BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― アーカイブ: 2003/11 ――
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Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第一章 概要 | 2003.11.02 Sunday 23:59

5.悪平等を押し付けぬ社会

 自由・平等は、人間社会を組織する原則として、間違いないとするものですが、似而非自由や、悪平等が往々にして行なわれ、真の平等が曲げられ、真の自由から逸脱して居るようです。
 如何に自由と云っても暴逸ではなく、人間としての可能範囲の奔放で、堰堤をきったり、住家に火を放ち、人を傷つけあやめたりすることは、既に狂いから起る間違い事であり、日常の小事のうちにも、気付かぬまま誤った自由の云われ、行なわんとされつつある事が多々あります。
 行ける所へ、行き度い時に行く自由、寝たい時に寝られる自由、ある人は食べ、ある人は食べられない不都合や、食べたくないのに、食べさされる悪平等に妨げられない自由が、真の自由と云えましょうし、そうした自由の社会を目指しているのです。
 平等にしても、誰もが同じ大きさの家に住み、同じ衣服をまとい、同じ物を同じ量たべて、同じ作業をし、又は同一の考え方を押し付けたりするのは、悪平等で、誰でもが、どんな家にでも棲み得て、身に合う衣服を着、胃の欲求に応じて食を摂り、心身が充分に休まる丈眠って、起き度い時に起きる等の自由が、平等に得られる事が、真の平等だとします。或る人々に得られ、他の人に同じ機会を得られない仕掛けは、不平等で、今の社会機構には、こんな不平等が、甚だしく横行している模様です。
 感情を抑圧されたり、職業や、居住地を制限されたりする不平等や、悪平等も一掃して、誰にも同じ条件と、均しい機会によって、各々の個性に適合した環境に生活し、その要求が充たされる社会こそ、正しい社会です。ところが今日未だ、これさえ解決して居ず、大きな根本的欠陥や、不合理面が甚だしく、私共はこれの訂正に着手したのが、本会の組織及び活動となって、表面化して来たのです。
 口に自由・平等・人類の幸福を唱え乍ら、現状を肯定又は看過し、これを行ないに現わさねば、云わざるに如かずです。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第一章 概要 | 2003.11.02 Sunday 23:58

6.差別待遇のない社会

 同じ太陽の下、この地上に生れた人の間には、本質的に差別があろう筈がありません。が現在も尚人種的、系統的、或いは宗教的偏見等から、甚だしい待遇上の差別、精神的侮辱が行なわれています。同種同民族が同じ地域に棲み乍ら、賎しめられている人が随分あります。
 成る程そうした事になる原因は、双方に相当あるのですが、その原因は取り除く事が出来ますし、検討すれば全面的に解消する方法があり、又そう難事ではありません。
 次の社会では、現在の不合理な国境線はなくなりますが、今の一小国内の同種族の裡にさえも、因習的差別が根強く、法律でも平等を定められて久しきに亘るも、融和は容易に到りそうもなく、厳然と水に油の弊風が残り、積極方法に出ない限り、何時迄この醜習慣が続けられるか、凡ゆる努力も無効に見える状態にあります。
 併し私共では、この問題も必ず解決し得る成案を持って居りますし、理想社会には、左様な不愉快の人を一人もなくし、世界中から劣等感や優越感、差別待遇等を無くします。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第一章 概要 | 2003.11.02 Sunday 23:57

