研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 一特別解説 ――
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Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 18:00

1 本書を読みとり兼ねる人に

 本書は普通の養鶏書として読むと、非常に難しく、余程高い読書力を持ち、理解力のある人が、熱心に意読しないと、完全に読みとれないでしょう。
 したがって、本養鶏法の真髄も掴み得ないから、完全な養鶏を営む事も不可能です。
 本書を完全に読みとり、本書に盛られた真意を会得して行うなれば、養鶏そのものに成功するは勿論、家庭も社会も人生問題も、凡てが、自から解明出来ます。
 難しくて解らない人が、完全に読みとる方法は、毎月の研鑽会に出て、一句一節を輪読し、その真意を会員間で検討した方が、素読十回するよりも効果的です。
 忙しくて読む暇のない人も、研鑽会に出ることで、研鑽会に出ることによって能率化して余暇が生じ、研鑽会に出ることも、読む時間も充分に生じて来ます。

Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 17:00

2 この養鶏法を批判する人に

 この養鶏法を批判又は非難し、或いは成功しかねている人達に忠告します。
 私は「見ずして行うなかれ、行わずして云うことなかれ」と前編にも警告して置きましたが、世の中には、見ずして、又は行わずして、間接的な聞きかじりや、断片的な資料や、真髄を知らずして、兎や角云い度がる人や、一端を行って失敗(一時的好調でも永い目で見た)する人が多いものです。そしてそれは一つも例外もなく的が外れていることです。
 早計・独断の軽率さを暴露し、その人の人格や程度の低さを示し、有形・無形の損失を自ら招いています。
 英語を解するには、英語を知っている人でなければ出来ず、トマトの味は食ってこそ云えるが如きでしょう。
 如何に頭脳と経験に自信のある人でも、想像や、推定で決めない事で、綿密厳正な比較実験を経ないで断定してはいけません。
 この養鶏法は、人類一体を真のあり方とし、全人幸福親愛社会の実現を目指すもので、ヤマギシズム社会観に立って見ると、容易に理解し、その線に副ってこそ成功するのです。
 自分のみの幸福を願っても、それは終局に於いて絶対に成り立たないとするヤマギシズム社会原理から知る事が先決条件で、一見廻り道のようでも、その方が近道です。
 個々人主義を肯定して観察し、又は行っても絶対に判らなく、批判も結果も誤ります。

Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 16:00

3 現状に満足している人に

 今更そんな養鶏を知らなくとも、現在それ以上立派に飼えてあると思う人も果してそうであるか、自惚れでないか、永続性があるか、どこが違うか、より良くより高く向上するために、比較検討することも無駄ではない筈です。
 昔からこうして成功したとか、誰でもがこれでやっているからとか、自分には合わないから、或は充分儲かってあるし、自分はこれで何不自由なく幸福そのものだと思っている人でも、意外な欠陥を発見したり、無駄骨を折っていることがあります。
 設備もあり毎年 100%育って一度も失敗しないし、そんな面倒な原始的で幼稚な、不安定な、技術のいる堆肥熱育雛等を習わなくとも、熱原費も僅かで、便利がよいと独り決めして、雛から鶏舎・自宅迄焼いた人が方々にあります。
 又一時的現象を見て、狭い育雛枠で日光・運動不足で、柔かい餌で、点燈等して、薬迄使って、 100%育ったと自信を持ち、中雛・初産・老鶏迄の落伍鶏の多い、低能率鶏(飼料利用率の低い)の赤字鶏に育成して、よい気でいる人も随分あります。
 親がこの鶏種で財産を拵えたからとか、この鶏種はどこででも飼っているとか、純粋種だ、奨励品種だとか、飼料面でも、根本的な、鶏そのものを誤って、機械や試験管なみに観るから、生きた環境適応性の強い鶏に、合わないことは当然で既成栄養学等は、根底から覆えされるものを、すでに黴臭い分析表と首引きで、グラム何、コンマ幾何と、如何にも科学者気取りで、前世紀の遺物になろうとしている人もいます。
 空気や水や草や塵芥が、卵に変る自然の根本妙手を知ろうとしませんか。水爆の出来た新しい時代について行こうとしませんか。
 適温問題にしても、温度計が何するものかも知らず、空中水分も、生きた鶏の欲求適温も、爾後一生の外気対応体質造成の点も忘れた観方に、根本的間違いがあり、 100%育ったからそれでよいでは、高度精密人為自然科学実用養鶏の前に影が薄れる道理です。
 計器・数字でないと夜の明けぬ粕理屈屋は、夏日、羽根を拡げ、暑さに口を開けている鶏と、温度計とを並べて、旋風機で風を送ってその変化を観察することで、データー、データー何がデーターかよく検べることです。
 鶏の好む温度は鶏に聞くことで、温度計に聞くとはお門違いでしょう。
 昨日は今日ではない。古い学説や、部分科学の半端者に捉われていては遅れる。取り残される。進んで止まぬ綜合哲学的に、物を観ないとだめですよ、です。
 そんな難かしい毎日進む高級養鶏は、頭の弱い、忙しい農家には向かないと逃げ出すのは早過ぎます。
 こんなに複雑精細な養鶏法が、素人の誰にでもやれる方法があるのです。
 その方法と云うのは、毎月半日を割いて支部研鑽会に出る丈のことです。
 共に研鑽して時の最先端を行なうのみです。学資も謝礼も要りません。ただ要するものは親が子を愛すると同じ親愛の情です。自分だけ覚えたら出席を止めて、後を教えて貰えぬと腹を立て後かまわずに離れるでなく、後に続く人々に、自分の持てる凡てを”かつて自分が受けたように”与えて、与えて、与え尽くす愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。私の持っているなけなしのものも、早く貰って欲しいです。貰って怪我や食傷せないよう、真の人間らしく早く成長して欲しいです。成長に応じて差上げます。人と人とが、権利よ義務よの法律のみでは円滑な感じのよい社会生活は絶対出来ないもので、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです。
 組合や会を造っても、この精神が欠けていたならば、却って物欲の突張り合いの場ともなるでしょう。
 多くの会や団体が破綻するのは、寄る時の理屈・勘定はよいが、この団体を愛し、会員を愛し、真に自己を愛する相愛の精神が足りないためです。
 自分のみのためにと、取り合っていて、よくなる道理はありません。
 凡てが共生の世界で、稲や鶏の生物は言うに及ばず、機械や道具等でさえもその機能・生態等をよく知り、無理使いなどして傷めつけないよう、大切に愛して、その持ち味を最大に生かしてこそ、人間も亦良く生きられるわけで、愛する心を失って、使い倒し、取り切ることのみ考えていては、機械は壊れ、鶏は病気になったり、働が鈍り、損失は吾が身に還って来るのです。心の繋がる堅い団体を造り、仲よく愛し合うこそ、真の養鶏を発展さす方法です。
 一切の争を起さず“仲よくやりましょう。” 1955,6 10   山岸 巳

Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 15:00

4 頭の悪い人のために

 学歴があっても、なくても個々人主義の、頭の悪いのにはこんな簡単な原理が解らぬので憐であるし、困るのです。
 もともと頭が悪いとか、考え方が間違っているとか、病弱な人又は悪行為等をする人に、そのひと一人に責を負わしてはいけません。
 左様な人が生れた原因、左様に育った環境を、具さに追求しますなれば、凡て全部、親の親の親の繋がる人類全体に因を発し、行為を起さした周囲の社会全体に欠陥があったのですから、かような人を出さないよう、社会全人類が他人事とせずに努力を傾けることです。
 山岸養鶏では(技術20+経営30)×精神50と、精神面を強調するのは、鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋りを知る精神であって、自分一人よくなろうとの精神では、養鶏も絶対に成功しないとの原理精神のことです。
 何も修身や修養や道徳を云っているものでなく、寡欲高潔な所謂人格者でないと鶏が育たぬとか、卵を産まないと云うのではなく、又社会奉仕をせよと強いるものでもなく、この場合の精神とは、大いに儲けて、永久に養鶏を栄えさすために、必要で欠く事の出来ない、一番先に知らねばならぬ根本精神の事で、他の養鶏法は兎も角、山岸養鶏はこの精神が欠けては、絶対に成功出来ない仕組みになってあります。
 自分さえよければ、又はわが家・わが村・わが国をと、国家個々人主義に出発した対立精神は、絶対に永続性がない原理を知り、人間生きて行くには一人立ちは出来ない、自分一人離れたものでなく、世界中の人と相繋がる自分であることを意識し、相共に栄える社会愛社会の一員であることを自覚して、養鶏する精神を云うのです。
 人の厄介にならなくとも、自分は自分でやって行くから、かまって呉れるな人の事は見殺しで見過ごす個々人主義では、必ず行詰まる日が来ます。全世界の人の知識を皆と共に集めて、皆と共に繁栄しようと云う精神を云っているのです。
 解り易く云うと、永久に儲け続けて行くには、自分一人の知恵や考えでは限度があり、他から取り集めるにも、自分一人で絶えず探し求めたところで、労して功少なく、よし専売特許的なものを得たとしても、一時的には栄えても、又その上その上が現れて永久に優位は保ち得ず、狭い自分の経営範囲でそれを利用するよりも、世界全体の養鶏に活用した方が、その効果が幾層倍かに現われ、自分の持った知恵や技術が最大限に生かされ、世界中の富が増進し、自分が及子孫が、世界中の人(相棒)の住む社会が豊かになります。
 知恵も技術も世界中の人のものであり、世界中の人のために最大に役立たすことで、これが最も大欲で自分を大きく生かし、生きがいを楽しむことになり一番楽しい人生です。


 多川柿   奈良の多川という柿の先生が、柿の優秀品種の接穂を冷蔵庫で沢山貯蔵して置いて、老躯・病身を厭わず、その接穂を持って、各地を自費で訪ね廻り、実生樹や劣悪柿樹の接換をさせて貰っていました。無論タダです。
 私の方へも来ました。その時私は云いました。「あなたは欲の深い人ですね自分の柿畑で足りないで、そんなことして日本中多川柿を接いで廻り、多川が死んでも柿に多川を生き続けようとは執念深い男だね」と「その通りです。よう接がして呉れました。有難う。」とお礼を云って、何か置土産までして帰りました。
 こちらは接がして上げて、御礼迄貰って、憎くまれ口たたいて、一言の御礼も云わないのです。
 私にして見れば、多川の素晴らしい技術と、その精神を永久に生かさして、彼氏に喜びを与えたのであるから、御礼を云って貰うことは当然で、常識外れで、時機外れの柿の接穂から、昨今いきいきと青い芽をふき出したから、やがて来る年には熟れる柿の実に、広く、永く、多くの人々と共に、多川の味を思い浮べるでありましょう。


 山岸の本領    大したものでもなく、用い方によっては他を傷める山岸養鶏にしても、何程かでも役立つなれば、そこに山岸が生かされることを思えば、御礼の一つも云い度くなります。
 ただ念う事は、自分(近い周囲も)のみの儲けに利用されないようにと思うのです。
 しかも山岸養鶏等と名付けられて居ますが、全部皆他から受けたもののみのデッチ上げで、私のものは一つもありません。私の生れる以前からあった山岸という符牒も、いつどんな人が付けたものか、身体も心も物の考え方や能力も社会関連により両親を経て受け継いだものや、周囲から与えられたものに過ぎなく、幾多先輩の業績を継ぎ合せ、鶏や自然に教えられ、受けた頭脳で考察、発案し、組合せたもので、こうして全部社会・周囲から受けたものを、凡て社会に提供利用されることは、当然の帰結だとしています。
 これを後の人に伝えず、自分で停滞独占して、狭い自分のみの経営で、五万十万に用いて、何百万円を掻き集めて、貯金して通貨異変を心配したり、威張る子女に養育して不幸に一生を暮れしめるよりも、薄く共広く、多数の鶏に活用される方が大きいと思うのです。微力でも本当に良い社会に使われ度いのです。


