BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < つれづれ > ――
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Category: < つれづれ > | 2008.03.27 Thursday 10:00

順序と道筋

ヤマギシ経て来た殆どの人に「幸福社会実現」みたいな言葉はインプットされてるよね。
でも、実体のない空想・妄想みたいなものでね。
会員さんも鈴鹿にきた元参画者も「社会づくりやりたい」って来たけどね。
「やってみせてよ」と云いたい。
せいぜい仲良しサークルの「ごっこ」の域を出ないよね。(精神面だけの・・・)
社会像が全くないと云いたいくらい貧弱。
  (ヤマギシの形態を引き摺った仲良し社会・一体社会とか・・・)

社会とは何か?をやっていくと、どこかにあるのではなく、長年刷り込まれてできた頭の中の社会観が社会を形成しているのではないか。
現状は、どんな社会観で生きて暮らしているのか、どんな社会になっているのか。
すると、社会観の元には人間観があるな。人間観・人生観が制度・機構や政治・経済に至る社会の根幹を成しているな。
現状は、どんな人間観・人生観で暮らしているか。
これも、長年刷り込まれてきたもの。
果たして、人間とは、人生とは、と行きたいところだが、その前に・・・・、
現状の自分は、どんな「観」になっているのか、自己観察 ⇒ 客観視 ⇒ 自覚 という課題が浮き彫りになってくる。
自分の観念の自覚もなく、人間や人生の一般論の議論に熱を入れている姿はチョット辱かしい。
人生とは、社会とは、と行く前に「自分を知る」を重視する所以です。
自分を知って、人生を知って、それから社会を論じられるのではないか、という見解から、研鑽ライフセンターの今日の構成ができてきた訳です。

Category: < つれづれ > | 2008.03.09 Sunday 10:00

それは 手段か 目的か

「共に」というのは、広い意味で云えば、私は地球上に住む全ての人と共に生きているとも思う。
これを煎じ詰めると、「目的を共にする」「生き方・考え方を共にする」ということになると思う。
同じ組織に所属したり、同じ研鑽会に参加していたり、それも広い意味では「共に」ではあるが、「目的や考え方を共にする人」とは限らない。却って、遠くの知らないところに「目的や考え方を共にする人」がいるかもしれない。


研鑽会や会社や各種活動があってそれに加わっていても、それぞれ思い思いの参加であって、その中には共鳴・共感する人も多いが、目的も考え方もずいぶん違うなと思う人も多いです。
同志とか仲間と思い違いし易いもので、その実は同志でも仲間でもないです。

僕なりの目指すものやあり方があります。その目的や考え方を共にする人たちで実現をはかる活動をしているつもりです。
どこまで出来たか、進んだか、それは、その目指すものの実現以外にありません。

研鑽コミュニティも研鑽ライフセンターも研究所も各種の研鑽会も凡ゆる活動が、その実現のための手段です。出来たものでもなければ、目指すものでもありません。ただの手段です。
これらの手段を目的のように思ってやっている人も多くいるようにも感じますが、共感しないです。いろいろな活動や場ができつつありますが、それを共にやろう、の人が多い気がします。
 例えば・・・、
 自家配合で緑餌たっぷり採光の良い平飼い鶏舎で有精卵、自然と人為を基調にした養鶏とか・・・
 地球にやさしい、環境にやさしい、自然をふんだんに取り入れた云々とか・・・
 みんなが力を合わせて、持ち寄りで、和気あいあいとした社会を作りたい、とか・・・

 その事を良い事のように思って、その事に賛同して、その事を共にやろう、となりがち。

現象化した手段は、本質的なもの・本当の目的の方向へのキッカケを生むための前渉行程です。
目的や考え方があって、鶏でもやるか、会社でもやるか、なるべく目的に適いそうなものやろか、となる。
みんなが喜びそうな事、人が集まりそうな事、やろうかというのとは違うもの。
やろうとしている事柄よりも、やろうとしている人の中でどうなっているかに関心があります。それは 手段か 目的か。

Category: < つれづれ > | 2008.02.04 Monday 22:00

明日に生きたい

「今を生きる」とか「今に生きる」というフレーズを好む人がいるけど、僕はどちらかというと嫌いだな。
難病などで、あと数ヶ月の命という人の言葉なら分かる気もする。

「先を大事にする」のか、「今を大事にする」のか、と問えば、多くの人が「今を大事にする」と言いそうだ。
僕は「先を大事にする」
「先を大事にする人の今」と「今を大事にする人の今」とは、同じ「今」でも全然違ってくる。
願いや念いを抱いて、今を生きていると、願いや念いに向かっていると勘違いし易い。それは自己満足の幻想だと思う。

実現すべくハッキリとした将来を画いている人は、そのために今、何をやるかが具体的に現実的になってくる。「願ってやる」という程度の甘いもんじゃない。
「先を大事にしない人」は目前のやることに拘泥している。今やることを大事にしている。「何をやっているんだろう?」
「人に聞いてやる」タイプの人は、みんなこれだな。