7.貧困者のない社会

 貧乏とは、金銭物財のみを指すものではなく、心の乏しい事をも意味し、心の貧乏人を、一人も無くすることに努力しなければなりません。即ち学問や、知恵等の無形財は、他に伝え与えても減耗しませんから、多く持っている人は、少ない人に大いに与え、高い豊かな心の持主は、充たされない心の人に、心の満悦を得て貰う事です。
 有形の物財となると、多く与えれば多く減りますから、奇特な人か、次の世界や、無形の大きさを悟った人等の他は、与えたくないのが普通の考え方でしょう。
 次の世界では、物財を個々に貯え護る必要がなくなり、通貨は余り持てなくしますし、持たなく共、豊かに生活が出来ますが、それまでの間、今の経済機構や社会心理では、与えなさい、下さいと云っても、それでは皆差し上げましょうと云えないです。
 併しこれでは貧富の差が甚だしく、物質面からでも、反目・闘争社会が続きそうです。
 それを激化しないように、社会主義社会政策を採ったり、高いものの引き均しや、共有経済組織を強行したりされつつあります。
 私は高いものを奪い取ったり、崩して引き均したり、伸びる者を抑制したりしないで、又納得もささずに暴力を行使して犠牲者を出したりし度くないのです。
 私は低い者を、引き上げる手段を採り、持たない人が持つようにします。これなら持っている人に頼まなく共、奪い取らなく共、承諾も、犠牲も、反対も、抵抗もなくして解決し、一人残らず皆富み豊かになりましょう。持てる人を泣かさずに、貧乏人を喜ばします。
 物欲の人は物を与えられると非常に喜びます。貧乏人のうちには、物を貰う癖が付く人があり、困ったら貰えるものと思うこと、救うて貰うことを、当たまえのように甘えてしまいます。私はこんな人に与えることは、依頼心を助長するのみで、その人のためにもなりませんし、与える方も続かないでしょうから、甘い親切は禁物だと思います。
 そこで私は目に見える有形物を与えるよりも、無形で、その人の自立に役立つ方法を授ける方式を採り、適材を適所で生かす事が、その人を豊かにし、幸福にするものだと考えて居ります。
 肉体労働の出来ない不具・病弱・老人・幼児を抱えた寡婦等に対しての、物心の保護は当然ですが、それと同時に、自分を支えられる方法を与えて、幸福な生活に、真の生き方を見付け出せるように仕向け、物心共に貧乏人を一人もなくします。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第一章 概要 | 2003.11.02 Sunday 23:57

8.幸福一色 快適社会

 ここに云う幸福の意味は、不幸に対しての対句ではなく、人生は快適であり、幸福一色であるべきを、真の人生のあり方とする、私共の人生観から云っているもので、万一不幸と感ずる事があるなれば、それは何処かに間違いがあり、その間違いの原因を探究し、取り除くことにより、正しい真の姿に立ち還えることが出来るのです。
 幸福が真実であり、人生はそれで当りまえの事であって、不幸は間違いです。私は幸福と云う言葉を、人生の真の姿であると云う意味に用いています。不愉快な人生は間違いで、人皆快適に暮らせる社会が本当です。うき世等と云って憂鬱は人の世の常とし、それから脱却し得ないかの如く観念づける事も、正しくありません。
 真の人間は、生命を宿して親から生れ、身体に生命が宿っている間が人生であり、やがては生命を失ない生活が止まるもので、その生存期間中に、いろいろな行為をします。
 この行為は、人によって皆同じでなく、自発的の場合と、他からの条件によって意識的に、或いは無意識的に進行します。その間の行為の結果が、一時的に終る事や、永く残るものもあり、役立つ事や、案外間違っている事もあり、残ったものが完全に消滅し終る迄は、その人は死んでも、その行為は生きている理になります。
 人間に限らず他の動物も、何かの行為をして、何かを残しますし、殆どよく似た生活環を営むものもあり、人間の持たないものを、他の動物が持っているように、人間も亦、他の動物の真似られない特徴を具えています。
 又人間のうちにも、それぞれ異った能力、特技があり、他の及ばぬ優れた働きが出来ます、何事によらず良く出来る人や、他の事は人に劣っているうちにも、ただ一二の点で最も鋭敏な人や、善良な資質を具えている人もあり、皆それぞれの持ち味によって、社会的持ち場や生き方も異う訳で、自分に最も適した、他に真似の出来ない生き方をすることが、一生を意義あらしめた事になります。
 先天性のもので、一応如何ともなし得ない点は別として、環境的に伸ばし得るものは、大いに伸ばし、一番必要とされる役割に就く事が本当です。
 力のないものが重荷を負うことや、物覚えのよくない人が、記憶力の要る持ち場に就けば、苦労が多くて効率が上がらず、快適とは云えないでしょう。男は男として生き、女は女に適した生き方こそ、幸福な人生です。
 それに、他の生物や、物品や、機械や、仕掛けをしておけば自動的に、或いは自然的に出来ることや、薬品で簡単に済まされる事を、人間がその代替的に働く事は、人間を人間として生かしたことにならないから、真の人生ではなく、人間でなければ出来ない事を成すことこそ、最も高い真実の人生であり、それを成し得る社会を、幸福社会と云います。
 又老人・子供にはそれぞれの生き方があり、病人も亦病人としての、最適な生き方があります。
 私は人が人を殺す行為は、絶対に否定するものですが、そうした場合や、病気等で死期を知り、又は老後になって初めて本当の人生を悟り、それからが、有意義な幸福な真の生き方に転換する人もあり、そうした人をも幸福にする社会が、幸福一色の快適社会であります。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第一章 概要 | 2003.11.02 Sunday 23:56