 怒る人は御免    それからヤマギシズム社会では、凡ての事は心底からの理解に俟つ事としているから、怒ることがなく、山岸会正会員資格者は絶対怒らない事になってありますし、相寄って来る多数の人は怒が急激に少くなっていますが、技術のみの取込みに急な人達に限って、一番肝腎な根本問題を嫌って、都合のよい時だけ同調して置いて、何かの事情で腹を立て、親愛社会への反逆妨害をします。
 私は全部を惜みなく出し度いのですが、今の世相では、豹変し、怒る人が多過ぎ、一を取れば二を求め、求める方は技術に偏よって際限なく、その先々を考えると、その人をも不幸にする事がよく判りますから、先ず一端を出して、もっと大切な事に気付かれる日を待っています。
 怒る前に話し合えば怒が生じないものを、そして状勢を見て適当な時機に適当な事柄を、会を通じて発表するつもりです。


 技術を小出しにする理由     山岸養鶏のホンの一端である、一番簡単な育雛を出したのみで、こんなに急速に普及しましたが、私及山岸会が幾多技術を持ち乍ら、これを一般に公開せず秘匿し、又は一部の人にのみ伝えていることは、一見矛盾しているように見えましょうが、今の社会には、以上の原理が解らず、自分の持っているもの(知恵も技術も)は出さず、他から得たものも自分のみ(自分の身に近い周囲)の儲けに利用する人が多く、他より多く積んでも積んでも物足らず、世界の蔵に貯えて置いた方が安全なのに、自分の蔵に貯えねば安心出来ず、泥棒や減る心配の種を積み重ねることは、当人も哀れですし、社会も取り合い、睨み合いの間違いから一歩も前進せず、却って、親愛社会にしようとする私共の活動の障碍になりますから、人を見て伝えているのです。
 われ、ひとと共にと云っている人でも、その行いを仔細に検討して見ると、今日(1955)では自分の周囲や自分の国程度の人が大部分で、この考え方で、この考えをどこまで拡大しても、救国とか民族とか云う対立国家意識や、個々人主義から出たものは、根本的出発点から間違っているから、絶対に良い社会は生れず、かような人に何程秘術を与えても、その上、その上を欲求し、取り込む事ばかりに血眼となり、ますます真理を見る目が眩みます。
 先づ自分を、先づ自国をかためてからの出発でなくて、先づ全世界人類全体のための立場から見ての、今日、唯今の行いにならねば、全部狂った結果になります。
 世界全体から見て、低い所から低い国から引上げて行く事で、日本人であるから日本からでなく、世界の中に日本のような物心共に乏しい国があることは世界の不幸であるから物心共に引上げねばならないのでしょうに、物の面のみ先に引上げられては、心の乏しさは却って引上げが難くなり、物を豊かにする方は割合易いが、心の貧困を豊かにすることは容易であって容易でないから、物心併行して引上げるために、心の引上げに努力が必要で、それを強調し、その社会愛社会精神を基盤にした養鶏でなくては、如何に卵肉が増産されても、我一人の醜悪社会の延長に過ぎないでしょう。


