Category: <山岸さんの声など> | 2003.12.01 Mon 11:35
1956.1.12 第一回特別講習研鑽会 挨拶講演
みな欲に関係あること
よく来て下さいましたね。忙しい、或いは何しに行くのかな、旅費も要るし、それから、体も疲れるであろうし、それだけの間、何か稼いでおったら、これこれになる。まあ、こういうお考えの方はこの席にはみえておらないわけなんです。私たちから言うと、そういう人は非常にそろばん高い、かしこい頭のよい、お金儲けの上手な人と一般には言われておっても、私たちの目から見ると、最も欲の少ない欲の浅い人と、こう言いたいわけなんです。
この席、ご出席になった方は、私の目からこう拝見しますと、みな欲の深い方、もしそうでない方がありましたら一寸手を上げて頂き、話を進めさせて頂きます。欲のない人は、聞いて頂だく必要はないわけなんで、欲の深い人相手に、常々私の思っておることを聞いて頂きたいと思うんです。そうしませんと、やはり無駄話の方が聞きたい方がどうも多い席では私はどうも・・・・。そういうことですから何を申しましても、みんなこれ欲に関係あることだと、こういうふうにご了承いただきたいのです。
先ほど坂本さんから、お話になりましたように、あの人大分このごろ田地を売り出したらしいんです。一町七反なにがし言いましたが、あれはおそらく、何年もちますかね、もうすでに何反歩か減ったらしいんです。それから、もうこれはちょっと期日はきることは出来いんですが、急速に一町七反なにがしは無くなってしまうであろうと、私は見えるような気がするわけなんです。夫婦で出かけて来て、ここへ立って、漫才の真似みたいなことやりまして、とび歩いておりますが、決してこの男は、スキやスイキョウで立ったんではございません、来ておるんでないということを、申し上げておきたいんです。
田んぼを減らすために、財産を無くするためにとび歩いておると、これは、この目で見た形でそう見えるでしょうが、私たちから見れば、最も欲の深い男、素晴らしい頭のよい打算的な男、こういうこと、見えるわけなんです、そういうふうに見えるわけなんです。何故なれば、あの財産何ものか、こういうこと考えたいわけなんです。いつまで続くか、一町七反の田んぼが、果して何代もち続けられるか。こういうことなんです。
それから、この我々が目指しておる社会には、もうそんなに、自分で持ちきらなくても、いくらでも豊富になると、こういうことが必ず近い近い将来実現することを確信しておるわけなんですが、それを、あのするどい欲の深い目で見抜いて先手を打ったと、打って来たと、こういう形に見えるわけなんです。ものも考えようでしょうがね。まあ最も欲の深い人。
株でも儲ける人、ねえ、何か事業をやって儲ける人はね、一応資金をポーンと出しますよ。山も土地もみな売り払ってでも、何かの事業に投資しますがね。この度胸なんです。しかし、これは、無謀ではだめです。根拠がなかったらだめなんです。しっかりした信念をつかんで、どんなことがあってもやり通せると、これこそ間違いないという確信のもとにやっておる、チミツなんです。こういう男は何をやっても必ず成功するわけなんです。そういう打算的な立場からの財産の転換、持ち換え。危ない、いつ無くなるか分らないような財産よりも、永久に減らないますます増える大儲けできる財産に切り換えの、これが第一歩。そういう形に私には、見えるわけなんです。
理解を妨げる既成観念
ええ、一寸こういう話しますと、一般既成社会では、また先に出た男とよく似た調子の違ったこと言いよるなと、こういうことに聞こえるらしいですが、もし、この席にそういう方がおいでになりますなれば、一週間おつき合い願いたいです。はじめは何か分らない、分らない、なんか見当ちがう話をしよるなと、こういうふうにお考えになる方も一週間つきあいして見て下さい。もしも、もしもですよ、この一週間で本当のものを必ず掴まなかったらもう帰らないと、一週間で掴めなかったら二週間でも、一カ月でも掴まなかったら帰らないと、こういう決意をもって頂く方がありますなれば、一カ月でも二カ月でも三カ月でも、この土地にとどまって頂いたなれば、その生活すべてをわれわれにおいて保証することができるんです。経済的にも、その保証に堪えられるだけの裏づけを持っておりますから。
えー、しかし、こういうことを申し上げるのは、既にそれぞれ、知恵なり深い経験なり、色々の自信を持っておられる方は、一週間で掴まえて帰るよと、そんなにひと月もふた月も帰らないでも、もう一週間おれば、必ずやその何か核心を掴み、そして、大きなみやげをもって、帰ることができるよと、こういう方ばかりでありたいと思いますし、また、そうであろうと思うんです。一週間で分らない人は、余程どうかしていると、頭の程度を疑うわけなんです。
どんな人でも、狂人、白痴でない限り、この話はきっと分るんです。一週間で分るはずなんですが、それが分らない方はどこかに欠陥があるということを、これ申し上げておけるんです。
その欠陥は何かって言いたいんです。その欠陥は親に生んで貰ったこの頭の脳髄の働き、これもあるかも知れませんが、もっともっと欠陥の重要な要素がございます。これは何か、生れてから教えらた学問、非常にこれがわざわいするんです。
これ(ヤマギシズムのこと)を理解し、キャッチする上には、この学問が大変な障害になります。欠陥になるんです。学歴というヤツ、これが非常にわざわいするということ、それから、えー、この席でちょっと普通なれば、ご遠慮すべきだと思うんですが、いわゆる、いわゆるですよ、宗教、これなんです。これが非常に分りにくいものにするんです。宗教が染み込んでおれば非常に分りにくいということ。それから、事業に色々の面で成功したと思うておる人達、いわゆるお金を儲けた、工場を経営したとか、農業の方面で財産を作ったとか、こういう人、それから、社会的の地位を持っておる人、こういう人達なんです。今まで、何かの、政治的な面とか、或いは公共的な、或いは社会的な仕事で相当、自他に認められるような、地位についた人、こういう人の自信です。こういうものは非常にその、障害になるわけなんです。知る上において非常な邪魔になるわけなんです。
こういうものを一応あずけて頂かない限りは、まず一週間で、分り得るこの部類の人にはなれないと思うんです。それがある限り、おそらく、絶対分らないと言い得ると思うんです。それで非常にわれわれ苦心するのは、この、染みついたものです。生まれてから染められたものです。こういうものが、非常に邪魔するということが、よく分りますから、ちょっと一言二言お話しすれば、あっ、この人は、ということがよく分るんです。話しておるうちに、まあ、これから沢山でますがね、話しておるうちに、あっ、その通り、その通り、これでよく分るんですわ。けど、その通りに二手あるんです。二手あるんです。
もう、それはね、宗教という言葉を再び使いたくないんですけどね、まあ例えばですよ、ある宗教ですな、ある宗教に染まっておる人が、こういう話をすると、あっ、そうだ、その通りや、われわれが言っておる宗教と同じやないかと、同じことを言っておるのやと、ああよく分ります、よく分りますと、こう言いはるんです。ところがね、ところが、ある所までくると、コツンと行きあたるんです。壁につき当たってしまうんです。そこからが、もう、なかなか抜けないということです。まあ、沢山ありますが、まあ、例えば、宗教・既成観念ですな、今の社会に染みついておる人達には、非常に話が分りにくい。分る人もある点までは、同じ線、同じような考え方、こういうものによって共鳴されますが、その先になってくると、どうしても相容れないものが出てくるわけなんです。
語りたくない養鶏の話
ある思想のごときも、殆ど同じではないかと、こう言うてくるんです。ある部面の話をすれば同じじゃないかと、こうやって来るんですが、しかしある面、ごく小さい部分まで来て、そこで突き当ってしまうんです。
そうすると、これは、なかなかまた抜けきれない。染まってぬけきれないと、また或る地位を得て、その地位、足元がぐらつくことを恐れる、いろいろ沢山ございます。……・・ええ、ちょっと何でもええ喋ってくれ・・・・・な、なんでもええから喋ってくれ・・・・。
(夫人)
本当に皆さんの前へこんなに立ちまして、今日は私何をお喋りするか考える暇もなかったものでございますので、どうぞよろしく。本当に見苦しいこんななりをして、まいりましたんでございますが、先ほどあの山本さんからちょっとご紹介がありましたように、最近健康を非常に害しておりますので、こんな勝手なことを致しまして、あいすまんのでございます。
今申しました如くに、本当にあの全国から或いはまた、あの外国の方からもお見えになります、そういう方たちが一応お話しておりますと、今申しました如くに、本当にその通りであると、その通りです、そんなことは私たちの方がよく知っておりますよ、今頃何いっていますかと、こんな具合いあの話してるうちに、伺うんでございますが、本当にその線まで行きましたときに、ハタと止まってしまうんですね。そうして、それからもう分ろうともしないで、自分のめがねで見て通し、まあ絶対通して行こうとこうなさる方は、本当にこの養鶏なんかをおやりになりましても、絶対成功できないということが断言できるんです。これは本当にお気の毒なことですございますが、それをどうしたらば皆さんに分って頂くだろうと、非常に自分も苦心して、いろいろな方法も考えますが、そうしますと、或いは自己宣伝のようにもなりますし、また人によりますと非常に感情を先にもってお話なさいますし、感情が入りますと、何かしらギコチない気分になりまして、非常に後味が悪うございます。そして結局話をきいたときは非常によかったが、実地にやってみれば、損をしました。私ええ二・三日前なんでございますが、これも後から聞いたんでございますが、宗教に相当二十年余りいろいろな研究なさっている方でございました。あの討論のようになりまして、まあ声も高くなりますし、いろいろ伺ってみましたところが、やはり落ち着くところは同じであったんでございます。そうしまして今日ここへ会場へまいります途中に伺ったんでございますけど、ぞの人のことがはからずも途中で話題にあがってました。そうしましたらその方は宗教をやっておいでになりまして、実際いま家庭を含めて非常に口と実践とが合うてなかったということが私はっきりと掴めたんでございます。まず私たちは、この家庭からですね、家庭から・・・・
山岸養鶏の由来
(先生)
ええ・・・・まあ、ちょっと・・・・
こう、おかしい断続しまして申し訳ないんです。ちょっと話が、あまり好まない話というと、またこれ変なんですが、今日ご出席の方、何かこう鶏の関係で、そういう講習というつもりでおいでになった方が、沢山おありかと思うんです。そういう意味から養鶏という言葉が相当出てくると思うんです。それから、そういう方々も納得して頂かねばならんと、こういう責任も感じておるわけなんです。
