< 小論 と 解説 >
昼の世界について

 『今の経済機構も、政治及び社会組織も、人の心も皆、明るい昼の姿に変ります。』
 ヤマギシズム社会の実態「陽的社会」の、この一節に出会った時、目の醒めるような思いだった。
 それまで、なんとなく「人の心が正しくなることによって正しい世界が実現する」と思っていたようだが、ここには「昼の世界」が実現することによって、「人の心も昼の姿に変わる」と書いてある。
 「昼の世界」とは何かを解明せずには、いられなくなった。

 「明るい」という言葉に、以前から興味を抱いている。
 明るい人・明るい職場・明るい気風・などなど、「良い」という意味もありそうだが、良い人・良い職場・良い気風・・・とも違う。

 開放的・解放的・自由な状態。隔て囲い隠し偽り悩み等の無い状態。
 「明るい」ということを考えてみると、事がうまく進んでいるとかいないとか、物が豊富にあるとか無いとか、そういうことに関わらず「明るい」ということがあるような気がする。
 出来が良い、思い通りに進んでいる、物が豊富にある、ということによって、明るくなる人や職場もある。でも、それは、明るい人、明るい職場、とは言えない。
 明るくやっている人や職場があっても、明るい人だとか、明るい職場だとは言えない。
 うまく行っても行かなくても、明るい人、明るい職場、があると思う。

 ここから、本題に入る。
 「昼の世界」とは、事がうまく行っているとか、物が豊富にあるとか、が問題なのではなく、「明るい」か、どうかだと思う。
 事件・事故・犯罪・貧困・倒産・失業・自殺・病気などなど、暗い話題が多い世の中だと言うが、このような事柄があるから暗いのか、無くなれば明るくなれるのか、と考えてみたい。事が起きたり起きなかったりで、明るくなったり暗くなったりする。これでは、明るい昼の世界は実現しないだろう。

 開放的・解放的・自由な状態。隔て囲い隠し偽り悩み等の無い状態。
 良いも悪いも、出来・不出来も、凡てが白日の下にさらされた状態。何もかくす必要が無い状態。ゴミはゴミ、間違いは間違い、下手は下手、嘘は嘘、本当は本当、そのままありのままがハッキリと晒されて、よく見えて、よく分かる状態。真昼の状態。
 何がゴミなのか、何が本当なのか、どの道が何処へ繋がっているのか、暗くて見分けがつかない、危なっかしくて、恐る恐るしか歩けない、暗い夜の世界。
 怒り・憎しみ・紛争・犯罪があるから暗いのではなく、暗いから訳の分からないことが起こる。

昼の世界にするには、隠したり飾ったりしなければいいだけのことだから、本来、実に易しいと思う。誰がどんなことを言おうが、耳も、目も、口も、あんぐり開けて呑み込んでいるだけで、抗弁する要もないから、楽だと思う。抑えたり押し付けたり縛ったり隠したりしなくていいから、楽だと思う。
そのまま、ありのまま、なんの抵抗もなく、白日の下に晒されて、事実・実態・真相が明らかになったら、それでいいと思う。
夜の世界では、夜用の経済機構・政治及び社会組織・人の心になるのは当然と思う。
昼の世界になれば、皆、昼用になると思う。そうしたら、皆 昼の姿になると思う。
明るい明るい昼の世界が、実現しているのは、どこかな?
実現しようとしているのは何処かな? 誰かな?