< 研鑽学校にて >
絶対的境地の研鑽
芯が入り底をつく研鑽
1 頭で分かったと、知得、体得、会得、納得、悟り等、
  実行、実践段階に入れるものとの違い
2 相対に立つか、絶対に立つか
  不安定で絶対的でないもの
  有る間の豊かさ、固定を安定とみる観方
  ふたみちかける、形や結果にかける期待
  幸福感、生への執着

 係としても気を入れ直してかかりたいテーマだ。自らのイズム観の度合いがこの研鑽内容を決めると思う。ここの研鑽内容がその人のイズム観の基となり、これからのイズム生活の底を形成することになるのだろう。取り違えないようにしたいのは、公言や肚決めはその人のイズム観には何のプラスにもならないこと。はっきりした、確定したと思っても、思ったにすぎないもので、根拠のないものは底ではない。具体的に底をつく、芯が入る、というところを探りたい。
 「絶対的境地」とはどういうことか、「芯が入る」とはどういうことか、「底をつく」とはどういうことか、一つ一つ丁寧に調べ出し合ってみる。観念的にならずに、どういう状態か、どういう人か、と画き合ってみたら面白い。自分だったらどんなになることだろう、と自分のことも楽しく画き合ってみたらよい。

1 これまでの研鑽で肚に入ったと言えること、実践段階にあると言えること、を出し合ってみる。これまでの研鑽の成果、みんなでやってきた一体の産物としても確認し合える。本当に底をついているか否かは、ここでは深く追及しなくても次のテーマでやれる。

2 「絶対に立つ」とはどういうことか、ここではもはや公言や肚決めは何の意味もなさない。絶対に立った時の自分の状態を考え出し合ってみる。想像の域を出なくてもよいから考え出し合ってみる。それから絶対に立つか否か、立つ意志があるなら立てる自分かどうか、先ず研鑽学校生活の中で絶対に立った人たり得ているか、もしそうでない部分が(相対的な面が)微塵でもあるなれば、研学を出発してから、絶対に立ってやれる筈がない。先ずここでやれるようになることが先決。ここで絶対線を確定して、例えば絶対的仲良しの実践がやれなければ、いくら頭で理念ははっきりしたように思っていても次の段階に来たらすぐヒッカカルのは目に見えている。
 「不安定で絶対的でないもの」は各項目毎にテーマがあるが、先ず一つだけでも底をついておく「有る間の豊かさ」のテーマで研鑽したらよいが、これがどういうことかというより、絶対に立つとどうなるか「有っても無くても豊か」「無くて当たり前」などのテーマが浮び上がってくると思う。そこでそのテーマを具体的に自問してみる。有っても無くても豊か、で自分は行けるかどうか。生活面でも仕事面でも不平不満の出ようのない立ち処が観えるかどうか、そういう立ち処が観えて、そう成る処に立たない限り絶対に立ったとは云えない。有って当たり前、というのが微塵でもあると必ずそれが無いとき不平不満になって現われるから、それは自分が一番よくわかる筈。このテーマで徹底しておいたら、他のテーマは楽、これからのイズム生活も楽。