Category: < つれづれ > | 2005.03.27 Sun 07:41
中毒(チュウドク)・・・
酒やタバコをやめられないのをアルコール中毒とかニコチン中毒と言うことがある。程度によるのか、「依存症」という呼び方もあるらしい。
例えば、コカコーラは飲み始めは薬臭く感じるが、飲み続けると美味しく感じるようになって、あれも一種の中毒だという話を聞いたことがある。
「中毒」を辞書で引いてみると、「薬物などの毒素により機能障害をおこすこと」「それなしでは過ごせないこと」と書いてある。用例として「活字中毒」ナンテ書いてある。ナンジャコレ?!
機能障害をおこしたり、それなしでは過ごせないこと、と云えば、今の世の中は、そういう症状が無数にあるように思う。
テレビやクーラー等の電化製品、パソコンやインターネットやメール、携帯電話、自動車、化粧品などなど、「それなしでは過ごせないこと」が蔓延している。みな便利で、それが暮らしを快適にしていると思っているから「機能障害をおこしている」という自覚がない。
元々無かったもの、無くても過ごせるものを「それなしでは過ごせない」として無自覚に暮らしていること自体、頭のどこかが「機能障害をおこしている」と云えるのではないだろうか。
他にも、仕事の虫とか仕事中毒という言葉もある。趣味や遊びの中毒もある。「オタク」という言葉があるが、辞書には「ひとつのことがらに異常にこだわる人」と書いてある。
スポーツ選手や芸術家にも中毒があると思う。その道で秀でた成果を発揮している中毒もたくさんあると思う。
ダイエット中毒、エステや美容整形の中毒、更に健康食品中毒・・・となると、何が健康か、何が中毒か・・・?
所有中毒、お金中毒、保険中毒・・・、全国民が無自覚集団中毒症状に陥っているのかもしれない。
毒も薬のうちで、麻薬も使いようで、そのものが悪いのではなく、使い方を誤って中毒になってしまうのだと思う。
中毒から抜け出すには、「それなしでは過ごせない」と思っているものを、ひとつ、じっくりと時間をかけて、得心がいくところまで調べてみることだと思うが、中毒というものには禁断症状というのがあるから、そう簡単には放れない。
そう簡単には放れないから、それが禁断症状との自覚が伴えばよいが、そうでないと、その思い方によっては、「私にはやっぱりこれが必要なんだ」「私はこれ無しには生きて行けないんだ」と、尚更に思いを固め、依存症を深めていく場合もあるだろう。
自覚的あるいは無自覚的に「それなしでは過ごせない」としている縛り捉われを解放して、正常に戻るためのリハビリ的作業も「生涯学究 予科課程」の役割かもしれない。
一つの例で、Aさんが担当している役割があって、それと似たような内容の事をBさんがやろうとした。すると、Aさんが「私がやっているのに何故そんな事をやるのか」と抗議した。果たして、Aさんは何が気に入らなかったのだろうか。
この場合、Aさんの中で何か「機能障害をおこしている」と思った。
前述したように、スポーツでも芸術でもボランティア活動など良かれと思っての行為も、「中毒」になり得る。
一生懸命になること自体に害はないと思うが、まかり間違うと、一生懸命になって使命感や責任感や正義感に燃え、「それなしでは過ごせない」自分を作り出し、それが高じると、他の人への弾圧・強制へと発展する恐れがある。
「良かれ」という強い思いが、その人の中で「機能障害をおこしている」
便利だ、快適だ、実績があがっている、役に立っている、やりがいがある、充実感がある、等々、現象面の結果的成果や評価よりも、「中毒症や依存症、機能障害」という観点で人間の行為行動・心境面を観察していきたい。
例えば、コカコーラは飲み始めは薬臭く感じるが、飲み続けると美味しく感じるようになって、あれも一種の中毒だという話を聞いたことがある。
「中毒」を辞書で引いてみると、「薬物などの毒素により機能障害をおこすこと」「それなしでは過ごせないこと」と書いてある。用例として「活字中毒」ナンテ書いてある。ナンジャコレ?!
機能障害をおこしたり、それなしでは過ごせないこと、と云えば、今の世の中は、そういう症状が無数にあるように思う。
テレビやクーラー等の電化製品、パソコンやインターネットやメール、携帯電話、自動車、化粧品などなど、「それなしでは過ごせないこと」が蔓延している。みな便利で、それが暮らしを快適にしていると思っているから「機能障害をおこしている」という自覚がない。
元々無かったもの、無くても過ごせるものを「それなしでは過ごせない」として無自覚に暮らしていること自体、頭のどこかが「機能障害をおこしている」と云えるのではないだろうか。
他にも、仕事の虫とか仕事中毒という言葉もある。趣味や遊びの中毒もある。「オタク」という言葉があるが、辞書には「ひとつのことがらに異常にこだわる人」と書いてある。
スポーツ選手や芸術家にも中毒があると思う。その道で秀でた成果を発揮している中毒もたくさんあると思う。
ダイエット中毒、エステや美容整形の中毒、更に健康食品中毒・・・となると、何が健康か、何が中毒か・・・?
所有中毒、お金中毒、保険中毒・・・、全国民が無自覚集団中毒症状に陥っているのかもしれない。
毒も薬のうちで、麻薬も使いようで、そのものが悪いのではなく、使い方を誤って中毒になってしまうのだと思う。
中毒から抜け出すには、「それなしでは過ごせない」と思っているものを、ひとつ、じっくりと時間をかけて、得心がいくところまで調べてみることだと思うが、中毒というものには禁断症状というのがあるから、そう簡単には放れない。
そう簡単には放れないから、それが禁断症状との自覚が伴えばよいが、そうでないと、その思い方によっては、「私にはやっぱりこれが必要なんだ」「私はこれ無しには生きて行けないんだ」と、尚更に思いを固め、依存症を深めていく場合もあるだろう。
自覚的あるいは無自覚的に「それなしでは過ごせない」としている縛り捉われを解放して、正常に戻るためのリハビリ的作業も「生涯学究 予科課程」の役割かもしれない。
一つの例で、Aさんが担当している役割があって、それと似たような内容の事をBさんがやろうとした。すると、Aさんが「私がやっているのに何故そんな事をやるのか」と抗議した。果たして、Aさんは何が気に入らなかったのだろうか。
この場合、Aさんの中で何か「機能障害をおこしている」と思った。
前述したように、スポーツでも芸術でもボランティア活動など良かれと思っての行為も、「中毒」になり得る。
一生懸命になること自体に害はないと思うが、まかり間違うと、一生懸命になって使命感や責任感や正義感に燃え、「それなしでは過ごせない」自分を作り出し、それが高じると、他の人への弾圧・強制へと発展する恐れがある。
「良かれ」という強い思いが、その人の中で「機能障害をおこしている」
便利だ、快適だ、実績があがっている、役に立っている、やりがいがある、充実感がある、等々、現象面の結果的成果や評価よりも、「中毒症や依存症、機能障害」という観点で人間の行為行動・心境面を観察していきたい。