BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2008/05 ――
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Category: < 精神革命 > | 2008.05.23 Friday 17:00

自分を育てる

本当に「自分を育てよう」としているか、と問うてみると・・・、
もっと進みたい、もっと良くなりたい、或いは、なんとかしたい、・・・などは、自分、自分と、自分にこだわっているにすぎないのではないだろうか。
自分を知りたいという思いだけでは、客観視できないし、自分をよく見ることもできない。

学問・芸術・技術・スポーツ・その他、その道で「自分を育てよう」とするなら、どうするか。
やはり、自分より進んでいる人、先を行く人、目指す人をよく見ることだと思う。
外観や言動ではなく、その人の中身を見る。凄いとか憧れるとか崇拝的信仰的態度ではなく、自分とは何が違うのか、どこが違うのか、よく観察して、自分の課題を明らかにしていくことだと思う。

「自分を育てる」とは、先ず、人をよく見ること。
先を行く人・進んでいる人をよく見るということ自体、自分の栄養・肥やしになるだろう。劣等感や引け目・卑下があると、先をいく人をよく見ようとしない。正視できない。
自ら近寄ってよく見て、空気を吸って、感得することだと思う。

職場や研鑽会など、自分がその場を創る・進めるというところに立っている人は、とても恵まれていると思う。自分を育てて行ける場があるということ。その場を創る・進めるには自分が育つしかないということ。
身を以って知ることになる。
「自分を育てる」とは、自分一人のことではないと思う。
「自分を育てよう」としている人は、自ずと「人を育てよう」とする。
そういう人に、人は寄る。

将来に理想の人を置いている人は、仕事も出来るし、人間も完成される。(1961 理念研より)

Category: < 世界革命 > | 2008.05.18 Sunday 08:00

本質的なものに重点をおく 6

生まれ育った、周囲・環境・気風などによって、知らず知らずの内に培われ身に着いた価値観。
生まれた時にはなかっただろうが、現状を観察してみると、確かに身に着いてある価値観。

大人になって、ずーっとあとになってから、理論的に「何に重点をおくべきか」を理解し、強く思ったとしても、身に着いた価値観は、すぐに変わらない。
個人の意志や意識では、価値観や着眼点の転換は容易ではない。


本質的なものに重点をおいている人の存在、そういう人たちによって醸し出される気風。
そういう人は、どこを観ているか なにを聴いているか

それを真似て、ここを見よう これを聞こう として出来るものではない。

じゃあ、どうすれば、できるのか・・・と、一足飛びに進もうとしないで、
まず、自分は、どこを見ているのか、何を聞いているのか、自分が重点をおいていること、眼をつけているところを知る・・・自覚
それをしないで、見よう見よう、聞こう聞こう、重点をおこう、としても絶対できないと思う。

怒りや争いなく、意欲をもって楽しく働く人を良いなあ、と見る観方・価値観。でも、こういうロボットを作るのは、そんなに難事ではないと思う。
人を観ていると云えるか、どうか・・・。
赤ん坊をかたどった人形にもカワイイと思う感情・・・、何が違うか。


自分にとっての関心・重点・価値観・着眼点を先ず知ることから、
そして、本質的なものに重点をおくとはどういうことか、知識理解ではなく、
そういう人に触れて感得する、空気を吸うように。

自分のことでさえ、思いとか気持ちとか感情とか考えとか・・・表面的なものを中身だと思っていること多々あると思う。それでは、とても人の中身へなんて行けないと思う。

日常の言動は、人と人とのやりとりの中で生じる相対的現象。
やってること、言ってること、現象を捉えて、評価したり批判したりできない。もちろん、その人を知ることはできない。
社会の一員、組織の一員、職場の一員、役割の人、あれをやってる人、こういう人・・・人間は服を着てものを言うロボットではない。

「忍ぶれど色に出にけり吾が恋は、ものや思うと人の問うまで」
こんなところに言い表しようのない本当が現われるもの、人間をエモン竿やマネキン人形にするのはおかしい。表わすものでなく表われるもの、言葉に出して好きだと言っても、それは言葉であって、本当はあてにならない。
(1959 正解ヤマギシズム より)

Category: < 世界革命 > | 2008.05.10 Saturday 10:00

本質的なものに重点をおく 5

今はわれ、ひとと共にと思っていても豹変しそうな人 という一節がある。

思っている、強く願っている、そういう意識でいる、ということと・・・、それで「どういう人か」ということ。
思っている人、願っている人、そういう意識でいる人、こういう事をやっている人、と見てしまいがちだが・・・、それで「どういう人か」ということ。

豹変とは獣性むき出しというのではなく、態度がガラリと変わること。
にこやか→陰湿・陰険、なごやか→批判・批難、おおらか→正義感・不信感


意識 と 実際
どんなに立派な思想を具え、ハッキリした主義・主張で行動していても、それはそれ。
意識段階のもの。それで、その人の実際はどうか。
犯罪者、不良、乞食、政治家、慈善活動家・・・、それぞれ考え行為の違い。それで、その人の実際はどうか。

子や孫に人間として何を希っているのかな? 立派な意識で立派な行動する人かな?
どんな社会を希っているのかな? 造って贈りたいのかな?
一体で無所有で仲良くやろうとしてやっていていも、それはそれ。
その人の実際が、一体か、無所有か、仲良いか、という観点。
研鑽会へ行くのも意識、みんなでやろうとするのも意識、
それで「どういう人」になろうとしているのかな?

言っていることよりも、行いが重要で、行いよりも、その人の中身が重要。
豹変しそうな人ではないか、どうか、常に顧み省み、自分も人も本もの本当のものを目指す態度。
すると・・・、人間らしい人間のあり様が、自分の中に出来てくる。
安定・安心の人の像が浮かび上がってくる。
自分は、またあの人は、この人は、どれくらい安定・安心の人かな・・・?
そういう人に成り合おうとする社会気風。
人の中身に焦点をあてる社会 2007.8.2
人の中身について話そう 2007.8.4

口先でのみ、われ、ひとと共にを叫んでいる人や、今はわれ、ひとと共にと思っていても豹変しそうな人には、先取りされ度くないのです。
(技術出し惜しみの批難に対して)
熱心にやっている人でも(理論、行為共に)自分の考えに合っているうちはやる。一度自分の考えに合わんとなった時のことを見たらよい。
(1961.3 理念研)
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