BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2007/06 ――
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Category: < つれづれ > | 2007.06.28 Thursday 00:00

真我 などなどなど について

知らないので、予想や勘 だけど、

やはり、劣等感からだろうね。

劣等感が大きく関係していると思う。

劣等感ない人には効果ないと思う。

劣等感の人には、一時的安住の地になり得る。

人間に持つ一面を全面の如く捉え扱い、無知(衆愚)を誘導するもの。

これだと決めたものを実用に持ち込む巧みさに秀でたものは、他にも多くある。
 ・自動車などの生産方式
 ・核兵器などの開発
 ・購買意欲を高め消費を促進する
 ・感情の高揚、感動や共感を呼び起こす
 ・精神的盲点を突いて、啓発を促す
 ・その他、多々
みんな、みんな、こういうものをエサにして、こういうもののエサになって、暮らしている。

Category: < つれづれ > | 2007.06.23 Saturday 12:00

金の要らない・・・・

人間、いずれ金は一銭も要らんようになる。そうならないのは本当でない。そうなるまでは紛争つづく。

今の社会、金が要る社会だから仕方ない、と社会のせいにする。

だがね、社会では要るかもしれんが、あんたと私の間で金が要るか、要らんか・・・。
金は要らんのが本当で、金なしでやりたい、でも、やりたいだけでは、やれない。やれるようにならないとできない。なりたくない人はならんでいい。なりたいだけではなれない。
私とあんたの間で金要らんようになること。それは即できる難しくない。


金要らん同士だから金どうにでもなる。
「金の要らない社会」既に出来てるが、有っても見えない人には見えない。出来てないし無い。自分の金を持ってるからかな? 金の要らない社会が見えない。有るのに見えない。
※ これは「放しなさい」の勧誘ではないので誤解のないように。
※ 全財産出したくらいでは放したことにならない。
将来の不安・心配、自分の安定生活、自分の金でしようと思っている。そんな人が殆どかな。


まあ、金は持たんでも暮らせる。持たん方が楽や。持たん方が豊かや。
まあ、こんなに無尽蔵的に豊かな社会できてるのに、持って暮らしてたら宝の持ち腐れみたいなもんや。
はだはだ で、一つになれん人は金を持たんならんのよ。
一つになれたら持たんでも豊かなんよ。
これ実感してる人、だいぶん増えてきた。これぞ社会実態と思うよ。

Category: < 世界革命 > | 2007.06.19 Tuesday 15:00

いよいよ 第一案

その限界を定めて、お互いにその線を越えないこと。
                 (14.人情社会組織に改造)


「自由」って、とても簡単なことで、獲得することでも作り出すことでもない。
元々の何もない状態が「自由」。押し付けや束縛がない状態。
こんなもの実現できない人間は、やはり、かなり狂っている。

「自由にしよう」とか「自由になろう」なんて云わなくても、万人元々自由なんだけど、自分の自由は主張するくせに、人の自由を平然と侵そうとするのがいるから、他から自由を侵されないように、「自由を守る」機構・制度・運営が要る。


容喙・・・くちばしを入れること。横から口出しをすること。
干渉・・・他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること。


人は人の行為を縛る必要もなければ、人に行為を押し付ける必要もない筈。自分がやろうと思うことをやる。これは人間に限らずどんな動物でも、そうだと思う。

人にやめさせようとする、人にやらせようとする、それが、そもそも狂った人間の症状だと思う。だが、「悪いことだから」とか「良いことだから」と云って、これらを正当化している。

「自由」という言葉じゃなくて、「自由」とは、どういうことか。
ABC、イロハ、の基礎からしっかりやろうか。
人はその人の意志で行動する。つまり、私の意志で私以外の人が行動することはないのだから、先ずは、限界を定めなくても、元々ある限界を知ろうね。

妻がご飯を作るも作らんも、遊宴・外泊しようとも、こちらの意志とは、別のこと。そんなんで束縛や押し付けが出るなら、自由なんて、とても無理と思う。こういう場合も、倫理観や道徳観を入れて束縛や押し付けを正当化する。


不意に誤って害を及ぼしてしまうことはあるかもしれないが、故意に人を傷つけ危めようとするのは、やはり、人間の狂いから来るものだろう。
人に迷惑や危害を加えることは、狂った行為ということになるが、「迷惑や危害」ということを取り違えないように。

例えば、急に仕事を休んで迷惑をかけたというが、仕事の邪魔をしに来たら迷惑だろうが、休んで何もしないことが、なぜ迷惑なのか?
夫が他の人に気がいって、妻が不幸になったというが、かまってくれなかったり、他の人を好きになることが、人を不幸にするのか、どうか。
もっと、極端なことを言えば、あの人の存在が迷惑だと思う人もいるかもしれない。じゃあ、その人は存在していることで迷惑をかけていることになるのか。

