BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < つれづれ > ――
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Category: < つれづれ > | 2008.08.03 Sunday 08:55

研鑽と本質

キメツケのない考え方をしようと思っても出来るものじゃない。
本質的なものに重点をおこうと思っても出来るものじゃない。
どうやって出来るようにしていくか。そこが肝心で、そのための研究・実験。

・キメツケがなさそうに見えても、事柄・現象面のことばかり検討しているということがある。(実は狭く硬い視野に気づかない)
・本質的に行こうとしていても、分かろう分かろうとする断定傾向の人がいる。(実は本質より自分の考え重視)
・・・どちらも研鑽の方向へ行かない例。

「自分を知るための研鑽会」と「人生を知るための研鑽会」は「キメツケのない考え方」と「本質的なものに重点をおく」が出来るようになるためのもの。
どちらか一方が出来るようになるということはないと思う。
  ○ キメツケがないとは、本質指向ということ
  ○ 本質指向ということは、キメツケがないということ

Category: < つれづれ > | 2008.08.02 Saturday 14:00

シンプルに・・・

人間問題も、社会問題も、産業活動も、それをなす原理があるだろう。
現状の人間や社会や産業活動から、どうすべきかという発想になり易いけど、やはり原理を知ろうとすることが先決問題と思う。
人間関係、組織運営など複雑化した現状からの発想では、進んだとしても50歩100歩、いいとこ知れてると思う。軌道修正か改良程度のもの。できそうなものを目指して自分を満足さそうとするか。

何をやるについても、農業の理とか、家庭の理とか、子育ての理とか、経営の理とか、あると思う。
できるか、できないか、分からないが、原理や本質を知ろうとして、そこからのものでない限り、揺ぎない本ものの実現はあり得ない。その可能性に架ける人たちによって、夢を描き向上進歩を策していこう。
理を知ろうとして、それを実践するシンプルな営みによって・・・。

Category: < つれづれ > | 2008.07.04 Friday 09:00

KENSAN is profound study

自動翻訳を使って、海外からホームページを閲覧している人もいるようです。
以前は、「けんさん」という言葉が、brainstorming(自由に思いつきを出し合う会議法)と訳されていました。
元々、「研鑽」には、このような意味はないと思います。
学問・技術・芸術など深奥を究めるという意味だと思います。
ヤマギシ会では、「けんさん」を「思い考えを出し合って話し合うこと」と捉えている人が多いようです。そういう人の中から「brainstorming」などという訳が出ているのではないかと思いました。
私達が用いている「研鑽コミュニティ」「研鑽ライフ」などの意味が訳し方によっては、まるで誤解されてしまうかもしれません。
現在は、「研鑽」という漢字のままで表示されました。
 ⇒ Yamagishism KensanScience
KENSAN is profound study(深奥を究める)
            という訳が適当ではないでしょうか。
KENSAN is not brainstorming

Category: < つれづれ > | 2008.04.13 Sunday 15:00

人間学びの7年半

鈴鹿に率先して来た Fさん Fさん Oさん Yさん Hさん Yくん Kくん etc.
あの熱い志は何処へ行ってしまったんだろう?って思うことがある。
みな、ヤマギシでは第一線?で活躍してた・・・

鈴鹿に来て初めの頃は、一個人と個人ではなく、ヤマギシの時の係とか役割とか持ち場とか立場とかの先入観から人を見ていた面が多かったと思う。
いざ、ふたを開けてみると、ここではその人の実質があらわになる、肩書きも過去の実績も通用しないから実質だけがモノを云う。
・・・そして、今日に至る。

その時の、強い願望・熱意・意欲や高い志で実態ができるわけじゃない。
手腕・采配・豊富な経験を有していても、それを寄せ集めても、決してかつてない新しい社会は生まれない。
規模は小さくても本質的なものを作るには、「何が必要か」「それを阻む原因は何か」。

