BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2005/12 ――
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Category: < 世界革命 > | 2005.12.31 Saturday 10:13

研鑚セミナー


鈴鹿に来た頃からあった「特講やりたい」との念い。初めての人に研鑚機会を・・・。
2005年 幸福研に新たな人が参加し、ますます、その必要性を感じ・・・。
九州からも来てもらい、研究会などの交流を・・・。
初めての人から予科課程に参加申し込みがあり、
息子や娘たちに是非研鑽機会を贈りたい・・・。
いよいよ、と云うか、遅ればせながら、と云うか、研鑽セミナー開催。

白川さん隆杉さん恩田三由紀さん、研鑽を知らせ伝えて、研鑽生活の入り口へのスタッフ・・・。
教えたり、知識や観念的になるのなら、逆効果、やらない方がまし・・・。
交代で誰もが研鑽のセミナーをやれるように・・・
研鑽セミナーをやってみると、自分が分かる・・・。
自分は、スタッフやるか、合宿研に参加するか、セミナーを受講するか・・・。

3月以降の開催には、もっと参加者が集まりそう。
ヤマギシの学園で特講うけた人も、研鑽セミナーへ・・・。
長年、研鑽会に参加している大人も、研鑽セミナーへ・・・。
転換したり、放せたり、スッキリしたり、明るくなったり、・・・・そういうのを目的としない研鑽セミナーへ・・・。

人間が火を使うようになり、やがて、科学技術を駆使して、今日の文明があるように。
人間の知能は、研鑽を会得し、人間自身の心の世界を開拓し、真理に即応した営みを実現しようとする。
今までの人間界には、かつてなかった、真の人間性を開花させ、各々の生活の端々に滲み出て、社会気風を醸成する。
研鑽を得た人の暮らしが始まる。研鑽を得た人たちの社会が始まる。研鑽社会気風が広がる・・・。

Category: < 人 間 理 > | 2005.12.28 Wednesday 10:12

自然 と 人知 の ・・・

自然な愛情
どんな動物にもあるであろう母性愛や家族愛。
見たり触れたりする機会があることで湧く愛情(血縁なくても)。
見かけただけの人にも湧く親しみ、身近な物への愛着、・・・自然な人の姿。

一体観からくる愛情
知 性
叡 智
==>
一体観
世界観
==>
無辺の親愛
人間の持つ知能によって、
全世界の人類間の繋がりや、自然万物 一体の一部としての存在を知り得る。
体感的な自然な愛情は、もちろんのこと、
一体観からくる大愛、無辺の愛情を基に人間界は営み得るもので、
そこには、貧困や争いなど起こりようがなく、
自然全人を愛する人間らしい社会。 愛と理知のみなぎる世界です。

追記
自然のままでは、体感的な周囲への愛情にとどまり易いから、
全人幸福親愛社会実現には、叡智による一体観の涵養こそ、先決であり、それ以外の道はないと思う。
自然な愛情 と 人間ならではの一体観からくる愛情 とを混線しないようにしたい。

Category: < 社 会 理 > | 2005.12.27 Tuesday 10:11

人情社会の実態

人情社会は哲理顕現体
理念の究明
総合哲学に基づく
試験・実験
==> 機構・制度
自由・平等
物資の豊満
適材・適所
==> 人情味溢れる
明るい温かい社会
人情味や温かみは誰もが好むものだけど、
人情・やさしさ・親しさを重視して最優先しても、本当の社会はできないと思う。
必要条件ではあるが、十分条件ではないもの。
  十分条件・・・それがありさえすれば必ず成り立つような条件
  必要条件・・・成り立つために、必ずなくてはならない条件

追記
社会の機構や運営、或いは理念の話をしても、つい人情や温かみを言いたくなるのは、よほどそれらに飢えているからだろうか?
現状や旧来の感情を交えないで、真正社会のあり方を研鑽し、その構成と方法を探りたい。

Category: < つれづれ > | 2005.12.23 Friday 10:10

「思っている」という言葉・・・

「Aさんは、こういう人だ」 というのから始まって、
「Aさんは、こういう人だ、と私が思っている」 となるのが仲々で、そうなるのが、先ず第一段階。
しかし、過去に、
「Aさんは、こういう人だと思った」 というのが継続していて、
いつの間にか今も
「Aさんは、こういう人だと思っている」 という現在進行形になっている。

