BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < つれづれ > ――
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Category: < つれづれ > | 2009.06.10 Wednesday 00:00

いよいよ出版へ

来月(7月)、「研鑽科学研究所」から、本を出版する予定です。
ここでの活動が始まってから、8年半あまり、いろんな研究と実験を積み重ねて来ました。
その中から研究活動の一端を出版という形で、広く多くの人に知ってもらおうと思っています。
ヤマギシズムに関心のある人は勿論のこと、人や社会の研究に関心のある凡ての人に贈りたいと念っています。
かねてより、出版活動に関する提案や要望は多くありましたが、今年に入ってから、山口昌彦さん牛丸信さんらの熱意と尽力により、編集が具体化し、伸展し、出版の運びとなりました。
発行は、引き続いて、第2号、第3号・・・と刊行していく予定です。

更に今回、併せて「2000年からの動き 鈴鹿編」という小冊子を発行します。これは、ヤマギシから鈴鹿に至る経緯などを初めて公表するものです。ヤマギシに関わる人たちに、ぜひ読んで頂きたいと思っています。
現時点では、詳細は未公開ですので、詳しくお知りになりたい方は、メールでお問い合わせ下さい。
メールアドレスは、publish@scien-z.org です。

Category: < つれづれ > | 2009.05.18 Monday 23:00

こうふくけんさん日常化

科学哲学する思考「研鑽」を身につけることが人間性にとって必須要素だと思う。
そして「研鑽」の基礎になるものが、幸福研鑽・目的研鑽だと思う。

つまり、凡ゆる考えや行動の元には、「希求する幸福」「人生の目的」がある筈。
例えば、結婚して家庭を築き、職に就いて仕事をするにも、幸福を求めない家庭や仕事があるだろうか。
しかし、現状では、日常の「生活や仕事」についての事柄が主題で、幸福研鑽・目的研鑽がとても希薄な体質だと思う。
本当の幸福を見出し、本当の目的を知ることを、二の次・三の次・後回しにしているのが実情だと思う。

疎遠の人や研鑽に触れていない人に対しては、心底の希いや根本問題を語り合おうとするが、日常的に身近で親しい間柄では、幸福研鑽・目的研鑽が希薄ではないだろうか。
研鑽ライフセンターに参加するのも、参加する前の幸福研鑽・目的研鑽があると思う。研鑽会に参加したり、自分を知ることが目的ではない筈。

幸福研鑽・目的研鑽に根ざさない活動を、皆で仲良く楽しくやって、人や物が増えたって、それがいったい何になるのだろう。
自分の中に、いつも、幸福研鑽・目的研鑽があるだろうか。
その人の中に、いつも、幸福研鑽・目的研鑽があるだろうか。

<< 幸福研鑽の日常化に向けて・・・ >>
「なぜそれをやるの?」「それをやって何になるの?」
この問いが根付くように、先ずは、職場でも家庭でも、四六時中、自分の中に貼っておくというのは如何がでしょう???

Category: < つれづれ > | 2009.04.20 Monday 08:00

研究所ってナニ?

「研鑽科学研究所って何の研究をしてるんですか?」
物づくりや商品の研究ではなくて、会社や暮らしが良くなる研究をしているんだよ。
「へぇ〜、会社や暮らしがよくなるって、例えば、どんな研究ですか?」
誰もが休みたい時に休める自由な会社とか、
命令されたり人の上下のない会社とか、
お金が多くある人も少ない人も豊かに安心して暮らせるとか、
「みんな、そうなったらいいなぁとは思うけど・・・」
誰もが願ってることが、なぜ実現できないんだろうね?
知らず知らずのうちに、そんなの無理だと諦めてる・・・。
「諦めてるつもりはないけれど・・・・、なんとかく、社会はそういうもの・・・みたいに思ってる・・・」
そうなんだ!そこが重要なポイントでね。社会はそういうもの・・・と思っているのを『どうなってるのかな?』『なんでかな?』と検べていくんだよ。
「おっ出ました!科学哲学するんですね。」
会社のこと、暮らしのこと、社会のこと、その中で生きている自分のこと、等々、先ず『どうなってるのかな?』『なんでかな?』と検べていくことからだね。
そうして、そこから、何を願っているのかな?それは実現できないものなのかな?、どうしたら実現するのかな?、と実際に試しながら研究しているんだ。
コミュニティやカンパニーは、そのための『試験の場』でもあるんだよ。

Category: < つれづれ > | 2009.04.17 Friday 13:00

研鑽って ナニ?

