成仏 現状そのまま 座ぶとんをヒックリ返すような世界革命
持たない=放す=一つ=無我=無固定=研鑽
||
豊か・自由・仲良し・幸福・真実

幸福が真実であり、即ち 真実であること自体が幸福
(幸福だと感じるとか感じないとか関係ない)
幸福かどうかは真実かどうか、豊かかどうかは真実かどうか、自由かどうかは真実かどうか、仲良しかどうかは真実かどうか
つまり、凡ゆることについて本当かどうか
それには、いろんな尺度や価値観を持ち込む要がない
「本当はどうかの研鑽」が実在するかどうか。

Category: < 世界革命 > | 2008.04.23 Wed 12:00

本質的なものに重点をおく 3

御利益(ごりやく)を有り難がって熱心にお勤めする信者
・・・といっても、まるで他人事のように聞こえるかもしれませんが・・・、


例えば、いわゆる共同事業、共同経営、業務提携などは、
互いににメリットがあるからやろうとするもので、メリットがなければやる意味がない。
メリットを見込んでやり始めても、メリットがなくなれば解消する。
一緒にやるメリットがなければ、一緒にやらない。
今の世では、そんなことは当たり前で、「そりゃぁそうでしょう」と、おかしくもなんともない。


一つでやるとか、持たない放すとか、・・・・メリットがあるからやるのか、なければやる意味がない?
一つで持たない生き方をやりたいと思ってやったけど、窮屈だし、仲良くないし、豊かにならないし、やってる意味ないとか・・・。
楽しく豊かそうに見えても、メリットがなくなるとやめてしまう人たちなら、いかに盛んでも、事が起こればすぐに崩れる砂上の楼閣。
メリット・御利益・効果があるが故に、まじめに一所懸命やってる人もいる。
「一体」とか「一つ」という言葉を使っていても「良ければやる」という打算的・相対的なもの。ご都合便利一体。


ここ(鈴鹿)では、一時50世帯以上が一つでやろうとしてやっていたが、決して家計は楽じゃなかった。そして、その大部分がやめてしまった。(こんなことなら個々でやった方がいいと・・・)
そういう体験を経て、研鑚が軌道に乗り始めた。(本当の社会の必須要素、人と人にとって何が大切か・・・)

どんな事があろうとも、何が無くても、一つで持たない人たちとは・・・。
一体とは絶対を願うもの。順調に行ってるように見える時こそ、そこに着眼。
本質的なものを心から指向し、そういう視点・観点がある人なら、すぐ判る筈。
どこに重点をおいて暮らしているか。

Category: < 世界革命 > | 2008.04.21 Mon 11:00

本質的なものに重点をおく 2

5年ほど前だろうか、山岸会初期からの人、初めて鈴鹿を訪れた時に、さぬき兄弟やつくしんぼ保育園を紹介したけど、全く興味も関心も示さず「ここでどんな研鑽をしているのですか」との言葉。実に淡々と、又すがすがしくも聞こえ、とても辱かしく思った。

○○さんライフミーティングに来たよ、すごく喜んで帰ったよ、合宿研にも参加するって、会員にもなるって、
○○さん鈴鹿に引っ越して来るって、as oneで働きたいって、
・・・何を言いたいのだろう、何が嬉しいのだろう、どんな心境なのだろう、
事業をやろう、お店をやろう、若い人が集まった、評判も上々、業績も上々、計画も着々、予定通り、予想以上、思いがけない嬉しい事態、
・・・何をやろうとしているのだろう、何が嬉しいのだろう、どんな心境なのだろう、

本当の積み重ねからしか本当の実現はないと思うけど。
私がやっていること、私が嬉しいと思うことは、本当(真実)なのか。
本当・真理・真実 を私は嬉しいと思い喜ぶのか。私の喜びは何処から?

成績が上がるのを子に望む親なら、成績上がれば嬉しい
礼儀正しきを子に望む親なら、礼儀正しくなれば嬉しい
研鑚会へ行くことを望むなら、研鑚会へ行くとなれば嬉しい
自分が正しいとか良いと思うことが実現すれば嬉しいという次元ではどれも同じかな。

「本当の社会」とか「本当の生き方」とか言うけど、ホントウに「本当(真実)」に関心あるのかな? そこをメインに暮らしているのかな? あまり関心あるように見えないけど・・・。
あまり関心ないのに 実用・実現する筈ないと思う。

