< 豊かさ観 >
他に求めず ならではの豊かさ満喫

 『足りないところによさがある』を研鑽していくと、人の営みは足りないところ充分でないところを、足していく充たしていく行為ばかりではないかと思われます。それが楽しみであり生き甲斐です。不足や不満の事実に対して、不足感不満感という不愉快な感情が伴うのは、自他の隔てある個別観から他を責めたり要求する考え方となって、こうした自己矛盾や葛藤に現れるのでしょう。「まだまだ不安定だな」と思うことも、その元が固定の安定観であれば、固定を目指していくから、固定しきらない自他に不足感不満感が絶えないでしょう。
 幸福感の連続状態を幸福一色・永遠の真の幸福だと思い違いしていないだろうかと、ヤマギシズム幸福観の研鑽をしました。
 既成社会と比較して豊かさを云う場合、豊かさを計る尺度が同じ中身で、その量が多いのを豊かだとして、それが連続しているから豊かだと感じているのは、ヤマギシズム社会ならではの本質的豊かさとは云えないでしょう。
 この豊かさは既成社会には無い豊かさ、比べようのないもの。全てのものが、既成社会観念そのままの欲求を満たすためのものなのか、と自分自身に問うてみれば、何を味わいどんな豊かさを感じているかが判ってきそうです。
 それは私の中にある豊かさ観です。
 物と心は切り離せないもので、豊かさは心の面だけに留まることはなく、限りなく拡がる普遍の豊かさ一色の世界。その豊かさが言葉や表情や行為にも、仕事や暮らしにも、学問・政治・文化にも顕れる世界、物も心も満ち充ちた果てしなく拡がる吾が世界です。