また養鶏新聞におきましても、養鶏面について、どこまでも徹底的にご得心の行くまでお答えしましょうということも、書いておりますから、そういう意味あいで、ご出席頂いた方も相当おありになると思いますから、この養鶏という言葉を入れ、養鶏の話をすると、非常に誤解され易いから、なるべく、なるべく、これは語りたくないんですが、しかし養鶏の話を聞きに来たのに、「何か分らんことばかり、・・・・革命や・・・・何のハナシや・・・・また宗教の話が出たり、おかしなこんな絵(※特講最後に出されている絵図のこと)を持って来たりして、さっぱり人をペテンにかけたな。」
こういう、その考えの方がもしできて、早くですな、早く、ご自分で断定なさって、あれは、養鶏の話やって、呼び寄せておいて、変な革命運動にひっぱり込もうと思うて思想をつぎ込もうと思うのやと、こんな風に早合点される方がございまして、もしも、もうこの場から席を蹴って、お帰りになる方ができますなれば、それは非常に惜しいと思うんです。
私たちも惜しいと思うし責任も感じますが、その人の為にも、非常にお気の毒やと思うわけなんですから、それで、ちょっとその点について、釈明いたしておきたいと思います。
つまり、この養鶏なんです。養鶏はどういうものか先程からも最初から、ヨーケイ・養鶏の会と、山岸会は養鶏の会と、こういう風に思う人もあるが、そうでないと、こういうご説明がありましたが、その点なんです。
それで、養鶏の位置というものが、印刷物渡ってますか、位置というものが抜粋してありますから、それをご覧頂くと、よく分るんですが、しかし実は、私たちにしてみると、養鶏ということ非常に大事なんですが、養鶏に時間をとられておることが、たまらないんです。それで実は、養鶏の話はなるべくさけたいんですが、しかし、そういう意味あいから、養鶏について、ご説明しなければならんと思うのですが、その養鶏を成り立たすためには、ということなんです。こういう話が必要なことなんです。
それで、これは先程からも言いましたように、養鶏、なぜこれほど養鶏ということが先に入ったかということは、私たちもうやはり考えねばならんことだと思うんです。そもそも、この山岸養鶏というものが生まれた来歴を知っていただかねばならんことになるんですが、こういうことは、ちょっと著書に書いておりますし、いつもお話しするんですが、やはり徹底しておらないから、養鶏の話を聞きに行ったのに、わけの分らん話、縁の遠い話、理想世界やとか、何とかそんな話ばかりしとると、こう言われるんですからくり返して申しますが、私の養鶏というものは、どういうものかということなんです。そもそもの出発をご了承頂きたいんです。私は少年時代からといいますか、まず、ハッキリ線が出たのは、青年時代です。19、20、21、この三年間は専心、この今かかげておる理想社会、本当の世界を究明したわけなんです。
妥協のなかった青少年時代
ええ今も痩せておりますが、まだこれで肥えておる分でございます。十一貫六百まで肉を削ったわけなんです。
(夫人)
私、これ昨晩聞いたことでございます。主人が最近非常に痩せましたんです。最近特に私たち、私たち結婚してからなんですけど、急にこの痩せましたんです。それから非常に痩せて、こう手なんかに、こう皮があがってるてな、こういう感じになりましたんで、非常に子どもたちと心配しまして、痩せ方がこの頃極度に目立ってきましたから、話しおうてました時に、徴兵検査の時ですね、徴兵検査の時に、あー今の目方やったでしたかね、その目方でしてね、そしてその時の・・・・
(先生)
その時は十一貫八百ありました。三百匁もどしておりました。そういうこなんです。
(夫人)
いや、ちょっとそれが言いたい。
そして、その時の話なんですが、大抵の場合今までですと徴兵の時は丸刈りにして、そして本当にりりしい活発な、なんて言いますか、本当に意気にした雄途につくという、こういう気分で、まるで出世の門出の第一歩でございますが、男子としてあれは、本当にまあいい一つのスタートなんでしたね。その時が有髪で行ったそうでございます。この頭が散発してあったそうでございます。その話聞きまして、時にその検査官からなんか言葉があったそうでございます。
(先生)
散髪してなかったんや・・・
(夫人)
いや散髪がしてないんです。こういう風な頭が長かったんですね、現在の散髪ですね、こんな頭で行ったそうでございますの、で、あくまで私は戦争・・・・
(先生)
いや、ちょっ、ちょっと間違うといかん、そういうことは、間違うと・・・・
(夫人)
あくまで戦争には反対やったかしらんと、夕べそれを聞いたんで、そう思いましたんで、
(先生)
いや、もうそんなこと、かまっておれなかったんですよ。
(夫人)
どんな気分だったか、ここでははっきりします。
(先生)
もう、とにかく、そういうことにかまっておれなかったわけで、髪もぼうぼうとして伸び放題で行ったわけなんです、それから、ちょっと気にさわったらしいんですな、私は何でもないことをいったんですけども、
「何しに来たんかな」それから、まあ隣の人に言ったんですがね。
「何しにこんなところへ来んならんかな」こう言ったわけなんです。
私、ああいう空気あまり知りませんからね。検査場へ行きましてね、そしたらあれ軍曹ですか曹長ですか、何やちょっとこう、ちょっとこうあの金すじのついた、あの兵隊さんが、それがね、えらいこと私に言うんですな。まあ、あんな言葉、ちょっと失敬なこと言いよるんですな。
「お前ッ」ちゅうんです。「お前ッ」そんなこと言うとると、何とか言いよったぞ。非常にその、何ちゅうんですか、私に親切な言葉かも知らんですけどね、つまり「損やぞ」ということを言うんやね。
それから目方のこと、ちょっとやられたんです。しかし、私は目方のことも、そんなことも、合格(とお)して貰おうという気がないから、かまいませんよ、そんなもの。といって、あの当時徴兵忌避に無理に痩せたのがあったそうです。しかし、そんなもんでもない。わざわざ痩せたもんでないんですがね。そこへぴったり向こう(検査官)の目と合ったわけなんです。で、そういう点で、非常に叱られたわけなんです。
えー叱られたこと二回おぼえておりますが、それ以前にも一回叱られたことございますが、まあ叱られたのは、子供のうちからその二回くらいかと思うんですけども。えー叱られた時、とてもきつくこたえましたが、つまらんこと言いよるやつやなと思っていました。そしたら、またもう一つ怒ったけど、これはやられなかって、まあ後で友だちが言ってくれたんですけどね、「よう無事にすんだなあ」って、それから司令官の前に出た時に、さすが何とかいう、たしか大佐でした、何とか大佐。「糸のように細いな」と、こう言うて、言われただけでね。別に何でもなかったですけどね。
そんなことございましたが、要するに、非常に、その当時は今より、もっともっと、身を削っておりましたからね、まだまだ私は自信があるんです。
会の方から非常にご心配いただくんですが、まだ死にませんし、声も出ますよ。
先ほどから、しかし、声は、これおかしいんですね、自分で調節する場合もあるんです。まあ今日なんか多少その傾向もあるんです。今日おしゃべりしたいからなるべく節約しておいたということもございますし、それからね、気がすすまないと、もう声が出ないんです。ポッとつまってしもうて、声が出ない、こういうこともあるんですがね。まあ、まだまだ、まだまだ自信あります。十一貫五百までぐらいは行けるんです。そういう経験持っておりますから、その当時真剣にとり組んでやったのは、やはり、この社会なんです。
なぜこんなつまらんことやるかと、子どもの時からおかしな、ええ、なんといいますかね。まあ、その当時は反逆になるんですけども、私有社会に対して、その当時の社会に対して、おかしいと思うたんですな。それで、むろん友だちがなかったんです。ずっと友だちがなかったんです。親とも離れておったんです事実、で、親たちは私の言うことは分からん、この子の言うことは分らんと、こう言うんです。また友だちともどうしても妥協がないんです。今はもうこんなに年もこう老体というのはなさけないね、まあ、大分世間なれてきたんですか、多少妥協的な点があるんですがね、その当時からずっと、この絶対妥協がなかったんです。それで非常にさびしいんです。まあ自分で淋しいと思いませんがね。しかし、形の上で、友だちがなかったんです。で、何が友だちかというと、こういうことやってたわけなんです。(※真理の究明)
まあそんなことやって、やればやるほど、やらねばならん。こういう形になりまして、えー、いろいろ面白いところも歩んで参りまして、えー、まあ、一つのものを見つけ出したわけなんです。しかし、その当時はね、おかしいことにはね、もう今ありがたいんですがね、こういうこと言えるようになったんですがね。非常に面倒なことが起りまして、ことごとに圧迫うけたわけなんです。
この養鶏は全然出発点がちがう
ところが、人間の社会で出来ることを鶏に応用してみようかと、こういうことを感じたわけなんで、ある機会があったんですがね、その時から、もうちょっと面倒だから、とてもそういう交友関係のところ訪問しても、すぐ面倒な問題が起ったもんですから、とても面倒で、それで鶏をとり上げただけのことなんです。
自分が思うておることを鶏に実験したことなんです。それを今度は、おかしなまわり合せになりまして、ちょうど百姓、まあ誰も百姓するつもりもなかったんですけども、百姓やりかけた時に、ごく近いんで二十四年でしたか、頃に、一旦やめた鶏をまたやりかけた。百姓をやりかけて、その必要上、鶏を入れたということなんです。こういうわけで、そのやはり、もとは本当の世界、これを究明して、それの実現をねがっておったんですが、その当時は容れられなかったから鶏に応用したと。その鶏を、この、それも出すつもりはなかったが、とり上げられたんです。それが拡がったと、そうすると、会ができたと、この会も作る気はなかったんですが、会が出来たと、その時に、この、やはり本当のものを出しておかないかんと、ええ会の本当の、私の願っておる、目指しておる、そういうものを一端この書きとめまして、それから、この精神で、この養鶏はやらねばならないと、成功しないということは最初に、これは発表したわけですが、どうも、私たちがそれを徹底さすだけの充分の準備が出来てなかったために、とり上げられたものは、うわべの、その当時行なわれておった、今でも多いんですが、損する養鶏なんです。本当の精神の入ってない、形の上で表われた、ただ鶏に餌をやって卵産まして、少しばかりお金を儲けて、あと損すると、こういう養鶏と同一に見られたわけなんです。
この養鶏は全然出発が違うんです、組立が違うんですが、しかし、それと同一に見られたわけなんですから、それで、そういうふうに見られたが故に、養鶏の損する養鶏に、損する養鶏にと、こう持って行ってしまわれた。
ところが、やはり全国的にそういう損する養鶏が拡まっていく姿を見まして、やはり気付いた方が沢山あったわけなんです。これではいかん、私もやはり、今日、この養鶏技術、損するような形のものを出すことは、非常に沢山の人に迷惑かけると、こういうことも、いよいよ私自身に分って来たわけなんです。それで再び、もう技術は、この位でとめておいて、それから損しない本当の養鶏法を知って頂かねばならん、それで非常にその線が、濃くなって来たわけなんです。
真髄を掴んで欲しい
