研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 「最後のもの」 ――

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Category: <山岸さんの声など> | 2006.03.31 Fri 17:13

「最後のもの」

もくてきけんさん するには・・・(2006.02.17) の続きです。
 ↓ 山岸さんの声の抜粋です。(1961.4.2 名古屋にて)


 それから経営するにしても、その本当の目的、やはり心の世界、まずそれが肝心で、みんなの幸せのためにっていうそういう目的のために、そういう心境で経営計画をたてる。それから技術もそこへこう織り込んでいく。技術は要らないというわけではないですけど、技術さえ覚えたらニワトリは飼える、お金儲かる、まぁこういうふうに思っていた人が、そうではないと、やはり飼う人自体が、みんなの幸せ、自分の幸せでなしにみんなの幸せを願って、というそういう、あの気持になって、頭で分かったでなしに、それが実行出来る人になって、それからその次に、そうするにはやはりこの技術も大事だが、そういう自分がなっただけでなしに、社会も周囲も、そういうふうにこの、目的のためには自分だけでなしに、自分一家だけでなしに、ではいけないということも分かってくる。みんなが仲よう楽しい繁栄していくのには自分だけでは、とどまっては駄目だ。こんどはその社会の、そういう社会周囲の必要性ということも分かった。
 それじゃあ社会をつくろうじゃないかと、そういうこの、囲いのない、本当に世界一つになって仲よく繁栄していく、そういう社会をつくろうと、そのためには、自分の財産だとか自分の考えというものを固持しないで、みんな広場へ出して、そしてみんなの知恵と力で活かしていこうと、ものを最大に活かしていこうと、まあこういう気持の現れが今日の地方での実顕地なり、春日の試験場の段階的な現状だと、そこまで来られたと思うんですね。
 どんな技術をもってきても、どんな優秀な技術をもってきても、そういう目的でなかったら、これを逆用されると自分の囲いの中だけを富ますと、自分たちのグループだけを豊かにするという考えでは成り立たない。
 一週間の特別研鑽会だけで成り切れるものではないが、まずその方向へ一歩踏み入れることが出来る。そこからいろいろの、このプラス・マイナス行ったり戻ったりしているようでしたが、やはり現状は各地にそういうような、世界中一つで囲いのない仲の良い社会をつくる、これが先決だと、それなれば、それなれば、お約束しておいた「ヤマギシズム社会」即ち世界を一つで仲良く、この今いった、そういう社会に於いてこそ使いこなせる「ヤマギシズム社会式養鶏法」を出した、使ってもらったら結構だ、こんなところまできたわけなんですね。
 世界中の永遠の幸せのために、本当の幸せというのはそういうものだと思うんですが、そのために鶏を飼うんだ、或いは鶏は飼わなくても、そういう社会をつくることが先だ、まず自分がそういう人になって、そういう人がだんだんと、同じ気持の人が寄っていって社会をつくる。




 そういう方面がこの養鶏法をとり入れてやっていただくということは、非常にその業界もそれから日本の産業界も大きな関心を持たれることだと思うし、やがてこの社会の組織とかね、政治とかいろんな方面にも、「これだな」ということが気づかれて、経済機構にしても世界の注目に値するものになっていくと思うんですね。
「最後のもの」。
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