Category: <山岸会養鶏法> > 一特別解説 | 2003.12.30 Tue 14:00
5 私が貧乏しているように誤解する人に
私の今居る家が傾き、田が売られ、屋敷が草で荒れ果てる様を見て、貧乏して落ちぶれて行くように誤解する人があります。
見兼ねて忠告する人、おそれて寄りつかぬ人、嘲笑する人、非難する人等、其他各人・各様の観方をして直接・間接に聞かされます。
常識観念の抜けない人には、絶対に正しい理解が出来ない事は当然で、中には私の精神状態の平静を疑い、噂する人もあります。
土地の人や周囲の人には、特に身近な者を除き、殆ど判らないです。
言葉に、行いに、今の世人と相当の違いがあり、養鶏にしても、人に云うばかりで、自分で飼わないで、生活に困っているし、売れぬ本を書いて、無代で贈って損ばかりしていると心配する人もあります。
漸くこの頃近所の人にも少々判りかけたそうですが、悪評紛々で、心を許して私に話しかける人は甚だ少ない現状です。
代議士か何かに出るつもりなれば、これではダメでしょうが、土地の人にこんなに容れられなくなった原因は、矢張り地元のため(既成社会の云う)に盡さず、身に近い者も遠い者も同じに念う態度に対し、先方の甘え心と、私に弁明気分と、時間を持たぬためです。
売れぬ本を、先入印税なしに、高い天分知性を持った未知の人が、熟読されると、判り過ぎる程判り、全面的に相一致し、何等言葉を交すことなくして、完全に堅く結ばれます。
かような人は、矢張りその土地では容れられない変り者が多くて、よく調査してみると、例外なしに素晴らしい天才頭脳の持主ばかりです。
如何に天才でも、自分がその境地に居らないと、現実、目のあたり草芒々の破れ世帯を見てからでは、観察が曇るらしいです。
さらに足下の有形財産こそ、名誉こそ、最大のものと思う人にはどんなに説いても、殊更に判らないでしょう。
足下の稲で十石穫るよりも、広大な田で無限大的の収穫を増し、小さい養鶏よりも、最も大きな養鶏をしているつもりですが、その意味が解りますかね。
自分一人の仕合せよりも、世界中の人の幸福の方が大きいし、本当だと私共では真面目に眺めているのですが、こんなに決まり切った事を云っているのになんと簡単な算数の出来ぬ棒槍頭もあるものですね。
大百姓の方が忙しく、大幸福の方が面白くて、土こねには向かぬヒョロヒョロからだで、狭い耕地を占用するよりも、身に合わぬ田畑は放して、最も安全な、誰にも盗られぬ、子孫永久に栄える、世界幸福株に乗り換えているのに、何が貧乏しているのでしょうか。
「それは結構な理想ではあるが、現実はどうですか、何も無くなったらどうします?」と云う人は、大分進んだ物判りのよい意見だと、自分では思っているらしいです。
併し私は自殺せない限り、人里離れた処で行き倒れない限り、死なされない事を知っています。又自分の仕度い放題の事をして楽しみ、遊び踊って(私の日常は踊り)悔なき生き方で、この途でならニッコリ笑って死ねそうです。
私共のグループはこんな連中ばかりで、日々刻々に急速に大きな集いになりつつあります。
老若男女の同類がよくもこんなに早く、多く、寄って来ることよ、です。幼少の子供を何人も持つ夫や婦も。
金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧ぢない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾子ありです。寝食する間も惜しいです。
幾万金積んでも得られぬ楽しい人生踊りを、僅か一編の売れない本から習得される、幾多の事実を前に、一冊百万円に売れたよりも嬉しい私共です。
果して貧乏しているのか、寄って見て貰いましょう。そして大いに語り明しましょう。
[毎月16日夜幸福研鑽会] お便りあれ
1955,6,13 山 岸 巳
見兼ねて忠告する人、おそれて寄りつかぬ人、嘲笑する人、非難する人等、其他各人・各様の観方をして直接・間接に聞かされます。
常識観念の抜けない人には、絶対に正しい理解が出来ない事は当然で、中には私の精神状態の平静を疑い、噂する人もあります。
土地の人や周囲の人には、特に身近な者を除き、殆ど判らないです。
言葉に、行いに、今の世人と相当の違いがあり、養鶏にしても、人に云うばかりで、自分で飼わないで、生活に困っているし、売れぬ本を書いて、無代で贈って損ばかりしていると心配する人もあります。
漸くこの頃近所の人にも少々判りかけたそうですが、悪評紛々で、心を許して私に話しかける人は甚だ少ない現状です。
代議士か何かに出るつもりなれば、これではダメでしょうが、土地の人にこんなに容れられなくなった原因は、矢張り地元のため(既成社会の云う)に盡さず、身に近い者も遠い者も同じに念う態度に対し、先方の甘え心と、私に弁明気分と、時間を持たぬためです。
売れぬ本を、先入印税なしに、高い天分知性を持った未知の人が、熟読されると、判り過ぎる程判り、全面的に相一致し、何等言葉を交すことなくして、完全に堅く結ばれます。
かような人は、矢張りその土地では容れられない変り者が多くて、よく調査してみると、例外なしに素晴らしい天才頭脳の持主ばかりです。
如何に天才でも、自分がその境地に居らないと、現実、目のあたり草芒々の破れ世帯を見てからでは、観察が曇るらしいです。
さらに足下の有形財産こそ、名誉こそ、最大のものと思う人にはどんなに説いても、殊更に判らないでしょう。
足下の稲で十石穫るよりも、広大な田で無限大的の収穫を増し、小さい養鶏よりも、最も大きな養鶏をしているつもりですが、その意味が解りますかね。
自分一人の仕合せよりも、世界中の人の幸福の方が大きいし、本当だと私共では真面目に眺めているのですが、こんなに決まり切った事を云っているのになんと簡単な算数の出来ぬ棒槍頭もあるものですね。
大百姓の方が忙しく、大幸福の方が面白くて、土こねには向かぬヒョロヒョロからだで、狭い耕地を占用するよりも、身に合わぬ田畑は放して、最も安全な、誰にも盗られぬ、子孫永久に栄える、世界幸福株に乗り換えているのに、何が貧乏しているのでしょうか。
「それは結構な理想ではあるが、現実はどうですか、何も無くなったらどうします?」と云う人は、大分進んだ物判りのよい意見だと、自分では思っているらしいです。
併し私は自殺せない限り、人里離れた処で行き倒れない限り、死なされない事を知っています。又自分の仕度い放題の事をして楽しみ、遊び踊って(私の日常は踊り)悔なき生き方で、この途でならニッコリ笑って死ねそうです。
私共のグループはこんな連中ばかりで、日々刻々に急速に大きな集いになりつつあります。
老若男女の同類がよくもこんなに早く、多く、寄って来ることよ、です。幼少の子供を何人も持つ夫や婦も。
金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧ぢない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾子ありです。寝食する間も惜しいです。
幾万金積んでも得られぬ楽しい人生踊りを、僅か一編の売れない本から習得される、幾多の事実を前に、一冊百万円に売れたよりも嬉しい私共です。
果して貧乏しているのか、寄って見て貰いましょう。そして大いに語り明しましょう。
[毎月16日夜幸福研鑽会] お便りあれ
1955,6,13 山 岸 巳