この養鶏法は全ての人に役立たすために編みだしたものでありまして、その養鶏技術を使う人の精神状態、役立たすために使う精神、これを非常に人間の生活に、われわれが願っておる、幸福世界に反逆するような、そういうものに使う精神、こういう二つの精神があるわけですが、これをしっかりつかまえて使って頂かないと、現在、山岸養鶏技術を使って頂いた方のあり方を見ると、まず何%ということは数字的に言えませんが、功罪相半ばす、と言いたいんですが、そうでない、役立っておる部分は非常に少ない、理想社会へ反逆するもの、人類に迷惑かけるものが殆どであると、そういう方面に使われておるということが、ありありと見えるわけなんです。
今までの養鶏法は無論のことなんです。今までの養鶏法で養鶏を始めた人が何年続いたかということを見たいんです。
それぞれ、村でお調べになったら、よく分ると思うんです。鶏やって何年でも続けておる人は非常に少ないということです。鶏やって損した人が殆どなんです。ところが山岸養鶏技術も、やはり今の形ではちょっと一時的に儲けておるような形に見えるんですが、しかし、本当にズッと先、二年、三年、五年、十年先をズウーッと見てみると、殆ど、全部ではございませんが、殆ど、損する形に、この技術を使っておられると、こういうことなんですから。
で、その人は無論、これは今、資金投じて、それから、遠いか近い将来、損されると、この人に迷惑かけますし、そしてそういう人たちが変てこなちょっとしたお金儲けなんかされることは、非常に、これは社会的にも、このよい社会を実現する上の、障害になるわけなんです。
核心をつかんでない証拠
ええ、ちょっと、こう抽象的な話になりますから、分りにくいと思うんですが、特に私の話は、分りにくいらしいんですが、やはりこの短い時間にお話しようと思うから、そういうことなんです。
長い時間を頂きまして、お互いに応答しながら、それから、今までの観念を捨てて聞いて頂くと、そうでもないんですが、まあ、こういう話ばかりしておりますと、ご退屈になると思いますが、要するに、このいつまでたっても、何年たっても損しない、そういう養鶏でなかったら、どうも、このやって頂くのに、この技術を使って頂くということは、相すまんと思うんです。申し訳ないと思うんです。よくお調べ頂いたらよく分るんです。養鶏やりかけて損した人が非常に多いと思うんです。昨年(昭和三十年)あたり、大分やめた人がございます。この会員でも、やめた人がございます。けどまあ、こういう人は、私たちは本当の会員と、いうことが言えないんです。
何故やめたかということを調べてみると、すぐこの線上に浮かび上ってくるものがあるんです。どこに欠陥があってやめたか、損したかということが必ず出てくるんです。それは何かというと、やはり、この根本的なものを掴んでおらないということなんです。これを掴んでから、かかってもらったら非常にわけないんです。楽なんです。それから、いつまででも永遠に、いつまででもやれる、そして、儲かる養鶏法なんですから。(一寸、息をつく)
沢山こんな例がございます。ええ。これはどうですやろうかね、ちょっと私も息をつきたいと思いますが、こういう点はご納得頂けると思うんですが、如何でしょうかね。
どこでも、そういう例は沢山あありになると思うんですが、五十羽、百羽の鶏飼って、そしてしばらくやった、三年、五年、変ったことをやるなと思っておる中に、やめてしまって、鶏舎が納屋になったりしておるとか、こんなのございますが。ところが、それは、その当時は臆病で、割合いの少ないんですな、羽数が。しかし、この養鶏法でやると、初めてやった人が百羽入れれば百羽、百五十羽入れれば百五十羽、まあ殆ど、それに近い羽数が育つもんですから、大分ブレーキかけに廻っているわけなんです。
(夫人)
この中にもお見えになっていると思います。危険であぶなくて見ておられんそうでございますがね。
「あぶない、あぶない、ブレーキかけないかん、ブレーキかけないかん」という、そういう方がおいでになります。調子よくいったから、来年は多くやろう、今度は他のものを転換してでもやろうと、こういう力以上のものを得ようと、こうなさる方が、おありになると思います。
(先生)
まあ、胸にこたえる方がこの中にもおいでになるわけなんです。(笑い)
ええ、どうも、そのやはり、よく効く薬はまた危ないということですからね。
ちょっとこれも、これだけ申し上げたんでは、そんな筈ないやないかと、こう思うんですがね、みんな、これ自信もっておられるんです。私ならナーニうまくやっていくって、こういう自信があるんですかね、そうでないんです。本当の、そんなこと考えること自体は、この肝心なものを掴んでおられない証拠ということなんです。
核心を掴んでおられない証拠なんです。
真髄掴んだら、そんなこと出来ないということがよく分るんです。そして長続きしないということもよく分るんです。
よい間儲けておいて、それから後、まあ何とか楽隠居でもする、転換するとか、まあ、こういう考え方、利口そうな人があるが、これも駄目なんです。
こういうこと、分って頂くのはやはり、そうですね、人によれば、まあ一晩二晩ででも分って頂ける方があるかも知れませんが、まず一週間、みっちりと、ご研究頂いたら、分って頂けると思うんです。
この講習会の目的は
えー、こうして出ておりましても、私はこの会の講師の資格を持っておらないんです。今はちょっと前置きとして、お話をさして頂いておる程度でございますので、まだ、この会には、一人の正式の講師がいないわけで、私もおして参りましたのは、やはり、講師の認証をこの際受けておきたいと、一週間どうあっても頑張りたいと、こういう願いも、その一部でございます。(初期にはしばらく講師をもうけたことがあった。)
それで、みなさんとご一緒に、各々の考え方を持ち出しまして、そして、みなさんも同じ線で、どこへ出ても絶対損をさせない、話することみな役立つ、そういうような、しっかりしたものを掴んだ講師に、私はなりたいと思うておるわけなんです。今まで、失敗しておりますから、なおさら痛切に感じておるわけなんです。
よく話しに、講演会なんか講習会なんかまいりまして、お話した結果を見ると、大抵は、その損する形の養鶏を拡げたということですから、これに自責の感を深めまして、それから他の講師の方の実績を見ましても、そういうことがありありと分るんです。その通りなんです。それで、特にこの一週間、長いようですが、まだまだ時間的に足りないと思うんですが、真剣になって、どこへまいりましても損をさせないようなお話の出来るように、本当の講師になりたいと、こういう念願でまいっておるわけなんでございます。またそういう方を沢山、出ていただくということが、この特別講習会の大きな目的の目的でございます。
養鶏は一つの説明材料
それから、特別講習会というのは、ただそういう養鶏の面だけでなしに、もっともっと、それは一部として、やはり、この会の目的そのもの、これの実現、それから、それのまあ、真髄なんです。どういうものであるかということを知って頂くと、それから、それを実行に移して、移せるように、どうすればよいか、どういうふうに持って行こうか、じゃあどうしようか、こういう研鑽によりまして、そして一日も早く、この目指す社会を実現することに、することを目的として、この特別講習会がもたれたわけなんです。
それで養鶏のみの目的でこの講習会をもったわけではないのでございます。
しかし、お話すること、研鑽すること、これからいろいろ徹夜で研鑽すること、みんな養鶏目的に役立つことです。養鶏をやるには、これから入っていかなかったら、その養鶏そのものが成り立たないんですから、それで、やはり養鶏で間違いなしに成功するためには、これを知って頂かなければならないと、また、養鶏に用事のない方も、ご出席になっておるということを聞いております。沢山お見えになっておるそうです。そういう方にも養鶏の話をしておりましても、それはみな理想社会に通じるもの、理想社会を形にあらわした一つの説明する材料と、こういう意味で面倒に思わないで、自分たちに用事のない話、鶏の話なんか、私、鶏飼わないのに用事がないと、こういうお考えにならないで、それを通じて、それぞれの目的に、目的を知るために参考として頂いたら、役立つわけなんです。養鶏の話、すなわち家庭の平和、それから社会の安定、それから世界の幸福と、世界中の幸福と、やはり、これに通じますし、また、それ自体を知る上に、養鶏の一つの引例として、養鶏を引例として、参考にして頂くなれば、却って分りやすい点も、よくあると思うんです。それで、養鶏の話をしておりましても、一般の目的、他の目的にも役立つわけですし、また、他の離れたような話しておりましても、これは養鶏で成功する上に、絶対必要条件ということになりますから、同じことなんです。どんな話しておりましても同じことなんです。そういう意味合いで、よくお聞き取りねがいたいと思うんです。
それから、また養鶏の話しですが、これは他の方も同じことなんです。今申しましたように、みな通用するわけなんです。
資格のそろった方なれば、
昨年(昭和三十年)八月に「一カ月で卵産む養鶏法」特殊養鶏法、こういうものを、そういうものをやりませんかと、提案したわけなんです。「一カ月で卵産む養鶏法って、本当に儲かりますよ、こりゃ保証しますよ、太鼓判おしますよ」と、こう言うて発表したわけなんです。この中の方も沢山これはご承知やと思うんです。
ところが、その時、私、もう少し入っておりましたが「やりませんか、あるだけみな出しますよ」と、パッと放ったんですな。けども、どうも私の信用が足りませんのか、或いはやはり、その本当の大きい儲け方というか、何かまあ、とにかく、儲けたくないのか、あまり賛成者がなかったわけなんです。それで、何人かの人は、やはり資金出しかけたらしいんですが、しかし実現しないで、その「一カ月で卵産ます養鶏法」は現在まだ実現しておりません。
これをあの時「やりましょう」と、みな、まあたとえ一万円ずつでもですよ、出し合っておやりになっておったなれば、今日、一カ月に百万円儲かってますよ、利益がありますよ。
これは、数字的に最も内輪に見積った利益なんです、これは確実なんです。
その養鶏法の内容については、二・三の人に、その一端を話したわけなんです。
しかし、その人にはよく理解がいくんですが、その人も困ったもんです。百万円、一千万円もらっても、やりたくない人にぶつかったわけなんですから、ちょっと困ったことで、もうとにかく、一億円も、何にもそんなものが欲しくないんですな。それでとうとう実現しなかったんです。
しかし、これは、人をひきつけるための架空の技術ではございません。やはり、そういうことを実際に真剣にやろうとなさる方で、また、その資格のそろった方なれば、私は喜んでその技術をお伝えしたいと思うんです。これはお約束できるんです。
だが、残念なことには、今年では、ちょっと昨年度のような情況には、うまい状態にはなり難いと思うんです。しかし、私の予想では、いろいろの事態が、変態的な事態が突発しない限り、月五十万円位は、確実に純益が上げられると、こういうことを申し上げられるんです。まあ、五十万円ということはおかしいんですが、これは一万羽飼うんです。