9.陽的社会 暗黒の夜から昼の世界へ

 暗い夜の世界では不自由で、方向を誤り易く、その生活行動は不便不都合です。いろいろの間違いの起る今の世界は、闇夜のようなもので、闇夜には灯火をたよりに道を歩み、作業を行ないます。それでも道は遠く、足は疲れます。視界が狭くて能率が上がりません。松明や、堤灯や電灯位の姑息な措置では、仲々正しい明るい、住みよい世界には変りません。
 私共では、根本的に行き方を変えて、明朗な、暖かい昼の社会に転換する設計の下に、活動をしているのです。消極的でなく積極的に、陰的でなく陽的に、静止沈滞でなくて自由活動的に、諦め的に物事を観ないで、夢を描き向上進歩を策します。狭い間道を細々と行かずに、大道を力強く活発に前進する社会設計です。枝葉・末節・表層のみに捉われないで、根源本質的なものに重点をおき、百鬼夜行の陰惨な、混濁世界に黎明の陽光が射し込み、全体総てを明るい真昼の状態にします。
 悪事の多くは夜に行なわれますが、それは悪事のしやすい状態になってあるからで、如何に取り締っても次々と発生し、猜疑・憎しみ・怒り・争奪・殺傷等が絶えないでしょう。
 この昼の世界にはそんな間違い事は起らないから、人を縛る法律等も自然消滅となり、厳めしい警備も牆壁もない、快適な人生があります。
 矛盾不透明な社会が幾世紀か続いて、人々は諦めに似た先入感から、間違いを間違いと思わず、途を行くには灯が要るもの、世の中は暗いこんなものと観念しているものか、一向に無関心に過ごし、或いはそれに気付いて改変を唱導し、又は強行したこともありましたが、最上の結論の出ないまま、揉み合う事久しく、今ではかような説明をしましても、目を注ごうとする人は少なく、余程進歩的な人か、飛躍的な若い感覚の人でなければ、直ぐには理解されないでしょう。
 金銭物質を、これ人生の凡てと思いこんでいる人達には、閑人の夢物語として邪魔・迷惑に過ぎないでしょうし、その道にある人でも、トテも叶わぬ空言に聞こえるでしょう。
 併し私共は、今迄出来なかったから出来ないとか、出来もしない事を出来るが如く見せかけるものでなく、実現し得る設計と、方法と、確信を持って居まして、この間違いの多い夜の世界に終止符を打ち、人類ある限り、永遠に揺ぎない真の幸福のみ溢ぎる、理想郷の門戸を開き、昼の世界を迎えようとするのです。
 そこには陽光燦やき、清澄・明朗の大気の裡に、花園が展開して馥郁と香り、美果が甘露を湛えて人を待ち、観るもの聞く声皆楽しく、美しく、飽くるを知らず、和楽協調のうちに、各々が持てる特技を練り、知性は知性を培い育て、高きが上に高きを、良きが上に尚良きを希う、崇高本能の伸びるが儘にまかせ、深奥を探ねて真理を究め、全人類一人残らず、真の人生を満喫謳歌することが出来るのです。
 浦島の行った竜宮城か、仏の国の来世極楽浄土が、この世に実現します。政治・経済・社会・家庭等人類のあり方凡てに亘り、現状その儘で陽的に、愉快に、案外容易に、恰も暁に陽光が及ぶが如く照らし出されて、明るい昼の世界が実現します。破壊や、撤去がありませんから、損失や犠牲者や、爆薬も要りません、夜の世界では、なくては働けない松明にも譬えた法律も、変更する迄もなく無用になりますから、そのまま放任しておけば、消えてなくなります。
 考えてみましょう。国境が無くなれば、国と国との紛糾がなくなり、戦争も起らず、国際公法や、国境を護る兵隊や、武器が不要で、兵器を造る工場や資材や、工員や、兵隊が、平和産業に当てられます。軍需が無いと不景気になるように錯覚する者があり、失業者の心配や、食糧過剰を云う人がありますが、労働時間を短縮したり、基本産業や治水・交通道路の完備工事もあり、なるべく働かないで衣食住が安定し、戦争の恐怖から免れます。
