BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2007/02 ――
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Category: < つれづれ > | 2007.02.23 Friday 16:00

キレイな人間

シャンプー・石鹸 たくさん使って、毎日 毎日 洗っている。

外面をいくら洗っても、人間はキレイにならない。


たくさんの汚水を流すより、体に垢を着けたままでも、トータルに見たら、地球環境にいいかな・・・

良かれと思って、一生懸命にやって、実際には害を撒き散らしてること、たくさんあると思う。

Category: < 社 会 理 > | 2007.02.20 Tuesday 20:00

実用機関の研究  (研鑚を基調にした社会)

ひとりひとりの研鑽ライフをサポートする機関
 各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会

○ 幸福条件の凡てに、積極具現方式を
 結婚・出産・育児・学育・就職・趣味・職業・家庭・家族・学問・芸術・技能・衣食住・経済などなど、人間生活に関わる凡ての事柄を対象とし、
一人一人が本当に豊かで安定した幸福生活が営めるよう、全人格的に生活全般に渡って、相談・支援・推進する積極的実践力を有する社会機構。
 現状の地域社会に於ても、結婚、出産・育児、青少年育成、技能習得、職業斡旋、生涯学習、等々、支援や相談の機能はある程度設けられてはいるが、人間生活に重要不可欠な機構という認識は低く、そのために施策としては消極微温的で、それぞれの生活にとっては補助的・付属的な位置付けのものが多い。

○ 機構制度 と 安定経済 と 心理面の解決
 ひとりひとりの人間性の涵養に重点をおき、それに応じた暮らしや社会的持ち場が実現するよう、産業構成や職場組織、生活環境や文化活動など、既存の法規や個々の力量による制約を補完し、人の安心・満足を最優先にする社会体制。
 このような機能を持つ機関を設置する方式、実用できる社会

○ 研鑽ライフセンターとの連携
 人間が決めた規範や子供の頃から身に着いた観念によって、自分を縛ったり、互いに縛り合ったりすることなく、各自の無限の可能性や固有の持ち味を、自由活発に発揮し合うために、先ず自分自身を人間寄りの観念から解放し、本当の自分を見出し、自分ならではの生き方を見つけ出す。

Category: < 社 会 理 > | 2007.02.17 Saturday 18:00

人間性に適った社会の端緒

各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会

研鑽ライフセンター
  知性を培い育て、技術・芸術性を高めるための制度
  個性・持ち味を見出し、研き、伸ばし、発揮するための制度

研鑽ライフサポート
  人も物も適材適所で、最も生かし合うための機関
  ひとり・ひとりの最適人生(幸福人生)を実現するための機関


社会は、それぞれに異なる一人一人の集まり
人を主体にした社会
人そのもので構成する社会
人そのものとは・・・物財も社会通念も何も着いていない素の状態

教えられた善悪・常識がない
人も自分も責めたり咎めたりする要がない
間違いや過ちは知恵を寄せ合って取り除こうとする
人が住むこの世界に、罪も罰も争いも貧困もない、安定した快適な社会を実現しようとするもの

囲ったり隔てたり占有する物も考えも自分もない、
凡てが解き放たれた、そのもの、そのままの状態
いつでも、どこでも、だれでも、思いのままに使えて、生かし合える

ひとりひとりの個性・持ち味を最も生かし合おうとする方向
それが人間の最も効果的な使い方、自ずと豊かで楽しい人と社会気風
勿論、個々に稼いだり蓄えたりする必要がない、齎し合い分かち合う暮らし

人が人らしく生きる・・・人の中で、保ち合い、齎し合い、分かち合って生きる
人の中で個性・持ち味が見出され、人の中で発揮する生き方

Category: < つれづれ > | 2007.02.09 Friday 19:00

「社会観」の元となる「人間観」

自分優先・金稼ぎ、競争や勝ち負け感、努力や頑張りなどに慣れてしまうと、人間本来の姿を見失っていく。
義務・責任や規則・罰則、人の上下や貧富の差などが、有って当たり前になると、本来の人間社会を見失っていく。

人間を知らないで人間をやっている。人間を使っている。
人生を知らないで、人生をやっている。
でたらめな人間使い、でたらめな人生。

人間とは、何する生き物か。
生きるために食べて、食べるために稼いで、稼ぐために働いて、・・・

働くことに重きを置いているうちは、人生が見えない
よほど働くことが好きなんかな
まるで働かんならんようにして働いている
働くより研鑽したら良い
7〜8割を研鑽に使ったら良い
働くのは、2〜3割で済むようになると思う
働くことに重きを置いた頭で、働きながら研鑽しようなんて、絶対ムリと思う。
自分を働くことに費やして、他の人をも巻き込んで、人を働かせる。

