BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 山岸巳代蔵 思想 研究 ――
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Category: < 人 間 理 > | 2009.06.01 Monday 09:00

研鑽心理学センター

自発的な「心のケア」を・・・(4.29) で、その一端に触れてありますが、
研鑽心理学センターがスタートしました。
まだ、趣意書パンフレットの掲載だけですが、ホームページをご覧下さい。
  ↓
http://www.kensan-psychology.org/

Category: < 研鑽の理 > | 2009.05.19 Tuesday 09:00

研鑽とは

研鑽について
人間は、物事を捉えたり解明したりできる優れた知能を具えています。その一方、個々により、時と場合により、同じ物事についても、様々な見え方、聞こえ方、感じ方などをします。ところが案外、この認識が不十分なために、自分が見たり聞いたり捉えたものによって、事実・実際がこうだと思いやすく、大勢の意見が一致すると、その思いは更に強くなることが多いでしょう。
一人の、或いは大勢の捉えたもので、こうだと思ったことでも、あくまでもそれはその人が捉えたものであることを自覚して、実際はどうだろう、本当はどうだろうかと、固定、断定、キメツケなく、検べていこうとする態度、どんな意見にも耳を傾けようとする態度が必要だと思います。このようなキメツケのない態度で、事実・実際、本当はどうだろうかと、検べていこうとする考え方が研鑽です。

研鑽によって
人の行為についても、現象面の目に見える言動よりも、その言動に至るその人の心の状態や考え方などに重点を置くようになります。人の言動やあらゆる事象について、その背景や底にある内面・真相・原理を知ろうとする知能の働きともいえるでしょう。
誰のどんな行為や考えも、裁いたり、咎めることがないから、対立や争いもなくなり、自然、人と人との繋がりが深まり、心通い合う気風が醸成される知的で情的な営みともいえるでしょう。

Category: < つれづれ > | 2009.05.18 Monday 23:00

こうふくけんさん日常化

科学哲学する思考「研鑽」を身につけることが人間性にとって必須要素だと思う。
そして「研鑽」の基礎になるものが、幸福研鑽・目的研鑽だと思う。

つまり、凡ゆる考えや行動の元には、「希求する幸福」「人生の目的」がある筈。
例えば、結婚して家庭を築き、職に就いて仕事をするにも、幸福を求めない家庭や仕事があるだろうか。
しかし、現状では、日常の「生活や仕事」についての事柄が主題で、幸福研鑽・目的研鑽がとても希薄な体質だと思う。
本当の幸福を見出し、本当の目的を知ることを、二の次・三の次・後回しにしているのが実情だと思う。

疎遠の人や研鑽に触れていない人に対しては、心底の希いや根本問題を語り合おうとするが、日常的に身近で親しい間柄では、幸福研鑽・目的研鑽が希薄ではないだろうか。
研鑽ライフセンターに参加するのも、参加する前の幸福研鑽・目的研鑽があると思う。研鑽会に参加したり、自分を知ることが目的ではない筈。

幸福研鑽・目的研鑽に根ざさない活動を、皆で仲良く楽しくやって、人や物が増えたって、それがいったい何になるのだろう。
自分の中に、いつも、幸福研鑽・目的研鑽があるだろうか。
その人の中に、いつも、幸福研鑽・目的研鑽があるだろうか。

<< 幸福研鑽の日常化に向けて・・・ >>
「なぜそれをやるの?」「それをやって何になるの?」
この問いが根付くように、先ずは、職場でも家庭でも、四六時中、自分の中に貼っておくというのは如何がでしょう???