(夫人)
これは、本当なんです。
ただ今この、いわば秘匿技術ですね、これなんかでも私にはよく分っております。私たちも本当に今日の金儲けに走っておりましたら、おそらく借金してでもやっていたかと思いますけど、今話のありましたように、百万円儲かっても一億円儲かっても、やれないという、こういう方と同じなんでございますが、これははっきり立証できます。今から、二十年程、まだ前だったかも分りません、その当時も既にやっておったんでございます。これは何でも体験を通じて言うことは、自信をもって言えますが、実地体験がございますので、今年なんかのこういう養鶏状況ですと、将来まあ分ませんが、昨年の八月の研鑽会のあの席上で、あれがそのまま実施さえておりましたら、おそらく巨万の富を積んでおる方がおいでになったか思います。
で、この養鶏法なんかでも、いろいろございます、そして一端をお聞きになった方は、あれはまたホラ吹きであるとか、なんにも知らないのに大きなことばかり言うとか、こういうふうにおっしゃいますけども、その点、私も共に主人のやってきたこと私はもともと養鶏は知らなかったものでございますので非常に素人で、まあやられるまま知らずについてきたことですね、それが今になってみますと、その当時はさほどにも感じなかった、そこまで関心もっておりませんでした、ところが今日になりますと、非常にこの当時の体験から確信をもって皆さまにこんな大きなことを申すようでございますけど、お伝えできるんでございます。
で、主人は絶対できないことは口外しません。何を申しましても、最後まで責任をもって申し上げてるんでございますで、
(先生)
その通りです。本当にその通りです。一体ですから、これ言うことは本当なんです。
(夫人)
それで、この養鶏でかりに、本当に今のような状態、或いは損をしておやめになっている方があるかも思いますし、私の知っている範囲では資本を投じて、ただ小屋だけが残って、そして悪感情を残し家庭も相当複雑になっておるという、こういう方がございますが、そういう方たちが、そのままでやめずにですね、状態が悪くなればなる程、よけいに深く入って頂いて、もっともっと自分のために本当に親切になって頂いたら、みんなが暖かい明るい本当に助け合いのできる、こういう社会ができてくると思うんですが。
すべての基となる「精神」
(先生)
ちょっと糸口が出まして、本当にね、ええこと言うてくれます、また他の話の糸口つけてくれますからね、ええもう今まで沢山あるんですがね、ことし・・いや・・このややこしいね年度変りというやつが、ああしかし、この秋ですよ、秋にね、秋に、お正月やったか、いやあ、やっぱ年末か、もう沢山まあ私のところにじかに来るんですよ、だからセッショウなんですよ、セッショウという言葉どうかしらん、いじめに来るんですな、そいで何かというと、ニワトリ・ヒナがうまく育ちました、しかしタマゴ産みません、毎日何百円の欠損です、もう鶏売ってしまいます。ちょっと見てください、カゴに鶏さげて遠いところから汽車にのってやって来る、まあこれは余程上の部です。上の部なんです。このくらいの人やったら、まだましなんです。
それからね、うわさによく聞くんですけど、おかしいんですね、私のとこへ来られて、或いはちょっとうわさ聞くと、また私もどうも甘い親切っちゅうか、お節介が出まして、あっちょっとあんた向こうへ行って下さい、あんた行って貰えんやろうかって、これ遠慮して言うんです。人をこう、まるで命令して使うと思われると実はなさけないんです。そんなさもしい心ないんですからね、しかしたまらんから、まあおおよそ見えるつもりですが、日本中っちゅうて大きいですけどね、まあこの養鶏やって頂く方たちがやね、状況よく分るんですわ、うわ向いてるか下むいてるか、こう迷うてるかっちゅうことが、こうよく見えるんですわ、そうすると状況が悪いというとこをハッと頭に感じますと、これは千里眼でもなんでもない、透視術もやりませんがね、こんなことぐらいよく分るんです。
そこへ、その使いの人ちょっと行って貰うんです。行って貰って、状況の悪いところへちょっとその人が足を踏み入れて、まあサヨナラって言うんでもないでしょうが、ちょっとしばらく一時間でも喋ってお帰りになると、もう既にメキメキようなって来るんですな鶏が、どんどんどんどんよくなって来る、こういうその面白い奇跡的な不思議と言われるような事実が沢山あります、そういう実例が沢山ございます。
そうすると、こういうこと言うてますと、おかしい宗教なんかが頭に入ってある人は、まあ何か宗教的に解釈するんですな。奇跡とか、そういうこと考えられるんですが、皆これは、やはり根拠が皆あるんですわ、何故か、何故そんな不思議と思えるようなことが、実は方々に行なわれて立証されるかというんです。
なんでもない。原理は実にやすいんです。たねあかしは何でもないんです。それは何かというと、やはり精神です。精神と言うとまたおかしいですがね、善良で人に捧げるって、こんな精神やないんです。つまり、一つの安心感ですね、今日みえて居るかいないか知りませんがね、あの人もおそらく今頃はまあニコニコしてると思うんです。一月の十日頃になったら四割五分、五割、五割五分、毎日まあ一週間毎に五分ぐらい上がっていくでしょうということ言うておきかしたから、これはお尋ねになったら分ります。それが何かというと、一つのこの確信です。技術面で何にも言わないでもいいんです。あなたの鶏、さげて来た人、あっもう見ないでもよく分ってる、もう見んでもよろしい、必ず産みますよ、技術は要りませんよ、ね、必ず産みますよ続けてやって下さい、一月十日になったら四割産みますよ、一月末になったら七割八割、或いは八割ぐらい二月になったら産むかもしれませんよって、これ言うただけなんです。何ですか、これはどれだけ技術で進んだかって、その人に、なんにも言うておらんですからね、ところがその人の鶏がメキメキ上がって来るんです。産卵が必ず上がっています。どんどん上がって来るんです。これは何かというと、精神の転換です。ね、自信もってやればそれ程その鶏の成績にも関係してくるわけなんですが、ところがその人がもう自信失って、はぁ損する、今日も損する、このままいったらもう財産も無くなるかしらん、もう餌買うのもちょっと少ない目にしよう、安い餌にしとこうって、こうなるかも分りませんし、もう鶏舎へ行くのも嫌気がさしてくる、もうこういう心理状態になったらもうだめですわね、そらあだめなんです。まあこういう精神的なもの、非常に一例なんです。沢山あります。
まあ、そんなふうで、その損するも、儲けるのも、その辺から出発するということです。それで、何かのそうした事態に突き当った時に、よろしくない状態になった時に、なお勇気を出してそれを打開することに努力する人はどんどん、一旦どんな事態になりましてもそれを再建しまして必ず立派にそのにがい経験を最も良い、この経験に経験として活かして、今後再びそういうこを繰り返さないと、確信がもてた養鶏に進んで行けるということです。
まあ、精神的な必要の一端はこんなところにもございます。
それから、この話しはまた他の方面から進めた方が却ってよく分るんですがね、ええ、やはりこの山岸養鶏というものは、最初から言っておりますように、技術二十、それから、経営三十、精神五十、と言うておりますが、別々に離れたものでございません。その技術そのものは離れておっても、それを使う精神が無かったら、役立たんっちゅうことですから。その精神の根本的なものは、やはり、本当の社会を打ち出すその精神と一緒なんです。
自分ひとり立ちが出来ないという、この自然、それから全部の人間との繋がりなんです。それの理解のいった、分った人の精神でやれば必ず成功するんです。ところが自分だけ都合よくやりたいと、儲けたいとか、こういう考え方でそういう精神状態でやる養鶏は絶対に成り立たない、先細りなる末細りになっていくと、まあこれ、このぐらい簡単に申しておきますが、この点をよく養鶏で成功したい方は探して頂きたいわけなんです。一週間の間に、本当にそうかなあ、自分だけ儲けようということが、末細りになると、それから世界中の人のために、或いは自然と繋がったもの、他も栄えて貰って自分も栄える、こういうようなこの行為に対しては、そういう精神状態から発した行為に対しては、必ず末にどんどん栄えていくと、こういうことを申しておきますから、この点本当であるかどうかということくを究明して頂きたいわけなんです。
(夫人)
あの、これ今は養鶏の話でございますが、これをちょっとこう人間社会と言いますか、その方にこう私喋らさせて頂きます。つまり子どもの教育でございますね、子どもの育て方ね、これは家庭の状況によって、その子たちを見れば非常によく分ります。厳しい家庭ほど、それ以上の強い子どもが出来ております。何も口でやかましく言わなくても、暴力をふるわなくても、子どもは本当に素直に、どうでも運転できるものなんですね、ところが子どもの前で、人の前で、この子はおうちゃくで困りますわ、とても言うことを聞きませんのよと、こうおっしゃる方がございます。もっとお行儀良くしなさいとか、こういろいろな子どもが本当に素直に聞きとれないような、そのことをおっしゃいますが、私はああいうことは言わない方がいいなあと、こう思うんでございます。
それよりも先ず、親のここが出来なかったら、本当の子どもを育てる資格はまあ無い、子どもを育てられないなあと、こういうふうに考えておりますが、いろんな地方にまいりまして、言葉とかそういうものはいろいろ方言とかございまして違いますけども、外国を通じてこの子どもの世界というものは、隔たりがございません。青い目をした子どもでも、日本人、或いは黒人のそういう子どもたちでもですね、言葉は通じませんが心は早く通じます。それが証拠には、なんにも語らなくても自然に溶け合うて、いつのまにか兄弟以上の親しみをもって遊んでおりますね、こういうことなんか見ましたら大人の世界が、はあーこの子どもの姿が本当の姿である、みんながこうならなければいかんなあと、絶えず教えられるんでございますけども、本当に厳しいとその子どもはいくらでも厳しくなります。
(先生)
まあ、そういうことなんですね。鶏飼うのも、同じことなんです。ええ、飼い主がそわそわしておれば鶏もそわそわします。うちの鶏はなんでこんなにびっくりするんやろうかなあ、こういうことをよくご質問なりますが、やはりその人のこの心の世界が鶏に写って、子どもを通じて養鶏も分る。また養鶏やってみてそういうことも子どもの育て方も分ってくるっていうことなんです。
ええ、随分子どもの育て方を立派にやっておるように申しましたが、(笑い)
ええ、ええ、これはね、これはね、既成社会ですわ、既成社会ではね、こういう時に私は出来ておりませんけどもと、こう言うんです。しかし私たちは、これ言いませんわ。本当なんですよ、自信もって皆さんの前に言えますよ、私たちの子ども見に来て下さい。
私たちの子どもたちは、どこへ縁づいても、もしもそこの家庭でですね、おかしな雰囲気があっても、これは必ず立派に解消して、その家庭全体を本当の正しい家庭に、あいあいたる家庭に、転換するだけの能力をもって、・・・