Category: < 世界革命 > | 2008.04.19 Sat 09:00

本質的なものに重点をおく 1

実名をあげた方が、グッと現実感でるかな・・・
M さん T さん S さん O さん K さん T さん etc.・・・
自分のための稼ぎ働きではない人ばかり。
・・・・けど、現象面を見て、自分の中の良いという思いで決断・判断し、自分が良いと思う状態だと喜んだり評価したり・・・
この人たちが、現象面よりも本質的な方へ重点いけば、いくだけ、それぞれの持ち場の実態が全然違ってくる。(この社会実現はこの途しかないよね)
「本質的なものに重点をおく」って、なんだか人任せ?自分がやることだと思っていない。どうすることか分からないから?
でも、ここをやらない限り、現象で喜ぶ感人種の乱造だよ。特に他の人に関わる役割に就いている人は・・・。
重点、関心、着眼点・・・って、そこに置こうと置こうと強く思ったって置けるものではない。
やはり、調べて、調べて、目的・狙い・理想・本当・・・自分の中を研鑽。
自分の中で重点を置くところが変わっていくもの。変わっていくというよりハッキリしてくるのかな。今はハッキリしてないのだろう。
現状は、その人がやろうと思うことをやっているのだろう。
こちらから見て「本当にやりたいこと、やろうとしてるのは、そこじゃないだろう」と言いたいけど、それを言ってしまうと分からなくなって固まってしまう・・・?。
まあ、各々、ご自分の抱かれる理想社会を目指しての活動以外ないんだけどね。

さて、本題の「本質とは」なんだけど、言葉で云えば、あまりによく知っているよく分かっているというヤツだ。そんなによく知っているよく分かっているのに「なぜ日常生活でそこに重点を置かないのだろう?」と、こちらから見ると不思議でならんのです。

Category: < 世界革命 > | 2007.11.20 Tue 00:00

「普通観」 っていうか・・・

普通の会社 普通の住まい 普通の学校・・・
会社・住まい・学校といっても、特別なものをやろうとしているわけではない。
普通とは、当然・自然・元々・元来・本来・正常・本当・真実・真理即応・・・
無所有とか一体とかヤマギシズムとか研鑽とか言っても言わなくても、それは普通の人間の普通の社会のこと。

自分は何を普通としているか
自分の考え方や活動に特別な価値付け意義付けをすることによって力が湧く人がいる。それは、何か特別の思いで特別の事をやる意識の人の集まりにしかならないだろう。
「怒りや争いのない全人真の幸福」は特別なことではない。
(例えば、動物の体は水よりも軽く、泳げるのが当然で、普通に泳げる人から見たら、泳げない人が如何にジタバタしているか、よく分かる。逆に泳げない人からは泳げる人が 「スゴイ」と見える。)

普通の人 普通の社会
自分の頭の中のもので、正しいとか、事実だと、キメツケられないのが普通の人間だし、人にやらせたりやめさせたりなんて当然できないし、誰々の物だからと使用を禁止するなんてできないし、できないことしようとしないのが普通だろう。
普通は、束縛・押し付けや無理がなく、自由・平等で明るく豊か。

普通の会社・住まい・学校をやれる人になって、やろう。
あえて力説することでもない、会社・住まい・学校をやろう。
それは、旧来の社会・世の中が、普通へと ヒックリ返る(革命される)こと。
普通の社会を遺し、引き継ぎ、贈りたい。
自分の中にある普通観をベースに生きているということ。
どんな社会(世界)に立って生きていこうとしている毎日か?。


 本当に幸せな社会に立って生きていこうとする毎日かどうか振り返ってもみると、いろいろもっともっと究明しなければ、人の中へ行けないと思う。
 信仰と研鑽、協同と一体、男女夫婦のあり方、など。宗教の問題もこの理念からいった方が早いと思う。
 どれ程早く真理即応の、仲良く楽しい、よりよくより正しい生活が出来るか考えていったら難かしくないと思うの。いきにくいと思うそこに観念なんかがじゃましてね。「いけるかい」と、そんな観念から人ごとになってくるもの。
 真理に即応する現在唯今それの連続かと思う。
 社会に拡げる前に、自分自身が間違った生き方で苦しみ路頭に迷わすことになっても大変だし、案外この真理即応でいけば簡単にいける。いけるのが当り前や。・・・・
     1960.7.21 第一回 ヤマギシズム理念徹底研

Category: < 世界革命 > | 2007.09.09 Sun 12:00

現状そのままで

「現状そのままで」とは、現状社会の肯定ではない
破壊や撤去、損失や犠牲が要らないということで、人心および社会を根本から画期的に大転換して、混乱なく世界革命が遂行されるという意味を持っています。

「現状そのままで理想社会に生長する」という言葉に魅力を感じる人は多いだろう。
しかし、受け取り方によっては、既成社会の中で心持ちを正して、仲良く協力し合えば、理想社会が訪れるかの如く、幻想的な甘い考えで幸福運動をやっているつもりになって、自己満足に浸っている人もいる。
社会を良くするとか社会気風を醸成するというと、精神面のことに偏よる人が多いですが、・・・
社会機構を革新し、→ 社会気風を改善して、→ 物心共に豊かな理想社会を創り、→ 人類の幸福を最終目標としておりますから、・・・
世界革命実践の書 まえことば より   ・・・という順序があるように思う。

