BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2005/05 ――
1  total 1p

Category: < 具現方式 > | 2005.05.27 Friday 08:07

Human Ground ヒューマングランド(案)2

生涯学究の場 Human Ground

 人間らしさを探究し、実現する場
 研鑽会・研修会の中だけでなく、住まいや家事・育児、生産流通、経営運営など、そこでの生活すべてが、生涯学究の一環としての場。
 研鑽生活・研鑽社会の基となる場。
 世俗に対しての聖地というのも変だが、純粋な場。
 ヤマギシズム社会式養鶏法を顕現するのも、先ずこの場から。

鈴鹿が、HumanGround とあったけど、いま住んでいる地から見たら、鈴鹿は純粋な場。
更に、本質的なものを求めるなら、鈴鹿に住む人も、世界中の誰にとっても、純粋研鑽のみの場が欲しい。
それが、Human Ground。
生涯学究に参加するというのも、話し合いで知的に考えることは勿論重要だが、それが何の為のものか、それをやってどうなろうとするのか、というのが、その人まかせではない。
その人、その人なりの目標や目的で、生涯学究にのぞめばいい、というものではない。それでは、単なる観念まかせになる。
真なるもの、つまり、人間の方向性、社会の方向性、真実をその場で体感するもの。そういう場。

Category: < 具現方式 > | 2005.05.27 Friday 08:06

Human Ground ヒューマングランド(案)

Human Ground 人間性の場  つまり、 Human Farm (人間性を肥やす農場)

敷地内に、住宅・生活施設、事業・生産施設、生涯学究研修施設、合宿施設などを設ける。
生涯学究は勿論のこと、住宅も事業も、そこにあるもの全ては、人間性を培い養うために活用される。
そこでの研修会も、日常生活も、畑や鶏舎も、仕組みや施設、運営や経営も、人間性を培い養うという方向のもとに使われ営まれる。
人間性を培い発揮する、幸福人生・幸福社会の試験・実験の場ともいえる。

そこには、定住者も居るし、短期の研修者も居る、学究研修参加の学生もいる。
そこに住んでいる人は、そこで人間らしい自分になり、人間らしい暮らしを実現させていく。
外部から来た人も、そこで人間らしさを見出し培い、各々の持ち場で人間らしい暮らしを実現させていく。

定住してもいいし、短期で研修してもいいし、合宿研修だけに参加してもいいし、いずれにしても、人間が人間らしく幸福に生きられるようになることを目的にして、その方向で全てを考え行なう場。

こちらの受け入れ態勢さえ揃えば、誰が来てもいい、どんな人でも受け入れられる、家のない人、身寄りのない人、淋しい人、物や能力もてあましている人、・・・軍人も娼婦もルンペンも、・・・

Category: < 一体の理 > | 2005.05.19 Thursday 08:05

あ・い・す・る

 多くの会や団体が破綻するのは、寄る時の理屈・勘定はよいが、この団体を愛し、会員を愛し、真に自己を愛する相愛の精神が足りないためです。
 自分のみのためにと、取り合っていて、よくなる道理はありません。

・・・、後に続く人々に、自分の持てる凡てを”かつて自分が受けたように”与えて、与えて、与え尽くす愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。

・・・、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです。

 こんなに複雑精細な養鶏法が、素人の誰にでもやれる方法があるのです。
 その方法と云うのは、毎月半日を割いて支部研鑽会に出る丈のことです。
 共に研鑽して時の最先端を行なうのみです。

人間の普通で自然な状態には、損得勘定とか、公私の区別とか、が無いのが本当だと思う。家族の間柄など見ると当然のことなので分かり易い。
人類同属、同じ人と人でありばがら、利害が反する人が存在するということ自体、どこかに間違いがあると思う。(一方が儲かって、片方が損する等々・・・)
「店と客」の関係は「売る人と買う人」という関係だが、客が店を愛するということもある。店を愛する客が多いということは、店の繁盛に繋がる。
会社などでも、「雇う人と雇われる人」という関係ではなく、会社を愛する人が、どれだけ多くいるかが、会社の繁栄に繋がる。日給・時給・歩合給という仕組みでは、愛する心が育ちにくい。
どんな組織でも、支部活動でも、調整機関でも、研鑽会でも、・・・人が多く寄っていたとしても、その会を愛する人がどれだけ多くいるかで、その会の繁栄・繁盛は決まるような気がする。
でも、愛国心とか愛社精神とかの場合は、殻のある小愛もあるし・・・、
好きとか、親しいとか、放っておけない、というのも愛するとはチョット違うし、・・・
「一つ」という感じかな。