【以降、録音が切れており、残念ながら再生不可能】
よく来て下さいましたね。忙しい、或いは何しに行くのかな、旅費も要るし、それから、体も疲れるであろうし、それだけの間、何か稼いでおったら、これこれになる。まあ、こういうお考えの方はこの席にはみえておらないわけなんです。私たちから言うと、そういう人は非常にそろばん高い、かしこい頭のよい、お金儲けの上手な人と一般には言われておっても、私たちの目から見ると、最も欲の少ない欲の浅い人と、こう言いたいわけなんです。
この席、ご出席になった方は、私の目からこう拝見しますと、みな欲の深い方、もしそうでない方がありましたら一寸手を上げて頂き、話を進めさせて頂きます。欲のない人は、聞いて頂だく必要はないわけなんで、欲の深い人相手に、常々私の思っておることを聞いて頂きたいと思うんです。そうしませんと、やはり無駄話の方が聞きたい方がどうも多い席では私はどうも・・・・。そういうことですから何を申しましても、みんなこれ欲に関係あることだと、こういうふうにご了承いただきたいのです。
先ほど坂本さんから、お話になりましたように、あの人大分このごろ田地を売り出したらしいんです。一町七反なにがし言いましたが、あれはおそらく、何年もちますかね、もうすでに何反歩か減ったらしいんです。それから、もうこれはちょっと期日はきることは出来いんですが、急速に一町七反なにがしは無くなってしまうであろうと、私は見えるような気がするわけなんです。夫婦で出かけて来て、ここへ立って、漫才の真似みたいなことやりまして、とび歩いておりますが、決してこの男は、スキやスイキョウで立ったんではございません、来ておるんでないということを、申し上げておきたいんです。
田んぼを減らすために、財産を無くするためにとび歩いておると、これは、この目で見た形でそう見えるでしょうが、私たちから見れば、最も欲の深い男、素晴らしい頭のよい打算的な男、こういうこと、見えるわけなんです、そういうふうに見えるわけなんです。何故なれば、あの財産何ものか、こういうこと考えたいわけなんです。いつまで続くか、一町七反の田んぼが、果して何代もち続けられるか。こういうことなんです。
それから、この我々が目指しておる社会には、もうそんなに、自分で持ちきらなくても、いくらでも豊富になると、こういうことが必ず近い近い将来実現することを確信しておるわけなんですが、それを、あのするどい欲の深い目で見抜いて先手を打ったと、打って来たと、こういう形に見えるわけなんです。ものも考えようでしょうがね。まあ最も欲の深い人。
株でも儲ける人、ねえ、何か事業をやって儲ける人はね、一応資金をポーンと出しますよ。山も土地もみな売り払ってでも、何かの事業に投資しますがね。この度胸なんです。しかし、これは、無謀ではだめです。根拠がなかったらだめなんです。しっかりした信念をつかんで、どんなことがあってもやり通せると、これこそ間違いないという確信のもとにやっておる、チミツなんです。こういう男は何をやっても必ず成功するわけなんです。そういう打算的な立場からの財産の転換、持ち換え。危ない、いつ無くなるか分らないような財産よりも、永久に減らないますます増える大儲けできる財産に切り換えの、これが第一歩。そういう形に私には、見えるわけなんです。
理解を妨げる既成観念
ええ、一寸こういう話しますと、一般既成社会では、また先に出た男とよく似た調子の違ったこと言いよるなと、こういうことに聞こえるらしいですが、もし、この席にそういう方がおいでになりますなれば、一週間おつき合い願いたいです。はじめは何か分らない、分らない、なんか見当ちがう話をしよるなと、こういうふうにお考えになる方も一週間つきあいして見て下さい。もしも、もしもですよ、この一週間で本当のものを必ず掴まなかったらもう帰らないと、一週間で掴めなかったら二週間でも、一カ月でも掴まなかったら帰らないと、こういう決意をもって頂く方がありますなれば、一カ月でも二カ月でも三カ月でも、この土地にとどまって頂いたなれば、その生活すべてをわれわれにおいて保証することができるんです。経済的にも、その保証に堪えられるだけの裏づけを持っておりますから。
えー、しかし、こういうことを申し上げるのは、既にそれぞれ、知恵なり深い経験なり、色々の自信を持っておられる方は、一週間で掴まえて帰るよと、そんなにひと月もふた月も帰らないでも、もう一週間おれば、必ずやその何か核心を掴み、そして、大きなみやげをもって、帰ることができるよと、こういう方ばかりでありたいと思いますし、また、そうであろうと思うんです。一週間で分らない人は、余程どうかしていると、頭の程度を疑うわけなんです。
どんな人でも、狂人、白痴でない限り、この話はきっと分るんです。一週間で分るはずなんですが、それが分らない方はどこかに欠陥があるということを、これ申し上げておけるんです。
その欠陥は何かって言いたいんです。その欠陥は親に生んで貰ったこの頭の脳髄の働き、これもあるかも知れませんが、もっともっと欠陥の重要な要素がございます。これは何か、生れてから教えらた学問、非常にこれがわざわいするんです。
これ(ヤマギシズムのこと)を理解し、キャッチする上には、この学問が大変な障害になります。欠陥になるんです。学歴というヤツ、これが非常にわざわいするということ、それから、えー、この席でちょっと普通なれば、ご遠慮すべきだと思うんですが、いわゆる、いわゆるですよ、宗教、これなんです。これが非常に分りにくいものにするんです。宗教が染み込んでおれば非常に分りにくいということ。それから、事業に色々の面で成功したと思うておる人達、いわゆるお金を儲けた、工場を経営したとか、農業の方面で財産を作ったとか、こういう人、それから、社会的の地位を持っておる人、こういう人達なんです。今まで、何かの、政治的な面とか、或いは公共的な、或いは社会的な仕事で相当、自他に認められるような、地位についた人、こういう人の自信です。こういうものは非常にその、障害になるわけなんです。知る上において非常な邪魔になるわけなんです。
こういうものを一応あずけて頂かない限りは、まず一週間で、分り得るこの部類の人にはなれないと思うんです。それがある限り、おそらく、絶対分らないと言い得ると思うんです。それで非常にわれわれ苦心するのは、この、染みついたものです。生まれてから染められたものです。こういうものが、非常に邪魔するということが、よく分りますから、ちょっと一言二言お話しすれば、あっ、この人は、ということがよく分るんです。話しておるうちに、まあ、これから沢山でますがね、話しておるうちに、あっ、その通り、その通り、これでよく分るんですわ。けど、その通りに二手あるんです。二手あるんです。
もう、それはね、宗教という言葉を再び使いたくないんですけどね、まあ例えばですよ、ある宗教ですな、ある宗教に染まっておる人が、こういう話をすると、あっ、そうだ、その通りや、われわれが言っておる宗教と同じやないかと、同じことを言っておるのやと、ああよく分ります、よく分りますと、こう言いはるんです。ところがね、ところが、ある所までくると、コツンと行きあたるんです。壁につき当たってしまうんです。そこからが、もう、なかなか抜けないということです。まあ、沢山ありますが、まあ、例えば、宗教・既成観念ですな、今の社会に染みついておる人達には、非常に話が分りにくい。分る人もある点までは、同じ線、同じような考え方、こういうものによって共鳴されますが、その先になってくると、どうしても相容れないものが出てくるわけなんです。
語りたくない養鶏の話
ある思想のごときも、殆ど同じではないかと、こう言うてくるんです。ある部面の話をすれば同じじゃないかと、こうやって来るんですが、しかしある面、ごく小さい部分まで来て、そこで突き当ってしまうんです。
そうすると、これは、なかなかまた抜けきれない。染まってぬけきれないと、また或る地位を得て、その地位、足元がぐらつくことを恐れる、いろいろ沢山ございます。……・・ええ、ちょっと何でもええ喋ってくれ・・・・・な、なんでもええから喋ってくれ・・・・。
(夫人)
本当に皆さんの前へこんなに立ちまして、今日は私何をお喋りするか考える暇もなかったものでございますので、どうぞよろしく。本当に見苦しいこんななりをして、まいりましたんでございますが、先ほどあの山本さんからちょっとご紹介がありましたように、最近健康を非常に害しておりますので、こんな勝手なことを致しまして、あいすまんのでございます。
今申しました如くに、本当にあの全国から或いはまた、あの外国の方からもお見えになります、そういう方たちが一応お話しておりますと、今申しました如くに、本当にその通りであると、その通りです、そんなことは私たちの方がよく知っておりますよ、今頃何いっていますかと、こんな具合いあの話してるうちに、伺うんでございますが、本当にその線まで行きましたときに、ハタと止まってしまうんですね。そうして、それからもう分ろうともしないで、自分のめがねで見て通し、まあ絶対通して行こうとこうなさる方は、本当にこの養鶏なんかをおやりになりましても、絶対成功できないということが断言できるんです。これは本当にお気の毒なことですございますが、それをどうしたらば皆さんに分って頂くだろうと、非常に自分も苦心して、いろいろな方法も考えますが、そうしますと、或いは自己宣伝のようにもなりますし、また人によりますと非常に感情を先にもってお話なさいますし、感情が入りますと、何かしらギコチない気分になりまして、非常に後味が悪うございます。そして結局話をきいたときは非常によかったが、実地にやってみれば、損をしました。私ええ二・三日前なんでございますが、これも後から聞いたんでございますが、宗教に相当二十年余りいろいろな研究なさっている方でございました。あの討論のようになりまして、まあ声も高くなりますし、いろいろ伺ってみましたところが、やはり落ち着くところは同じであったんでございます。そうしまして今日ここへ会場へまいります途中に伺ったんでございますけど、ぞの人のことがはからずも途中で話題にあがってました。そうしましたらその方は宗教をやっておいでになりまして、実際いま家庭を含めて非常に口と実践とが合うてなかったということが私はっきりと掴めたんでございます。まず私たちは、この家庭からですね、家庭から・・・・
山岸養鶏の由来
(先生)
ええ・・・・まあ、ちょっと・・・・
こう、おかしい断続しまして申し訳ないんです。ちょっと話が、あまり好まない話というと、またこれ変なんですが、今日ご出席の方、何かこう鶏の関係で、そういう講習というつもりでおいでになった方が、沢山おありかと思うんです。そういう意味から養鶏という言葉が相当出てくると思うんです。それから、そういう方々も納得して頂かねばならんと、こういう責任も感じておるわけなんです。
また養鶏新聞におきましても、養鶏面について、どこまでも徹底的にご得心の行くまでお答えしましょうということも、書いておりますから、そういう意味あいで、ご出席頂いた方も相当おありになると思いますから、この養鶏という言葉を入れ、養鶏の話をすると、非常に誤解され易いから、なるべく、なるべく、これは語りたくないんですが、しかし養鶏の話を聞きに来たのに、「何か分らんことばかり、・・・・革命や・・・・何のハナシや・・・・また宗教の話が出たり、おかしなこんな絵(※特講最後に出されている絵図のこと)を持って来たりして、さっぱり人をペテンにかけたな。」