自分の思い通りにならないのを迷惑だとか、被害を受けたとか、思う人も狂った人間の症状だろう。

今の人間界では、束縛し合い、押し付け合いによって、社会秩序が保たれ安心して暮らせる、となっているから、「自由を実現する」と、とても迷惑で害毒のように嫌う人も多く出るだろう。
何の危害も及んでないのに、「けしからん」「許せん」「放っておけん」と、自由を逆恨みされる場合もある。



研鑚コミュニティが、真に自由な天地であるために、先ず整備したい真の人間向きの機構と運営。
研鑚ライフサポートで、最も力を注ぎたいところ。
その限界を定めて、お互いにその線を越えないこと。

Category: < 精神革命 > | 2007.06.15 Friday 15:00

豊かさ や 喜び

怒り、争い、悩み、憎しみ、闘争心、支配欲、独占欲、優越感、劣等感、・・・等々を、性(サガ)、業(ゴウ)、煩悩、などと呼んで、人間に具わったもの、あってしかるべきもの、という意見には賛成できない。

むしろ、これら(怒り、・・・・、煩悩、など)は、異常、間違い、病的、というべきで、人間本来の姿から外れたものと思う。
精神的疾患の病名みたいなものだと思う。
「こういうものは人間には付き物だ」としている限り、人類から紛争・苦悩は解消されないだろう。
やがて、精神科学や心理学が進歩すれば、これらの疾患にみな原因と療法が見付け出されるだろう。


幼い頃から植付けられた観念の蓄積によって、物や環境や人の行為など、「有って当り前」「やって当り前」になっている。また、自分の頭がそうなっている自覚もない。
生活には不可欠と思うような、電気・ガス・水道・ゴミや排水の処理・道路整備などなど、ずいぶん人も物もかけて用意されている。それらも、有って当り前、うまく行っていて当り前。思い通り行かない時の不満は大きい。

安心・満足を欲していながら、不安・心配・不平・不満がある。
そとに原因を置いているから、不安や不満があるのを異常とも病的とも思わない。むしろ、この状況だから、不安や不満は当然としている。
娯楽番組に浸り、美食で腹を膨らし、酒をあおりつつも、不平や悩みが絶えない。充分な食もなく、教育も受けられない地域の人々とどちらが悩みや不平が多いか比べてみれば分かる。物や教育では不安や不満は無くならない。

不平・不満なく楽しく満足そうにしていても、それは一時的なもので、思い通りになっている状況でのこと。思い通りに行かないと不平・不満が出る。「安心や満足は自分の思いを満たすこと」のように思っている。いつもいつも一時的な満足感を追いかけている。

多くの物や環境や人の行為の中で暮らしていても、殆どが「当り前」で、それ以上のものを得て満足しようとする。得られないと不満となる。


今以上に得られなくとも、今以下になっても、物は無くならないし、無数の人の行為の恩恵を受けている。

人は生まれながらにして、衣食住に恵まれ、周囲からの愛情を受け、安心・満足の内に人生が始まる。そして、精神的に、肉体的に、膨大な物や人の行為を受けて成長していく。
周囲から齎されて受けたものがギッシリ詰まった恩恵の塊のような一人一人。
子どもの頃の嬉々として遊び戯れる喜びから、青年期の血気盛んな躍動する喜び、知性を培い人生の豊かさを知り、人生を重ねる程にその人間的豊かさ生きる喜びは、果てなく増すばかり。

「豊かさ や 喜び」は自分の思いに振り回されて追い求めるものではないと思う。
豊かさ や 喜び はどこにあるか。

Category: < つれづれ > | 2007.06.13 Wednesday 12:00

初心

困っている人がいたら、手助けする人がいたらいいと思う。
相談したい人がいたら、相談にのる人がいたらいいと思う。

しかし、その人の頭の中で、手助けするのが当然、相談にのるのが当然、となるとどうなるか・・・。

物でも人の行為でも、最初はその価値を感じる。
見慣れて当然になる。価値を感じなくなる。
有るものがありまま見えるのと、有って当り前となっているのとの違い。

自分を知らない、その物を見ようとしない自分を知らない。
例えば、お金を払ってるからガスや電気も使えていると思っている。
お金を払ったくらいで、ガスや電気がくる訳がない。
有って当り前となっているものが無くなったり少なくなったりすると、おのずと不平・不満が出る。さびしくなる。

自分を知らない。高いところに居座っている自分を知らない。
自覚がないという観念・心の状態は生活の全てに現われている。
物の扱い、人の行為、対人的こころ・・・・。

有って当り前、やって当り前。・・・・・・無自覚
      ↓
物や人の行為が見えない。見ようとしない人間性。人格。
      ↓
物や人の行為を無にする。生かせない。   資格がない。

人間が人間性を発揮して、人間らしく生き、他からの力や決め事や観念で人を動かすのではなく、一人一人の知性ある自覚からの行動によって、保ち合いで成立する社会には、この要素が不可欠と思う。

今の人間社会は、アメとムチで人を動かす社会だから、自覚も人格も資格も要らない・・・?

そういう社会は、おさらばして、人間本来の姿 それに適った人間社会を実践して実証したい。
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