 これをこの農業養鶏に当て嵌めて見ると      養鶏界も需給の関係や諸種の条件が毎日動き、或る年は利益があるが、年によっては大体不引合の事もあり、不引合と云っても何割かは残り、非能率的なものや、経営条件の劣るものは淘汰されます。農家は、養鶏のみが専門でないから、経営規模も技術も養鶏知識も乏しく、他の農作業に力を割き、技術の研究に或は購入販売に没頭する訳には行かず、前進々々と事態に機敏な専業家について行けず、養鶏界不況にたちまち打撃を蒙り、損して止めるのがオチとなります。
 そこで、その乏しい農家が落伍せないで繁栄する途は、相共に協力し、励まし合い、落伍する人を出さない組織が必要です。
 ところがこの組織を、個々人主義から出発した権利・義務の法制で運営するなれば、無味乾燥の事務的なものになり易く、法の監視を必要とし、監視の範囲のみの義務行為になり勝で、権利・義務の突張り合いで他よりも多く貯えようとする、取り合いの人の寄り集りになり、場合によると、共栄のために寄り乍ら、大穴が空いたり、紛争の場になり、悪感情を残す実例が枚挙に暇ありません。
 これ等は皆自己中心(自己所属団体中心)観から来る欠陥であって、こうした誤りを正し、自他を繁栄さすものは、実に全人一体観に立つヤマギシズム社会機構、及その精神に徹する人達の結合によらねばなりません。


 農業養鶏が苦境に耐え栄えて行くには      団体経営と研究団体が必要であり、親愛の情に繋がる団体でなければ成果は上らなく、個々に目先きの近欲を出し合い、謗り合い、我欲を出して、喧嘩する団体では栄える道理がありません。
 親和の場が他を攻撃し斗争の場になっては、個々の養鶏も成り立たなくなるから、仲良くするための精神、即ち会旨、われひとゝ共にの精神を、山岸養鶏では精神50と云って、必須条件にしているのです。
 仲よくするから繁栄し、繁栄するために仲良くやれる機構と精神を必要とするのです。
 一寸した間違いや誤解や不利に、直に眼に角立てたり、失策を怒り、罵しり疑ひ、邪推、断定するようでは自滅への直進であり、自他繁栄への逆車を押すことになりましょう。
 喧嘩別れにならぬよう、失敗させぬよう、真底から仲良くなるための精神を云うのです。
 それには対立世界ではなくて人類一体観から発する親愛協力社会精神でなければ絶対に成立せないのです。
 この精神と、無理をせない社会機構を具備するなれば、法律等は余り必要がなくなり、斗争のない明るい、住みよい安定した、快適社会が実現します。

Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 14:00

5 私が貧乏しているように誤解する人に

 私の今居る家が傾き、田が売られ、屋敷が草で荒れ果てる様を見て、貧乏して落ちぶれて行くように誤解する人があります。
 見兼ねて忠告する人、おそれて寄りつかぬ人、嘲笑する人、非難する人等、其他各人・各様の観方をして直接・間接に聞かされます。
 常識観念の抜けない人には、絶対に正しい理解が出来ない事は当然で、中には私の精神状態の平静を疑い、噂する人もあります。
 土地の人や周囲の人には、特に身近な者を除き、殆ど判らないです。
 言葉に、行いに、今の世人と相当の違いがあり、養鶏にしても、人に云うばかりで、自分で飼わないで、生活に困っているし、売れぬ本を書いて、無代で贈って損ばかりしていると心配する人もあります。
 漸くこの頃近所の人にも少々判りかけたそうですが、悪評紛々で、心を許して私に話しかける人は甚だ少ない現状です。
 代議士か何かに出るつもりなれば、これではダメでしょうが、土地の人にこんなに容れられなくなった原因は、矢張り地元のため(既成社会の云う)に盡さず、身に近い者も遠い者も同じに念う態度に対し、先方の甘え心と、私に弁明気分と、時間を持たぬためです。
 売れぬ本を、先入印税なしに、高い天分知性を持った未知の人が、熟読されると、判り過ぎる程判り、全面的に相一致し、何等言葉を交すことなくして、完全に堅く結ばれます。
 かような人は、矢張りその土地では容れられない変り者が多くて、よく調査してみると、例外なしに素晴らしい天才頭脳の持主ばかりです。
 如何に天才でも、自分がその境地に居らないと、現実、目のあたり草芒々の破れ世帯を見てからでは、観察が曇るらしいです。
 さらに足下の有形財産こそ、名誉こそ、最大のものと思う人にはどんなに説いても、殊更に判らないでしょう。
 足下の稲で十石穫るよりも、広大な田で無限大的の収穫を増し、小さい養鶏よりも、最も大きな養鶏をしているつもりですが、その意味が解りますかね。
 自分一人の仕合せよりも、世界中の人の幸福の方が大きいし、本当だと私共では真面目に眺めているのですが、こんなに決まり切った事を云っているのになんと簡単な算数の出来ぬ棒槍頭もあるものですね。
 大百姓の方が忙しく、大幸福の方が面白くて、土こねには向かぬヒョロヒョロからだで、狭い耕地を占用するよりも、身に合わぬ田畑は放して、最も安全な、誰にも盗られぬ、子孫永久に栄える、世界幸福株に乗り換えているのに、何が貧乏しているのでしょうか。
 「それは結構な理想ではあるが、現実はどうですか、何も無くなったらどうします?」と云う人は、大分進んだ物判りのよい意見だと、自分では思っているらしいです。
 併し私は自殺せない限り、人里離れた処で行き倒れない限り、死なされない事を知っています。又自分の仕度い放題の事をして楽しみ、遊び踊って(私の日常は踊り)悔なき生き方で、この途でならニッコリ笑って死ねそうです。
 私共のグループはこんな連中ばかりで、日々刻々に急速に大きな集いになりつつあります。
 老若男女の同類がよくもこんなに早く、多く、寄って来ることよ、です。幼少の子供を何人も持つ夫や婦も。
 金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧ぢない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾子ありです。寝食する間も惜しいです。
 幾万金積んでも得られぬ楽しい人生踊りを、僅か一編の売れない本から習得される、幾多の事実を前に、一冊百万円に売れたよりも嬉しい私共です。
 果して貧乏しているのか、寄って見て貰いましょう。そして大いに語り明しましょう。
[毎月16日夜幸福研鑽会] お便りあれ
 1955,6,13      山 岸  巳

Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 13:00

6 山岸三号種について

本種を会で採用した経緯
 人間の生活は一生を通じて、遊戯であり、私は自分を自分から離して、例えば芝居の登場人物を、客席から観る態度で、眺め、楽しんでいますから、喜怒・哀楽・不遇・得意の感情に冷淡な訳で、儲かってもそれ程嬉しくないし、損しても他所事のようです。
 徴兵検査の時、厳めしく威張って、上官だと思っている人の前でも、或は子供の時に大人が目に角立てて、私に怒っている顔を見ておかしくなり、自分を忘れて、クスリッと笑って、一層ヒドク怒らした記憶があります。
 養鶏も、農業も、本来の仕事の方も、凡て芝居であり、遊びであり、生きて居る間のなぐさみで、楽しい一つの踊に過ぎないのです。
 養鶏を職業とした時代でも、弄び的で、飼養法にしても、鶏種にしても、いろいろ建てては壊し、積んでは崩し、組み変えて試る癖が抜けなかったのです。
 養鶏を甫めた当時から、一定の師がなく、型がなく、珍しい鶏種を手に入れ、観賞・観察し、文献を漁り・種々の交配を試みたうちの一つが、この交雑種です。
 名古屋種×黒色ミノルカも、ゴールデンネックに出て、眼が美しく、アンダルシャン(白ミノ×黒ミノの永久雑種)が一番好きで、灰色の夢のような可愛いいヒヨコを見ると、心がうづき小羽数を永年愛育した事もあります。
 山岸三号種は、横斑ブリマスロック♀×ロードアイランド・レット♂から出た一代交配雌ゴールデンネック×単冠白色レグホーン♂から生れる近交系三種間交配雑種で、二十年近く試育し続けた実用食卵鶏です。
 同種間でもそうですが、異鶏種間の交雑は軽々には出来ない事で、子の代に出る能力が、高く安定する系統間の交配の場合に限るのです。
 これは本会で推奨し続けて来た、卵主交配種の代表的なもので、必ずや普ねく鶏界を風靡することを、確信するものです。
 純粋種間の交配種の優劣は、既に論じ尽されている観があり、親の代に顕われ、或いは潜む、幾多の形質遺伝因子の組み合せにより、実に優秀な子の産れることは、凡ての動植物界に知悉され、行われつつあります。
 如何に高い性能の種間交配をしましても、両親に潜む劣性因子が劣悪で、二個重なれば、その子の代にはそれが顕われ、両親の何れにも見られぬ、劣悪なものになる事があります。
 所謂合性と云うことで、本会ではそれ等の点について深く研究し、実験の結果を纒め、現在の日本鶏界事情には一番優秀な実用食卵鶏として普遍性の高い三近交系純粋種間の交配種を、会員種鶏場で採種し、会員孵卵場で孵化し、会員の食卵養鶏向として、飼養出来るようにしました。
 その動機は1953年度の支部長会に出席された、相楽の吉岡技師から適品種を選定してはとの提案があり、満場一致でそれを可決し、其後会の種鶏委員で調査検討の結果、先づこの三種間交配種を採用する事に決定したのです。
 名称は藤田総務の提唱に同意され、山岸三号種と命名し、幸に横斑ロック専養の、会員種鶏孵卵場の山下場主が、自ら実地視察に来られ、会及業界繁栄のための、積極的支示によって、実現の運びとなり、会員種鶏場で採種し、会員孵化場で孵化し、実用養鶏会員に優先分配され、現在に至りました。
 種鶏検査も府の検定を受け、なお会に於て調査選抜して強力に発足し、今日既に会員の努力によって、数的にも、質的にも、その優秀さが実証確保され、業績を挙げています。
 発表当時は、浅い経験者や、推定批判者等から、軽率な賛否両論が賑わいましたし、山下氏も雛が捌けるかと、一抹の危惧を持っていましたが、事業化して実施しましたところ、多年の小試験通りの好結果で、今春の如き一般に雛売行不良の中でも、シーズンを超える申込で、翌年の予約迄も、各地から随分集まっている盛況です。
 これは山下孵化場の先鞭で事業化されたけれども、同場のみの特権でもなく山下氏も亦、こんな優秀な雛は全国の孵化場で出さるべきだと、会う毎の孵化業者に自信を持って推奨しています。
 会員及会員外からもそれを希望し、明春より各地の会員孵化場でも孵化します。

