BOOKS: 『SCIENZ(サイエンズ)』
研鑽科学(ヤマギシズム)について(2008.8.1)
「ヤマギシズム」という語は、もう既に使う必要がなくなったが、「ヤマギシズム」という語が使われている間(消滅し終わるまで)は、その語源を明らかにしておきたいと思う。
―― < つれづれ > ――
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Category: < つれづれ > | 2006.09.15 Friday 01:00

僕の関心事 は・・・

世界革命 と 具現方式 と その元をなす 研鑽の実現

これまで、検べ、実践し、知り、得たものを、

もっと、もっと、実証し、検証したい。

人間理 社会理 研鑽の理 一体の理 
の究明ができる人を・・・

Category: < つれづれ > | 2006.09.02 Saturday 11:00

作る人と、使う人で、

例えば、医者や医療機関を使うことで、その恩恵を受け、とてもありがたいと感じている人は多いだろう。
その重要さを多くの人が強く感じていても、自ら 医者や医療機関をやろうとするのは、極々少数の人だ。

同様にして、食糧・衣類をはじめ、家・建物や、様々な機械・道具なども、その恩恵を受けて多くの人が暮らしているが、それを作っているのは、使う人に比べれば、ほんのわずかな人だ。

社会組織というものは、それぞれが作る人であったり、使う人であったり、人間ひとりひとりの様々な活動で構成されている。
当然、作る人がいなければ、使う人がいなければ、どちらが欠けても成り立たない。どちらが上とか下とかでもない。どちらが得とか損とかでもない。作る人には作る喜び、使う人には使う喜びがある。

作る人と使う人との間に、上下や損得や義務・責任・権利主張があるのは正常でない。そこに喜びが失われ、悩み・苦しみ・怒り・争いの因がある。


研鑽セミナー 生涯学究制 as one company as one生活体

作る人にも、使う人にも、大きな喜びがある。
大きな恩恵を受ける喜びの中から、必ず作る人が現われ、後代へ引き継がれる必然の理。
永遠の幸福・繁栄に資する社会基盤を 作る人と 使う人で 一体の華が咲く。

一体で作る人(理想社会の実現に傾倒する人)と、一体で使う人(理想社会の実現に協力する人)で、繰り広げる社会モデル。

Category: < つれづれ > | 2006.08.16 Wednesday 15:00

自由度 自己診断テスト・・・

ある日のブログ記事にあった「自由度」の言葉が話題になり、自分の「自由度」を自己診断して、相応の社会生活ができるような仕組みにしていこう、と発展してきた。
従来は、決めつけ執われがあるかどうか、放せないものがあるかどうか、固定があるかどうか、束縛があるかどうか、解放されているかどうか、一体かどうか、一つでやれるかどうか、・・・等々、つい観念的になって、0(ゼロ)か 100(百)か、有るか無いか、と短絡的に捉えて、割り切ったり踏み切ったり決心することばかり重視していたようだ。

「自由度」という言葉は、とても分かり易くて、明快だと思う。
 ○ お金や保険・保障についての自由度
 ○ 仕事、職業、自分の持ち場についての自由度
 ○ 衣・食・住、物質経済についての自由度
 ○ 趣味や娯楽や休暇・レジャーについての自由度
 ○ 人間関係・対人関係についての自由度
 ○ 夫婦・親子など親族・家族についての自由度
 ○ 常識・道徳・社会通念についての自由度
 ○ 法律・規則・契約・約束についての自由度
 ○ その他、もろもろについての自由度

自分はどれくらい自由なのかを自分で診断するために、各分野ごとに数々の設問を用意して、それに回答して、自分の「自由度」をテストする。
「自由度」自己診断チェックシート が出来ないかな、と思っている。
人から指摘されて、ではなく、自分で自分の「自由度」を知って、自覚して、「真の自由人」を目指して研鑽し、自由になった度合いに応じて「自由社会の生活」が出来るという社会システムを描いて、実現していきたい。

Category: < つれづれ > | 2006.07.29 Saturday 20:47

「ほんとう研」 も 「もくてき研」から・・・

みんなでやろう、一緒にやろう・・・・、で、焦点がボケる。
やることを検討している、相談している。そもそも何をやろうとするかを詰めないで。
自分の目的 があいまいな人の寄り集まり、・・・・みんな同じ目的のつもり。
実は、自分の目的 を知らないだけで、それぞれの思惑で寄っている。

自分の目的 を見出さないで、一緒にやろうの人は、事情が変わると、寄ったり離れたりする。自分の中のものでやっていないから。

自分の目的 を見出し・・・・、で同じ目的の人で手を携えて共にやろう。自分の中のものでやる人は、自分の生き方をする。

しかし、強い信念で自分の目的もって、生き甲斐・やりがい感じて生きている人、世の中にたくさん居る。
はっきりした自分の目的もって生きている・・・ それがどうした? それやって何になる?
自分なりの考え 自分なりの目的 自分なりの生き方 自分なりの人生 自分なりの仕事・生活行動


ここから ほんとう研の本領 に入る。
人間とは、どういう生き物か?、から入っていくと、自ずと人間らしい人間が明らかになる。
人間らしい人間、人間らしい生き方、何のための人生か、生きる目的は何か・・・
本当の生き方あるな、本当の人生あるな、本当の人間像でてくる
そうしたら、本当の仕事、本当の暮らし、本当の社会・・・と必然の理
本当の社会も自分の目的も一つのもの。

本当をベース自分の目的 で行こうとする人
これは誰とも何とも対抗しない。持たない一体の世界
その場に(職場に)こういう人が一人いればいい。
本当(真実)をベース に 自分自身の真目的 で行こうとする人。
その場は必ずその方向へ。

Category: < つれづれ > | 2006.07.27 Thursday 00:00

本当(真実)について

今の世で、本当(真実)ということに関心がないのは当然のような気もするが、
ヤマギシズムに触れた人の多くは、本当の社会、本当の生き方、本当の仕事、本当の食べ物、などなどを志向しているのでは、ないのだろうか?
しかし、本当(真実)ということに関心のある人が、実に少ない気がする。
勿論、本当(真実)という言葉を発しているか否かではない。

日常、接するあの人、この人、・・・
いったい何に関心があるのだろう? 何に向かって生きているのだろう?
・・・と、???の人が多い。
明るく朗らかにしてれば、何か良いことしてるような気でいるんだろうか? と思う人もいる。
本当(真実)に関心がないということは、本当(真実)を願い目指して生きていない、そういう暮らしではないということだと思う。
本当(真実)に関心のある人が増えれば、もっともっと、本当(真実)の方へ進むと思う。

私は、私なりに、本当(真実)であろうと思うものを見出し、それを実現しようと思うからこそ、日常の事々が、本当(真実)かどうかが、とても気になる。
でも、本当(真実)かどうかに関心のある人は、実に少ない気がする。
関心のある事が違うからか、話をする相手も少ない。

本当(真実)に関心のある人がもっと欲しいなあ。話し相手がもっと欲しいなあ。
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