BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2008/04 ――
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Category: < 世界革命 > | 2008.04.28 Monday 12:00

本質的なものに重点をおく 4

放したら、豊かになれるんですか?
一つでやれば、仲良くなれるんですか?
自分の考え持たなければ、自由になれるんですか?
    ・・・いいえ、なれないでしょう。
真実に生きると、何かいいことあるんですか?
    ・・・いいえ、何もないでしょう。

豊かだなぁ、自由だなぁ、仲良しだなぁ、幸福だなぁ、と感じたいという欲求からくる結果的・報酬的な「豊かさ・自由・仲良し・幸福」願望。


不自由だなと思ってその組織の仕組みや環境を指摘したら、「私は全然不自由と感じない」と言う人がいた。
「不自由を感じない=自由」なのだろうか? 「住めば都」とも云うが、人間はどこまで不自由を感じなく(不感症に)なれるのだろうか、と不思議にも思う。
金が要るとか、パスポートが要るとか、義務や責任も「そういうものだ」と思えば、不自由と感じない。束縛を強くしておいて少し緩めれば随分自由と感じるだろう。
感覚頼りの幸福では、惨めな、みみっちい、狭い、低い、張り合い、取り締まり合い、我慢し合い、自分だけの幸福感で甘んずる人間に成ろうとするしかないだろう。
感覚頼りの豊かさ感・自由感・幸福感を追っているから、結果や効果が気になるのだろう。
実質ある本当の豊かさ・自由・幸福を指向するなら、まずその実態・正態をハッキリ知ることから。


放す即ち真の豊か 持たない即ち真の自由
研鑽してたら正常になるというより、研鑽するそのものが正常な人のあり様。
抜本塞源 急転直下 即身成仏 現状そのまま 座ぶとんをヒックリ返すような世界革命
持たない=放す=一つ=無我=無固定=研鑽
||
豊か・自由・仲良し・幸福・真実

幸福が真実であり、即ち 真実であること自体が幸福
(幸福だと感じるとか感じないとか関係ない)
幸福かどうかは真実かどうか、豊かかどうかは真実かどうか、自由かどうかは真実かどうか、仲良しかどうかは真実かどうか
つまり、凡ゆることについて本当かどうか
それには、いろんな尺度や価値観を持ち込む要がない
「本当はどうかの研鑽」が実在するかどうか。

Category: < 世界革命 > | 2008.04.23 Wednesday 12:00

本質的なものに重点をおく 3

御利益(ごりやく)を有り難がって熱心にお勤めする信者
・・・といっても、まるで他人事のように聞こえるかもしれませんが・・・、


例えば、いわゆる共同事業、共同経営、業務提携などは、
互いににメリットがあるからやろうとするもので、メリットがなければやる意味がない。
メリットを見込んでやり始めても、メリットがなくなれば解消する。
一緒にやるメリットがなければ、一緒にやらない。
今の世では、そんなことは当たり前で、「そりゃぁそうでしょう」と、おかしくもなんともない。


一つでやるとか、持たない放すとか、・・・・メリットがあるからやるのか、なければやる意味がない?
一つで持たない生き方をやりたいと思ってやったけど、窮屈だし、仲良くないし、豊かにならないし、やってる意味ないとか・・・。
楽しく豊かそうに見えても、メリットがなくなるとやめてしまう人たちなら、いかに盛んでも、事が起こればすぐに崩れる砂上の楼閣。
メリット・御利益・効果があるが故に、まじめに一所懸命やってる人もいる。
「一体」とか「一つ」という言葉を使っていても「良ければやる」という打算的・相対的なもの。ご都合便利一体。


ここ(鈴鹿)では、一時50世帯以上が一つでやろうとしてやっていたが、決して家計は楽じゃなかった。そして、その大部分がやめてしまった。(こんなことなら個々でやった方がいいと・・・)
そういう体験を経て、研鑚が軌道に乗り始めた。(本当の社会の必須要素、人と人にとって何が大切か・・・)

どんな事があろうとも、何が無くても、一つで持たない人たちとは・・・。
一体とは絶対を願うもの。順調に行ってるように見える時こそ、そこに着眼。
本質的なものを心から指向し、そういう視点・観点がある人なら、すぐ判る筈。
どこに重点をおいて暮らしているか。

Category: < 世界革命 > | 2008.04.21 Monday 11:00

本質的なものに重点をおく 2

5年ほど前だろうか、山岸会初期からの人、初めて鈴鹿を訪れた時に、さぬき兄弟やつくしんぼ保育園を紹介したけど、全く興味も関心も示さず「ここでどんな研鑽をしているのですか」との言葉。実に淡々と、又すがすがしくも聞こえ、とても辱かしく思った。

○○さんライフミーティングに来たよ、すごく喜んで帰ったよ、合宿研にも参加するって、会員にもなるって、
○○さん鈴鹿に引っ越して来るって、as oneで働きたいって、
・・・何を言いたいのだろう、何が嬉しいのだろう、どんな心境なのだろう、
事業をやろう、お店をやろう、若い人が集まった、評判も上々、業績も上々、計画も着々、予定通り、予想以上、思いがけない嬉しい事態、
・・・何をやろうとしているのだろう、何が嬉しいのだろう、どんな心境なのだろう、

本当の積み重ねからしか本当の実現はないと思うけど。
私がやっていること、私が嬉しいと思うことは、本当(真実)なのか。
本当・真理・真実 を私は嬉しいと思い喜ぶのか。私の喜びは何処から?

