BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2007/03 ――
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Category: マイプロフィール | 2007.03.29 Thursday 18:00

無為乱筆 満六歳

いやぁー、鈴鹿に来たのは、ホントに ラッキーだね。
幸運の女神様のお導きかな。

息子と娘は6歳ちがい。2001年春、中学校と小学校の入学に合わせて二人とも鈴鹿に来た。そして、今年、晴れて高校と小学校を卒業した。
私(父)は、といえば、鈴鹿に来て、就職でもすれば家計・収入は安定しただろうに、そうしてしまっては拘束が多く、限り有る時間も不如意となるから、定職にも就かず、やりたい放題をやってこれました。



ここでの6年余りは、研究と実験に明け暮れる毎日です。
人間の方面の研究が進んで、研鑽ライフセンター という活動となって現象化してきました。
社会や経済の方面でも、試行錯誤・失敗・やり損ない等々の連続で、いくつかの会社(法人)ができて、やめたものやたら、続いているものやら、お店や事業活動が始まったり終わったり、積んでは崩す積み木遊びのように、なにをやっても面白く弄び的で、みなで楽しく戯れています。

金銭的な儲けが増えるのは結構なことで、それは、レジャーや贅沢品が欲しい訳ではなく、一人でも一時間でも金のために働かなくてよくなるからです。あり余る程ではありませんが、ここでの経済的余得は研究や実験や研鑽会の整備等に使われています。金回りが良くなれば、なるほど、多くの人や時間を研究に注いでも暮らしていけます。


檻の中で餌を与えられて育った獣は、野に放たれても狩ができないとか・・・
金を糧にして育った人間が、金なしには生きていけないと思っている・・・
なんとなく似てるな・・・
資本主義は、人身売買・奴隷制の延長か?人間の考え先行のバーチャルな世界。
そこを少し抜け出して、人は人以下でも人以上でもない、人は材料・道具・商品でもない、リアルなリアルな物質経済の世界を垣間見ています。

金より手足の四本(資本)は大したものや。(1960年 六川での談話)

金も名も求めず、各自の身に合う仕事で世界中に踊り、天地に愧ぢない連中には、至る処家在り、食有り、友、吾子ありです。(1955年 山岸会養鶏法)

会の財源は人的に物的に無限大である、(1960年 山岸会事件雑観)

第二章 構成 一 幸福研鑽会 の締めくくりは、
なるべく働かないための研鑽をしましょう。 で結んでありますが、なるほど働く手を一旦止めないと幸福を見つける暇もないでしょう。
巷では、働くことで幸福になるかの如く思って、一生懸命働いている人もいるようです。


 ヤマギシズムに出会った会員諸氏も、それぞれの地で、自己変革やグループ活動等にヤマギシズムを取り入れて活かしていることでしょうが、・・・

ヤマギシズムの真骨頂は「社会実現」にあり。
社会実現とは、既成社会での世直し運動や社会浄化活動に非ず。
社会実現とは、かつてない新しい社会が現前すること。
2006年8月30日「よく ここまで きたな」の記事参照

ここで培ってきた「ヤマギシズム=社会実現」のノウハウの蓄積は、どの地域へも輸出できるでしょう。
さてさて、いよいよ、これから、次は、何が飛び出しますことやら・・・。


Category: < つれづれ > | 2007.03.24 Saturday 12:32

山岸会養鶏法に 遊び 嗜む

八 農 業 養 鷄 に は
技術よりも經営を、技術・經営よりも根本原理を先に
1 食卵養鷄が最適
2 飼鷄の適合羽数
3 鷄種は卵主交配種が有利
4 鶏舎は大体平面屋内式とします
5 育雛適期は春1回限りとする
6 育雛設備について
7 早期に乾燥屑米の無制限不断給餌とする
8 緑餌
9 水
  :
  :
  :
七 農 業 養 鷄 と は
農業養鷄の使命
農業経営の一環としての農業養鷄
副業養鷄は永続しない
農法と養鷄の関連性
鷄糞と農業経営
肥料問題の解決
農業養鷄の強靭性
経営上の弱点
その対策
技術面の弱点
その対策
余剰労力と人間生活
山岸会養鷄法の一貫性
物心共に滿ち足りた協力社会へ
農業養鷄の真髄
私はよく誤解されますが、共産主義を最上と考えるものではありませんし、又現在の資本主義経済は否定して居ます。他にこれ等と別に、全世界の人々の求める最上の社会組織なりと確信する、山岸イズムがあります。


