BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < つれづれ > ――
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Category: < つれづれ > | 2009.01.11 Sunday 21:00

2009 新春特別企画 「研鑽科学サロン」

研 鑽 社 会 経 済 の 現 状 と 展 望
発表者は小野・杉江(研鑽科学研究所)・野尻(as one company)の3名
as one companyの経営概況から始まり、今日の研鑽社会の規模や人員、資金の流れ等、具体的な数字で示しながら、経済状況を公表する初の試みでした。
 このタイトルを見て、「経済のことなんて関心ない」と思う人や、「ここの経済状況ってどうなってるんだろう?」と関心ある人や、それぞれの思いがあると思う。
 現代の資本主義貨幣経済の中で、それに順応して暮らしを成り立たせ、研鑽生活をしていこう、仲良いコミュニティを作っていこうとする活動になり易いけれど、革命的志しを抱く人たちによって、社会生活の経済基盤そのものを見直し、研鑽により練り固めながらの活動が始まり、7年8年という歳月をかけて、「研鑽社会経済」というものが軌道に乗りつつ稔ってきていると思う。
 まだまだ規模は小さくとも経済活動に現われた実態は、誰にも分かり易いと思う。今後、各界の人々に、この実態を広く紹介する前に、研鑽社会に住み、直に触れている私たちが、先ずこの実態を知ることが何よりも大きいと思った。




as one company 構成図

Category: < つれづれ > | 2009.01.01 Thursday 00:00

謹賀新年 一体研鑽社会を目指して9年目の春

1961年(昭和36)山岸さんが亡くなった年に、実顕地が誕生しました。
当時あった春日山のように、財産を整理して集団生活する方式は、特殊で普遍性がない。
家も、財産も、職業も、現状そのままで、一体社会に革命する実顕地が誕生した。
全国各地に多くの実顕地が始まったが、運営の難しさや人間関係などで、殆どが崩壊してしまったそうです。
 2001年、現状そのままで一体研鑽社会(本来の実顕地)の実現を目指しての活動を開始しました。
 身に合った住まいに暮らし、職に就きながら、一歩一歩、みんで産業を興し、共に住まいや暮らしを作り、管理や統制の要らない、悠々自適の心のままに、家も 暮らしも 子育ても 仕事も お金も 自在に融通しながら、青年層も続々と参集し、50世帯以上で大家族一体研鑽社会を目指してやっています。

「自分を知り、人生を知ろうとする人たちの研鑽ライフ社会」・・・・いつ頃からか誰ともなく「研鑽コミュニケーションの気風だね」と言い始めた。
妥協や言い聞かせのない気風、悩みや不仲のない気風、
うわさや憶測のない気風、老後や人間関係を個々に抱えない気風、・・・・
町内会や自治会やパートで働きにくる近所の人々を巻き込んで・・・・、
そんな、「研鑽コミュニケーション地帯」が広がりつつあります。
「研鑽」や「実顕地」という言葉の先入観を外して、「零」の位置から調べ直してみよう。そして、世界各地で、現状そのままの一体研鑽社会づくりが始まることを強く願っています。
http://as-one.main.jp/ ← ここをクリックすると「研鑽コミュニティ」のホームページを見ることができます。
http://www.scien-z.org/ ← 研鑽科学研究所です。
今年も益々「一体研鑽社会」の研究・試験を繰り返し、力を注いでいきます。どうぞ、よろしく!!

Category: < つれづれ > | 2008.11.12 Wednesday 21:00

書かなきゃ 書きたい 書こうかな!

