< 現象・無現象 >
現象面正備と観方の開眼同時進行 (1997/2)

『先ず無いのが当り前やと、そこに底おいておくと何時でも賑やか、こういうものの観方、だが、それでよいとするでなく、有るが上に尚よく、よりよくよ、こういうものの観方。』

 出来ない、足りない、やってない、というのは事実ではなく、観念段階のもので、ある一線からの架空の観方であることが解ってくると、自分が今観ている一線と、本当の一線との違いが観えてきて面白い。
 日常ふと出てくるものの観え方によって「ああ、こういう観念で観ているのだな」と自分の観念の状態に気付けるようになりつつあります。

 もともと何も無い零の線から、真理真実顕現の方向にのみ現象化している実態、それがヤマギシズム社会です。
 事実をありの侭観ると、後返りのない前進一路の人・もの・社会があるという実態、凡ゆるものが今ある100%を発揮しているという実態が観えてきます。
 そういう実態が有るのを観えなくしているとしたらそれは何か、有るものを味わい実感していないとしたらそれは何故か、もしも、自由さの実感・豊かさの実感・広さ明るさ暖かさの実感が薄いとしたらそれはどういうことでしょう。同じ社会で共に暮らしながらも、一生の幸福度の差異、その日々の損失の累積は莫大なものです。全く新しい、束縛・強制・監視・障壁の無い社会に居りながら有るかの如き何かの観念で、この社会の実質価値に蓋をして、眼前に展開している広大無辺自由奔放な豊満世界を見落とし忘れているのかもしれません。

『現象界の何ものにも執われない心の解決したものの現象面への顕れは必ずそういう形になって顕れるもの』
 現象の有無に関わらず零の線に底があるからマイナスや後退がない、そういう心の現象面への顕れは繁栄繁盛しかない。
 今、改めて眼を開いて観ると、ここには真の幸福社会実現に100%発揮し前進する人・もの・社会があります。ある・有る・在る、真実を指しているものばかりです。プラスと前進だけのヤマギシズム生活。良きが上に、なお良き、より良きを念い、明け暮れる日夜は楽しみの連続です。
 現象面の正備は、心の世界の解明と同時進行で進めていこうとするものではなく、そうした心の人達の必然的行為の結果なのです。心の世界やものの観方が進んだ分だけ現象面も進む、同時進行なのです。
『日常の総ての現れはもとの心の顕れ』なのです。
 厳しい世界であり、努力の要らない楽な世界です。