山岸三号種の特徴
 山岸三号種の特に優れている点は、今迄実用鶏として好評の高い一代交配種の名白や、ロックホーン・ロードホーンよりも素晴しい高性能で、雛が大きくその発育の早くて、強壮で、極端な粗食で、殆ど青草でよく稼せぐ事で、抜雄の肉養鶏にも大型・早熟で肉質よく、飼育者も業者も驚くばかりの成績で、凡ての点で長所ばかりです。
 又山岸三号種を産み出すゴールデンネックは、種卵養鶏会員を有利に安定ならしめるものです。
 横斑ロック♀×ロード♂は子雌が黒く、雄は横斑に出るから、素人でも雌雄鑑別が一羽の間違なく出来、雄の発育はロードやロック雄より早く大きくなり、雌雄共に物凄く強健で、耐病性が特に優れています。
 粗食の方が却って飼い易い位で、粗剛青草を多給すると、牛のように丈夫で大躯となり、老鶏で出すまで、落伍鶏皆無と云える位で、生産性が高く、卵殻色もロックより濃美で商品価値が高く、格付が上位に取引されます。
 ロックとネックを同時に入雛し、同一条件で比較すると、ネックの方が産卵率高く、大卵故、初卵から殆ど14.5匁以上の種卵秤量に合格し、ロックの失格小卵20%に比べて、著しく有利です。
 孵化率も高く、発生雛の目立って大きい事等、種鶏家も、孵化場も、一般実用養鶏家も、皆都合のよい事ばかりです。
 ネックは、系統によっては少々就巣性がありますが、早く離巣檻に入れると軽く巣念を断ちますから、大した事でもありません。
 四元交配も準備を進めて居ますが、日本ではネックを作る母体の横斑ロックは、夙くから引続き原種を米国種鶏家に受けて、田中氏の如きは、ロック改良に数十年打込まれたそうで、工藤岡崎種畜牧場長や、岐・後藤、山下・黒田各氏及び其他幾多の有名・無名人の努力により、改良が進められ、優秀な種鶏が数的にも相当飼養されていますから、現実的に最も適したこれ等の交配種の普及は、急速に進むと思います。
 種鶏改良家の努力は並々ならぬものがあり、気まぐれや、忙しい農家等の片手間仕事にでは、手に合わないです。
 それ等先輩の業績は、今日各支部会員間の実地見廻り研鑽会にも現れ、それ等から生れたゴールデンネックや、山岸三号種と他の鶏種との比較実体は、如何なる権威者の高論卓説にも勝り、試験管的試験と違い、実際の事実が事実を物語り、今後の鶏界の進路に大いなる示唆と燈火を掲け、何びともこの事実を、曲げて語るを得ないでしょう。
 かように優れた雛が生産されるのも、原種改良と、種卵養鶏会員・孵化会員及多数実用養鶏会員間の緊密な連繋によったもので、相手方を栄えさして全体が栄え、自分も栄える一体機構が養鶏面にも具現され、親愛協力社会のモデルケースと云えましょう。
 ”われひとと共に繁栄せん”の会旨を有形体に実現したもので、喜び、喜ばし合いの世界では良い実が稔り、デカデカと広告しなく共、真価が認められて鶏界不況はどこ吹く風と伸び行くのです。
 私共はこの素晴らしい業績を省みる時、いよいよ、ますます、各自各自の持ち場に専心没頭し、他を愛し、みづからも住む世界全体の繁栄に、心と、力を致し度いものです。
 原種改良家も一人で幾種類、幾系統も併養せないで、他の系統保持者と計画・連繋・交流し、一人一系統位に専心没頭し、純度を最高頂点に引上げ、安定血液を確保し、種卵養鶏家にその業績を大きく生かす事で、そこに種鶏改良の意義と生きがいがあるのです。
 種卵養鶏家も後代調査や、経済面等で原種養鶏家に協力し、一方種卵養鶏家として、その子の代での最高性能に主力を注ぎ、種鶏・種卵の厳選・疾病隔絶・環境・飼料・管理による卵質の向上(無理に産卵せしめぬ)100%孵化、100%育成・雌雛歩合引上げ、老熟種鶏による発育充実等、生産原価が相当嵩んでも、其の子が行き先々でよく稼せぎ愛され、種鶏家達の心の響く雛が孵える種卵を、生産することです。
 求められる雛を造る事のみを考えて専念して居れば、質の事や値段の事等を一口も云わなく共、必ずその種卵は認められて、安く売ろうとしても、買う方が種鶏家を栄えさす値段にするものです。
 これは、私の多年の体験から保証します。
 何れの部門の人も、鶏や稲に対しても、彼等を儲道具と思って搾ろうとしては、却って本当の働きが出来ませんから、いつも余裕を持たし、彼等を満足さす事が成功の秘訣です。
 鶏も稲も共生の世界であり、人と人とは無論の事で、対立紛争一切を起さずに、官・民・業者相協力し、総親和で共に繁栄しましょう。

               1955,5,10     山 岸   巳
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