 「研鑽コミュニティ」や「研鑽ライフセンター」のホームページやパンフレットは、概要を現象的に知らせるためのもので、これは今後ますます活発に積極的にやっていくことだが、研究や実験に基づく実態が出来てきても、「このような活動をやっています」との表現だけでは、「そういう活動をやっているのか」と現象的に受け取られ易いと思う。
 今後の人のためにも、現象面の形や活動だけが残って、引き継がれて行ったとしても、「根底の確立しないものは、必ずや脆く崩壊することは必然であります。」という感じがするしね。
 「研鑽コミュニティとはどういうものか」「研鑽ライフセンターという機関をなぜ組織しているか」等々、その拠って立つ理念や方法を論理的に解説する必要があると思っています。
 研鑽ライフセンター、研鑽コミュニティ、カンパニーや研鑽生活体について、周囲および後代の人たちへ広く世に紹介するための解説を作ろうと思います。
 今の力量で、どの程度のことが出来るか分かりませんが、人間について、社会について、これまでの研究や実験の内容をまとめて発表していきたいです。
1 あらわれたもの と そのもの
2 社会観の元となる人間観
3 人をベースにした社会
4 人の自由 社会の自由
 先ずは、このような構成を考えています。タイトルは「社会を研鑽する」というのはどうだろう。(1995年の「宗教を研鑽する」を思い出した)
 続いて、研鑽科学サロンで、小野さん真保さん担当の
1 人間の考えとはどういうものか
2 事実・実際とは どういうものか
3 人間にとって、なぜ研鑽が必要か
4 人間にとって、なぜ研鑽会が必要か
 これらを一つの解説にまとめて発表できないかと考えています。こちらは「人間を研鑽する」ということになるでしょうか。
 他にも、まだまだたくさんの課題があり解説したものがいっぱいあります。
・研鑽ライフセンターで実施されている各コースについての解説
・as one companyの構成や会社経営の考え方
・研鑽コミュミティの各サポート活動の方向性
・研鑽生活の実現〜研鑽社会化についての解説
 などなど、今後も研鑽科学サロンで発表しながら、私たち自身の中で明確になった分、解説が出せると思います。
 書くぞー!と言いたいけど、さて、できるかなー。



(1960.8 第2回理念研より)
 理念の方は急がずに、ハッキリ解説できるものをやりたいね。

 ともかく、よその世界を感じるものね。唯物論、観念論をどちらも振りかざしている間はね。両方身のうちで一つのもの。これを徹底的に各自が先ず第一頭の中へ入れ込んでしまうこと、そこから両方の論者に判り易い解説文が出来てくると思うがね。この広さ重大さというかこの仕事の価値考えて見るとね。自分達の今日の少数の人達がどんなに大きな仕事していたかということになるやろ。学界でも思想界でも仲々解決出来なんだことを。処が簡単なことや。難しい事あらへんのにそういう事やってる人達が難しくしているのやろ。人間てどういうものかと、議論が人間でないので、議論に立脚せんでも人間に立脚すればよいので、簡単すぎる位簡単なの。

今のうちに目指しているものこれだというのを物象面でも実証していくのと、理念の上でも解説できるようにしていくのも急ぐように思うし、おこがましいか知れんが、世間知らずかも知れんが、他にないように思うが。

それから抜き出して系統立った解説文章できると思う。理念の方だから現象に当てはめると、これかこれかと分かると思う。根だけ見てたらどんな花が咲くか分からんと思う。小出しにするようだけれど、一つ一つ固めていかんとね。ずっと連続でいきたいと思うが、他に急ぐこともあるしね。これ一つだけ深まったら、それだけででもどこへでも行けると思う。



(1960.10 第6回理念研より)
T  突っ込んでこられたとき理で解明できていく人間も必要だと思う。理だけでは何もならんというのでなく、徹底的に理を究明するのも急ぐと思う。
K  何ぼ発展してもある一点で理念を追及されて「分かりません」といったようなことでは、拡がったら又他から責められることもあろうし、理念研鑽は急務だ。
M  運動そのものも大体のことを把握してやらんならんので一応の持ってく方向をハッキリして、方法もそこから出て来る。
K  そして僕等の方法で広げたケツを理念で拭いて欲しい。
山岸 ほかでは出来かけたが、ここはあそこまで出来たが、他から宗教と見ようがここ自体が研鑽でいくのが本当よ。宗教であっては全然逆よ、みなが一体で検べて考えてみなが一体で作りあげていくのが大事よ。処がそれに対して宗教化していると聞いたら、そうとられるにはあく迄謙虚に聴く必要あると同時にここを検べて理念を担当する人が解説者として調べてみようでないと−。
K  まあ理念研がしっかりしてくれてるから僕等の運動が出来るとの安心感ある。どんどんぶち当たっていける。これがあるのでゆうべ「僕等一体どうしたらよいんだ」となると足がいかん。これは正しい態度と思わんが、それが出て来る。
山岸 発足間もない事やから無我一体研鑽でやっていこうとする今日のここの状態だと解説者の方からあったら良い。ここの方がどうか分らんが「出発間もないのでこんなにやっていますよ」でよいと思う。又あんた方は私等の紹介者だからこの通りで見るべきものもないが、「理念の解説は別の人がやっている」と。そこで「僕たちは理念は浅い程度だからともっと高度にやってる人ある」としたら「その人出せ」と云ったら、こういう順序でやってもらったら良い。理念研もABCと段階別に「私等はCですから」と解説不充分でも相手も納得するし、先に目安入れておくとよいと思う。あく迄ここ検べていかんと人の批判より先に、ここ自体検べてみたら良い。理念は理念として人の批評にどうもっていくかは別の立場で、ここ自体は一体理念研は好ましいか好ましくないのか、先これを確認してからでないと。ここ自体が自分の考えで主張するでなしに、自分の考えを出してみんなで考えて見るのでないと、それが又ここへ反映していく。ただ右へ並べと解釈したらこれも間違い。
K  M ともいってるが、僕等はセールス、チンドン屋やと思ってる。
山岸 その方がよい。他の理念がどうかとかに触れんような方がよい。一つ一つ片付けていこうかい。

