BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2009/08 ――
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Category: < 研鑽の理 > | 2009.08.21 Friday 14:17

第2章 研鑽 ―― 事実・実際はどうか

 人間が物事を認識するということは、その人の中に形成された「捉え方」(認識のし方)によって、その人なりに捉えているということであり、つまり、自分が何かを認識するということは「自分なりの捉え方で捉えているとの自覚」が必要だと思う。
「事実・実際はどうか」
 これは難しいことでもなく、日常的に誰でも「事実はどうなんだろう」「実際はどうなんだろう」という関心や欲求が起こることはたくさんあるだろう。しかし、自分は事実を知らない、実際はどうか分からない、という意識のときには、疑問や関心があるが、いろいろ調べたり、確認したりすると、「事実はこうなんだ」「実際はそうなんだ」と、知ったつもり、分かったつもり、になってしまわないだろうか。
 どこまで調べても、いくら確認しても、「自分なりの捉え方で捉えているとの自覚」があると、自ずと「実際はどうなんだろう」という関心や知ろうとする欲求は尽きないと思う。
 1.言葉と事実・実際
 2.原因・理由と事実・実際
 3.人の言動と事実・実際
 4.社会と事実・実際
 5.自由・平等と事実・実際
 6.人間観と事実・実際
 7.人間の考えと事実・実際

Category: < 研鑽の理 > | 2009.08.13 Thursday 16:23

「研鑽という考え方」 つづき

 1.自分の感覚であるとの自覚
 2.自覚のない固定観念・キメツケ
 3.事実・実際とは
 4.過去の事実
 5.現在の事実
 6.観念上の事実化
 7.そうなっている社会 (固定する考え方の社会)
 8.良いこと 悪いこと
 9.教育が自覚のない人を作る
10.天動説的な意識 からの脱却
11.「研鑽という考え方」について

Category: < 研鑽の理 > | 2009.08.11 Tuesday 11:40

第1章 研鑽という考え方

 研鑽という言葉は、学問や技術を深く究めるという意味に用いられている。英語では、profound study と訳されている。
 私どもが用いる研鑽という言葉は、「研鑽する」という行為としての動詞的な意味もあるが、「研鑽という考え方」という意味も指している。それは、「研鑽できる状態」ともいえる。
「研鑽という考え方」「研鑽できる状態」があってこそ「研鑽する」ことができる、とでも言おうか。
ここでは、まず私どもが「研鑽」と呼んでいる「考え方」「状態」とは、どういうものかについて述べてみたい。
「固定観念」という言葉があるが、「固定する考え方」「固定の観念状態」は、研鑽とは逆の状態であり、研鑽とは、「固定のない考え方」「固定のない状態」とも言える。
「固定する考え方」があると、いかに深く探究しても、どこかで、「分かった」とか「こうだ」と断定する、固定する。つまり、探究が止まる。
 知った、分かった、できた、それは正しい、それは間違いだ、これが事実だ、これが本当だ、これが真理だ、・・・・等々のように断定するのは「固定する考え方」があるからだと思う。
「研鑽という考え方」は、「研鑽できる状態」と、前述したが、「固定する考え方」は、「研鑽できない状態」と言えるだろう。
 また、そう考えると、「研鑽という考え方」は、いかに深く探求しても、「固定できない状態」と言えるのかもしれない。
「固定のない考え方」「固定のない状態」では、何も決めることができないかというと、そうではない。物事を決めても、判定・判断しても、結論や結果が出ても、そこに「固定のない状態」。いつでも見直したり、検討したり、変更できる状態。

 人の世の現状は、「固定する考え方 一色」と言いたい程、「固定する考え方」が主流をなしていると思う。また、それ故に、「固定する考え方」をしているという自覚のない人が殆どだと思う。
 喧嘩や争いが起きるのも、人を咎めたり裁いたりするのも、「固定する考え方」「固定観念」が無ければできないことだろう。
 人間が決めたことを固定し、それを守ろうとする。そうすることが、正しいことだ、良いことだと(固定)されているから、「固定のない状態」などは、とても考えられない。そんなことをすれば、世の中が滅茶苦茶になってしまうと思う人も多いだろう。
 これは、「固定のない状態」というものを知らないから想像もできないのだと思う。「固定する考え方 一色」の周囲環境の中で生まれ育ち、幼い頃から固定することを身に付けてきたからだろう。