過去に「思った」ことが継続して、今も「思っている」とは、どういうことか?
過去に体験したことを元に、今も、そう思っているということは、その人の中では、
「Aさんは、こういう人だと私は断定して思っている」 となっているのではないか?
「思っている」という言葉を付けていると、ただ単に自分が「思っている」にすぎないと言っているように聞こえるが、その実は・・・、
「そうとしか思えない」他の思い方の入る余地なく、「今も事実・・・だと思っている」状態ではないか?
こういう場合は、
「Aさんは、こういう人だと思っている」 と言うより
「Aさんは、こういう人だという事実を私は知っている」 と言うのが当たっていると思う。
「思っている」のではなく「知っている」というのが、その人の内なる状態。

「○○は美味しいと思った」・・・
「○○は美味しい」=「○○は美味しいと私は思っている」=「○○は美味しいという事実を私は知っている」
「私は見て聞いて、Aさんは○○と思った」・・・
「Aさんは○○だ」=「Aさんは○○だと私は思っている」=「Aさんは○○だという事実を私は知っている」
「あれは間違いだった失敗だったと思った」・・・
「間違いだった失敗だった」=「間違いだった失敗だったと私は思っている」=「間違いだった失敗だったという事実を私は知っている」

日常の会話は「知ってる」ことのオンパレード。「事実を知ってる」のだから吹聴できるんだろうな。
「私が思っているんだけどね」と付け加えながら・・・。知ってる人同士の話は盛り上がる。
「知らない」のに「知ってる」と思って、喋ってるって、チョット辱ずかしいな。

Category: < 世界革命 > | 2005.12.20 Tuesday 10:09

Toward as one

先ず 研鑽会を (2000)
 鈴鹿は研鑽会から  研鑽会は鈴鹿から   「鈴鹿」=「一つ」
先ず 一つからの生活 (2001)
 人間生活を出発させるに当たって・・・本当の家族を 生活のベースに。
 一つからの行動・暮らし・仕事・経済・・・「一体生活」
先ず 一つからの経営 (2002)
 一つから仕事する、一つで仕事する・・・職業と職場、持ち味と持ち場、人と場 「適材適所」
 スリーシーサービス 鈴鹿エコサウンド つくしんぼ保育園 さぬき兄弟 ・・・
先ず 自己を知る 正しきを知る (2003)
 生涯学究制 予科課程合宿研鑽会 適性試験科合宿研鑽会  振出寮
先ず 社会システムモデルを (2004)
 人間本来の姿、本当の社会のあり方・・・人間社会科学研究所
先ず 揺るぎない社会から (2005)
 人間生活・人間社会は「一つ」から。 「一つ」は目的ではなくベース。
 揺るぎない人・揺るぎない組織 「as one」
先ず 周囲・後代へ 研鑽 を贈る (2006)
 「 研 鑽 セ ミ ナ ー 」

Category: < つれづれ > | 2005.12.16 Friday 09:57

研鑽会について思うこと

岡山のUさんへのメールより抜粋

研鑽会というとヤマギシの時のイメージが先行するのかなーと思ってね。
若い子らに聞いても「研鑽会って答えが決まってる」とか「最後は係りが正しいことを言うんだ」とか・・・、
これでは研鑽会嫌いになって当然だよね。
ここ(鈴鹿)での5年間は、研鑽会の5年間。生活も事業も組織活動も全てが研鑽会から生まれたもの。

鈴鹿での最初の研鑽会場は貸事務所の一室だった。ヤマギシから通いながらだった。
食材・食器・なべかま持ち寄り、片隅の流し台で夕食作り、煮炊きしながらの研鑽会。
2週間の参加費5000円。途中で出入り自由、とっても動的?な研鑽会。

先日、話した通り、今やってる幸福研も出入り自由、持ち寄りのコーヒー、お茶菓子、果物、いろいろ賑やかにテーブルに並ぶ。
携帯が鳴って出て行く人、心地良さそうに居眠りする人、メールしてる人もいるかな?
初めて鈴鹿の研鑽会に来て、その光景・雰囲気に驚く人もいます。