Category: < つれづれ > | 2008.08.26 Tuesday 22:00

山岸式(研鑽) か 春日豊里式(・・・) か

心の手を結ぶ、それが実顕地の充実。
着実ないき方のできる人が、実顕地の実権を握るようにする。


僕のお気に入りです。 (実権という言葉はイマイチだけど云わんとするところね)
いつも、心してるというか、心の中にあるというか・・・。


急所を知らない人が、急所を外した機構や運営やってて、実顕地になる訳がない。
(なぜ 春日豊里式を後生大事にして、あんなに広げちゃったんだろうねぇ?)
組織維持の為には個人の意志を妨げる必要があるのを当然としている
どんな意志も決して妨げる必要のない組織とは? かつてない社会を知ろうとする。
それには、人の核心、社会の核心、つまり急所を知ることから。
急所を外さなければ、ここをやろうとする人の結束で、普遍性ある揺るがない実態へとグングン近づいていくなぁ、と実感しています。
(規模や見映えじゃなくてね)
社会機構・運営の急所、実顕地の急所、知ろうとする人の寄り場、拠り所にしたいなぁ・・・。


無現象をそのままにしておいて、いくら形(現象界)をととのえても、
形から入ったものは無現象界が元だと気付かない限り、形が崩れようとしたとき建てなおし出来ない。
何をやるにも、もとが大事。
底に気づかない、砂上の楼閣。

出来た、深まったと観る焦点をどこに置くか?
本当の一体が確立する方に置いてゆかないと。
無辺境の囲いのない人を創る方向。

和を保つ為には現象界が大切やと、現象面を調えてゆこうとする、共同化の線。
現象面がどうであろうと、もとが一体。
日常の総ての現われは、もとの心の現れ。
そのもとの方を正してゆこう。

内部機構をつくる上にも、元の心の面、仲良しになるための三人制にしても、一人で偉い人になる専制者は嫌われる。
よろこんでくれるとしても、物欲の人が喜ぶのやったら、ええかげんなもの。
蒔いた通りの種が生える、簡単なこと。

(1961.3 理念研)

Category: < つれづれ > | 2008.08.17 Sunday 15:00

ヤマギシの村 についての見解を少々

なぜ、今のような生活形態や運営方法にしているのか、その理由や根拠を誰も知らないと思う。

ヤマギシを知り、その組織に加入した時、既にそのような生活形態や運営方法でやられていたから、それを行なうことがヤマギシズムだとしてやっている。
世間一般の生活形態とは大きく異なる為に、また、無所有一体を理念だとしてヤマギシズムを掲げている為に、今ある生活形態や運営方法が、ヤマギシズムを現わしたものだと思っている人が多い。
「ヤマギシズム生活実顕地」について、それを調べるすべもなく、「これが実顕地だ」「こうすることがヤマギシズム生活だ」というところから入いって来ている人ばかりだと思う。

「実顕地」と名づけられているものを「実顕地」だとして、40年にも渡って行なわれいる。
40年前にはあったであろうプロジェクトの目標や計画や方法など、今になっては誰も知る由もない。
現状は、設計図も仕様書もない老朽化したプラントの維持・保守・補修 に躍起になっているようなものだろう。
不自由と窮屈さが介在する、気を使いながらの人間関係、管理統制の要る運営で、自身の実態にメスを入れようともせず、意識だけは ヤマギシズム をやっているつもり。
ヤマギシズムとは何か、という原点に立って、それを生活や運営に現わしていこうとするのが筋道だと思うが、果たして、今のヤマギシに、そのような人がいるだろうか?。
ヤマギシズムをなおざりにして、旧態依然とした「組織と生活形態」が、存続しているにすぎない。
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