BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2007/07 ――
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Category: < 具現方式 > | 2007.07.14 Saturday 02:00

試験研究機関の充実

研鑽科学研究所は、新たに専用事務所を設置して、そこを本拠地にして研究試験活動の充実をはかろうとしている。
必要経費の財源や、研究所専任者を置けない実情などなど、課題は多いが、これまでの経過からの必然として、試験研究機関の比重が高まってきた。


○ 実践の書研 → 合宿研鑽会 → 研鑚ライフセンター へと
   進んできた 実績と実証。
○ 「論理的究明 と 方法の試験研究 と 実施機関」 という
   システム連繋の有形化。
○ 即ち、「研鑚科学研究所 ←―→ 研鑚ライフセンター」

初めは、特講や研鑚学校の内容を参考にしたが、「怒り研・割り切り・無所有・一体」などなど、「結論先き出し」の感が強く、目に見える変化・効果は大きいが、「これがヤマギシズムだ」との観念着き易く、且つ促成メッキは剥げ易く、却って研鑚の体得とはかけ離れていた実情。

もっと、さかのぼって、元の元に立ち還って、正しいと思う理念も見直して、「人間とは?」「人間の考えとは?」「人間の現状は?」「どこに焦点を当てるか?」などなど、「人間理」という方向で研究が進むにつれて、研鑚ライフセンターで現在実施している線が出てきた。

現状は、実用研究・実用試験の段階であり、まだまだ根本的に見直し、改良発展し、大きく変わっていく面も多々あるだろう。




○ 「研鑚科学研究所 ←―→ 研鑚生活・研鑚社会」 の分野の開拓。

無自覚な旧来観念生活や人間観・社会観が根強い。
そこをそのままにして、正常な社会を作ろうとしても、人間観、社会観から始めなければ、新たな社会は実現しない。
生活観、仕事観、経済観、産業観、組織観、人生観、幸福観・・・を調べながら、本来の姿を見極めながら、社会活動を行なっていく。
仕事や暮らしの実動面を優先する環境下のままでは、目に見えて実益のない研究・試験活動は後回しになる。

「本当の社会を実現したい」といくら強い希いがあったとしても、従来の知識で、「持たない・放す・一つ・みんなの考え・調正・全員一致・話し合い・同列・平等」などなどを “正しい” としていては、いつまでたっても「本当」を調べられないから、それらを持ち込まないで、捉われないで、白紙の状態から、各自の目的を知り、それに適った暮らしや社会を調べながら試しながら、一歩一歩実施していく。


進みつつある社会理や産業理の研究と共に、心ある有志の集合・結束によって、生活面、社会面、産業面に於いても、実用研究・実用試験の段階に入っていけると思う。
各自の暮らしや仕事が、実用研究・実用試験の場になると思う。
研究し、試験し、実施し、また、研究し、試験し、実施し、・・・・
一歩一歩、踏みしめながら、研鑚社会システムが進んでいく。

Category: < 具現方式 > | 2007.07.12 Thursday 22:00

試験部門に向けて

研鑽科学研究所 試験部門の設立に向けて

人間本来の姿、それに適った人間社会を解明し、万人に通ずる幸福な人生・快適な社会を実現するために、人や社会の過去・現在を分析し、具体的な方法を考案しながら、くり返し繰り返し実験や改良を重ね、実現をはかる試験部門の設立を計画しています。

<試験部メンバーは>
○ 目的・目標を確かめながら、方向を外さないよう心がけ、自分の仕事や暮らしを含む自分自身を丸ごと試験資料として生活し得る人。

○ 見損ない・やり損ない・失敗と見える場合も、凡て試験活動の一環であるから、試験部メンバーとして試み試みの連続生活をする。

○ 勝手気ままな試み生活ではなく、研究所試験部の一員として、常に研鑽の機会を持ち、研鑽生活する。



今日の「研鑽ライフセンター会員」の多くは、自らの研鑚ライフへの取り組みにとどまらず、そのことが誰もが真の人間らしく成長し得る理論や方法の研究に生かされ、社会機構としての研鑽ライフセンターの充実に大きく貢献していると思う。
自分自身の取り組みや体験を、客観的な試みとして捉え、自分を含む周囲や後代へ生かしていこうとする人は、「研鑽科学研究所 試験部」の一員として、「研究部」と共に活動されることを望みます。

Category: < つれづれ > | 2007.07.11 Wednesday 22:00

旧知の方々へのお便り

研鑽社会化活動の近況

お元気ですか。たいへんご無沙汰しております。
この度、公的機関の認証を受け、研鑽ライフセンターNPO法人が設立されましたので、ご案内申し上げます。
2002年より生涯学究制として、合宿研鑽会を設け、毎月開催し、昨年、生涯研鑽生活制度「研鑽ライフセンター」がスタートしました。

