< 研鑽学校にて >
真の幸福と幸福感
1 幸福感について
  私は感人種ではないか
2 真の幸福・幸福一色快適社会
3 全人幸福社会はだれのため

1 「幸福感」とは何か、どういうものか、考え出し合う。資料「二つの幸福」を読んで、幸福感の定義とでも云うものが見出せたらよい。幸福と感ずることイコール幸福感かどうか、仮の幸福と書かれてある辺り、幸福感=仮の幸福、本当の幸福になって幸福と感ずるとしたら、それは幸福感ではないだろう。
 他の悲しみを自分の悲しみと思い、自分の喜びは他の喜びとなる心境になれない限り・・・とあるが、そういう心境を探る。
 私は感人種ではないか、と問うてみる。幸福感の定義をしておくと感人種かどうか、はっきりしてくる。ホンモノを目指し得ようとしているか、仮のモノ・ニセモノ・一時的なモノを追い求め、安心・満足・喜んでいられるなどなど、感人種の要素を明確にして調べていく。

2 「真の幸福」とはどういうものか。「幸福」とは何か。「幸福一色 快適社会」とはどういうものか。「幸福一色」とは、「快適社会」とは、大いに考え出し合ってみる。
 「幸福一色 快適社会」の資料を読んで研鑽する。不幸の対句ではない、というのはどういうことか、私の考えていた幸福は不幸の対句ではないかどうか。真の人生のあり方として、幸福一色を捉えているかどうか。人生は幸福であって当たりまえの事という辺りをどう受け止めているか。
 真の幸福に対する観方、私の幸福観によって私の人生観も決まってくる。「万一不幸と感ずる事があるなれば、・・・・」不幸と感じたらその原因を取り除いたらよい、という位に安易に考えてはいないだろうか。そんなことで真の幸福は訪れるだろうか。「万一」と書かれてあるところを見逃さないよう、本当の人生から観たら不幸と感ずることなどあり得ない筈だが、万が一でもあるなれば、という厳格さ、もしも無い筈のものが出てきたら、すかさずその原因を探究して取り除くという生き方。
 人生は幸福である、という絶対線のある生き方。

3 真の幸福は幸福社会にならなければ、あり得ない。幸福観が確定し、人生観が確定したら、何をどうすることか、自ずと割り出されてくる。自分自身の生き方として、幸福になる為に生きている人間として、幸福社会づくりが第一なのは当然のこと。