BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― 研鑽科学 山岸巳代蔵 思想 研究 ――
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Category: < 社 会 理 > | 2008.09.09 Tuesday 09:00

社会について(研鑽科学サロン)

社会組織を構成する基本となる観方・考え方に関しての研究報告会のような感じでした。
現状に流され易い?各自の頭を互いに刺激し合う場になったかなー。
日常の社会生活(研鑚コミュニティ活動)の本質を見極めていこうとする観点を養っていこう!!
 ↓ サロンで発表したスライドの内容です。
人をベースにした社会とは (第7回 研鑚科学サロン)2008.7
人の自由 社会の自由   (第8回 研鑚科学サロン)2008.8
 (ただいま第9回に向けて、あくせんくとう?中です〜)

Category: < つれづれ > | 2008.08.26 Tuesday 22:00

山岸式(研鑽) か 春日豊里式(・・・) か

心の手を結ぶ、それが実顕地の充実。
着実ないき方のできる人が、実顕地の実権を握るようにする。


僕のお気に入りです。 (実権という言葉はイマイチだけど云わんとするところね)
いつも、心してるというか、心の中にあるというか・・・。


急所を知らない人が、急所を外した機構や運営やってて、実顕地になる訳がない。
(なぜ 春日豊里式を後生大事にして、あんなに広げちゃったんだろうねぇ?)
組織維持の為には個人の意志を妨げる必要があるのを当然としている
どんな意志も決して妨げる必要のない組織とは? かつてない社会を知ろうとする。
それには、人の核心、社会の核心、つまり急所を知ることから。
急所を外さなければ、ここをやろうとする人の結束で、普遍性ある揺るがない実態へとグングン近づいていくなぁ、と実感しています。
(規模や見映えじゃなくてね)
社会機構・運営の急所、実顕地の急所、知ろうとする人の寄り場、拠り所にしたいなぁ・・・。


無現象をそのままにしておいて、いくら形(現象界)をととのえても、
形から入ったものは無現象界が元だと気付かない限り、形が崩れようとしたとき建てなおし出来ない。
何をやるにも、もとが大事。
底に気づかない、砂上の楼閣。

出来た、深まったと観る焦点をどこに置くか?
本当の一体が確立する方に置いてゆかないと。
無辺境の囲いのない人を創る方向。

和を保つ為には現象界が大切やと、現象面を調えてゆこうとする、共同化の線。
現象面がどうであろうと、もとが一体。
日常の総ての現われは、もとの心の現れ。
そのもとの方を正してゆこう。

内部機構をつくる上にも、元の心の面、仲良しになるための三人制にしても、一人で偉い人になる専制者は嫌われる。
よろこんでくれるとしても、物欲の人が喜ぶのやったら、ええかげんなもの。
蒔いた通りの種が生える、簡単なこと。

(1961.3 理念研)

Category: < つれづれ > | 2008.08.17 Sunday 15:00

ヤマギシの村 についての見解を少々

なぜ、今のような生活形態や運営方法にしているのか、その理由や根拠を誰も知らないと思う。

ヤマギシを知り、その組織に加入した時、既にそのような生活形態や運営方法でやられていたから、それを行なうことがヤマギシズムだとしてやっている。
世間一般の生活形態とは大きく異なる為に、また、無所有一体を理念だとしてヤマギシズムを掲げている為に、今ある生活形態や運営方法が、ヤマギシズムを現わしたものだと思っている人が多い。
「ヤマギシズム生活実顕地」について、それを調べるすべもなく、「これが実顕地だ」「こうすることがヤマギシズム生活だ」というところから入いって来ている人ばかりだと思う。

「実顕地」と名づけられているものを「実顕地」だとして、40年にも渡って行なわれいる。
40年前にはあったであろうプロジェクトの目標や計画や方法など、今になっては誰も知る由もない。
現状は、設計図も仕様書もない老朽化したプラントの維持・保守・補修 に躍起になっているようなものだろう。
不自由と窮屈さが介在する、気を使いながらの人間関係、管理統制の要る運営で、自身の実態にメスを入れようともせず、意識だけは ヤマギシズム をやっているつもり。
ヤマギシズムとは何か、という原点に立って、それを生活や運営に現わしていこうとするのが筋道だと思うが、果たして、今のヤマギシに、そのような人がいるだろうか?。
ヤマギシズムをなおざりにして、旧態依然とした「組織と生活形態」が、存続しているにすぎない。

Category: < つれづれ > | 2008.08.03 Sunday 08:55

研鑽と本質

キメツケのない考え方をしようと思っても出来るものじゃない。
本質的なものに重点をおこうと思っても出来るものじゃない。
どうやって出来るようにしていくか。そこが肝心で、そのための研究・実験。

・キメツケがなさそうに見えても、事柄・現象面のことばかり検討しているということがある。(実は狭く硬い視野に気づかない)
・本質的に行こうとしていても、分かろう分かろうとする断定傾向の人がいる。(実は本質より自分の考え重視)
・・・どちらも研鑽の方向へ行かない例。

「自分を知るための研鑽会」と「人生を知るための研鑽会」は「キメツケのない考え方」と「本質的なものに重点をおく」が出来るようになるためのもの。
どちらか一方が出来るようになるということはないと思う。
  ○ キメツケがないとは、本質指向ということ
  ○ 本質指向ということは、キメツケがないということ

Category: < つれづれ > | 2008.08.02 Saturday 14:00

シンプルに・・・

人間問題も、社会問題も、産業活動も、それをなす原理があるだろう。
現状の人間や社会や産業活動から、どうすべきかという発想になり易いけど、やはり原理を知ろうとすることが先決問題と思う。
人間関係、組織運営など複雑化した現状からの発想では、進んだとしても50歩100歩、いいとこ知れてると思う。軌道修正か改良程度のもの。できそうなものを目指して自分を満足さそうとするか。

何をやるについても、農業の理とか、家庭の理とか、子育ての理とか、経営の理とか、あると思う。
できるか、できないか、分からないが、原理や本質を知ろうとして、そこからのものでない限り、揺ぎない本ものの実現はあり得ない。その可能性に架ける人たちによって、夢を描き向上進歩を策していこう。
理を知ろうとして、それを実践するシンプルな営みによって・・・。
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