この背景には、ヤマギシ在籍時からの「理念研」→「試験場」→鈴鹿に来てからの「理念究明所準備会」→「人間社会科学研究所」という活動があり、現在は、人と社会を科学する研究機関「研鑚科学研究所」を設けています。

私達の目的は、「研鑚ライフセンター」でも「研鑚科学研究所」でもなく、
真の幸福社会の実現にあることは言うまでもありません。
真目的を実現しようと研鑽を重ねれば重ねるほど、
「人間性養成機関 と 試験研究機関 は 必須」との感は、ますます深まるばかりです。

山岸さんが究明・考案されたものを、いくらかでも理解し受け継ぎ、更に練り固め、次代・後代へ贈りたいと念うものです。
ヤマギシズムに基づく「研鑽社会システム」を構築しつつ途上にあります。

ここへ来てからの6年余りの活動の奇跡は、世界中どこからでも閲覧できるよう、ホームページに公開しています。
研鑽社会化活動「研鑽コミュニティ」 と呼んでいます。

唐突でしたが、今後とも私達の活動をずっと見守って頂きたく、お便りさせて頂きました。

Category: < つれづれ > | 2007.07.09 Monday 22:00

研鑽社会生活・研鑽経営運営

・・・を実現するために、「研鑽生活養成ゼミ」「研鑽運営養成ゼミ」の開催を計画しています。(研鑽科学研究所)

6ヶ月間くらいの集注ゼミ方式で、「研鑽による生活」「研鑽による運営」を、検べ、試し、体得するための研究機会です。

「社会生活」や「経営運営」について、研究→試験・実験→実現→実証 に至る活動を、自ら行なおうとする人を募って開催します。



人間を含む動物には記憶能力があり、記憶の蓄積によって考え行動する。
例えば、鐘を鳴らしてから餌を食べることを繰り返すと、鐘と餌が条件反射のように結びつく。
例1 A 鐘を鳴らした B 餌を食べた
人間の場合、記憶による条件反射だけでなく、脳の働きによって、その記憶を処理する。
  処理のない記憶に残るだけの場合。
  記憶そのものを分析したり、いろいろな原因や可能性を考案する。
  こうだと決めて信じる。

例2 A 薬を飲んだ  B 痛みが消えた。 ,鉢△鉢の場合がある。
例3 A 冷房を入れた B 涼しくなった
例4 A 客が増えた  B 売上げがあがった
例5 A 時間に遅れた B 相手が苦情を言った


A 何々をした B こうなった C 良かった、悪かった、成功だった、失敗だった、効果があった、効果がなかった、等々。

ABCがくっついて一つの体験として記憶されると、日常の暮らしや仕事について、より良くとか、より本当を目指してとか、いくら想い願っても、研鑽は実現しない。
特に、経験を多く積んだ人が集まると、豊富な経験を駆使して検討しようとはするが、研鑽による職場運営・会社経営の方向へは進みにくい。


ABCというように物事は単純ではないかもしれないが、分けて捉える、分けて検べることが出来なければ、研鑽は実現しない。

頭の回路が科学的・分析的にならない限り、暮らしや仕事に「研鑽の実現」はなく、それには、今まで通りの事をやりながら、というような取り組みでは、決して体得できないと思う。

研鑽ライフセンターでは、「研鑽の実現」という課題に2年以上取り組み、研究と実践を重ねてきているが、暮らしや仕事の場で「研鑽の実現」の研究と実践は、未だ始まっていない。
そのために、これから本気で「研鑚の体得・実現」に架ける人たちで、集注研究・集注体得の機会を始動させたい。

Category: < つれづれ > | 2007.07.01 Sunday 23:40

研鑽生活への誤解

みんなで相談して決めるのは研鑽ではない
みんなで相談して決めるのは仲良しではない
相談して決めることを研鑽と思っている人がいる。

研鑽するとは、どうするかを決めることではない。
みんなでやることと研鑽とは、何の関係もない。
研鑽は、みんなでやるものではない。一人一人の中に実現するもの。
研鑽生活、研鑽運営、研鑽経営は、みんなでやることではない。
研鑽態度で、生活・運営・経営する人がやること。

みんなで話し合って決める職場や組織を理想と思ったり、目指している限り、研鑽とは逆方向。

みんなで決めたことをやるのは、既に研鑽ではない。
みんなで決めたことをやるのは、自覚のない人を増産するだけ。

仲良し教、話し合い教、和気あいあい教、相談してやる教、みんなで決める教、そうするのが良いと思ってやる宗教。


自分を観察し、調べ、知るための研鑽を積んで、研鑽態度を養っていても、日常生活の中から、「みんなで決めたことをやるという回路」を断たない限り、自分にも、職場にも研鑽は実現しない。

今ある各職場の実状を見れば、「各自研鑽でやる」のではなく、「みんなでやる」ことに固執していることが、よく判る。
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