BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2007/05 ――
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Category: < 世界革命 > | 2007.05.29 Tuesday 18:00

「人間性の解明」から・・・「研鑽社会現象」へ

<人間性の解明>
人間の特性である知能を生かす。
人間の知能を育み生かすことによって、人間らしく生きることができる。

<知性ある人間らしさ>
怒りや争いがない 疑いや憎しみがない 強要や侵犯がない。
人を愛し、自分を愛し、凡てのものを愛し、共に生かし合う。

<現状とのギャップ>
優秀と云われている学者・識者にも、怒りや争いがある。それは知性が足りないから。
人間らしく知性や心を育てるために、教育や躾を重視するが、教えられ、それを信じ、善悪を習い、常識や道徳を身に付けても、表面的なうわべのものは出来るが、決して人間性は育たない。
むしろ、教育や躾は人を裁く頑固さを植え付けるものであり、知能の育成を阻害する。

<知性を育み生かすプロセス>
自分を知るために自己を観察する。
自分の存在を調べ、自分の成り立ちや背景や凡ゆるものとの関連を知る。
         
人生を知るために人の存在を調べる。
人の一生を観察し、人生の目的や生きがいを知る。
         
社会を知るために人間本来の姿・本当の生き方を調べる。
人生の目的・人間本来の姿に適った社会組織や環境や生活を創造する。
「知性を育み生かす」とは、子供や青少年のことではなく、生涯を通じて人間性を高めていくということ。ここまで高めたら終わりというものでない。
成熟するほど崇高な知性あふれる人生が実現する。
知能を具えた人間である以上、万人もれなく、知性を育て、崇高な人間性を発揮することができる。


<社会の解明>
監視や取締りや罰則・抑圧の要らない社会
義務や責任、常識や道徳を押し付けない社会
ものの占有や偏在がなく、貧富の格差のない社会
他からの力に依らない自主自発的な各自の内なる知性と愛情によって保ち合う社会

<現状とのギャップ>
自由・平等を否定する人はいないだろうが、現状は、してはならない・しなければならないことだらけで、会社でも学校でも家庭でも人の上下を当然としている。
ある程度の不自由・不平等は当然として、それを外したら、社会が混乱するとしている。
教育や罰則の要る法律で治めていこうとする社会では、教えることや取り締まることを止めると秩序が保たれない。
社会的に認められることは良いことで、それに反することは悪いこととし、飴とムチで動物のように人を動かす社会では、その社会通念に順応して人々は生きている。

<具現方式によって>
先ずは、何でも言える、何でも聞ける、じっくり調べることができる「研鑽の場」を設けよう。
誰もが冷静に調べる時と場を得て、自分自身の中に、自分を知り、人生を知り、人間性を高めようとの方向性が見つけ出されると・・・、
一足飛びには行かないが、少しでもそのような暮らしを実現したいとの欲求が生まれる。
         
次に、何を願っているのか、本当の目的は何なのか、とことん調べる「目的研鑽の場」をもとう。
そこに同じ有志が相寄って相談することで、人間らしく成長し合っていく生き方、そうできる社会も不可能でないことが見えてくる。
         
そして、実現するには何が必要か、どうしたら実現するかの「方法研鑽の場」が生まれる。
次々と具体的な方法が考案され、生活環境や社会機構・制度の試験・実験へと具現化していく。

<研鑽社会現象>
研究に向いた人は、研究所を組織して、人や社会の研究に傾注した。
<研鑽科学研究所>

そこから、知性を育み生かす方法が、いろいろ考案され、試みとして各種の研鑽機会が設けられた。そして、生涯研鑽生活制度が、人間社会には不可欠な要素として、凡ての人を対象にした知性を育てるための機関へと発展してきた。
<研鑽ライフセンター>

研鑽ライフの軌道に乗る人が続々と生まれ、人間性を高め合おうとする暮らしや仕事へ、そして社会へと変化が現れてきた。
自ら進んで人間性を高めようとする人には、従来の義務や責任や監視も権利主張も要らなくなってくる。
それぞれの心からなる社会活動が、思いっきりやれるよう、互いにサポートし合っていく。
来る日も、来る日も、自分を調べ、人生を調べ、皆が快適に暮らせる社会を描きながら、知性を育て合い、互いを生かし合う親和協力社会現象。
<研鑽コミュニティ>

Category: < 研鑽の理 > | 2007.05.26 Saturday 10:00

研鑽の実現を

ヤマギシズムの根幹は、「研鑽」にあると思います。
私どもでは、ヤマギシズムに代えて、「研鑽科学」という語を用いています。

山岸さんは、余命を知ってのことか、没する前の短期間に、実顕地と研鑽学校を出して亡くなった。
実顕地も、研鑽学校も、理念と云われている無所有も、一体も、ヤマギシズムから発したものだろう。だが、その逆は云えない。
つまり、実顕地が、研鑚学校が、無所有が、一体が、「ヤマギシズムだ」とは云えないだろう。
ヤマギシズムには、固定もキメツケも無いのに、ヤマギシズムでやろうとする人に固定・キメツケがないだろうか。

釈迦はキメツケのない人だったらしい。だが、周囲・後代の人にキメツケがある。
「釈迦はこう言った」とか「釈迦が言ったことは正しい」・・・と。

シャカは正直、教えもキメツケもしていない最も科学だと思う。
       :
弁証法はキメがないのに、やっている人達はキメがキツイ。

                    (1961.3.14 名古屋にて)

