< 小論 と 解説 >
研鑽の実現 1

真に科学する世界に・・・・

幸福研鑽会

 毎月、幸福研鑽会をやってきて、1年前ほど前から、真の幸福について調べ始めた。
 初めの頃は、幸福感の話題ばかりだったが、あれも違う、これも違う・・・と調べていくうちに、いったい幸福って何だろう? と、そこから少し本気になってきた。
 幸福研鑽会を重ねるにつれて、本当に幸福を知らない、知ろうともしない、いったい何をやろうとしているのか、どこへ向かおうとしているのか、それでいて毎日毎日いそがしく動き回っている実態が浮き彫りになってきた。
 『本当に人生を知らず、本当に自分を知らず、本当の生き方をしない程愚かなことはなく、実に惜しい一生である。』
 このことが少しずつ実感できるようになってきた。
 だが、幸福研鑽会で幸福を調べても、日常生活がその幸福に則っているかというと、甚だ疑問が残る。そういう今の実態だと思う。
 それは、幸福研鑽会と呼ばれている機会が、本来の幸福研鑽会として機能していないということでもある。
 具体的な日常生活の方向性・指針が見出されるのが幸福研鑽会だと思う。
 「幸福研鑽会が大事だ」という観念を持っている人は多いが、本当に幸福研鑽会を基盤にした生活とは、幸福研鑽会で構成する社会とは、どういうものか?
 安易に、簡単に、幸福研鑽会をやっているような気にならないで、幸福研鑽会とはどういうものか、果たして今やっているものが幸福研鑽会と呼べる内容なのかを、もっともっと探り続けて行きたい。

適性試験科

 適性試験科という名称で、1週間の合宿研鑽会をやり始めてから2年近くになる。
 適性試験科という名称からくるイメージからだと思うが、「自分の持ち味を調べて、自分には何が適しているか、これからどう生きていくか。」を調べようと参加する人が多かった。しかし、実際やってみると、持ち味を調べて、適性を見出すことの前に、もっとやることがあることが明確になってきた。
 それは、「生きる」ということを「知る」ということだった。
 何のために生きているのか、人生の目的は何なのか、生き甲斐はどこにあるか、ということである。
 こういうテーマは、浮き彫りになってきても、それに対して自分で答えを出すところまで調べることがない、調べることができないのが実情かと思う。
 それは、人生の目的や真の幸福なんて、そう簡単に分かるものじゃないという社会通念から来ているのではないだろうか?

 「人生の目的も知らず、真の幸福も知らず、何十年もよう生きてるな!?」

 ここから出発したいと思う。目的地も知らないのに、行き方ばかり捜しているような、実に滑稽な姿に目覚めることだと思う。
 持ち味を調べたい、適性を見出したい、というのも単に充たされない自分のやるせなさを何とかしたいという動機かもしれない。持ち味を知って適性が見つかったら気持ちが充たされるように思っているのではないだろうか?
 これは、順序が逆だと思う。先ず、人生を知って、幸福を知って、それから、持ち味・適性・・だと思う。
 専門研鑽会・幸福研鑽会と称している機会も、その動機は何かと問うてみたいものである。日常の事柄をなんとかしたい、自分の気持ちをなんとかしたい、という動機で臨んでも、やはり人生を知る、幸福を知るという根本問題に立ち還る研鑽が不可欠だと思う。

研鑽の実現

 「無固定前進」・・・無固定イコール前進か?
 職人や芸術家やスポーツ選手など、日々の練磨を「研鑽」と呼ぶことがある。
 目指すもの、理想がハッキリあるからこそ、それに向かって日々研鑽する。
 キメツケのない考え方、科学的究明態度、研鑽生活、といっても、それそのものが目的ではない。
 心底希求する真目的があるからこそ、そうならざるを得ない、人としての当然の姿だと思う。
 人生の目的、真の幸福のなんたるかを掴まずして、研鑽は実現しないと思う。
 目的や目標、確たる方向性もないのに、固定なく自在に考え究明続けるなんてことは実在しないことだと思う。言いかえれば、目的がないなら、研鑽の必要が生じないのも当然かもしれない。
 仕組みや運営について検討する場合にも、「こういうのが良い、当然だ」と固定していて、固定している自覚もなく、「そうするにはどうするか、そうならないのは何故か」と、研鑚しているつもりになっていることが随分ある。
 概ね、日々、研鑽会と称して、このような検討議会をしていることが多いと思う。
 研鑽会と称してやっている機会でも、一度客観的に見直して、「この研鑽会の真目的は何か? 何を理想としているか?」と問い直してみることだと思う。
 これは、幸福研鑽会にも、専門研鑽会にも、当てはまることで、真目的でも理想でもない、自分たちの目標についての検討議会になっていないか?
 真目的・理想が日常のベースになるのには、真目的・理想を心底会得する研鑽機会がもっともっと要ると思う。
 真目的・理想がベースになっている人がいないと、研鑽会は実現しない。
 研鑽とか研鑽会というと、いろんな意見を出し合ってキメツケなくみんなで考え合っていくというイメージがあるが、それだけでは絵空事、架空の遊戯にすぎない。
 真目的・理想のないところ(人)に、研鑽は実在しないと思う。
 真目的・理想は、頭で思い浮かべるものでなく、その人の心の底に宿るものである。
 自分の人生を知るということは、それにとどまらない深く広い世界を知ることになる。
 人生を知らないとボーッと生きる、漫然と生きる、自分が良いと思うものに頼って生きる。
 人生を知ると、科学的究明態度になり、進歩発展繁栄する。