一週間の合宿研の方も、寝る時刻、起きる時刻、食事もその人次第、研鑽会の時間だけ決まってる。
あとは各自考えて行動する。おおむね午前中は研鑽会ないから、散歩したり、運動したり、朝風呂とか、喫茶とか、いろいろ・・・。
夜の研鑽会後、酒やつまみの用意が始まることもあります。

鈴鹿での研鑽会を通して、ヤマギシズム社会の実態「第二章 構成」に「一 幸福研鑽会」があるという意味を自分なりに実感しています。
研鑽会が社会の縮図そのもののような実感、真の自由平等が先ず研鑽会で実現されていく。
個々には上下感や窮屈感、束縛や押し付けっぽい人いても、研鑽会という小社会には、一切の縛り押し付けや上下・差別がない。
そういう研鑽会を実践・体験することから、実生活・実社会の革命が始まるという実感・手応えがあります。

研鑽会で自由・平等を実現しなかったら、この社会は絶対できないと思う。
まさに、「弾圧したり、腹を立てたらおしまいです。」だね。

ヤマギシを出た若者も大人も研鑽会を敬遠する人いるけど、ヤマギシでやってたような研鑽会は面白くなかったと思う。
だからこそ、本当の研鑽会実現に凡てをかけていきたいと思ってやっています。
では、また。

Category: < 世界革命 > | 2005.12.13 Tuesday 10:08

as one 序章

目的 揺るぎない真の幸福生活を実現する それぞれが最も生かし合える安定した快適な社会を周囲・後代へ引き継ぐ

最も重要なのは、頭の理解でなく、「目的」が自分のものになっている人、その方向で生きている人たちの結集。

そして、何度でも、何度でも繰り返して、うったえなければならないことは、
人間の本来の姿、社会の本当のあり方、それが根幹、基盤、ベース、出発点であるということ。
心理学にしても社会科学にしても、やはり現状の人間問題、社会問題から出発しているものが多いと思う。過去の歴史事実から、人間や社会を把握しようとしているものが多いと思う。そこから、人間や社会のあり方や方法を考えているように思う。
そのような研究も重要で、今日の人間問題、社会問題の解明や解決も大いに取り組んで欲しいと思う。
それ以上に、人間とはどういうものか、人間社会の本質は何かを見極めることこそ最も重要だと思う。
何よりも先ずそこに全てをかけたいと思うもので、そこをハッキリ検べ見定めながら、
現状の人間や社会から、如何にして、本来の人間へ復帰し、本当の社会を実現するかの方法考案・・・という順序になると思う。
「研鑚コミュニティ」オープニング参照
つづく

付記
執われを無くせばとか、人と仲良く心通わせればとか、持たない放した生き方をすればとか・・・・、それらは大事な要素ではあるが、そうしていれば目的が達成するというものでは決してないと思う。
我執なく仲良くしてたら全人が幸福になるかの如く安易な錯覚・思い込み・信仰があるように思う。
目的を実現するには、目的が実現するようにしていくことだと思う。
全人類に関わる大仕事、精神論や一朝一夕のものではないと思う。
この仕事に本腰でかかれる人たちで、as one の全貌を公開・公表して進みたい。

Category: < つれづれ > | 2005.12.11 Sunday 10:06

ひとり言のような感想

「村を出た人が、村の批判をしている」
「村にいる人が、村を出た人の批判をしている」

どちらの立場からも、大いに考えを述べて、批判し合って欲しいものです。
でも、ひとりひとり違うから「・・・の人」と一言でくくれないよなー。

「その人の中では学園は終わっている。でも実際に、学園は続いている。」
「その人の中では学園は続いている。でも実際に、学園は終わっている。」

どちらか一方に偏ると、もう一方が聞けなくなるかなー。
先ずは、反感なしで、どちらも冷静・公平に聞ける状態からだよなー。

先日、ある人と話したら、その人は、人や組織を批判・批難することを随分嫌っているようす。
でも、批判・批難する人を、その人自身、批判・批難しているという自覚はないみたいだった。
こういうことって、よくあると思う。

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人と社会を科学しよう
核心をつかむ「研鑚」をしよう
なにはなくとも「学問と実験」を
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Category: < 世界革命 > | 2005.12.07 Wednesday 10:01

