< 小論 と 解説 >
精神革命の必要性を思う

豊かじゃないから、不安・心配・不足・不満があるから、思い通りにうまくいかないから、幸福社会じゃないから、豊かにしよう、不安・心配・不足・不満をなくそう、うまくいくようにしよう、幸福社会にしよう・・・・と、しているようだが、これでは全然ダメで、常識社会のドウドウ巡りと同じだと思う。

豊かじゃない人がいくら寄っても豊かな社会はできない。不安・心配・不足・不満のある人が、それを無くそうとしても無くならない。
つまり、幸福じゃない人がいくら寄っても幸福な社会は生まれない。正常健康でない人がいくら寄っても正常健康な社会は生まれない、という当然の理。

幸福でない、豊かでない、不安・心配・不足・不満のある自分であることの自覚症状なく、良いことをやろうとする。実現しないのは当然。
古今東西、政治家も社会運動家も、その多くが、その域を脱していない。その理に気付かない。

今が、足りないと思っている、豊かじゃないと思っている、うまくいってないと思っている、そういう出発点こそが根本的欠陥だと思う。
豊かじゃない自分が、豊かな社会は作れない。不満・不足のある自分が、豊満な社会は作れない。
金を欲しがる自分が、金の要らない社会は作れない。幸福じゃない自分が、幸福な社会は作れない。
その自覚が必要かと思う。

こう言うと、「それじゃあ、理想社会を作れる人なんて、誰もいないじゃないか」と思うかもしれませんね。
でも、そこをよく考えて、・・・・・ 幸福でない親から幸福な子どもは育たないのだから、先ず幸福な親になることだと思う。
豊かな自分になるには?豊満な自分になるには?幸福な自分になるには?

ヤマギシズムで、10年20年30年やってきて、特講、研鑚学校、研鑚会、執われを無くす、観念の正常化、などの必要性は充分知っているつもりでも、日常生活を振り返ると、自分の精神状態の正常か否かには、殆ど興味・関心がなく、不健康な精神状態のままで社会を良くしよう良くしようと、害毒を振りまいているような実態が随分あると思う。

この運動は、社会革命であり、先ず自身の精神革命から始まることを改めて自覚したい。
一体社会実現を希う人を対象にした、予科課程研鑚会の開催が急務だと実感し、この場をかりて提唱する。