こういう、その考えの方がもしできて、早くですな、早く、ご自分で断定なさって、あれは、養鶏の話やって、呼び寄せておいて、変な革命運動にひっぱり込もうと思うて思想をつぎ込もうと思うのやと、こんな風に早合点される方がございまして、もしも、もうこの場から席を蹴って、お帰りになる方ができますなれば、それは非常に惜しいと思うんです。
私たちも惜しいと思うし責任も感じますが、その人の為にも、非常にお気の毒やと思うわけなんですから、それで、ちょっとその点について、釈明いたしておきたいと思います。
つまり、この養鶏なんです。養鶏はどういうものか先程からも最初から、ヨーケイ・養鶏の会と、山岸会は養鶏の会と、こういう風に思う人もあるが、そうでないと、こういうご説明がありましたが、その点なんです。
それで、養鶏の位置というものが、印刷物渡ってますか、位置というものが抜粋してありますから、それをご覧頂くと、よく分るんですが、しかし実は、私たちにしてみると、養鶏ということ非常に大事なんですが、養鶏に時間をとられておることが、たまらないんです。それで実は、養鶏の話はなるべくさけたいんですが、しかし、そういう意味あいから、養鶏について、ご説明しなければならんと思うのですが、その養鶏を成り立たすためには、ということなんです。こういう話が必要なことなんです。
それで、これは先程からも言いましたように、養鶏、なぜこれほど養鶏ということが先に入ったかということは、私たちもうやはり考えねばならんことだと思うんです。そもそも、この山岸養鶏というものが生まれた来歴を知っていただかねばならんことになるんですが、こういうことは、ちょっと著書に書いておりますし、いつもお話しするんですが、やはり徹底しておらないから、養鶏の話を聞きに行ったのに、わけの分らん話、縁の遠い話、理想世界やとか、何とかそんな話ばかりしとると、こう言われるんですからくり返して申しますが、私の養鶏というものは、どういうものかということなんです。そもそもの出発をご了承頂きたいんです。私は少年時代からといいますか、まず、ハッキリ線が出たのは、青年時代です。19、20、21、この三年間は専心、この今かかげておる理想社会、本当の世界を究明したわけなんです。
妥協のなかった青少年時代
ええ今も痩せておりますが、まだこれで肥えておる分でございます。十一貫六百まで肉を削ったわけなんです。
(夫人)
私、これ昨晩聞いたことでございます。主人が最近非常に痩せましたんです。最近特に私たち、私たち結婚してからなんですけど、急にこの痩せましたんです。それから非常に痩せて、こう手なんかに、こう皮があがってるてな、こういう感じになりましたんで、非常に子どもたちと心配しまして、痩せ方がこの頃極度に目立ってきましたから、話しおうてました時に、徴兵検査の時ですね、徴兵検査の時に、あー今の目方やったでしたかね、その目方でしてね、そしてその時の・・・・
(先生)
その時は十一貫八百ありました。三百匁もどしておりました。そういうこなんです。
(夫人)
いや、ちょっとそれが言いたい。
そして、その時の話なんですが、大抵の場合今までですと徴兵の時は丸刈りにして、そして本当にりりしい活発な、なんて言いますか、本当に意気にした雄途につくという、こういう気分で、まるで出世の門出の第一歩でございますが、男子としてあれは、本当にまあいい一つのスタートなんでしたね。その時が有髪で行ったそうでございます。この頭が散発してあったそうでございます。その話聞きまして、時にその検査官からなんか言葉があったそうでございます。
(先生)
散髪してなかったんや・・・
(夫人)
いや散髪がしてないんです。こういう風な頭が長かったんですね、現在の散髪ですね、こんな頭で行ったそうでございますの、で、あくまで私は戦争・・・・
(先生)
いや、ちょっ、ちょっと間違うといかん、そういうことは、間違うと・・・・
(夫人)
あくまで戦争には反対やったかしらんと、夕べそれを聞いたんで、そう思いましたんで、
(先生)
いや、もうそんなこと、かまっておれなかったんですよ。
(夫人)
どんな気分だったか、ここでははっきりします。
(先生)
もう、とにかく、そういうことにかまっておれなかったわけで、髪もぼうぼうとして伸び放題で行ったわけなんです、それから、ちょっと気にさわったらしいんですな、私は何でもないことをいったんですけども、
「何しに来たんかな」それから、まあ隣の人に言ったんですがね。
「何しにこんなところへ来んならんかな」こう言ったわけなんです。
私、ああいう空気あまり知りませんからね。検査場へ行きましてね、そしたらあれ軍曹ですか曹長ですか、何やちょっとこう、ちょっとこうあの金すじのついた、あの兵隊さんが、それがね、えらいこと私に言うんですな。まあ、あんな言葉、ちょっと失敬なこと言いよるんですな。
「お前ッ」ちゅうんです。「お前ッ」そんなこと言うとると、何とか言いよったぞ。非常にその、何ちゅうんですか、私に親切な言葉かも知らんですけどね、つまり「損やぞ」ということを言うんやね。
それから目方のこと、ちょっとやられたんです。しかし、私は目方のことも、そんなことも、合格(とお)して貰おうという気がないから、かまいませんよ、そんなもの。といって、あの当時徴兵忌避に無理に痩せたのがあったそうです。しかし、そんなもんでもない。わざわざ痩せたもんでないんですがね。そこへぴったり向こう(検査官)の目と合ったわけなんです。で、そういう点で、非常に叱られたわけなんです。
えー叱られたこと二回おぼえておりますが、それ以前にも一回叱られたことございますが、まあ叱られたのは、子供のうちからその二回くらいかと思うんですけども。えー叱られた時、とてもきつくこたえましたが、つまらんこと言いよるやつやなと思っていました。そしたら、またもう一つ怒ったけど、これはやられなかって、まあ後で友だちが言ってくれたんですけどね、「よう無事にすんだなあ」って、それから司令官の前に出た時に、さすが何とかいう、たしか大佐でした、何とか大佐。「糸のように細いな」と、こう言うて、言われただけでね。別に何でもなかったですけどね。
そんなことございましたが、要するに、非常に、その当時は今より、もっともっと、身を削っておりましたからね、まだまだ私は自信があるんです。
会の方から非常にご心配いただくんですが、まだ死にませんし、声も出ますよ。
先ほどから、しかし、声は、これおかしいんですね、自分で調節する場合もあるんです。まあ今日なんか多少その傾向もあるんです。今日おしゃべりしたいからなるべく節約しておいたということもございますし、それからね、気がすすまないと、もう声が出ないんです。ポッとつまってしもうて、声が出ない、こういうこともあるんですがね。まあ、まだまだ、まだまだ自信あります。十一貫五百までぐらいは行けるんです。そういう経験持っておりますから、その当時真剣にとり組んでやったのは、やはり、この社会なんです。
なぜこんなつまらんことやるかと、子どもの時からおかしな、ええ、なんといいますかね。まあ、その当時は反逆になるんですけども、私有社会に対して、その当時の社会に対して、おかしいと思うたんですな。それで、むろん友だちがなかったんです。ずっと友だちがなかったんです。親とも離れておったんです事実、で、親たちは私の言うことは分からん、この子の言うことは分らんと、こう言うんです。また友だちともどうしても妥協がないんです。今はもうこんなに年もこう老体というのはなさけないね、まあ、大分世間なれてきたんですか、多少妥協的な点があるんですがね、その当時からずっと、この絶対妥協がなかったんです。それで非常にさびしいんです。まあ自分で淋しいと思いませんがね。しかし、形の上で、友だちがなかったんです。で、何が友だちかというと、こういうことやってたわけなんです。(※真理の究明)
まあそんなことやって、やればやるほど、やらねばならん。こういう形になりまして、えー、いろいろ面白いところも歩んで参りまして、えー、まあ、一つのものを見つけ出したわけなんです。しかし、その当時はね、おかしいことにはね、もう今ありがたいんですがね、こういうこと言えるようになったんですがね。非常に面倒なことが起りまして、ことごとに圧迫うけたわけなんです。
この養鶏は全然出発点がちがう
ところが、人間の社会で出来ることを鶏に応用してみようかと、こういうことを感じたわけなんで、ある機会があったんですがね、その時から、もうちょっと面倒だから、とてもそういう交友関係のところ訪問しても、すぐ面倒な問題が起ったもんですから、とても面倒で、それで鶏をとり上げただけのことなんです。
自分が思うておることを鶏に実験したことなんです。それを今度は、おかしなまわり合せになりまして、ちょうど百姓、まあ誰も百姓するつもりもなかったんですけども、百姓やりかけた時に、ごく近いんで二十四年でしたか、頃に、一旦やめた鶏をまたやりかけた。百姓をやりかけて、その必要上、鶏を入れたということなんです。こういうわけで、そのやはり、もとは本当の世界、これを究明して、それの実現をねがっておったんですが、その当時は容れられなかったから鶏に応用したと。その鶏を、この、それも出すつもりはなかったが、とり上げられたんです。それが拡がったと、そうすると、会ができたと、この会も作る気はなかったんですが、会が出来たと、その時に、この、やはり本当のものを出しておかないかんと、ええ会の本当の、私の願っておる、目指しておる、そういうものを一端この書きとめまして、それから、この精神で、この養鶏はやらねばならないと、成功しないということは最初に、これは発表したわけですが、どうも、私たちがそれを徹底さすだけの充分の準備が出来てなかったために、とり上げられたものは、うわべの、その当時行なわれておった、今でも多いんですが、損する養鶏なんです。本当の精神の入ってない、形の上で表われた、ただ鶏に餌をやって卵産まして、少しばかりお金を儲けて、あと損すると、こういう養鶏と同一に見られたわけなんです。
この養鶏は全然出発が違うんです、組立が違うんですが、しかし、それと同一に見られたわけなんですから、それで、そういうふうに見られたが故に、養鶏の損する養鶏に、損する養鶏にと、こう持って行ってしまわれた。
ところが、やはり全国的にそういう損する養鶏が拡まっていく姿を見まして、やはり気付いた方が沢山あったわけなんです。これではいかん、私もやはり、今日、この養鶏技術、損するような形のものを出すことは、非常に沢山の人に迷惑かけると、こういうことも、いよいよ私自身に分って来たわけなんです。それで再び、もう技術は、この位でとめておいて、それから損しない本当の養鶏法を知って頂かねばならん、それで非常にその線が、濃くなって来たわけなんです。
真髄を掴んで欲しい
