< 小論 と 解説 >
本当の仲良し (1995/2/17)

 「本当の仲良し」とは、どういうものだろうか、どうしたらそうなれるのだろうかと、探っていった。隔て、執われ、キメつけを無くしていけば、本当の仲良しになれるという。もともと仲良しだから一体観に立てば、仲良しが当たり前だという。仲良しでないとしたら、自分の我執が原因だから、自分が無我執になることだという。要は仲良しも、仲良しでないのも自分次第だという。
 そこで、もう一度「本当の仲良し」とは、どういうものだろうかと考えてみた。「本当の仲良し」とは、絶対的なものではないだろうか、完全な仲良しのことではないだろうか、もともと仲良しなら本当に元の元までいってこそ「本当の仲良し」ではないだろうか、と進んでいった。

 「本当の仲良し」は、どこにも誰にも、隔て、執われ、キメつけがない。他がどうあろう共でなく、自分にも相手にもどこにも無い。自他共に我執が無くなってこそ「本当の仲良し」と云える。ほんの小さな一点でも執われがあれば、それは「本当の仲良し」ではない。私の執われを無くすだけでは「本当の仲良し」は成立しない。
 自分の我執を無くしさえすれば良いとしているところに、独りよがりがあると思う。そこには既に自他の隔てがあると思う。誰の中にも我執のない世界。「本当の仲良し」を希うからこそ、自分の我執も人の我執も自他の隔てなく無くしていく。全人の公器だから当たり前のこと。どこにあろううが誰にあろうが、公器に着いた我執を見過ごしにすることは出来ない。

 「本当の仲良し」は、完全な仲良し、永遠不変の絶対崩れない仲良し、世界中から頑固観念・我執が無くなってこそ「本当の仲良し」となる。
 私達の日々の実践は「本当の仲良し」実現の毎日である。この地上の一角に我執のない「本当の仲良し」を実現する。先ず五人から十人から、そこに我執のない「本当の仲良し」を実現する。そして、百人、千人、一万人と「本当の仲良し」を実現していく。絶対無我執世界実現に通ずる、ただ一つの道。職場で、家庭で、地域社会で、各々の立場において「本当の仲良し」に徹する人達で、先ず此処に「本当の仲良し」を実在さす。