成績が上がるのを子に望む親なら、成績上がれば嬉しい
礼儀正しきを子に望む親なら、礼儀正しくなれば嬉しい
研鑚会へ行くことを望むなら、研鑚会へ行くとなれば嬉しい
自分が正しいとか良いと思うことが実現すれば嬉しいという次元ではどれも同じかな。

「本当の社会」とか「本当の生き方」とか言うけど、ホントウに「本当(真実)」に関心あるのかな? そこをメインに暮らしているのかな? あまり関心あるように見えないけど・・・。
あまり関心ないのに 実用・実現する筈ないと思う。

Category: < 世界革命 > | 2008.04.19 Saturday 09:00

本質的なものに重点をおく 1

実名をあげた方が、グッと現実感でるかな・・・
M さん T さん S さん O さん K さん T さん etc.・・・
自分のための稼ぎ働きではない人ばかり。
・・・・けど、現象面を見て、自分の中の良いという思いで決断・判断し、自分が良いと思う状態だと喜んだり評価したり・・・
この人たちが、現象面よりも本質的な方へ重点いけば、いくだけ、それぞれの持ち場の実態が全然違ってくる。(この社会実現はこの途しかないよね)
「本質的なものに重点をおく」って、なんだか人任せ?自分がやることだと思っていない。どうすることか分からないから?
でも、ここをやらない限り、現象で喜ぶ感人種の乱造だよ。特に他の人に関わる役割に就いている人は・・・。
重点、関心、着眼点・・・って、そこに置こうと置こうと強く思ったって置けるものではない。
やはり、調べて、調べて、目的・狙い・理想・本当・・・自分の中を研鑽。
自分の中で重点を置くところが変わっていくもの。変わっていくというよりハッキリしてくるのかな。今はハッキリしてないのだろう。
現状は、その人がやろうと思うことをやっているのだろう。
こちらから見て「本当にやりたいこと、やろうとしてるのは、そこじゃないだろう」と言いたいけど、それを言ってしまうと分からなくなって固まってしまう・・・?。
まあ、各々、ご自分の抱かれる理想社会を目指しての活動以外ないんだけどね。

さて、本題の「本質とは」なんだけど、言葉で云えば、あまりによく知っているよく分かっているというヤツだ。そんなによく知っているよく分かっているのに「なぜ日常生活でそこに重点を置かないのだろう?」と、こちらから見ると不思議でならんのです。

Category: < つれづれ > | 2008.04.13 Sunday 15:00

人間学びの7年半

鈴鹿に率先して来た Fさん Fさん Oさん Yさん Hさん Yくん Kくん etc.
あの熱い志は何処へ行ってしまったんだろう?って思うことがある。
みな、ヤマギシでは第一線?で活躍してた・・・

鈴鹿に来て初めの頃は、一個人と個人ではなく、ヤマギシの時の係とか役割とか持ち場とか立場とかの先入観から人を見ていた面が多かったと思う。
いざ、ふたを開けてみると、ここではその人の実質があらわになる、肩書きも過去の実績も通用しないから実質だけがモノを云う。
・・・そして、今日に至る。

その時の、強い願望・熱意・意欲や高い志で実態ができるわけじゃない。
手腕・采配・豊富な経験を有していても、それを寄せ集めても、決してかつてない新しい社会は生まれない。
規模は小さくても本質的なものを作るには、「何が必要か」「それを阻む原因は何か」。

手腕や経験は、多くの人に益をもたらすように見え、それを活かそうとして、そういう役割に就いたりする。しかし、その人の独走・頑固・無自覚が露呈してくると、役割に応じて周囲への影響も大きいから、なんとか正常になるようにと、その人に研鑽への働きかけが始まる。
これは全て本末転倒で・・・、
役割に就いた人の正常化に力を入れるのではなく、
先ず正常な人になって、それから役割に就くというのが筋だと思う。


政界・財界・ヤマギシその他どこの会社でも組織でも、このことに焦点が当たってないから、解決の兆しが見えない。力や経験のある人を「重要だ」としておいて、「重要だとしている」から動かせなくなっている。
独走・頑固・無自覚も、その人自身にとどまることなら、その人なりの進み具合い・自由意志に委せていられるが、力の大きい人、役割に就いた人は、周囲への害も大きい。
   ○ 力や経験のある人を重視する社会や組織の運営
   ○ 自覚、人格、資格 を重視する社会や組織の運営

まだまだ、やる事ばかり重視して、人を重視してないと思う。
だから、人を見る目がないと思う。人を見る眼を養いたい。

2006.12.02 正鵠を射る 核心をとらえる
2007.08.02 人の中身に焦点をあてる社会
2007.08.04 人の中身について話そう
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