BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < 一体の理 > ――
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Category: < 一体の理 > | 2005.08.30 Tuesday 08:39

「仲が良い」について

ヤマギシでは長年「仲良し」を、うたい文句にしてきていますが、
やはり「反感」や「対立心」が内在する「仲良し」では、平和な世界は訪れないと思います。

かつて「ヤマギシを考えるネットワーク」の活動がはじまった頃、それに随分反感を抱いた。
なぜ、批判や反対の言動に対して、あんなに反感を抱いたのだろう?

仲良くやっている組織や、仲良い人達がいるとしても、私たちの興味は、そのことよりも、
その組織や人たちに、仲が悪くなる種はないのか、反感や対立心の種はないのかと、そちらに関心が向きます。

仲が悪くなる種、反感や対立心の種を、そのままにして、如何に仲良くしていたとしても、決して平和な世界は訪れるものではないと思います。

Category: < 一体の理 > | 2005.07.09 Saturday 08:25

一体生活調整機関

一体生活調整機関の趣意書が欲しいと思う。

「聞ける心の世界」「持たなくていい心の世界」「溶け合って境のない心の世界」からの人間社会の顕現。

「どんな人の声も聴けて」「囲い禁止する要がなく」「溶け合って離れようがない」人に、誰もが立ち戻れる社会。そういう人に育ちあう社会。

実は、調整機関に限らず人間世界というものは、職場も家庭もどんな組織でも、人と人とがする行為は、これなくして決して成り立たない。
人と人が共に生きるには、これが絶対不可欠だということを、心底では誰もが知っている筈だが、現状の人間世界が、あまりにかけ離れている為、そんな人間関係は無理と諦めている。或いは、そういう人間関係を欲しているという自覚もなく、むしろ、そこまで近しい間柄は望んでいないという観念。

人と人との間柄を軽視する人は少ないだろうが、それでも何か事を為す手段か一要素くらいに捉えていて、仲良くないと事がうまく進まないから、仲良い方がいいとか、事が順調に進んでいると人間関係に問題が起きないから、それで人間関係ができていると思い易い。
現象による思い込みで、心の世界を観ようとしていない。
心の世界からの本当の人間世界という理想がないと、ほどほどの現象面で人間関係ができていると判断し易い。

人と人との間柄とは、こんなものではない。
これは精神論や心の持ち方のことではなく、生産・製造・サービス業・政治・教育など凡てに渡って、
人と人との間柄が本当のものにならない限り、人と人とでする行為・組織は絶対に本当のものにならないという当然の理。

Category: < 一体の理 > | 2005.05.19 Thursday 08:05

あ・い・す・る

 多くの会や団体が破綻するのは、寄る時の理屈・勘定はよいが、この団体を愛し、会員を愛し、真に自己を愛する相愛の精神が足りないためです。
 自分のみのためにと、取り合っていて、よくなる道理はありません。

・・・、後に続く人々に、自分の持てる凡てを”かつて自分が受けたように”与えて、与えて、与え尽くす愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。

・・・、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです。

 こんなに複雑精細な養鶏法が、素人の誰にでもやれる方法があるのです。
 その方法と云うのは、毎月半日を割いて支部研鑽会に出る丈のことです。
 共に研鑽して時の最先端を行なうのみです。

人間の普通で自然な状態には、損得勘定とか、公私の区別とか、が無いのが本当だと思う。家族の間柄など見ると当然のことなので分かり易い。
人類同属、同じ人と人でありばがら、利害が反する人が存在するということ自体、どこかに間違いがあると思う。(一方が儲かって、片方が損する等々・・・)
「店と客」の関係は「売る人と買う人」という関係だが、客が店を愛するということもある。店を愛する客が多いということは、店の繁盛に繋がる。
会社などでも、「雇う人と雇われる人」という関係ではなく、会社を愛する人が、どれだけ多くいるかが、会社の繁栄に繋がる。日給・時給・歩合給という仕組みでは、愛する心が育ちにくい。
どんな組織でも、支部活動でも、調整機関でも、研鑽会でも、・・・人が多く寄っていたとしても、その会を愛する人がどれだけ多くいるかで、その会の繁栄・繁盛は決まるような気がする。
でも、愛国心とか愛社精神とかの場合は、殻のある小愛もあるし・・・、
好きとか、親しいとか、放っておけない、というのも愛するとはチョット違うし、・・・
「一つ」という感じかな。

Category: < 一体の理 > | 2005.04.20 Wednesday 07:48

一体の方向・・・

昨夜の研鑚会で「一体の方向」というのを出してみた。「一体の方向」とは・・・
人間世界の究極の姿は「一体」で、そうなるまでは、紛争や貧困は絶えないと思う。
だから「一体の方向」とは、遠い遠い先に的を置いている。でも「一体」に随分近い人も沢山いる。

「一体」とは囲いや隔てなく凡てと溶け合った状態。
口に唱え頭で思う「一体」ではなく、実質その人自身がどれだけ「一体」か、ということ。
テレビでも新聞でも、どんな人を見ても、どれだけ「一体の人」かな。どれだけ「一体の方向」にある人かな、と思う。
研鑚会に来ている一人一人は勿論のこと、エコサウンド・スリーシー・ひまわり会・つくしんぼ 等々、凡ゆる活動は「一体の方向」のものの筈。
道行く人、接する人、みな「一体の方向」で接したい、処したい。
仕事が順調に進んで良かった、長年の願いが叶って良かった、でも、その人の「一体の方向」というのは、どうだろう。
「一体の方向」とは、その人が好むと好まざるに関わらずだよね。言い換えれば「真の幸福」でもいいし「真の人間」とも言えるね。

昨日、ある人が現状では不便だと思うことがあって「このように変えたい」という話があって、はじめは「ああそうか」と聞いたけど、「でも、不便が解消して、それでどうなん?」って思った。
日常いろいろな価値観(実は常識観)を基準に考え行動していることが多いと思うが、「一体の方向」が確定すると、それに適うものか、どうか、という課題が、いつも浮き彫りになると思う。
「真実の世界」は、真実か、どうか、という価値観、っていうかな。思い為すことの判定かな。

あの人も、この人も、どうしているかな?幸せになって欲しいな?
こういうものが湧いてくる元は、親愛の情だと思うけど。情だけだと幸福感に終わるよ!!
「一体」というのは、ほんわかあったかい情の世界のように思われがちだけど、
「一体の理」に即するというのが本意かな。そこからくる「真愛の情」かな。
一人一人が「一体の世界」の「一体の人」になる方向。
旧知の人の方向、近所の人の方向、・・・地球上の全ての人の方向。

Category: < 一体の理 > | 2004.12.10 Friday 22:49

一体の理

一体の理

すべてのものが繋がりがある。そして、相補(万物)の一体感は、絶対に不変の真理とす。


一個の私という存在は、全世界の凡てに関係あり、一事一物みな悉く全世界と関連していないものはない。
一切のものは互いに無限の関係に於いて存在している。
時間的に今日という一日は、決して昨日なしには存在しない。
今日は単なる今日でなくて、「昨日を背負い明日を孕んでいる今日」なのだ。
一切の事物は、みな孤立して存在しているのではなく、実は縦にも横にも無限の相補的関係にある。
即ち、無尽の縁起的関係にある。
従って、現在の私は、無限の空間と永遠の時間との交叉点に立っているのである。

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