この養鶏法は全ての人に役立たすために編みだしたものでありまして、その養鶏技術を使う人の精神状態、役立たすために使う精神、これを非常に人間の生活に、われわれが願っておる、幸福世界に反逆するような、そういうものに使う精神、こういう二つの精神があるわけですが、これをしっかりつかまえて使って頂かないと、現在、山岸養鶏技術を使って頂いた方のあり方を見ると、まず何%ということは数字的に言えませんが、功罪相半ばす、と言いたいんですが、そうでない、役立っておる部分は非常に少ない、理想社会へ反逆するもの、人類に迷惑かけるものが殆どであると、そういう方面に使われておるということが、ありありと見えるわけなんです。
今までの養鶏法は無論のことなんです。今までの養鶏法で養鶏を始めた人が何年続いたかということを見たいんです。
それぞれ、村でお調べになったら、よく分ると思うんです。鶏やって何年でも続けておる人は非常に少ないということです。鶏やって損した人が殆どなんです。ところが山岸養鶏技術も、やはり今の形ではちょっと一時的に儲けておるような形に見えるんですが、しかし、本当にズッと先、二年、三年、五年、十年先をズウーッと見てみると、殆ど、全部ではございませんが、殆ど、損する形に、この技術を使っておられると、こういうことなんですから。
で、その人は無論、これは今、資金投じて、それから、遠いか近い将来、損されると、この人に迷惑かけますし、そしてそういう人たちが変てこなちょっとしたお金儲けなんかされることは、非常に、これは社会的にも、このよい社会を実現する上の、障害になるわけなんです。
核心をつかんでない証拠
ええ、ちょっと、こう抽象的な話になりますから、分りにくいと思うんですが、特に私の話は、分りにくいらしいんですが、やはりこの短い時間にお話しようと思うから、そういうことなんです。
長い時間を頂きまして、お互いに応答しながら、それから、今までの観念を捨てて聞いて頂くと、そうでもないんですが、まあ、こういう話ばかりしておりますと、ご退屈になると思いますが、要するに、このいつまでたっても、何年たっても損しない、そういう養鶏でなかったら、どうも、このやって頂くのに、この技術を使って頂くということは、相すまんと思うんです。申し訳ないと思うんです。よくお調べ頂いたらよく分るんです。養鶏やりかけて損した人が非常に多いと思うんです。昨年(昭和三十年)あたり、大分やめた人がございます。この会員でも、やめた人がございます。けどまあ、こういう人は、私たちは本当の会員と、いうことが言えないんです。
何故やめたかということを調べてみると、すぐこの線上に浮かび上ってくるものがあるんです。どこに欠陥があってやめたか、損したかということが必ず出てくるんです。それは何かというと、やはり、この根本的なものを掴んでおらないということなんです。これを掴んでから、かかってもらったら非常にわけないんです。楽なんです。それから、いつまででも永遠に、いつまででもやれる、そして、儲かる養鶏法なんですから。(一寸、息をつく)
沢山こんな例がございます。ええ。これはどうですやろうかね、ちょっと私も息をつきたいと思いますが、こういう点はご納得頂けると思うんですが、如何でしょうかね。
どこでも、そういう例は沢山あありになると思うんですが、五十羽、百羽の鶏飼って、そしてしばらくやった、三年、五年、変ったことをやるなと思っておる中に、やめてしまって、鶏舎が納屋になったりしておるとか、こんなのございますが。ところが、それは、その当時は臆病で、割合いの少ないんですな、羽数が。しかし、この養鶏法でやると、初めてやった人が百羽入れれば百羽、百五十羽入れれば百五十羽、まあ殆ど、それに近い羽数が育つもんですから、大分ブレーキかけに廻っているわけなんです。
(夫人)
この中にもお見えになっていると思います。危険であぶなくて見ておられんそうでございますがね。
「あぶない、あぶない、ブレーキかけないかん、ブレーキかけないかん」という、そういう方がおいでになります。調子よくいったから、来年は多くやろう、今度は他のものを転換してでもやろうと、こういう力以上のものを得ようと、こうなさる方が、おありになると思います。
(先生)
まあ、胸にこたえる方がこの中にもおいでになるわけなんです。(笑い)
ええ、どうも、そのやはり、よく効く薬はまた危ないということですからね。
ちょっとこれも、これだけ申し上げたんでは、そんな筈ないやないかと、こう思うんですがね、みんな、これ自信もっておられるんです。私ならナーニうまくやっていくって、こういう自信があるんですかね、そうでないんです。本当の、そんなこと考えること自体は、この肝心なものを掴んでおられない証拠ということなんです。
核心を掴んでおられない証拠なんです。
真髄掴んだら、そんなこと出来ないということがよく分るんです。そして長続きしないということもよく分るんです。
よい間儲けておいて、それから後、まあ何とか楽隠居でもする、転換するとか、まあ、こういう考え方、利口そうな人があるが、これも駄目なんです。
こういうこと、分って頂くのはやはり、そうですね、人によれば、まあ一晩二晩ででも分って頂ける方があるかも知れませんが、まず一週間、みっちりと、ご研究頂いたら、分って頂けると思うんです。
この講習会の目的は
えー、こうして出ておりましても、私はこの会の講師の資格を持っておらないんです。今はちょっと前置きとして、お話をさして頂いておる程度でございますので、まだ、この会には、一人の正式の講師がいないわけで、私もおして参りましたのは、やはり、講師の認証をこの際受けておきたいと、一週間どうあっても頑張りたいと、こういう願いも、その一部でございます。(初期にはしばらく講師をもうけたことがあった。)
それで、みなさんとご一緒に、各々の考え方を持ち出しまして、そして、みなさんも同じ線で、どこへ出ても絶対損をさせない、話することみな役立つ、そういうような、しっかりしたものを掴んだ講師に、私はなりたいと思うておるわけなんです。今まで、失敗しておりますから、なおさら痛切に感じておるわけなんです。
よく話しに、講演会なんか講習会なんかまいりまして、お話した結果を見ると、大抵は、その損する形の養鶏を拡げたということですから、これに自責の感を深めまして、それから他の講師の方の実績を見ましても、そういうことがありありと分るんです。その通りなんです。それで、特にこの一週間、長いようですが、まだまだ時間的に足りないと思うんですが、真剣になって、どこへまいりましても損をさせないようなお話の出来るように、本当の講師になりたいと、こういう念願でまいっておるわけなんでございます。またそういう方を沢山、出ていただくということが、この特別講習会の大きな目的の目的でございます。
養鶏は一つの説明材料
それから、特別講習会というのは、ただそういう養鶏の面だけでなしに、もっともっと、それは一部として、やはり、この会の目的そのもの、これの実現、それから、それのまあ、真髄なんです。どういうものであるかということを知って頂くと、それから、それを実行に移して、移せるように、どうすればよいか、どういうふうに持って行こうか、じゃあどうしようか、こういう研鑽によりまして、そして一日も早く、この目指す社会を実現することに、することを目的として、この特別講習会がもたれたわけなんです。
それで養鶏のみの目的でこの講習会をもったわけではないのでございます。
しかし、お話すること、研鑽すること、これからいろいろ徹夜で研鑽すること、みんな養鶏目的に役立つことです。養鶏をやるには、これから入っていかなかったら、その養鶏そのものが成り立たないんですから、それで、やはり養鶏で間違いなしに成功するためには、これを知って頂かなければならないと、また、養鶏に用事のない方も、ご出席になっておるということを聞いております。沢山お見えになっておるそうです。そういう方にも養鶏の話をしておりましても、それはみな理想社会に通じるもの、理想社会を形にあらわした一つの説明する材料と、こういう意味で面倒に思わないで、自分たちに用事のない話、鶏の話なんか、私、鶏飼わないのに用事がないと、こういうお考えにならないで、それを通じて、それぞれの目的に、目的を知るために参考として頂いたら、役立つわけなんです。養鶏の話、すなわち家庭の平和、それから社会の安定、それから世界の幸福と、世界中の幸福と、やはり、これに通じますし、また、それ自体を知る上に、養鶏の一つの引例として、養鶏を引例として、参考にして頂くなれば、却って分りやすい点も、よくあると思うんです。それで、養鶏の話をしておりましても、一般の目的、他の目的にも役立つわけですし、また、他の離れたような話しておりましても、これは養鶏で成功する上に、絶対必要条件ということになりますから、同じことなんです。どんな話しておりましても同じことなんです。そういう意味合いで、よくお聞き取りねがいたいと思うんです。
それから、また養鶏の話しですが、これは他の方も同じことなんです。今申しましたように、みな通用するわけなんです。
資格のそろった方なれば、
昨年(昭和三十年)八月に「一カ月で卵産む養鶏法」特殊養鶏法、こういうものを、そういうものをやりませんかと、提案したわけなんです。「一カ月で卵産む養鶏法って、本当に儲かりますよ、こりゃ保証しますよ、太鼓判おしますよ」と、こう言うて発表したわけなんです。この中の方も沢山これはご承知やと思うんです。
ところが、その時、私、もう少し入っておりましたが「やりませんか、あるだけみな出しますよ」と、パッと放ったんですな。けども、どうも私の信用が足りませんのか、或いはやはり、その本当の大きい儲け方というか、何かまあ、とにかく、儲けたくないのか、あまり賛成者がなかったわけなんです。それで、何人かの人は、やはり資金出しかけたらしいんですが、しかし実現しないで、その「一カ月で卵産ます養鶏法」は現在まだ実現しておりません。
これをあの時「やりましょう」と、みな、まあたとえ一万円ずつでもですよ、出し合っておやりになっておったなれば、今日、一カ月に百万円儲かってますよ、利益がありますよ。
これは、数字的に最も内輪に見積った利益なんです、これは確実なんです。
その養鶏法の内容については、二・三の人に、その一端を話したわけなんです。
しかし、その人にはよく理解がいくんですが、その人も困ったもんです。百万円、一千万円もらっても、やりたくない人にぶつかったわけなんですから、ちょっと困ったことで、もうとにかく、一億円も、何にもそんなものが欲しくないんですな。それでとうとう実現しなかったんです。
しかし、これは、人をひきつけるための架空の技術ではございません。やはり、そういうことを実際に真剣にやろうとなさる方で、また、その資格のそろった方なれば、私は喜んでその技術をお伝えしたいと思うんです。これはお約束できるんです。
だが、残念なことには、今年では、ちょっと昨年度のような情況には、うまい状態にはなり難いと思うんです。しかし、私の予想では、いろいろの事態が、変態的な事態が突発しない限り、月五十万円位は、確実に純益が上げられると、こういうことを申し上げられるんです。まあ、五十万円ということはおかしいんですが、これは一万羽飼うんです。
(夫人)
これは、本当なんです。