「先を大事にする人」というのは、実現すべく将来のことを自分の頭で考えている人。
このように進めたい、これを実現したい、その為には今ここをやろう、となる。

自分には本当に実現したい将来があるのか、自問してみたらいい。
そして、実現したい将来があるなら、そのために自分はどうするかを自分で決めて実行すればいい。


今人並以上苦労しても、孫子の代も沢山の人が楽になるようにと、先の大きな楽しみに生きられる人々が相寄って相談し、一時は裸になっても、借金してでも、何処かの一角から、後で度々改修しなくてよい立派な道路と、交通整理係も要らない道標を創り、乗り物も用意し、これならいけると、誰でも共鳴して協力されるキッカケを、・・・・第二章 構成 四 要約

 今日の問題に忙殺されている中にも、明日の破綻を防ぎ、光彩輝く将来を画策・施工して置く事で、今日は苦しく共、むしろそれに総てを賭ける方が、賢明だと信じています。

私はこの真理を確信しますが故に、同じ考え方の人々と共に、明日の楽しみに生きて居るつもりですが、・・・・二 本旨 心あらば愛児に楽園を 1.源泉の涵養

Category: < つれづれ > | 2008.01.17 Thursday 13:00

主体と自立

宇 宙
自 然
社 会

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行 為
言 動



人は無数のものを受けて存在している。
受けたものを吸収し、周囲のいろいろな影響を受けて受けたものによって、その人はできている。
人は受けるということについていろいろな捉え方をする。「してもらった」とか「やられた」という捉え方もある。(受けるというのも人間の捉え方)
「太陽に・・・してもらった」「雨に・・・された」 という捉え方もあるかな?

資本主義経済観念その他、人間よりの捉え方による社会通念を、
幼い頃から繰り返し繰り返し植え付けられた為なのか、
あたかもその捉え方が実際であるかのように機能させている。
 管理する側と管理される側   雇う側と雇われる側
 教える側と教えられる側   やってあげる側とやってもらう側
 禁止する側と禁止される側   義務や責任を負わせる側と負わされる側
 用意する側と用意される側   サポートする側とサポートされる側
・・・などなど、このような[頭の中の構図]の人が多いのではないだろうか。
仕事も暮らしも会社や組織も、このような[頭の中の構図]で捉えているのかもしれない。その人の言動・発想によってうかがい知ることができる。
「やってもらう」とか「サポートされる」という時の主体は誰なのか、誰が何をするのか。

仕事を任す
研鑽会を用意する
社会・物・人の行為
⇒⇒
⇒⇒
⇒⇒
これらを
受けた
自分は
⇒⇒
⇒⇒
⇒⇒
どうするのか
何をするのか
主体は自分にあるか

「任された仕事をやる」「用意された研鑽会に参加する」という場合、
その主体はどこにあるか?
主体が「任す人」「用意する人」ならば、「任される自分」「用意してもらう自分」は従体か?
これは理屈の解釈ではなく、自分の頭の中の構図、捉え方はどうなっているかという自己観察のテーマだと思う。
ここでいう[人]とは、大臣も乞食もない凡ての人のことです。
どの人も受けたものでできていて、それを元に生きて暮らして活動している。
このことは誰もが共通で、果たして[頭の中の構図]はどのようになっているかということ。
それによって生き方・考え方・行為も大きく違ってくる。
政治・機構・運営や理念・法則・あり方も「人の考え・行為」以上でも以下でもない。
それらを受けた自分の考え行為も「人の考え・行為」以上でも以下でもない。

Category: < つれづれ > | 2008.01.04 Friday 20:00

書き遺しておきたいな

八木さんのブログ
「ヤマギシから東京そして鈴鹿へ」 を読んで・・・

一個人の記録・記憶にとどまらないもの。
ここで刻んでいる歴史の一コマ一コマ。
個人史であって、社会化活動史。
これをやろうとしている一人一人の、その一コマ一コマの集積が、今日の実態、後代へ遺せるもの。

す ず か ・・・ この3文字(2文字?6文字?)が、
各人にとって、この運動にとって、キーワードになると思う。

「鈴鹿」に至るまでのこと、
「鈴鹿」に来てからのこと。
あの時にあんなことがあった。
あの時にこんなことを考えて、こう動いた・・・等々。
一人一人の記憶・軌跡・記録しておいて欲しい。

「人生を知るための研鑽会」で聞いてもらった K さんとの対談で、
僕自身の内面の歴史・・・
1999年11月 杉本さん亡くなるまでのこと、亡くなってからのこと、
2000年3月〜社会課程研鑽会〜実践の書研〜鈴鹿・・・そして、2001年以降
大ざっぱだけど、まとめて話ができたこと、凄く大きいと思っている。
鈴鹿に来てからも、毎月毎月、自分の中で激動がある。

誰の中にもあると思う。
一人一人にドラマと歴史があると思う。
書きとめておいて欲しい。
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