< 研鑽学校にて >
無我執研鑽
1 人間の判断能力
  (五感、六感、記憶力、知能、知識、経験、その他)
2 真理、真実、真意、真相、事実、実態と
  人間の考えや観察による判断との異い
3 無我執(我当然、執抹殺)

1 「人間の判断能力」とは、どういうことですか、どういうものですか、といろいろ考え出し合う。ここのテーマは「人間の判断能力の不確かさ」なので、「不確かなもの」という辺りが出てきたら、「不確かさ」の方に重点を置いて考え出し合う、「不確か・不正確」とはどういうことか、どれくらい不確かか、などなど不確かさについて考え出し合う。人間の判断能力とはどういうものかと純粋に科学する気持ちが大切。

2 先ず当面の目標として、「事実と考えとの異い」を科学的に究明して一人残らず肚に落ちるのが大切。「事実と思いの分離」という表現はよくないのではないか。「分離」ではなく「異い」異質なもの、もともと異なるもの。私が見ているものと、事実そのものとは、全く異なるもの、と実例を以て研鑽する。そこがいけたら相手が言ったことと、自分が聞いたことも、全く異なるもの、とはっきりしてくる。更に報道などについても報道されていることと、事実そのものとの異い、又それを自分なりに受けとっていることとの異い、へと事実・実態と考え・思いとの異い、を研鑽する。
 そこがはっきりしてから、物事について真理かどうか即ち正しいかどうか、と判断することについて研鑽することに繋がっていくもの。「人間の判断能力」と「事実と考えの異い」から、果たして「正しい」とか「間違い」とか言い切れるものかどうかの、本質的研鑽に入り、ここまで行ってからが「無我執研鑽」といえる。
 「事実と考えの異い」までの研鑽にしておいてもよいが、これが「無我執研鑽」だ、とはならないように。

3 「執」とは何か、どういうものか、どこから来るのか、と考え出し合う。1と2のテーマから観れば「執」など起こりようのないものではないか。「執」がまだまだあるとか、無くすのはとても難しいとか、自分よりの観方ではなく、本来どうか、どうあるべきか、1と2が頭の理解に終わらなくて肚に入っていないと、ここが純粋に考えられない。