無所有とか一体についても「これが本当だ」となる前に(ならないように)研鑚を実現することだと思う。
私たちが用いる「研鑽」の言葉から行くと、研鑚社会とは「キメツケのない社会」「本当はどうか調べつづける社会」という意味で、
「キメツケなく本当はどうか調べつづける制度・機構・運営」とも言えるだろう。
先ず、そういう社会を実践しつつ、そこに顕われてくる実態。
社 会 構 成
義務や責任を負わせない
禁止や強制がない
許可や承諾が要らない
統制をとる必要がない
家計はあっても囲いがない
一つにしたり一致させる必要がない
心 理 的 方 面
怒りや疑いがない
遠慮や気兼ねが要らない
優越感や劣等感がない
差別感や上下感がない
私有占有がない
損得勘定(感情)がない

現状そのままで、無所有一体研鑽社会化の実験。
研鑚社会と既成社会との違いは、現象面では見えにくい。
研鑚生活する人が研鑚社会の構成員であり、その都度その都度、研鑚社会の構成員かどうか、その人次第。
「一つ財布」とか「生活調整機関」とか「一体経営」等を設けなくとも、実現されるヤマギシズム研鑽社会の実態。

現「研鑚ライフセンター会員」約100名およびその家族。その他、長年 ヤマギシで暮らした知人数十名。鈴鹿に来てからの関係者多数。
右の画像をクリックして拡大表示でご覧ください。⇒⇒⇒
地図の中は四十数戸ですが、もちろんこの周辺にも多くの会員宅があります。
距離感の目安としては、研鑚会場~as one㈱が、200m弱です。

Category: < 世界革命 > | 2007.08.26 Sun 07:00

研鑽ライフホームの実態

1.研 鑽 ラ イ フ ホ ー ム 概 要
<真実の世界> Ⅰ
 各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会
<昼の世界> Ⅱ
 枝葉・末節・表層のみに捉われないで、根源本質的なものに重点をおき、全体総てを明るい真昼の状態にします。
 政治・経済・社会・家庭等人類のあり方凡てに亘り、現状その侭で陽的に、愉快に、案外容易に、恰も暁に陽光が及ぶ が如く照らし出されて、明るい昼の世界が実現します。
<豊満な世界> Ⅲ
 物が泉の如く無限に出来て、水のように低い欲しい所へ自然に流れて来る仕掛けにし、心の面でも、安定と満足に暮らせる社会を目指しているのです。

2.研 鑽 ラ イ フ ホ ー ム 構 成
<研鑽会>
幸福な人生・快適な社会を実現するために、日々、研鑽会を行ないます。
 現状を指して「何故なのか」「どうするか」といく前に、自分・人・物事の事実・実際をよく観る研鑽。そして、「幸福な人生とは?」「快適な社会とは?」と、目指しているもの・本当の目的・真実を知る研鑽。

物事や人の言動についても、結果や表面的なことに捉われないで、本質的な中身に重点をおく研鑽。「実際はどうなのか」「実際はどうなのか」と、善し悪しもなく、解き明かしていくと、成り立ちがよく見えて、事態は変わらずとも、問題視は氷解し、展望が開け、現状その儘で、明るい爽やかな明日の姿が描けてくる。

そうして、自分のこと、人のこと、家族のこと、仕事のこと、家計のこと、過去のこと、将来のこと、人生万般について、話し合えるようになり、自ずと自他の隔てはなくなり、狭い自分の考えにとどまらない、多くの珍案・妙案・アイデアが寄り、和気藹々賑やかで暖かい気風みなぎり、人も物もお金も仕事も家庭も凡てが溶け合い通い合って、豊かに楽しく暮らせる社会が実現していくのです。
 毎日でも寄りたい研鑽会、日と時間を決めて、たやすく寄り会える場所で行ないます。

<メンバー>
 「研鑽ライフホームメンバー」とは、文字通り「研鑽人生の道」を歩む人、自らの「研鑽人生プラン」で暮らす人をさします。
 研鑽ライフは、一人でやってもよいのですが、周囲との違いのために消極的になったり、焦点がボケたりすることもあるので、同じ思いの「メンバー」がいつも寄って相談しながら暮らすことで、そうすることが研鑽ライフの大道となり、それぞれが道標となり、研鑽ライフというものが誰にも解り易いものとなります。
 自らが研鑽生活するということにとどまらず、「メンバー」が寄ることで、誰もが研鑽ライフに触れることができ、自分を知りながら、研鑽ライフの道に乗れるキッカケの役目を果たすことにもなります。

 しかし、研鑽ライフの軌道から横道にそれたり、研鑽ライフプランを見失いそうになった人は、一旦「メンバー」から外れることもあります。
 現「メンバー」は7名程だそうです。また、研修生コース・日常化レッスン等で「メンバー」候補続々誕生とのことです。
 「メンバー」は相互認証によって選ばれますが、どういう「メンバー」で研鑽ライフホームを構成しているか、研鑽ライフセンター会員などには、その都度公表していくという案は、いかがでしょう。

Kensan ・ Life ・ Home(2007.05.17)参照
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