< 現象・無現象 >
受けるものと適応性順応性等 感性 (1997/5)

『やはり環境適応性というか、感化受けるというか、そういうものが本能的にあるのと違うか、ウグイスでも。』
『受ける本能あって受けるものとがね。』
『これ今の処大事なことや、感性とか順応性とか与えるものとがね。』
 ウグイスでも環境によって谷ごとに鳴き方が微妙に違うという。だとすると、あの鳴き方は持って生まれたものだけではなさそうだ。周囲環境とそれに適応しようとする本能的なものの作用も加味されて、ああいう鳴き声になっているのだろう。
 こんな例えがあります。鉄棒に電流を流すと電磁石になる、熱を加えると熱くなる、そうなった状態を指して、この鉄は磁力が強いとか、この鉄は熱いという。しかし、磁力や熱は鉄そのものではありません。もう一つの例では、水は液体だとは云えない。液体の状態の時を水と呼ぶ。熱を加えたら気体に、冷やせば固体になる。どの状態を指してもそのものではない、ということになってくるようです。で、水そのものの本体とは・・・。

 そして、人の心や観念 人間性についても、それがその人そのものだとか元々あるものだと云うより、周囲環境から感化を受ける本能や、受けたものに適応順応して心や観念を形成する本能が元々あって、そういうものによって現在のその人が出来ていると云えるでしょう。今ある持ち味や性格や考え方や各種能力なども、生まれた時からのものだけでなく色々な条件要素の集積の現れです。人間性とか異性とか個性とか、元々の本性は生まれつき具わっているとしても、それと周囲環境によって人間はつくられていくのでしょう。
「朱に交われば赤くなる」「霧の中を行けば知らないまに着物が湿める」などと昔から云われているように、子どもの成育は勿論、私たちの心の正常化にとっても、誰にもある感性や順応性に対して、お互いに周囲環境的要素として何かを与え合って生長しているのでしょう。
 社会の正常化には人の正常化、それにはもとの心の正常化、と私たちの研鑽は核心に迫ろうとしているわけですが、もとの心の正常化にとっても、周囲社会の正常化の大切さが観えてきます。全人真の幸福・ヤマギシズム社会化革命の具現方式である金の要らない楽しい社会づくりを、それを志す人達の環境要素として、先ず第一に掲げる所以です。
 人格や人間性 もとの心を形成する機能「本能的感性」と、それへの社会環境「周囲の人的要素」の研鑽へと入っていきます。