続 「鈴鹿」について

なぜ、そんなにまでして研鑽会を・・・ の巻

私たちは「鈴鹿」に住まいを移すより以前に、一番最初に先ず「鈴鹿」に研鑚会場を設けました。
14坪、家賃7万円の貸事務所で。2000年11月「鈴鹿」での初めての研鑽会「実践の書研」が実現した。
2週間の参加費は5000円。持ち寄りの食器や食材、事務所の隅の流し台で煮炊きしながら食事した。
ヤマギシの村から「鈴鹿」の研鑚会場に通いながら・・・。

< 2000年3月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会課程研鑽会が豊里にて始まる。従来のように個人を調べる研鑚だけでなく、「社会を調べる」研鑽会。
実顕地、職場、学園、本庁機構、ヤマギシ会組織、生活調整機関・・・等々が、果たしてヤマギシズムに叶った社会と云えるか、どうか、調べる社会課程研鑽会。
< 2000年8月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎月開催の社会課程研鑽会は、豊里でやって欲しくないということで、研鑚学校会場に移る。
< 2000年9月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社会課程研鑽会 研鑚学校会場もこの月までとなり、場所探しが始まる。
< 2000年10月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時、加賀実顕地にいたYTさんの協力で、片野農場で研鑽会が開催できた。名称は「世界革命実践の書研鑽会」
翌月は阿山実顕地で開催予定だったが、この期間中に「以後ヤマギシの村の中では開催しないように」となったようで、
急遽、研鑚会場探しが始まり、「鈴鹿」に研鑚会場を設けることになった。
< 2000年11月 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
貸事務所を借りるには敷金・礼金など、まとまった資金が要るが、当時、参画者の面々では月々1万円の小遣いがあるだけで、とても足りない。
そこで、既に村から街へ出ているメンバーの協力を得て、瞬く間に100万近い資金が集まった。
こうして、冒頭にあげた「鈴鹿」での「実践の書研鑽会」が幕をあけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、思えば、ヤマギシの中で研鑽会が続けていられたら、今日の「鈴鹿」はなかったかもしれない。
豊里 → 研鑚学校 → 加賀 → 鈴鹿  ・・・・場所を変えるように仕向けてくれたからこそ、今がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新世紀も幕を開けようとする頃・・・、毎月の「実践の書研」に参加した人たちが、本質的なものを見極め、そこに立ち還ろうと、続々 鈴鹿に住まいを移すようになった。
< 2001年 > 「鈴鹿」一体社会の幕開け・・・・・・・・・・・・・・
以後、概略はホームページ http://www.kensan-community.org/ にて

Category: < つれづれ > | 2005.12.04 Sunday 09:54

適性試験科研鑽会について

3年前(2002年)の11月から、適性試験科合宿研鑽会をやってきました。
適性試験科の目的や名称の通り、参加者は、
自分の持ち味や適性、そして、社会的適所や適職を見つけ出したいという欲求で参加します。

でも、この研鑽会をやり始めて気付いたことは、
何のために自分が生まれて来たのか、何故ここに自分がこうして居られるのか、
そして、これから、どこへ向かって行くのか、・・・自分の没後、次代・後代がどうあることを希っているのか・・・、
という人間としての根源的テーマです。

これらは、頭で知識や理論で考えることでもなく、自分に問うて、問うて、自分の内からどんな応えが返って来るかを観る作業です。
頭や理屈で理想や真目的を説いても自分のものではないという感じ。
自分の中にしかある筈がない、産まれて来た理由、生きる目的、存在する価値・・・、誰にも教えて貰えない自分しか答えられないもの。
そこに出会ってこそ、それからが自分ならではの本職・本業が現実味を帯びてくる。架空の本職・本業でなく。
こういう研鑚やってみると本当に面白い、研鑚資料は、まさに自分自身。ヤマギシ用語は要らない。

これからの本業・本職には、その前と後、つまり、「自分の人生以前」と「自分の人生以降」を自分で知ってこそ、
「自分が生きる」ということの実質を自分で知ることができるようになるような気がする。
これを、本当にもっと、もっと若い世代から、やっておきたい。難しい哲学などでなくて・・・、
簡単でシンプルな、自分の存在、自分が生きるということを知る機会。研鑚機会。
今は、こんなことを思いながら、やっています。
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