 こんな事今更聞かなく共、決り切った事だが、それがどうにもならないじゃないか。敵が侵して来るから、仕方なくそれ以上の軍備をしなければならぬよ、と頭の悪いことを公開されます。併し方法は手近にあるのですがね、と云い度くなります。
 現在の国境は夜の囲いであり、あまりにも厳めしく、やがては唯の地域名程度の昼の画線になり、今の経済機構も、政治及び社会組織も、人の心も皆、明るい昼の姿に変ります。政庁・官職にあるもの、手掛けている学問・芸術・職業も、法律・財産もそのままで、益々伸展合適する自由があり、自動的に少しも波乱なしに、理想社会に生長します。
 唯夜の世界で必要とした財産も、名誉も、地位も、昼の世界では身に付けているさえ荷厄介になり、身軽になり度くなります。そうでしょう、終生の衣食住が安定し、老後の心配なく、子孫の養育が確保され、病気が殆どなくなり、病気に罹っても、立派なベッドで最高の治療が無料で受けられ、天寿が近づく程待遇がよくなり、柔軟な寝具に身を浮かせ、甘い音楽に恍惚と夢を見ながら、自然に還る社会に、財産を個々に貯える要はないでしょう。
 死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします。
 人皆身軽い姿でいるのに、名誉と云う重い暑い窮屈な金欄の装束をつけて、地位と云う転びそうな高い木履を穿って、おまけに頭に長と云う冠を載せて、得意顔で勤まるのは、食故の道化役者か、島原の太夫か、大僧正のお練り位なもので、大抵の者は馬鹿げて、正気でやって居れなくなりましょう。
 農業にしても、利潤よりも興味本意となり、稲作りも、菊や盆栽作りのように楽しみ乍ら、一粒の種籾から百本の穂を出し、一穂に数百粒の籾を着け、雀の卵程大きな米を稔らす競技会をしたり、春秋のシーズンにトラクターを駆って、ドライブ気分で耕作しておけば、家族揃って夏は海へ山への行楽避暑に、冬は温泉・映画・音楽会や各自の好きな趣味三昧、花を眺め月下に踊る、人生これ快適なりです。
 健康のための運動として働き、職場も、芸術的なものだけ人間が造り、他はスイッチ一つで機械が働きますから、特技を高めるもの、学理の究明に没頭するもの、皆その途に専念して、他の煩わしさに捉われることなく、宗教家も、自分にさえも解らぬ伝導やお説教で、自責の苦悩にさいなまれずに、先ず自らの悟りのために瞑想に耽っていても、食は目前に積まれましょうし、住衣に事欠かず、真の導師として天国極楽への先達になれましょう。
 そう云う社会になった方がよくはないでしょうか。割合簡単になりますが、いかがでしょうか。実に華やかなお伽の国のような、しかも真実の世界があり、人はもともと罪など犯しているものではなく、懺悔も謝罪もする必要はありません。罪と云う言葉さえもなくなりますから、人を縛る何物も無用になります。
 昼の世界には、牆壁が無い方が広濶として見晴らしもよくなり、旅行券や通貨交換の面倒さもなくなり、航行も自由になり、自由をお題目に唱えている国の人々も、嘘から出たまこととなりましょうし、双方が便利になります。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第一章 概要 | 2003.11.02 Sunday 23:55

