BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2008/03 ――
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Category: < つれづれ > | 2008.03.29 Saturday 13:00

経過と方向

2001 本当の社会を作ろう 一つで・・・持たない・・・
      ↑  仲良い・・・生き生きと・・・
2002 その前にじっくりと研鑚する機会が要る(合宿研鑚会)
      ↑  何をやりたい?自分をどう活かす?何のために生きてる?
      ↑  適正試験科合宿研鑚会
2005 その前に現状の自分がどうなっているかを知るために、
      ↑  自分の考えを自覚できるように
      ↑  自分を知るための合宿研鑚会
2006 研鑚会で自分を調べるためにも、先ず自分を観察できるように
          自分を知るための内観コース

ここからでいけるのだろうか? まだまだ模索中

    自分を知るための研鑚会
    人生を知るための研鑚会
    社会を知るための研鑚会
総親和社会への精神革命  心理的方面の解決と社会構成の真髄
・・・という課題に適っているかな? ここをクリアできるだろうか?



人間の考え(自分の考え)とはどういうものか
現状の自分の考え(人間の考え)はどうなっているのか
自分の考え(人間の考え)で思っていること捉えていること、の自覚
自分も人も凡ゆる物事・知識・経験・記憶など、自分の考え(人間の考え)で捉えているとの自覚
この自覚のなさ 自分の考えていることがそうだとする自己盲信状態
天が動いているように見えるから天が動いているとする天動説的観念、
一人相撲、頭デッカチ、一喜一憂(麻薬)自家中毒
人間としてのベース 自己を観察できる知性(自分の考えの自覚)
これがないのは似非人間



真の人間は、一人一人に脳があり、考える知的能力があり、意志を生成し、自分で考えて行動する。
「自己の自覚」と共に「自己への探究心」も生まれる。
    ↓
自分の存在や成り立ちへの関心、人生の意義や目的への好奇心
    ↓
自分の知能で考える。人間観・人生観・幸福観・社会観・・・思想形成
自分の目的を知り、自分の思想を生きる・・・人格形成
    ↓
日常生活の凡てに、思想が現われる。人格が現われる。

意志薄弱・目的薄弱・思想薄弱・人格薄弱・・・日常生活で自分が何をやっているのか、それをやってどうなるのか、どうなっているのか、自分の生活・自分の人生に関心がない。
(自覚レッスンに取り組んでいても自己への探究心が伴って出て来ないのはニセモノ)
そういう点を指摘すると、「関心はある、もっと考えたい」とか云う。
でも、云うだけで、実際は、「関心がない、考えようともしていない」(という自覚がない)
自分の頭で考えて行動する人が増えれば、「やらされる」感は自然消滅・死語になるだろうね。
真の人間は、真実の自分、本当の幸福、真目的、真実の生き方を、欲求し、指向し、より良い社会を創造し、考え行動する日常生活を送るだろう。

Category: < つれづれ > | 2008.03.27 Thursday 10:00

順序と道筋

ヤマギシ経て来た殆どの人に「幸福社会実現」みたいな言葉はインプットされてるよね。
でも、実体のない空想・妄想みたいなものでね。
会員さんも鈴鹿にきた元参画者も「社会づくりやりたい」って来たけどね。
「やってみせてよ」と云いたい。
せいぜい仲良しサークルの「ごっこ」の域を出ないよね。(精神面だけの・・・)
社会像が全くないと云いたいくらい貧弱。
  (ヤマギシの形態を引き摺った仲良し社会・一体社会とか・・・)

社会とは何か?をやっていくと、どこかにあるのではなく、長年刷り込まれてできた頭の中の社会観が社会を形成しているのではないか。
現状は、どんな社会観で生きて暮らしているのか、どんな社会になっているのか。
すると、社会観の元には人間観があるな。人間観・人生観が制度・機構や政治・経済に至る社会の根幹を成しているな。
現状は、どんな人間観・人生観で暮らしているか。
これも、長年刷り込まれてきたもの。
果たして、人間とは、人生とは、と行きたいところだが、その前に・・・・、
現状の自分は、どんな「観」になっているのか、自己観察 ⇒ 客観視 ⇒ 自覚 という課題が浮き彫りになってくる。
自分の観念の自覚もなく、人間や人生の一般論の議論に熱を入れている姿はチョット辱かしい。
人生とは、社会とは、と行く前に「自分を知る」を重視する所以です。
自分を知って、人生を知って、それから社会を論じられるのではないか、という見解から、研鑽ライフセンターの今日の構成ができてきた訳です。

Category: マイプロフィール | 2008.03.18 Tuesday 08:00

懐古・回顧 かな?

このホームページの始まりは2004年。最初の頃は、ヤマギシ時代のものを載せていた。
今は、< 小論 と 解説 >というコーナーにまとめてある。
1993年〜1998年、毎月のテーマ解説を書いていた。下記は、その頃のもので、タイトルは見たことあるけど、紙面には出してなかった気がする。ある意味で、僕のルーツのような一面もあるので、改めて紹介します。
 ↓↓ クリック

Category: < つれづれ > | 2008.03.09 Sunday 10:00

それは 手段か 目的か

「共に」というのは、広い意味で云えば、私は地球上に住む全ての人と共に生きているとも思う。
これを煎じ詰めると、「目的を共にする」「生き方・考え方を共にする」ということになると思う。
同じ組織に所属したり、同じ研鑽会に参加していたり、それも広い意味では「共に」ではあるが、「目的や考え方を共にする人」とは限らない。却って、遠くの知らないところに「目的や考え方を共にする人」がいるかもしれない。


研鑽会や会社や各種活動があってそれに加わっていても、それぞれ思い思いの参加であって、その中には共鳴・共感する人も多いが、目的も考え方もずいぶん違うなと思う人も多いです。
同志とか仲間と思い違いし易いもので、その実は同志でも仲間でもないです。

僕なりの目指すものやあり方があります。その目的や考え方を共にする人たちで実現をはかる活動をしているつもりです。
どこまで出来たか、進んだか、それは、その目指すものの実現以外にありません。

研鑽コミュニティも研鑽ライフセンターも研究所も各種の研鑽会も凡ゆる活動が、その実現のための手段です。出来たものでもなければ、目指すものでもありません。ただの手段です。
これらの手段を目的のように思ってやっている人も多くいるようにも感じますが、共感しないです。いろいろな活動や場ができつつありますが、それを共にやろう、の人が多い気がします。
 例えば・・・、
 自家配合で緑餌たっぷり採光の良い平飼い鶏舎で有精卵、自然と人為を基調にした養鶏とか・・・
 地球にやさしい、環境にやさしい、自然をふんだんに取り入れた云々とか・・・
 みんなが力を合わせて、持ち寄りで、和気あいあいとした社会を作りたい、とか・・・

 その事を良い事のように思って、その事に賛同して、その事を共にやろう、となりがち。

現象化した手段は、本質的なもの・本当の目的の方向へのキッカケを生むための前渉行程です。
目的や考え方があって、鶏でもやるか、会社でもやるか、なるべく目的に適いそうなものやろか、となる。
みんなが喜びそうな事、人が集まりそうな事、やろうかというのとは違うもの。
やろうとしている事柄よりも、やろうとしている人の中でどうなっているかに関心があります。それは 手段か 目的か。

Category: < 人 間 理 > | 2008.03.07 Friday 09:00

その人 受けたもの 現象化


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