Category: < つれづれ > | 2005.05.14 Saturday 08:04

念々・・・

いろいろな事をやってはいるけれど、
経済的に楽に暮らせて、楽しくやれる持ち場があれば・・・、という辺りが、一番大事にしていることなのかもしれない。
その人のメインというか、主眼を置いているというか、殆どそれを基準に考え行動しているというか・・・。

それプラス、余暇というか、余得というか、メインを外さない程度の範囲で、「社会」とか「研鑽」とか「研究」とか「本当」とか、言ってやってるのかな。
うーん? これが『理想社会の実現に協力する(いわゆる金を儲け乍らの)人』の姿なのかな?

何がメインか?ということは、何が一番の関心事か?ということで、「これをメインにすべきだ」といっても始まらないけど・・・。
経済的に楽とか、楽しいとか、そういうものがメインの人は、そうなんだろうけど・・・。
「物も豊かで楽しい暮らし」の前というか、その元がある(要る)と思ってるんだけど。
そこに主眼をおきたい、それをメインにしたい、・・・でないと、豊かも楽しいも砂上の楼閣というか、

どうも、人間界、あやふやなものだ、というのに慣れてしまっているように見える。
「揺るがない確かなもの」なんてあり得ないという観念、思いもしない習性。
あやふやなものを人生の主目的において、それで結構満足する理由は、そんなとこかな?

「揺るがない確かな」人間社会に目を向けると、旧来の延長線上にない、新しい扉を開かないとね。

『併し私共は、今迄出来なかったから出来ないとか、出来もしない事を出来るが如く見せかけるものでなく、実現し得る設計と、方法と、確信を持って居まして、この間違いの多い夜の世界に終止符を打ち、人類ある限り、永遠に揺ぎない真の幸福のみ溢ぎる、理想郷の門戸を開き、昼の世界を迎えようとするのです。』

Category: < つれづれ > | 2005.05.14 Saturday 07:58

My 興味・関心・・・研究意欲

「悟る」という言葉は激しすぎる? じゃあ「腹に落ちる」これも重い? 「得心する」このくらいの表現ならいいかな?

一体(持たない・我のない・殻のない・溶け合った状態)か、どうか・・・、という話が通じるのは、
一体を(悟った人と言いたいけど)得心した人でないとね。
一体を言葉ならべて説明できても、得心してない人とは、一体という言葉を使っても意味が通じない。
一体の人かどうか、一体の活動かどうか、一体の方向にあるかどうか、・・・こういう話が通じるのは、一体を得心してる人。
一体でない人が何やっても駄目だと思う。一体の世界に反することやって幸福になる筈がない。
だから、一体かどうか、絶えず気になる。人を見る目も、そういう目で人を見ている。この人どうかな。あの人どうかな。
頭で思う一体を意識したって、そんなことは一体の人とは関係ないから無駄なこと。
一体でないところから、一体になろうと意識したって無理だから、先ず一体でないところから抜け出すことだなー。
「一体」って「悟ることだよ」と、やっぱ最後これ言いたくなっちゃうんだよなー。

Category: < 具現方式 > | 2005.05.11 Wednesday 07:57

心を調える現象を・・・

乱れている心を、静めたり、和ませたり・・・、荒んでいる心を、慰めたり、癒したり・・・、
和んだり癒されたりすることで満足して、そこで止まる、それ以上を欲しない。

乱れたり荒んだままでは、まともな活動にならないから、一応、和んだり癒されたりする必要はある。でも、それが目的ではない。
まともに・・・正常に、本当に暮らして行こうとするもの。

物財が不足し、事がうまく運ばなくて、心が乱れ荒んでいる。物財が豊富で事が順調なれば気分は明るく心境が良くなる。そうなることは間違いではないが、悪いことではないが、そこで止まるのならば、何の為の豊富か順調か・・・?
物財が増えて、事がうまく運んで、それで喜んでいるのなら、却って、物財が無い方が、事が順調でない方が・・・、と云いたくなるものが、ここから出てくる。

物事の贅を尽くし昇りつめた果てに「あぁ、これではなかったな」と悟る・・・
或いは、物にも事にも凡て見放され、どん底を体験して「あぁ、物や事ではないな」と悟る・・・
でも、誰もがこんな体験できるものでないし、体験しても本当を気付くのは極々稀な奇特な人。

