研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
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Category: < つれづれ > | 2005.05.14 Sat 07:58

My 興味・関心・・・研究意欲

「悟る」という言葉は激しすぎる? じゃあ「腹に落ちる」これも重い? 「得心する」このくらいの表現ならいいかな?

一体(持たない・我のない・殻のない・溶け合った状態)か、どうか・・・、という話が通じるのは、
一体を(悟った人と言いたいけど)得心した人でないとね。
一体を言葉ならべて説明できても、得心してない人とは、一体という言葉を使っても意味が通じない。
一体の人かどうか、一体の活動かどうか、一体の方向にあるかどうか、・・・こういう話が通じるのは、一体を得心してる人。
一体でない人が何やっても駄目だと思う。一体の世界に反することやって幸福になる筈がない。
だから、一体かどうか、絶えず気になる。人を見る目も、そういう目で人を見ている。この人どうかな。あの人どうかな。
頭で思う一体を意識したって、そんなことは一体の人とは関係ないから無駄なこと。
一体でないところから、一体になろうと意識したって無理だから、先ず一体でないところから抜け出すことだなー。
「一体」って「悟ることだよ」と、やっぱ最後これ言いたくなっちゃうんだよなー。
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