研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 精神革命 > ――
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Category: < 精神革命 > | 2006.01.23 Mon 10:25

メモ(生涯学究制の充実)

知能、知性、知恵など、なぜ「知」という文字を使うのか知らないが、
人間にとって「知る」ということは、とても大きいことだろうと思う。
他の動物の場合も、栄養になる食料や、安全な住み場を知って行動しているのだろう。
「知る」ことによって、行く先や方向を自分で定めることができるのだろう。

人は、知らず知らずの中に、理から外れ、人間らしくない状態に陥っていることが多いが、
「本来の正常な人間像」を知れば、自ずとその方向へ進み、そうなれるもの。
例えば全く未知のものに出会い、初めて知れば、「ああそうか」と素直に「知る」だけだ。
しかし、「本来の正常な人間像」を「ああそうか」と素直に「知る」ことができない人がある。
「本来の正常な人間像」を「ああそうか」と素直に「知る」ことができる人が欲しい。
そういう人同士の話は早い。何事にも通じて、すーすーいける。

「知る」ということは、すぐにそういう人に成るということでなく、先ず素直に「知る」ということ。
「ああそうか」と、素直に「知る」人はよいが、そうでなくて、いろいろと自分の考え(思い感情)等が出てくる人は、「知る」という前の準備が要ると思う。
「知る」状態になっていないと、「本来の正常な人間像」に出会うこと自体、逆効果になることもある。

研鑽セミナーや、予科、本科、専科、という順に素直に知って、その方向に進める人はよいが、
「知る」ことができない人用の「知る」前準備としての方法が要ると思う。
予科、本科、専科という課程で、生涯学究制を設けていきたいが、現状の人に応じて、それ以外の行程や方法など体制を逐次整えていく必要がある。

「知る」ことができる人になって、それから生涯学究制本来の「知る」課程に入れる。
紛争苦悩や思い込み信じ込みは、人間を知らないことから来ていると思う。
これらの解決・解消のために何に力を注ぐかだと思う。
だから、人間を「知る」ことが先決だが、素直に「知る」ことができない状態にまで病んでいる人間には、「知る」ことのできる状態、人間としての元々の状態に復帰することが先ず第一に必要と思う。

Category: < 精神革命 > | 2005.11.07 Mon 09:49

「・・・は一日にしてならず」 というか

「稲の稔りは土中にかくれた根にあり」
「鶏の産卵は腹中の消化器にあり肉眼にみえぬ染色体にあります」
「目に見える部分よりも、形の無いものに本当の価値があるのです。」

こういうことが当たり前の中で、育ち暮らして来れば何でもないことなんだろうけど、
長い間、目に見えるものや感や情を主体で来ていると、こうなるのに一朝一夕では行かない。

①それには先ず、自分の思いをはさまないで、物の成り立ちや自分の成り立ち、存在や変化そのものありのまま受けられるように・・・。(そうなる為のキッカケとその後の方法・レッスンが要ると思うけど)
②そこをベースに、本質的な視点・観点・感性・感度など引き出され、観察力や思考力が育つと思う。
③そうなって、初めて、理念や真実のあり方や具現方式が役立つのだと思う。
人のことも、社会のことも、凡ゆる物事について、本質的に考え行えるようになるのが先決。

自分の身体・思考・感情・言動・生活全般の組成・構成を知るは格好の練習台。

急いで、はしょっても、ならないし、急ぐ必要は何もないし、その道を通るしかないような道があり、自分から道を外れないで、ただそこを通るだけだと思う。

Category: < 精神革命 > | 2005.11.06 Sun 09:48

「錯誤」しているという自覚

【錯誤】の意
① まちがうこと。まちがい。誤り。
② その人の認識と客観的事実とが一致しないこと。
③ 民法上、意思表示をした者の内心の意思と表示行為とがくいちがっていることを表意者自身が知らないこと。

  (例えば、英和辞典を買うつもりで、気づかずに和英辞典を買うなど。)