 冒頭に述べたように、研鑽とは深く探究するという意味である。研鑽は、有能な学者や技術者だけのことではなく、誰にも具わっているであろう、幸福を希い、物事の本質や健康正常な真の姿を知ろうとする自然な知的欲求の発露でもあると思う。
 ここで繰り返し「研鑽という考え方」「固定のない考え方」を強調するのは、今の世の中では「固定する考え方」を身に付けてしまい、人が歳を重ねるにつれて、幼い頃の自然な知的欲求が失われていると思うからである。
 人間は、固定の観念状態にもなり得るし、固定のない研鑽状態にもなり得る。
「固定のない状態」「研鑽という考え方」について、順を追って述べてみたいと思う。

 つづく

Category: < 具現方式 > | 2009.08.01 Saturday 12:00

■ 研鑽科学研究所の沿革

2000年 数人の有志による研究会が始まりました。そこでは、人間社会について、根本的に本質的に徹底究明しようと、繰り返し、繰り返し、話し合いの場が持たれました。

2001年 新たな社会づくりを試みようと、三重県鈴鹿の地に有志が集いました。そうして、生活面や産業面や新しい社会組織について模索し試みる活動が始まりました。(その活動は現在、研鑽コミュニティと呼んでいます。)
社会をつくり、社会活動をする上でも、先ず、各自が自分について、人生について、社会について、根本的にじっくりと調べる機会が必要ではないかという検討がなされました。

2002年 合宿研鑽会が設けられました。(その活動は現在の研鑽ライフセンターとなっています。)それに伴い、社会活動と活動する人のための合宿研鑽会などの具体的実践例が研究活動にも反映されるようになり、研究活動の重要性に対する認識も高まってきました。

2004年1月 人と社会について研究する機関、「人間社会科学研究所」が発足しました。

2005年 産業活動として、会社が設立されました。ここでは、上下関係や命令者がなく、義務や責任を負わせない職場を目指しています。また、各自が自発的に研鑽機会に参加することを最優先し、誰もが目的に適った社会生活が営めるよう、そこに重点をおいて経営・運営する産業活動を目指してスタートしました。このように社会の研究と実践活動が進んで行くに伴い、私たちの中にハッキリしてきたことがあります。それは、凡ゆる活動において、常に固定や停滞なく、たえず考え直し、より良く前進する「研鑽」を実現すること。つまり、研究活動のみならず、人間生活、社会活動等すべてに通じる必須要素として、この「研鑽」を実現するということです。これこそ、もっとも人間らしい営みであり、それは真に科学的といえるのではないかと、そのあり方を「研鑽科学」と呼ぶようになりました。

2007年 研究所の名称は「研鑽科学研究所」と改名されました。
研鑽科学研究所の背景には、その研究活動に賛同・協力する多くの研究所会員の活動があります。研鑽ライフセンター、研鑽コミュニティ、カンパニー等は、研究所会員の活動の一環であり、研鑽科学研究所にとって、試験・実験・実証の場でもあり、研究活動を支えてきました。

2008年 研究内容を紹介し、理解を深め、研究活動の実用化を促進する等の目的で、毎月、「研鑽科学サロン」を開催するようになりました。それまでは、断片的であった、研究活動の紹介を、順を追って、解説する機会となり、相互の理解という点で大きな効果を齎し、研究所会員だけではなく、研鑽科学研究所の活動に関心を抱く人にも、 研究活動に触れることのできる機会として発展してきました。

2009年 「研鑽科学サロン」を一年あまり続ける中で、この研究活動の内容を、もっと多くの人に知ってもらおうと、出版広報活動がスタートし、『研鑽科学』の発刊に至りました。
2009年7月 研鑽科学研究所は、NPO(特定非営利活動法人)の認証を受けました。
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