研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― もくてきけんさん するには ――

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Category: <山岸さんの声など> | 2006.02.17 Fri 10:03

もくてきけんさん するには

目的を研鑚する「もくてき」って、どこにあるのか?
事業する目的は? 施設を作る目的は? と寄って「目的研鑚」すると、どこかに一つの共通の目的があるかのように思ってしまい易いのではないかな?
目的って、その事の方にあるんじゃなくて、それをやる人の中のことでしょ?
「その事の目的」や「みんなの目的」ではなくて「自分の目的」を知ることでしょ?
寄って「目的研鑚」するのは何のため? ややもすると、的外れで「いくら探しても見つからない」ということにもなると思う。

↓ 山岸さんの声の抜粋です。(1961.4.2 名古屋にて)


ところが、これは自分ひとりでない、みんなそれだと思うんですが、ややもすると、この目先のいろいろのものに拘泥して、案外この方向が違っていって、手段を目的のようにこう取り違えるのが、殆どの現在の、現在までの世界の人たちの、どうにもそういう社会が出来なかった原因だと思う。また、そういう目的に気づきながらも、また方法を知らないために、いつまででも堂々めぐりで、おんなじようなことをして、ちょっともその目的の方へ行っていない、と、まあ、こういうのが実状だったと思うんですが。



鶏飼うについても、エサやとか鶏種だとか、或いは設備だとか、そういう問題や技術の必要性は分かるが、それよりもっと大事なことは、その本当の目的の達成のために、自分自身の幸せのために、そういう技術そういうものを追うものでなしに、お金を追うものでなしに、やはりもうそれを鶏を飼うにしても何するにしても、効果的に目的へ近寄っていくためには、やはりこの、それより先にまずこの飼う人の問題、養鶏する人の問題、そこが基本になる。その人が目的をはっきり知る、それにはどうあるか、こうなってくる。そうすると、この、現象面よりまず先に心の世界、無現象のというか、心の状態がどうあったなればよいか、ということ。それから経営するにしても、その本当の目的、やはり心の世界、まずそれが肝心で、みんなの幸せのためにっていうそういう目的のために、そういう心境で経営計画をたてる。
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