チョンマゲ時代のことを聞けば、何故あんものしてたんだろうと思う。
でも、今の時代にも、いっぱいあるチョンマゲに代わるもの。

遠慮・気兼ね・寡黙・ひっこみ思案は狭い自己世界、自分の感性に自信がある人。
感動しやすいタイプは自分よりで、そのものありのままに対する感度が鈍いのかも・・・。

事実の世界は、一体だ、誰のものでもない、みんな繋がりの中で生かされている、と思っていても、自分の心の現われ言動が、くいちがっていることを知らない。

つまり、「錯誤」というのは「思い違い」ってことかな?
初めから違った思いをしてる人はないのだから、わざわざ実と違う思い方しなくてもいいのにね。
思いを直すよりは、先ずは、あれこれ思わないでいられたら、わざわざ間違えなくていい。
あれこれ思わないで暮らせる人はラク。

Category: < 精神革命 > | 2005.11.03 Thu 09:47

「知らない」自分という自覚

○○さんって知ってる? ○○という芸能人のスキャンダル知ってる? ○○であった事件知ってる? ○○の作り方知ってる?・・・ 「うん、うん、知ってる、知ってる。」
果たして、いったい、何を、知っているんだろう?
テレビなどで見たり聞いたりしたことが、自分の口から、すらすらと出てくる。私は見たから、聞いたから「知ってる」ということか?
その実は知らなくても、知った気になっている、知ってると思っている

①知らない自分を知らない・・・・自分は知っていると思っている。
②できない自分を知らない・・・・自分はできると思ってやっている。
③服を逆さに着ている自分を知らない・・・自分は普通に着ていると思っている。
 ----この場合、人から指摘されて着直したとしても、自覚とは関係ない。
④願っていることと逆を向いている自分を知らない・・・・自分は願っている方に向かっていると思っている。

自分の実状を知らないで、自分の思いに任せて、やろうやろう、なろうなろう、としているのかな。

③の例なら誰の目にも明らかな滑稽な姿だけど、それ以外に、みんなもそうしてる、自分も気付かない(悦にいって、気を良くしている)滑稽さ・・・些細な日常生活の隅々に、いっぱいあると思う。
気分が良くて楽しいと、覚醒剤のようなものでも良いことしていると思いがち。

人間らしい人間になるために、始まりは現状の自覚から。

Category: < 精神革命 > | 2005.11.03 Thu 09:46

「思っている」「・・・つもり」という自覚

私は「知ってる」「分かってる」つもり。
「知ってる」「分かってる」と思っている。

「知らないこともある」「分からないこともある」と言う。
つまり、「知ってることがある」「分かってることがある」ということか。

「知った」「分かった」「知ってる」「分かってる」とは、どういうことか。

例えば、「感覚主導」とか「自覚がない」と聞いて、
だから、どうなのか なぜ、そうなるのか それで、どうするのか ・・・と、
それについて意見を述べたり、原因をさぐろうとしたり、反省したり、行動しようとしたりする。つまり、すぐにその次へ行こうとする。
それは、もう既にそのことを「知ってる」「分かってる」つもりになっているからか。

原因・反省・改め・実行 に移るということは、既にその意味を
「知ってる」「分かってる」と、自分の中でなっているからか・・・・


幸福を知らない自分を知らないで、幸福になろうなろうとしている
聞くを知らない自分を知らないで、聞こう聞こうとしている
一つを知らない自分を知らないで、一つでやろうやろうとしている

Category: < 精神革命 > | 2005.11.01 Tue 09:45

感覚主導という自覚

自分の身に絶えず作用している気圧や重力など感じることができない。
地球の自転や公転も、地表が球面であることも感じることができない。
身近な人には自然死でも深く悲しむことがある。
遠くで多くの人が悲惨な死に方をしても、さほど悲しみがない。
自分の体内のことでさえ異状を感じないから大丈夫とはいえないもの。
そこで、「感覚」とは、「感情」とは、どういうものかとの認識が始まる。

現実を見てみると、
食べるのも、着るのも、行動するのも、是か非かを決するのも・・・、
選択判定の基準は「感覚」で、行動の原動力は「感情」か。

いつも「感覚」が最前列に居座って指揮をとっている

Category: < 精神革命 > | 2005.10.17 Mon 09:42

自覚のない自分を自覚する

人間にとって最も必要な自覚の始まり。

この世に、嬉しい出来事とか、悲しい事とか、感動するような光景・作品・行為なんていうものは存在しない。つまり、美しい景色とか、美味しい食べ物とか・・・。
感情は、人や物事に対する反応ではなく、自分なりに認識し捉えたものと自らの内にあるものとの自己反応だと思う。それを、物事に対して反応しているのだと捉えがち。