Category: <山岸さんの声など> | 2009.05.13 Wednesday 18:00

ことばと真理  ― 考える ことば ―

・欲が小さい。余りにも欲が浅い。多くの人々は一体、何を得ようとしているのであろうか。
・養鶏が目的でない。幸福が目的である。
・物が有っても無くても、幸福である世界に住みたい。
・物の平等だけで、お互いむつみ合って行くことは出来ぬ。
・かつてA、B二つの養鶏家達のグループがあった、Aは物が平等に満ちたグループ。Bは物に於て不平等のグループであったが、
 Aは絶えず猜疑し合い、争い合った。
 Bは常に信じ合い、むつみ助け合った。これは、
 Aは普通の人々の集合に過ぎなんだが、
 Bにはたった一人、謙虚で神の如き人があったからである。
・誰か、きっかけを作る人がほしい。人のために、一番損をし、一番ただ働きをし、一番謙虚で、そして一番楽しむ人を。
・私は、神の有無については別に述べる。神というものが有りとするも、神によらなくとも、人間の知能によって、万人が望む幸福社会を実現し得る。
・この世には解らないものが甚だ多い。しかし、解らないことを、神で片付けるのは卑怯である。
・理想は、空想と違って実現出来得るものである。古往今来、すぐれた人々によって、理想は高く掲げられた。しかし幾千年を経ても、現実の世の中は、その理想に反するかに見える。これは理想の実現に、方法を以てしなかったからである。
・諦めでものを解決したくない。
・技術だけで研鑽会に来る人がある。欲の最も小さい人と云わねばならぬ。我々の養鶏法は、精神五〇、経営三〇、技術二〇であることを、知らないのであろうか。
・甘えてもいかぬ、甘えかしても悪い。
・私に後継者を作れと云う人がある。とんでもない。実は私一人で耐え切れぬのである。我々の養鶏法は、各自の持っているよいものを持ち寄って、創り上げていかねばならぬ。
・物欲で対したら必ず負ける。真理に即した智慧を以てすれば、常に不敗である。
・席順のゆずり合い、身分の上下、言葉づかいや、ことさらの儀礼に心せねばならぬ社会、こんな無駄ごとに心をくばる社会を無くしたい。
・人情的に―。私はこれを尊ぶ。
・遠慮は無駄ごとである。
・何でも云える仲になりたい。
・真に分り合うには、夜を徹して語り合うことである。万象眠る、ただ二人のみ、その中に覚めて語る。真に分らぬとゆうことはない。
1954.9.25 山岸式養鶏会会報二号より
 以上、折にふれて聴いたことを、記憶をたどって記したものであります。従って、御本人の御意志に反した表現があったり、全然間違った点もあろうと思います。これはすべて文章の私にあります。真を邪に聞くうつけ者を、ただ叱って頂きたいと思います。(山本英清 記)

Category: < 人 間 理 > | 2009.04.29 Wednesday 22:00

自発的な「心のケア」を・・・

研鑽心理学センター設立に向けて

「人間の考え」「自分の考え」であることを理解しつつ、自分の頭の中にあるものについての自覚が進んでくると、「自分」というものについても、頭の中で捉えている「自分」よりも、自分の実際、自分の成り立ち、自分の中に形成されているものに関心が向き、焦点があたってくる。

人には、生まれ育つ間に形成された「考え方・観念」などがあると云えるが、
もっと広い意味でいうと、その人の「心理面・精神面」とも云えると思う。
一般的には、人の内面(心理面・精神面)というと、「欲求・意志・感情」などや「思い・考え・気持ち」のことと捉えがち。
しかし、これらは、心理面・精神面からのその時々の「現われ」、つまり、「一時的現象」だと思う。
このような日常の内面からの「現われ」の元には、その人の中に形成された「心」があり、それが、その時々の状況に反応して出ているのだと思う。

「人は自己を守り利得のために競争し合うもの」という人間観で営まれている資本主義社会に育ち、その人間観に染まった「心」が形成されていることによって、違和感なく利己的競争心で暮らしている。
決めたことを守ろうとする意志、人の意見に反応する自分の考え、お金が欲しいとする欲求、幅っている自分を恥ずかしく思う感情、厚かましい態度を見ての嫌な感情、・・・・・、凡ゆる「現われ」の元には、その人ならではの「心の状態」があり、そこから来る当然の「現われ」とも云えるだろう。

なぜ、そうするんだろう?、そう言うんだろう?、そう思うんだろう?、と問う前に、自分の(その人の)中に形成されている「心の状態」はどうなんだろう?、と焦点が当たると、自然、その「現われ」の由来が解明できると思う。

自分の(その人の)中に実際に存在する「心」を知ろうとすることだと思う。
巷でも「心の時代」とか「心を育てる」と唱えているが、実在する「心」を見届け掴もうとしていないなら、うわ言、空論にすぎないと思う。
「心」の問題は、その人の根幹に関わるもので、安易に触れることはできない。如何に周囲の人々の関心や協力があっても、先ず自分から心の状態を解明していこうとする意志がなければ、「心」を知ることはできないと思う。
果たして、自分の中に形成されている実在する「心」を知ろうとしているだろうか?
そこが無ければ、人の「心」を知ろうとしても、空想的な思いやりの域を出ないだろう。

普段は意識できない自分の「心」を知るために、「研鑚心理学センター」を大いに活用して、「心」のケアに役立てていきたいものだ。
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