産業をやる人は、それぞれの立場(例えば、派遣部門とか、飲食部門とか、流通簿部門とか)を、農業養鶏のところと置き換えて、拾い読みや走り読みでなく、繰り返しよく読んで研鑽すると、分かりすぎる程よく判り、現実味を帯びてくると思う。
  コンピュータをやる前は、実践の書や養鶏書を書写していました。
  コンピュータをやるようになってからは、資料を入力しました。
幼稚で迂遠に見える方法も、素読100回するより比較にならない埋蔵量を宿すかもしれません。
   てあしにも きかいやかねにも たよらない
      あるものみえる あるものいかすが けいえいかな

Category: < 社 会 理 > | 2007.03.20 Tuesday 17:00

産業理を実践する経営

研鑽によって、人間観・社会観が明らかになるにつれて、それが生活行動や社会運営に現われ、社会気風ができてくる。
この順序でいけば、当然、経済や産業面についても、研鑽による解明や具現化が進んでもよい筈だが、これが仲々そうならない。
日常生活の言動や思考や感情については観察できても、仕事や経済のことになると、どういう考えで何をやっているのか見えないらしい。
これは、一人一人の中に深く入り込んだ資本主義観念に依るところが大きいと思う。資本主義に基づいた経済感覚を自覚しない限り、研鑽による産業観を培うのは無理だと思う。
経営の合理化、能率の追求を徹底することは、人間性を疎外するものとの観念がある。それは資本主義だから。
なんと呼ぼうか、「人間主義経済」とでも云おうか。どこまでも、合理化・能率を追求する無固定前進・永遠繁栄経済。

健全な産業、正しい産業のあり方は、未だ手付かずだと思う。
産業の原理から紐解いて、人間と社会と産業経済の成り立ちを知る必要があると思う。
ボクなりの産業観からの見方だけど、今の世の中は殆ど商売・商業が主導になっていると思う。
買い手が主役で、買い手が欲しがるもの、買い手が喜ぶように、買い手の言いなり産業のように見える。
たくさん売って、たくさん儲けるのが産業の目的になっているから、こうなるのも当然のことかもしれない。

買い手次第の手無し経営とは云わないまでも、おもねり・へつらい経営がすっかり板に付いてしまっているようだ。
たくさん売ることが目的だから、必要とあらば、「お手」でも「おすわり」でもなんでもする。売れると尾を振って喜ぶ。
いずれにしても、人が人に頭を下げる姿は見ちゃいられない。
でも、これに慣れると、美しい姿や謙虚な姿にも見えるらしい。

多くの買い手に誉められて、大事業家になったとしても、自他共に人間的自尊心忘却症を蔓延させていては、物が溢れるだけで、優美な人間社会は訪れないと思う。
産業理研究。これを手がけないでは、研鑽社会化も画餅・口頭禅に終わるだろう。
人が人に頭を下げなくていい、人を豊かにする本来の産業の実現に向けて、研究活動の端緒を開きたい。

Category: < 研鑽の理 > | 2007.03.19 Monday 20:00

学問と実験 ・・・ 「研鑽」

ヤマギシズムが世に出て、半世紀あまりになる。
ヤマギシズムは、イズムであり、考え方である、というが、
初期の山岸会の活動を「ヤマギシズム活動」と形骸化し、それを踏襲している。
ヤマギシズムとは何か? 研鑽とは何か? 実顕地とは何か? 無所有とは何か? 一体とは何か? ・・・と、個人的に問いかけを持つ人は少なくないと思う。
しかし、その問いかけは個人的な域を出ず、重要視もされず、研究や解明がなされないまま、呼称や名称は広く使われ、今日に至っている。

他の思想や宗教界でも、原典や教典を解明・解釈するための研究機関を設けている。

ヤマギシズムと呼んでいる組織や活動の「どこがヤマギシズムなのか?」
組織や活動の目的は、なんなのか? 果たして、その方向に進んでいるのか?
等々の問いを発してみると、ヤマギシズムと呼んでいる組織や活動を調べる以前に、もっともっと調べなければならない部分が浮き彫りになってくると思う。
そういう作業(研究)は、個々の思いつきや片手間では難事であって、確たる趣旨と方法を以って取り組まなければ出来ないと思う。