科学や研究そのものには、キメツケる要素はないが、科学や研究をする人にキメツケがないだろうか。
人間の考えは不確かなもので、「これこそは絶対に間違いない」と思ったことでも、ずっと先では、ひっくり返ることもある。
しかし、今日までの人間社会では、子どものころから、正しいとか間違いだとかを教えて、キメツケの訓練をし、その訓練した頭で、キメツケ裁きながら暮らしていく。良いこと、悪いこと、良い人、悪い人、・・・等々。
規則・法律・学問・等々、みなキメツケの上で成り立っている。社会そのものも取り決め・キメツケが無くなれば、混乱するとしている。
してはいけないこと、しなければならないこと、これは誰々のもの、・・・根拠があるとして堂々とキメツケている。
自分が直接見たこと、聞いたことも、教科書に書いてあることも、「事実だ」とキメツケられないのではないだろうか。
キメツケているという意識はなくても、深く強くキメツケが染み着いていて自覚がないことが殆どだろう。

キメツケの社会に育ち、キメツケの頭で、ヤマギシズムや釈迦に出会っても、「ヤマギシズムはこうだ」「釈迦はこう言った」とキメツケていく。

人間を調べ、人間の考えとはどういうものかを調べ、現状のキメツケ状態を自覚し、キメツケのない頭になっていくことによって、研鑚が始まる。
キメツケがなくなると、争うことがない。あれは良いとか、あれは間違いだとか、裁くことがない。
ヤマギシズムを実践するということは、研鑚を実現するということであり、
研鑚を実現するということは、研鑚する頭脳が実現することであり、
研鑚する人による生活行動からなる、研鑚社会が実現する。

Category: < 社 会 理 > | 2007.05.17 Thursday 22:00

Kensan ・ Life ・ Home

Life ライフ・・・生命、生涯、人生、生活
Home ホーム・・・家、家庭、故郷、本拠地

「研鑽ライフ」の「ホーム」  「研鑽ライフ」の対象は「全ての人」
「研鑽社会化」の「ホーム」  「研鑽社会化」の対象は「世界中」

「全ての人・世界中」の「ホーム

「研鑽ライフ」の道に乗り、「研鑽社会化」を希う人たちで、
ホーム」を創ろう。「ホーム」を育てよう。

ホーム」が成長することによって、「研鑽ライフ」が拡がり、「研鑽社会化」が拡がる。
ホーム」の活動は、「研鑽ライフ」のサポート。
ホーム」の役割は、「研鑽社会化」のサポート。

衣食住・家庭・子育て・学術・趣味・職業・・・生活の凡てを「研鑽ライフ」の方向へサポートする。
産業・経済・制度・機構・会社経営・組織運営・・・社会の凡てを「研鑽社会化」の方向へサポートする。

研鑽ライフホーム」では・・・、
工場で働くことも、野菜を作ることも、経営や事務をすることも、家事や子育てすることも、趣味や学問することも、・・・
各自の持ち味で持ち場に専念すること、即ち、
各々の立場において、真実、それに自己を生かすことによって
          ||
研鑽ライフホーム」が充実し成長する。それによって、
          ||
「研鑽ライフ」が拡がり、「研鑽社会化」が拡がる。


「研鑽ライフサポート」「研鑽社会化サポート」のために、「研鑽ライフセンター」と「研鑽科学研究所」を大いに活用する。

「研鑽ライフホーム」は、「研鑽ライフサポート」「研鑽社会化サポート」の実動機関である。
クリックして拡大表示

Category: < つれづれ > | 2007.05.13 Sunday 11:00

20代 30代 の諸氏へ

36歳の春、ヤマギシズムに出会って、20年目に一体の理に触れた感じがした。
それから後、2年程して、真実と研鑽が自分の中で繋がった。

1年や2年、研鑽会に参加し続けたところで、研鑽を会得できるものでないと思う。
今から、その方向で進んだとして、10年かかると思う。
10年かかっても、20年かかってもいいけど、今やってるくらいの研鑽会は、自分で実現できるようにならないと、将来この社会は決して実現しない。
外からの借り物や頭で覚えたものでは、その場に研鑽を実現することは、到底無理。
何があっても、意識しなくても、研鑽で頭が働くようになること。

研鑽を会得するまでは、まだ自分の頭は、宗教・信仰的だと思っておいたらよいと思う。
成果が上がると、「良いなぁ」と思うもの。これ全部宗教。
宗教アタマでは、研鑽がみえない。
真我も野島も研鑽も同じように見える。

長年、ヤマギシやってても、自分のものでやってない人は、自分の中に研鑽が培われていない。当然、研鑽と研鑽でないものとの区別がつかない。

研鑽を会得して、研鑽を実現できる人になろうとする人が欲しい。
事業経営なんて、上手にやる人、世界中にゴマンと居る。
研鑽を実現できる人、いまだ数人しか居ない。

考え方・あり方・思い方・納得の仕方の勉強ではなくてね。
先ず、現状の自分を知る、自分に着いているものを知る、目をそらさないでね。自分に着いてるもの見えたら、その先、真なるもの・・・。
自分で自分の中に見出すしかないよね。
周りに振り回されて、周りが気になって、自分のこと見てないもんな。

真実研鑽も自分の中にしかないと思うけど、いきなり、それ追いかけても、おぼれて、助けを求めて、やさしい宗教に心奪われていくのが、オチだからね。
10年かけて、自分の中に研鑽が宿るようにね。
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