手腕や経験は、多くの人に益をもたらすように見え、それを活かそうとして、そういう役割に就いたりする。しかし、その人の独走・頑固・無自覚が露呈してくると、役割に応じて周囲への影響も大きいから、なんとか正常になるようにと、その人に研鑽への働きかけが始まる。
これは全て本末転倒で・・・、
役割に就いた人の正常化に力を入れるのではなく、
先ず正常な人になって、それから役割に就くというのが筋だと思う。


政界・財界・ヤマギシその他どこの会社でも組織でも、このことに焦点が当たってないから、解決の兆しが見えない。力や経験のある人を「重要だ」としておいて、「重要だとしている」から動かせなくなっている。
独走・頑固・無自覚も、その人自身にとどまることなら、その人なりの進み具合い・自由意志に委せていられるが、力の大きい人、役割に就いた人は、周囲への害も大きい。
   ○ 力や経験のある人を重視する社会や組織の運営
   ○ 自覚、人格、資格 を重視する社会や組織の運営

まだまだ、やる事ばかり重視して、人を重視してないと思う。
だから、人を見る目がないと思う。人を見る眼を養いたい。

2006.12.02 正鵠を射る 核心をとらえる
2007.08.02 人の中身に焦点をあてる社会
2007.08.04 人の中身について話そう

Category: < つれづれ > | 2008.03.29 Saturday 13:00

経過と方向

2001 本当の社会を作ろう 一つで・・・持たない・・・
      ↑  仲良い・・・生き生きと・・・
2002 その前にじっくりと研鑚する機会が要る(合宿研鑚会)
      ↑  何をやりたい?自分をどう活かす?何のために生きてる?
      ↑  適正試験科合宿研鑚会
2005 その前に現状の自分がどうなっているかを知るために、
      ↑  自分の考えを自覚できるように
      ↑  自分を知るための合宿研鑚会
2006 研鑚会で自分を調べるためにも、先ず自分を観察できるように
          自分を知るための内観コース

ここからでいけるのだろうか? まだまだ模索中

    自分を知るための研鑚会
    人生を知るための研鑚会
    社会を知るための研鑚会
総親和社会への精神革命  心理的方面の解決と社会構成の真髄
・・・という課題に適っているかな? ここをクリアできるだろうか?



人間の考え(自分の考え)とはどういうものか
現状の自分の考え(人間の考え)はどうなっているのか
自分の考え(人間の考え)で思っていること捉えていること、の自覚
自分も人も凡ゆる物事・知識・経験・記憶など、自分の考え(人間の考え)で捉えているとの自覚
この自覚のなさ 自分の考えていることがそうだとする自己盲信状態
天が動いているように見えるから天が動いているとする天動説的観念、
一人相撲、頭デッカチ、一喜一憂(麻薬)自家中毒
人間としてのベース 自己を観察できる知性(自分の考えの自覚)
これがないのは似非人間



真の人間は、一人一人に脳があり、考える知的能力があり、意志を生成し、自分で考えて行動する。
「自己の自覚」と共に「自己への探究心」も生まれる。
    ↓
自分の存在や成り立ちへの関心、人生の意義や目的への好奇心
    ↓
自分の知能で考える。人間観・人生観・幸福観・社会観・・・思想形成
自分の目的を知り、自分の思想を生きる・・・人格形成
    ↓
日常生活の凡てに、思想が現われる。人格が現われる。

意志薄弱・目的薄弱・思想薄弱・人格薄弱・・・日常生活で自分が何をやっているのか、それをやってどうなるのか、どうなっているのか、自分の生活・自分の人生に関心がない。
(自覚レッスンに取り組んでいても自己への探究心が伴って出て来ないのはニセモノ)
そういう点を指摘すると、「関心はある、もっと考えたい」とか云う。
でも、云うだけで、実際は、「関心がない、考えようともしていない」(という自覚がない)
自分の頭で考えて行動する人が増えれば、「やらされる」感は自然消滅・死語になるだろうね。
真の人間は、真実の自分、本当の幸福、真目的、真実の生き方を、欲求し、指向し、より良い社会を創造し、考え行動する日常生活を送るだろう。
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