「研鑽って、どういうことですか?」
研鑽は、別の言葉だと、科学哲学 と言ってもいいかな。
「科学?哲学? って、なんだか難しそう〜」
言葉は難しそうだけど、やることはシンプルで、易しく言うと、
科学は『どうなってるのかな?』、哲学は『なんでかな?』と、いつもクエスチョンをもって検べることかな。
「科学は『どうなってるのかな?』で、哲学は『なんでかな?』というクエスチョンですか???  うーん、簡単そうにも聞こえるけど・・・、これこそクエスチョンだー。」
例えば、楽器のピアノ。ピアノは『どうなってるのかな?』というのは科学。それから、ピアノがある、人間がピアノというものを作った、それは『なんでかな?』というのが哲学。
「ピアノがあるのは『なんでかな?』、ピアノを作ったのは『なんでかな?』
そんなの分からんなぁ〜」

分からなくてもいいんだ。『どうなってるのかな?』『なんでかな?』というクエスチョンが自分の中にあるということが研鑽の始まりだから。
「答えよりもクエスチョンが大切なんですねぇ。」

人が「生きている」ということを『どうなってるのかな?』と検べるのが科学で、『なんでかな?』と検べるのが哲学と思うよ。
「お金」とか「規則」とか「学校」なども、『どうなってるのかな?』と科学してみる、「なんでかな?」と哲学してみる。
「・・・うーん、だんだん難しくなってきた〜」

ピアノや自動車について『どうなってるのかな?』と科学するのは分かり易いかな。『なんでかな?』と哲学するのは、馴れないと難しく感じるかな。
でも『なんでかな?』と思うことってあるよね。
「規則を守る」とか「迷惑をかけない」とかだと、『なんでかな?』と考え易いよね。これも哲学だよ。
でも、「規則を守る」「迷惑をかけない」のは『どうなってるのかな?』と科学する方が、馴れないと分かりにくいかもね。

「『どうなってるのかな?』と検べて「こうなってる」と分かることがあるし、『なんでかな?』と検べて「こうだから」と分かることもあると思うけど・・・。」
例えば、自動車は、ガソリンを燃やしてその力でエンジンを動かして・・・「こうなってるんだ」と分かったように思っても、ガソリンを燃やすって『どうなってるのかな?』エンジンを動かすって『どうなってるのかな?』と、分からないことだらけだと思うよ。
学校があるのは『なんでかな?』、規則があるのは『なんでかな?』と検べて「こうだから」と分かったと思っても、じゃあそれは『なんでかな?』と尋ねてみると、どこまでもキリがなくて、誰も答えられない・・・。

「小さな子どもが「なんで?」「なんで?」と、聞いてくると、しつこく感じて、ウルサイ!そういうものナンダ! と言ってしまうのは・・・、そうか・・・答えられないのか・・・。」
そうだね、そういう意味では、小さな子どもが一番の哲学者かもね。
「へぇーっ? 小さな哲学者???」
おとなになるにつれて、分かったと思うことが多くなって、「なんでかな?」と思うことが少なくなって、哲学しなくなっちゃうんだろうね。
「そんなことされたら腹が立つのは当り前だろ」としてしまわないで、腹が立つというのは「どうなってるのかな?」「なんでかな?」と、どこまでも、どこまでも、クエスチョンがあると面白いだろうネ。
まだまだ、続きがあるけれど、今日は、ここまで。

Category: < つれづれ > | 2009.03.12 Thursday 12:00

この人は・・・!!

 韓国のヤマギシにいる Yさんが、小野さん和貴さんと連絡をとり合っていて、鈴鹿を訪れる機会があり、2時間ほど話をした。
 彼は、アメリカに居たこともあり、ヤマギシに入って16年余りとのこと。活動家でもあるが、ヤマギシズムについての理解はとても深いと思った。
 彼自身、本質的に考え進もうとすればする程、韓国でもヤマギシに居づらくなり、今後を模索している様子。
 鈴鹿が始まるまでの2000年頃の様子を聞きたいというので、僕なりの見解やその頃の経過を話した。
 本質的な話をしたくても、ヤマギシにはそういう人が居ないらしく、インターネットから、僕のホームページ もよく読んでいて、彼の思想と一致するものを多く感じたと話してくれた。
 世界革命実践の書を探究してみて、行きついたのは「心理的方面の解決と社会構成の真髄」。そして、他の思想などにも共通する点がある中で、ヤマギシズムの要は「具現方式」ではないかと、それの「根本理念」ではないかと。そこを探究しながら活動している様子。今までのヤマギシは、運動や組織に力を入れているが、人に対する探究や理解が浅いと思う、・・・等々。
 このような見解を読んだり聞いたりして「そうだな」と思う人は多いが、その歳月の間に自分で、よくぞ、そこまで行きついたものだと感心した。
 稀にみる人という感じがした。少し興奮するというか感慨深いものがある。精神面を深く探求する人はいるが、人と社会を一つに科学できる人は、仲々いないと思う。毎週寄っている研究所のメンバーの中で Yさんも話し合える機会があれば、彼自身もっと焦点が鮮明になってくるだろうと思った。
 Yさんの場合、素質や才能や、ヤマギシズムとの出会いによって、今日の Yさんがあると思う。ヤマギシズムを知らなくても、世界中にいる「零位哲学的に、真理の究明が出来る人」に、もっと、もっと、多く出会いたい。
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