自分の中に固まっている頑固な頑固な「人間観」は絶対に崩そうとしないもんね。
自分の中に頑としてある「人間観」から、人生を見てる、人を見てる、自分を見てる、仕事を見てる、社会を見てる。
自分の中の「人間観」さえ解放したら、凡てが、ガラガラと崩れるのに、それには一切触れさせずに、自分の「人間観」で毎日、毎日、働いている。働かせている。
そういう状態では、人間について、人生について、仕事について、社会について、話し合いが出来ない。
話にならない。


自分が、やったり、やめたり、は出来る。
人にやらせたり、やめさせたり、は出来ない。
この辺りに、根本的な鍵があるような気がする。

何かで人を動かせるかの如く、洗脳され?錯覚している?
自分も何かに動かされているような・・・。
自分は、自分の意志や欲求で行動しているつもり、でも、その内実は、
やらない訳にはいかない、放っておけない、そんなことするもんじゃない、そんなこととても出来ない・・・
人間が決めたもの、自分の頭の中のもので、自分にやらせたり、やめさせたり、している・・・無自覚に

自分自身、仕事や役割に動かされ、常識や社会通念に制御されている。・・・でも、やりたくてやっているつもり、自分の意志でやっているつもり。


働かないと生活が行き詰まる?
 今でも、あまり余裕がないのに、せめて、もう少し余裕ができるところまで働いて・・・・と、働くことで、解決するように思っている。

働かないと生活が行き詰まる?
 働くと生活に余裕ができる、という考えそのものが、本当にそうか、どうか。

働いて、働いて、収入を得て、お金の心配なく、研鑽会に参加する時間もとれて・・・・。それで満足? その先に理想社会がある?
頭を使わないで、体ばっかり使ってる。
人間の使い途を知らない。人間を知らない。
人間は働かす動物だと思っている。


テーマは人生を知る
人間を知る 人間とはどういう生き物か。
「やること」ってあるのか
他の動物に「やること」なんてないだろう
えさを獲って食べて、寝て、じゃれ合ったり、遊び回ったり、・・・
生きるためにやっているようなこと、みな本能的欲求からだろう。

人生→生きる→動く→何かをやる「行為」→結果(成果・産物)→齎し合い、分かち合う
これが人間の頭の中で、逆流する。
結果のために→何かやる→そのために生きてる・・・みたいな・・・?
良い結果を出さないと、やった意味がないとか・・・
何かやらないなら、生きてる意味がないとか・・・

Category: < 精神革命 > | 2007.02.02 Friday 11:00

抜本塞源 (頭脳革命) 先ず ここから

認識のメカニズム → 日常生活 自分の見方・考え方
見たり、聞いたり、触れたり、味わったりして、思ったこと、感じたこと、それらが記憶され、蓄積され、今の考え方、性格、生き方、感情などを形成している。

私は、事実を見た、事実 体験した。
・・・これは、その瞬間・瞬間
私が、見たもの、体験したこと。
・・・これは、頭の中の記憶。
どれほど正確に記憶したとしても全く別モノ。

ビデオの例
事実を撮影した。・・・事実とは、時々刻々の出来事。
撮影したものは、・・・磁気テープや磁気ディスク。
出来事は出来事、・・・記憶装置とは全く別モノ。
 (食べ物の写真を撮っても、写真は食べ物にならない。)
事実を正確に再現しようと、ビデオ技術は向上するが、どこまで行っても、過去の事実を推し測るためのもの。
ビデをを見せられると、「事実こうだったんだ」と断定してしまう。或いは「事実を知った」となる。
更に、人間の記憶は、より断片的で、なおかつ、その人なりの捉え方で記憶している。
「事実を見た、体験した」とは言えるが、「私が見たこと、体験したことは事実だ。」と言うところに、大いなる混線があると思う。
過去だけでなく、現在の事実(地球の形、自分の体重、各地の実況、etc.)についても、何らかの媒体を介して、できるだけ事実を正確に推し測ろうとして現わされたもの(別モノ)を見ている。「事実を知った」とは言えない。

今の教育も全部この例。教わったら「事実を知った」となる。そういう人をつくっている。
毎日、毎日、言い合い、主張のし合いが絶えない、今の人の世。
自分の頭の中のことなのに、「事実だ」として言っている。
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