ただ今この、いわば秘匿技術ですね、これなんかでも私にはよく分っております。私たちも本当に今日の金儲けに走っておりましたら、おそらく借金してでもやっていたかと思いますけど、今話のありましたように、百万円儲かっても一億円儲かっても、やれないという、こういう方と同じなんでございますが、これははっきり立証できます。今から、二十年程、まだ前だったかも分りません、その当時も既にやっておったんでございます。これは何でも体験を通じて言うことは、自信をもって言えますが、実地体験がございますので、今年なんかのこういう養鶏状況ですと、将来まあ分ませんが、昨年の八月の研鑽会のあの席上で、あれがそのまま実施さえておりましたら、おそらく巨万の富を積んでおる方がおいでになったか思います。
で、この養鶏法なんかでも、いろいろございます、そして一端をお聞きになった方は、あれはまたホラ吹きであるとか、なんにも知らないのに大きなことばかり言うとか、こういうふうにおっしゃいますけども、その点、私も共に主人のやってきたこと私はもともと養鶏は知らなかったものでございますので非常に素人で、まあやられるまま知らずについてきたことですね、それが今になってみますと、その当時はさほどにも感じなかった、そこまで関心もっておりませんでした、ところが今日になりますと、非常にこの当時の体験から確信をもって皆さまにこんな大きなことを申すようでございますけど、お伝えできるんでございます。
で、主人は絶対できないことは口外しません。何を申しましても、最後まで責任をもって申し上げてるんでございますで、
(先生)
その通りです。本当にその通りです。一体ですから、これ言うことは本当なんです。
(夫人)
それで、この養鶏でかりに、本当に今のような状態、或いは損をしておやめになっている方があるかも思いますし、私の知っている範囲では資本を投じて、ただ小屋だけが残って、そして悪感情を残し家庭も相当複雑になっておるという、こういう方がございますが、そういう方たちが、そのままでやめずにですね、状態が悪くなればなる程、よけいに深く入って頂いて、もっともっと自分のために本当に親切になって頂いたら、みんなが暖かい明るい本当に助け合いのできる、こういう社会ができてくると思うんですが。
すべての基となる「精神」
(先生)
ちょっと糸口が出まして、本当にね、ええこと言うてくれます、また他の話の糸口つけてくれますからね、ええもう今まで沢山あるんですがね、ことし・・いや・・このややこしいね年度変りというやつが、ああしかし、この秋ですよ、秋にね、秋に、お正月やったか、いやあ、やっぱ年末か、もう沢山まあ私のところにじかに来るんですよ、だからセッショウなんですよ、セッショウという言葉どうかしらん、いじめに来るんですな、そいで何かというと、ニワトリ・ヒナがうまく育ちました、しかしタマゴ産みません、毎日何百円の欠損です、もう鶏売ってしまいます。ちょっと見てください、カゴに鶏さげて遠いところから汽車にのってやって来る、まあこれは余程上の部です。上の部なんです。このくらいの人やったら、まだましなんです。
それからね、うわさによく聞くんですけど、おかしいんですね、私のとこへ来られて、或いはちょっとうわさ聞くと、また私もどうも甘い親切っちゅうか、お節介が出まして、あっちょっとあんた向こうへ行って下さい、あんた行って貰えんやろうかって、これ遠慮して言うんです。人をこう、まるで命令して使うと思われると実はなさけないんです。そんなさもしい心ないんですからね、しかしたまらんから、まあおおよそ見えるつもりですが、日本中っちゅうて大きいですけどね、まあこの養鶏やって頂く方たちがやね、状況よく分るんですわ、うわ向いてるか下むいてるか、こう迷うてるかっちゅうことが、こうよく見えるんですわ、そうすると状況が悪いというとこをハッと頭に感じますと、これは千里眼でもなんでもない、透視術もやりませんがね、こんなことぐらいよく分るんです。
そこへ、その使いの人ちょっと行って貰うんです。行って貰って、状況の悪いところへちょっとその人が足を踏み入れて、まあサヨナラって言うんでもないでしょうが、ちょっとしばらく一時間でも喋ってお帰りになると、もう既にメキメキようなって来るんですな鶏が、どんどんどんどんよくなって来る、こういうその面白い奇跡的な不思議と言われるような事実が沢山あります、そういう実例が沢山ございます。
そうすると、こういうこと言うてますと、おかしい宗教なんかが頭に入ってある人は、まあ何か宗教的に解釈するんですな。奇跡とか、そういうこと考えられるんですが、皆これは、やはり根拠が皆あるんですわ、何故か、何故そんな不思議と思えるようなことが、実は方々に行なわれて立証されるかというんです。
なんでもない。原理は実にやすいんです。たねあかしは何でもないんです。それは何かというと、やはり精神です。精神と言うとまたおかしいですがね、善良で人に捧げるって、こんな精神やないんです。つまり、一つの安心感ですね、今日みえて居るかいないか知りませんがね、あの人もおそらく今頃はまあニコニコしてると思うんです。一月の十日頃になったら四割五分、五割、五割五分、毎日まあ一週間毎に五分ぐらい上がっていくでしょうということ言うておきかしたから、これはお尋ねになったら分ります。それが何かというと、一つのこの確信です。技術面で何にも言わないでもいいんです。あなたの鶏、さげて来た人、あっもう見ないでもよく分ってる、もう見んでもよろしい、必ず産みますよ、技術は要りませんよ、ね、必ず産みますよ続けてやって下さい、一月十日になったら四割産みますよ、一月末になったら七割八割、或いは八割ぐらい二月になったら産むかもしれませんよって、これ言うただけなんです。何ですか、これはどれだけ技術で進んだかって、その人に、なんにも言うておらんですからね、ところがその人の鶏がメキメキ上がって来るんです。産卵が必ず上がっています。どんどん上がって来るんです。これは何かというと、精神の転換です。ね、自信もってやればそれ程その鶏の成績にも関係してくるわけなんですが、ところがその人がもう自信失って、はぁ損する、今日も損する、このままいったらもう財産も無くなるかしらん、もう餌買うのもちょっと少ない目にしよう、安い餌にしとこうって、こうなるかも分りませんし、もう鶏舎へ行くのも嫌気がさしてくる、もうこういう心理状態になったらもうだめですわね、そらあだめなんです。まあこういう精神的なもの、非常に一例なんです。沢山あります。
まあ、そんなふうで、その損するも、儲けるのも、その辺から出発するということです。それで、何かのそうした事態に突き当った時に、よろしくない状態になった時に、なお勇気を出してそれを打開することに努力する人はどんどん、一旦どんな事態になりましてもそれを再建しまして必ず立派にそのにがい経験を最も良い、この経験に経験として活かして、今後再びそういうこを繰り返さないと、確信がもてた養鶏に進んで行けるということです。
まあ、精神的な必要の一端はこんなところにもございます。
それから、この話しはまた他の方面から進めた方が却ってよく分るんですがね、ええ、やはりこの山岸養鶏というものは、最初から言っておりますように、技術二十、それから、経営三十、精神五十、と言うておりますが、別々に離れたものでございません。その技術そのものは離れておっても、それを使う精神が無かったら、役立たんっちゅうことですから。その精神の根本的なものは、やはり、本当の社会を打ち出すその精神と一緒なんです。
自分ひとり立ちが出来ないという、この自然、それから全部の人間との繋がりなんです。それの理解のいった、分った人の精神でやれば必ず成功するんです。ところが自分だけ都合よくやりたいと、儲けたいとか、こういう考え方でそういう精神状態でやる養鶏は絶対に成り立たない、先細りなる末細りになっていくと、まあこれ、このぐらい簡単に申しておきますが、この点をよく養鶏で成功したい方は探して頂きたいわけなんです。一週間の間に、本当にそうかなあ、自分だけ儲けようということが、末細りになると、それから世界中の人のために、或いは自然と繋がったもの、他も栄えて貰って自分も栄える、こういうようなこの行為に対しては、そういう精神状態から発した行為に対しては、必ず末にどんどん栄えていくと、こういうことを申しておきますから、この点本当であるかどうかということくを究明して頂きたいわけなんです。
(夫人)
あの、これ今は養鶏の話でございますが、これをちょっとこう人間社会と言いますか、その方にこう私喋らさせて頂きます。つまり子どもの教育でございますね、子どもの育て方ね、これは家庭の状況によって、その子たちを見れば非常によく分ります。厳しい家庭ほど、それ以上の強い子どもが出来ております。何も口でやかましく言わなくても、暴力をふるわなくても、子どもは本当に素直に、どうでも運転できるものなんですね、ところが子どもの前で、人の前で、この子はおうちゃくで困りますわ、とても言うことを聞きませんのよと、こうおっしゃる方がございます。もっとお行儀良くしなさいとか、こういろいろな子どもが本当に素直に聞きとれないような、そのことをおっしゃいますが、私はああいうことは言わない方がいいなあと、こう思うんでございます。
それよりも先ず、親のここが出来なかったら、本当の子どもを育てる資格はまあ無い、子どもを育てられないなあと、こういうふうに考えておりますが、いろんな地方にまいりまして、言葉とかそういうものはいろいろ方言とかございまして違いますけども、外国を通じてこの子どもの世界というものは、隔たりがございません。青い目をした子どもでも、日本人、或いは黒人のそういう子どもたちでもですね、言葉は通じませんが心は早く通じます。それが証拠には、なんにも語らなくても自然に溶け合うて、いつのまにか兄弟以上の親しみをもって遊んでおりますね、こういうことなんか見ましたら大人の世界が、はあーこの子どもの姿が本当の姿である、みんながこうならなければいかんなあと、絶えず教えられるんでございますけども、本当に厳しいとその子どもはいくらでも厳しくなります。
(先生)
まあ、そういうことなんですね。鶏飼うのも、同じことなんです。ええ、飼い主がそわそわしておれば鶏もそわそわします。うちの鶏はなんでこんなにびっくりするんやろうかなあ、こういうことをよくご質問なりますが、やはりその人のこの心の世界が鶏に写って、子どもを通じて養鶏も分る。また養鶏やってみてそういうことも子どもの育て方も分ってくるっていうことなんです。
ええ、随分子どもの育て方を立派にやっておるように申しましたが、(笑い)
ええ、ええ、これはね、これはね、既成社会ですわ、既成社会ではね、こういう時に私は出来ておりませんけどもと、こう言うんです。しかし私たちは、これ言いませんわ。本当なんですよ、自信もって皆さんの前に言えますよ、私たちの子ども見に来て下さい。
私たちの子どもたちは、どこへ縁づいても、もしもそこの家庭でですね、おかしな雰囲気があっても、これは必ず立派に解消して、その家庭全体を本当の正しい家庭に、あいあいたる家庭に、転換するだけの能力をもって、・・・
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