例えば、特講でやられている
なぜ腹が立つのですか。 ・・・をやれますか。 それは誰の物ですか。
等々が、人間革命にどう繋がるのか? どういう位置を占めるのか?
何々だから腹が立つ。  何々だからやれない。  これは誰々の物。
等々と、これらが解けたように見えても、それは一時的な開放感や、目新しい見方や捉え方に出会ったことによる感動であることが多い。
当然、繰り返せば、効きめは無くなる。
このように、一度しか通用しないものを万人の特効薬の如く重宝がって踏襲し、それ以降の本題である、「ヤマギシズム」や「研鑽」の解明がなされないまま、特講を受講した人によって「ヤマギシズム」や「研鑽」の言葉が広まり使われている。


人間にとって最も大切なのは、なんなのか?
人間らしい、とはどういうことなのか?
それを実現し、発揮するには?
   <内面的要素 と 環境的要素>
それを妨げているものがあるのではないか?
   <社会的要因、心理的要因、物質的要因>
妨げているものを取り除くには?
   <そこに主眼を置いた社会制度・機構・運営>
          :
本来の人間性、その人らしさが発露した人生の姿
          :
人みな快適に暮らせる、真の人生を営み得る社会組織


ヤマギシズムは、「真の科学」とも「総合哲学」とも云えると思う。
私たちが云う「研鑽科学」とは、そういう意味で、「ヤマギシズム」と同義語であるが、その実態が明らかになるにつれて、「ヤマギシズム」という呼称や固有名称は不要になり、研究・究明・哲学・科学の総称として「研鑽」の語を用いていきたいと思う。

解説 ヤマギシズム社会の実態(一) 山岸 巳
 ・・・の最初の項に以下の一節がある。
状勢の展開につれて、機を見て断続的に、具体的に、解説しましょう。理解ある協賛により、実践し乍ら完結出来れば幸いとします。
これは、「解説が完結出来れば・・・」とも読める。
私たちの活動は、
学問し、研究し、解明し、実験し、実践し、実証して解説する活動かと思う。
多くの有志・同志と共に、イズムを一貫して研鑽し、次代・後代へ引き継ぐ、それのみに生きられる歓びの中を生きています。

Category: <無所有一体へ> | 2007.03.03 Saturday 18:00

7.単一組織としての拡張と変遷 1961〜2000年

    2005年2月 記述の続編です。

 1961年から各地で実顕地が産ぶ声をあげた(山岸氏は、この年の5月に亡くなった)。しかし、その実顕地の多くが、考え方や方法の行き詰まり等から、破綻していった。
 その後、実顕地として確固たるものを軌道にのせようと、組織化が進められた。あり方や指針を明確に打ち出して、運動面も産業面も生活面も、それに沿って全体行動する組織となっていった。
 1970年代後半〜1990年頃まで、参画会員の飛躍的な増大、産業面での急激な成長、潤沢な経済力による用地取得、施設増築、等々。実顕地は全国各地に作られ、「ヤマギシの村」と名乗り、日本中で知られるようになり、海外の国々にも、広がっていった。

 実顕地とは、ヤマギシズムを実際に顕わす地という意味で、それを純粋に実践しようとした為か、また、無所有一体社会と従来社会との違いを明確にしようとした為か、実顕地という場所を特定し、参画者という人を特定することで、「この場所が無所有一体社会」「実顕地の参画者が無所有一体を実践している人」という示し方をしていった。
 場所や人を特定することにより、周囲との差別化は進んだが、また反面、囲いや隔てや溝ができ、無所有一体の本質である「無辺境」とは逆コースを辿ったのではないだろうか。
 財産を処分したり住まいを移さなくとも、どこででも現状そのままで「無所有一体」を実現する方法として打ち出されたのが実顕地だが、その困難さに耐えられなかったのだろうか、ヤマギシズム実顕地と名乗りながらも、目的も方法も形態も、すっかり変わってしまった。
 囲いのある単一組織としては拡張したが、それも20世紀の終盤にはピークの時を迎えた。

 多年に渡って、多大な人や労力・資材を注ぎ込んだ40年間ではあるが、無所有一体化の実質的な稔りは、あまりに少なかったと云えるだろう。しかし、未来・後代への資料として、多くの貴重な歴史・教訓を遺したとも云えると思う。
 私自身、1974〜2000年まで、その渦中で率先して活動してきた。その中で、ヤマギシズム・山岸氏の思想・理念を研究する機会を得て、社会構成の核心、人間問題の焦点が観え始めた。
 2001年、21世紀の幕開けと共に、ヤマギシズム社会・無所有一体社会・研鑚社会の門戸を開くべく有志によって、新たな研究と実験の旅が始まった。
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