自らの内なる自己反応。思考も言動も自らの内なる自己反応。意識を伴わない日常生活行動など、食べることも、歩くことも、話すことも、働くことも、・・・。

そういう自覚のある人と、自覚のない人との違い
例えば、事故が起きた、値上がりした、あの人がこう言った 等々、捉えた自分の中で、どうなっているか(自己反応)。事実かどうかでなく、事実は事実でいいんだけど。

飲食する、衣服を着替える、トイレに行く、人に声をかける 等の生活行動を 自然な行為だとか、自分に合った無理のないパターンだとか、或いは人や物事に対して反応しているんだと思いがちだが、ジツは、実は、その人の持っているものが、ハッキリ現われているのだから・・・。自覚がないだけかなーー。
共に暮らしたり、話したりする中で、そういう自覚のある人と、自覚のない人との違いは大きい。

Category: < 精神革命 > | 2005.10.14 Fri 09:41

私は、なぜ? という問い。

生涯学究で、「何故?」という問いで調べることがある。
生涯学究での「何故?」は、「私は、なぜ・・・?」という問い。

私は、なぜ・・・? と問うても、
 誰かに返答をしようと、知識・経験など、知ってることを羅列して説明・納得する人や、
 そのことを分析して、理由や原因を突き止めようと、考える人がいる。

私は、なぜ・・・? という問いは、私に尋ねることであって、知っていることで理由を説明したり、原因を考えることではない。
自分に問う(自問する)ことが仲々できない人がいる。すぐに知っていることが出てくる。頭で考えて返答しようとする。 
自分に聞いてみて、自分の中から何が返ってくるか。何も返って来ない場合もある。何を問われているのかさえ分からない場合もある。

自分に尋ねてみて、自分の中から返ってくるもの、それによって自分を知る。
あれやこれやと考える前に、知識や経験で何かを知ったつもりになる前に、先ず自分に聞いて、今の自分を知る。人間にとって最も必要な自覚の始まり。 

Category: < 精神革命 > | 2005.10.09 Sun 09:40

今日から予科課程

今日からの予科課程 今までになく参加者が多いみたい。
どうしたことだろう。今年の始めころは参加者が居なくて、開催休止したことも何回かある。
生涯学究 予科課程・・・・研鑽体得 予科課程 としてやろうとしている。

研鑽体得 やはり、研鑽そのもの、ヤマギシを知って、20年、30年、研鑽と呼んでやってきても、研鑽そのものが、さっぱり!という実情もあると思う。
特講・研学すら体験してない世間の人より、ましか? いや、そう云えるかな?
研鑚には、あまり関心がなくて、「自分がいいと思うこと」をやっている。それが実情かなー・・・・。
「自分がいいと思うこと」をやらなくて、いったい何やるの? それのどこが間違っているの? という実情かなー?
研鑚生活とか、研鑚社会とか、今からホントゼロからのことのように思う。

Category: < 精神革命 > | 2005.08.23 Tue 08:37

人間の考え (自分の考え)

「人間の考え」という響きは客観的であるが、またその反面、よそごとになり易い。
「人間の考えの不確かさ」とか、「人間の考えの傲慢さ」などを取り上げる場合、その実態を知るには、「自分の考え」に焦点を合わせることだと思う。
人間が「人間の考え」に自信を持っている、そこから来る「人間の考え」主導の営み。つまり・・・、
自分が「自分の考え」に自信を持っている、そこから来る「自分の考え」主導の営み。しかし、この自覚がとても薄い。
「人間の考え」とは、どういうものか、を知ることと同時に、今に至る人間界の営みは、どのような「人間の考え」によるものか、検証することかと思う。
「人間の考え」の状態や作用を具体的に調べていくということ、それは一般論ではなく、実在する「人間の考え」を調べることであって、
「自分の考え」の状態や作用、「個々一人一人の考え」の状態や作用を調べることだと思う。
実在する「人間の考え」は、どのようなものか。
それは、今の「自分の考え」が、どのようなものかを調べることから始まる。
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