< 研鑽学校にて >
機構と運営
ヤマギシズムによる機構と運営の原則について
1 私意尊重公意行による運営と行動
2 無階級、長なし、機会均等、専門分業、一役三人制、自動解任、
  全員一致、委し合い、研鑽運営、代表制、権利義務なし、
  監視なし、報償なし、罪罰なし、給料なし、対立なし、一体運営
3 自発的、自覚、納得、無妥協、任意、自律、反省、自由意志、服従なし
4 遊休のない無停頓の生活配置
5 真の自由と平等
6 ヤマギシズム生活調正機関について

 これまで、「研鑽態度の研鑽」から「真の幸福と幸福感」まで、理念を学びながら研鑽してきた。これからの「機構と運営」や、それ以降の研鑽課題は全て、これまで研鑽した基本理念から来ている。それぞれの課題を研鑽していく時も、その事がどの理念から来ているのだろうかと観て考えていくことも大切。
 ここにある「機構と運営の原則」にも、はっきりと「ヤマギシズムによる」と書かれてあるように、ヤマギシズムによる、とはどういうことか、どんな理念によるものなのか、そこに関心をもって調べてみる。単なる便法上の機構と運営ではなく、理念によるものである、というところを押さえたい。

1 「私意尊重公意行」とはどういうことか、「による運営と行動」とはどうすることか、と研鑽したいところだが、「私意」とは、「尊重」とは、「公意」とは、「公意行」とは、と徹底的に分析解明するようにしないと、安易な解釈や解説的になってしまって、本来の理念に立った生き方がボケてしまう。「私意尊重公意行」という言葉がひとまとめに頭の中にあって、ある種のイメージを形成していることが多いから、そのイメージのままいくら調べても本質に到達しないのではないか。
 先ず、「私意尊重」とはどういうことか、調べてみる。出し合ってみる、「私意」というものを「自分の思い考え」と定義づけている人が案外多いのではないか。そういう場合、「私意」は自分にあるだけでなく、当然のこととして誰にでもあるのではないか、全ての人に「私意」があるはず。「私意尊重」を「私の意見尊重」と思っている人にとっては「全ての人の意見尊重」という意味であると「大革命」して貰わねばならない。「私の意見尊重」から「全ての人の意見尊重」へとはっきり切り変わるだけでも、その人にとっては世界が変わる、というくらい大きなことのようだ。「私意」の中身は問題ではない。子どもの意見、強悪犯の意見でも「尊重すべき私意」には変わりない。10人いたら10人の私意を尊重する、1万人いたら1万人の私意、10億人いたら10億人の私意を尊重する。当たり前と云えば当たり前のこと、この人の私意は尊重するが、この人の私意は尊重しなくてもよい、などということはあり得ない。そこがはっきりすると、私のも私意、他の人のも私意、そこが出発点になるところが押さえられたら先ず私が楽になる。私の私意を持ったままで「自分はこう思うのに」と、他の人の私意を自分の私意と引き比べる為に聞いているのでは、まだまだ私意尊重の出発点とは言えない。自分の私意も他の人の私意もない、私意は私意として、いろんな私意があるなぁと、そこから尊重にいけるように。

 「尊重」とはどういうことか、よく聴く、正確に受け取る、そういうことだろうか、それだけだろうか、尊ぶ重んじる、と書くがどうすることだろう。もっと大事にもっと大切にすることではないか。その私意に判断を入れないでその通りやろうとすることが、尊重することではないか、そこまで本気でその気でやる気で受け止めることではないだろうか。「私意」や「尊重」や「私意尊重」を徹底究明する途中で、果たして「私意尊重」はどういう考え方・理念から来ているのかと考えてみるのも効果的だ。これまでやってきた「研鑽態度の研鑽」から「真の幸福と幸福感」に至るまでの何れの理念に「私意尊重」は繋がっているのだろうか、と調べてみると「私意尊重」そのものもはっきりしてくる。
 機構と運営について表面的・解説的に概要をやるよりは、このように「私意尊重」だけでも徹底研鑽してイズムの深奥がその人に宿ることが大きい。