< 宗教から研鑽へ >
まえことば

 本稿では、ヤマギシズムの提唱者である、故 山岸巳代蔵 氏が、逝去される一年前の一九六〇年に、宗教に関して語ったものの中から一部を紹介し、それを解説して、私どもの宗教観を表したいと思う。

 本書では、既に「宗教を定義する」と題して、宗教定義を明示している。
 ここで扱う「宗教」とは、特定の教団や釈迦・キリストなどの人物、そしてその教義の内容を指しているのではなく、本書の「宗教を定義する」の中で掲げた宗教定義に基づいて、宗教や宗教的なものを広範囲に解明しようとするものであり、その宗教を信仰する人の心や観念界について取り上げるものである。

 つまり、宗教上の人物や活動についてではなく、「宗教とは何か」と宗教そのものを探りながら明確にしたいと思う。宗教に関する書物は多いが、このように「宗教とは何か」と、「宗教そのものを分析解明する」ということは、今までに余りなされていないように思う。
 「宗教とは何か」これを探っていくと、宗教とは決して宗教教団的な宗教だけでなく、日常生活や社会活動の中にも、宗教と云えるものや、宗教と思っていなくとも宗教的な事が多々上げられると思う。そういう無意識の宗教性にも着目して、宗教について考えていきたい。

 もう一つ注意したいのは、「直感」とか「霊感」などの人間が持っている能力についてである。ともすると、直感力や霊力などに頼るものを宗教と混同して同一視する向きがあるが、これらの能力は必ずしも宗教を深く信仰している人にのみ発生するとは限られず、宗教を切り離して考察すべく、よく分析して検べる必要がある。今のところ解明に至らない未知で不可思議と思われる能力についても、一つ一つ分析解明して有効に活かしていきたいものである。直感や霊感を宗教的に信じ込んでしまうところに危なさを想うものであるが、決して直感や霊感の存在を否定するものではない。

 本書は、宗教について科学的に分析解明して、「宗教とは何か」と、宗教そのものを明らかにしようというのが目的であるが、「宗教」という言葉から連想されるいろいろの関連あるものとの混同を避けて、できる限り分類して、宗教の根源に迫りたいと思うものである。そのためには、先ず以上にあげたように、「宗教」そのものと教団・教義や宗教活動・宗教上の人物との分類、そして「宗教」と直感や霊感などとの分類をより明確にしておきたいと思う。そうしないと、私どもの「宗教観」に対してとんだ誤解が生じる恐れがあるので、この点については本文に入る前にくれぐれも、ここで強調させていただきたい。