物が増え、事柄は思い通り・・・、欲求や要求を満たすだけの社会活動なら、迷妄彷徨人間を増やすばかり。
苦行や荒行も要らず、誰もが容易に本当を気付ける方法、環境、社会。
心を調える、心の本当、欲しがらなくてもいい、自分を守らなくてもいい、他と隔てなくてもいい、上げ底にならない方向、・・・経済活動、機構運営、家庭生活、子育て、等々。

Category: < 精神革命 > | 2005.05.08 Sunday 07:56

つづき

本質、本質、と強調すると、物否定の唯心主義のように思われるかもしれないけど、そうじゃなくて、
肉体の健康や、物を豊富にすることを否定するわけじゃない。否定しない、ということは、肯定するわけじゃない。
肉体が元気で健康、物が豊富にある、・・・で、「そりゃぁエエなぁ」と云えないもの。
元気で健康にこしたことない、豊富にあるにこしたことない、と思う人多いけど、本当にそうか、どうか・・・。
これが、現象面で判定する価値観。
人間の健康、物の豊かさは、現象ではない。「肉体の元気」や「物の量」では、健康か豊満かどうか分からない。
そこで、いちいち、本当の健康、とか、本当の豊かさ、などと言わなければならなくなる。
元気にしてても、明るくしてても、積極的でも、活発でも、軽くても、役に立ってても、物や金を放してても、皆と一緒に研鑽してても、・・・・・
何をしてても、本当の何々か、どうか・・・。
つまり、本当か、どうか、・・・ これは現象のことではない、本質のこと。

Category: < 精神革命 > | 2005.05.08 Sunday 07:55

眩まない目

「目に見える部分」に目が眩む   「枝葉・末節・表層」に目が眩む
「目が眩まない」とは、どういう状態をさすのだろう。

・・・行なわれている殆どの現実が、根本的に変ることで、・・・
私共では、根本的に行き方を変えて、・・・

根源本質的なものに重点をおき、・・・
形の無いものに本当の価値がある・・・

現象、つまり凡ての物事(物質と事柄)、文字通り現れた象であるから、
現れの元というか、現象の元となる本体が存在する。当然、現象化しない本体もたくさんある。
人間がそう捉えなくとも、成り立ちを知らなくとも、存在そのものには何ら関係ないが、
人間が知覚的に物事を把握しようとするときに、その成り立ちを知ろうとしないで、人間よりの偏った捉え方、知り方、をするところに、人間の道外れが始まる。
「無現象と現象」というのも人間よりの捉え方かもしれないが、それすらも考え及ばない浅薄傲慢な観念で、現象のみに重点をおいた人間生活が蔓延し引き継がれてきている。
法律制度、経済活動、スポーツ等に至るまで、殆どの現実が、現象のみを重視した人間生活である。
無現象・本質を知るというと難しく聞こえるが、要は物事の成り立ちを知る、ということで、
成り立ちを知ろうとすると、無現象・本質の大きさが分かり、人間の思いの果敢なさも分かり、自ずとキメツケのない謙虚な姿になると思う。
これは、現状の人間世界から見ると、かけ離れた境地の人のように思われるかもしれないが、
普通の人間の状態、真の幸福を求めるなら極々あたり前の姿、「幸福会員」のことだと思う。
本質に重点をおいた人間生活が、どのようなものか、そして、どうすれば人間はそうなれるか・・・、
つづく

Category: < つれづれ > | 2005.05.05 Thursday 07:53

10人のメンバーとは・・・

理想社会の実現に傾倒する人。  理想社会とは・・・  それを実現するには・・・
幸福一色の理想社会というと・・・   実現するとは、何をすること?

『枝葉・末節・表層のみに捉われないで、根源本質的なものに重点をおき、・・・
 混濁世界に黎明の陽光が射し込み、全体総てを明るい真昼の状態に・・・』
『現状その儘で陽的に、愉快に、案外容易に、恰も暁に陽光が及ぶが如く照らし出されて、明るい昼の世界が実現・・・』

焦点はココだよ。 焦点をココに合わせてネ。 ピンぼけが修正されると・・・
ホラ! ハッキリ、クッキリ、見えるでしょ!!
「何を実現するか」も明らか・・・ 「どうすれば実現するか」も明らか・・・
あとは、10人のメンバーの出現を待つのみ。
1  total 1p
▲ page top