10.物は飽く程豊満な世界

 物欲には際限なしと云われますが、併し限界ありとも云えます。
 欲するものが、欲しい時に、欲しいだけ、自由に、労せずして得られる仕組みを理想とし、生存に最も必要な空気や、水に近い程度にし度いものです。
 しかし、現在ではそうした環境の人は極く小数に限られ、大部分の人々は、
絶えず手足や頭脳を働かしていてさえも、殆ど充たされていないようです。
 これに就いては、いろいろの観方があり、標準を一にして論じ得ないものがあります。
 肉体の要求と、観念的な相違により、大差がありますから、特定の人に厚く、他の人に得られない機構には、相当不合理性があり、不満感の根源ともなっています。
 これ等は、誰でも得られる量と機構を整える事によって解決します。即ち豊富な物資と、自由なる使用の機会を、万人洩れなく行き渡る機構とします。かような世界が実現すれば、幸せに成れると思う人が、現在のところ随分あります。
 物が豊富になって幸福になれる人は、誠にめぐまれた人で、既に心が豊かな人であって、物のみ欠けていた人には、実に完全な幸福が訪れた事と云えましょう。
 唯私共では物のみで得た一時的満足感を、真の幸福と間違え度くありません。
 よく検べて見ますと、物が豊かになって幸せになれる時と、そうでなくて、全く関係の無い場合と、時には不幸の前兆となる事さえあることに気付きます。
 そこで考えられることは、物を豊富に生産し、公平な配分・所得共有の社会には、未だ足りない空虚な部分があることを知ります。しかもそれが物の分野とは比較にはならぬ程、幸福条件には大きな部分を占めている事が判るのです。
 如何に物資が豊富に自由に得られても、心の世界に真に充ち足りたものが無ければ、絶対に真の幸福はあり得ないのです。又そうした心理的条件を欠いて組織した社会は、真の理想社会ではありません。
 物が泉の如く無限に出来て、水のように低い欲しい所へ自然に流れて来る仕掛けにし、心の面でも、安定と満足に暮らせる社会を目指しているのです。
 屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等のない社会になりますし、健康・生命・感情の問題等も、昼の世界での考え方、あり方について判然としますが、後章にて詳しく述べるつもりです。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第二章 構成 | 2003.11.02 Sunday 23:54

一 幸福研鑽会 1.幸福研鑽会とは

1.幸福研鑽会とは

 幸福一色の理想社会を実現さすために、幸福研鑽会を設けます。そして、幸福は何処にあるやを見付け出し、近隣・同業の反目をなくし、親愛・和合の社会気風を醸成し、何かしら、会の雰囲気そのものが楽しくて、寄り度くなるような機会ともします。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第二章 構成 | 2003.11.02 Sunday 23:53

一 幸福研鑽会 2.出席者は

2.出席者は

 この研鑽会には誰でも出席出来ます。
 年齢・性別・性格・知能・思想・人種・国籍・学歴・研究部門・職業・党派・所属団体・宗門・官公民・役務階層・地位・貧富・好悪感・理論及び実現に対しての賛否の如何にかかわらず、助産婦も僧侶も、大臣も乞食も、皆同格で出席します。
 ただ狂人・妨害者は寄れないことと、伝染のおそれある悪疾患者等は、別の機会を造って開きます。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第二章 構成 | 2003.11.02 Sunday 23:52

一 幸福研鑽会 3.研鑽事項は

3.研鑽事項は

 ここでは人類幸福に関する凡ての事柄について研鑽します。人間性・生命・遺伝・繁殖・健康・人格・本能・感情・思想・欲望・学問・教育・技芸・宗教・家庭・社会・経済・物・人種・国境・法律・制度・政治・慣習・風俗・美醜・善悪・互助・協力・取与・闘争・暴力等、及び其の他百般の事項について検討し、真実のあり方と、その実現について研鑽するのです。

Category: ヤマギシズム社会の実態 > 第二章 構成 | 2003.11.02 Sunday 23:50

一 幸福研鑽会 4.感情を害しないこと

4.感情を害しないこと

 如何なる場合にも絶対腹をたてないことと、暴力を用いないことになっていますから、何を言われても悪感情を残さない事、それから、誰もが思った事を、思うがままに、修飾のない本心のままを、遠慮なく発言し、又は誰の発言や行為をも忌憚なく批判します。
 政治批判も、人格非難(同席者の)も、差し支えなく、そんな事で弾圧したり、腹を立てたらおしまいです。
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